ためしてガッテンに見る医療情報伝達の難しさ
NHKのためしてガッテンは普通の医療関係者にとって、時に評判が悪い。個人的には認知症をもたらす正常圧水頭症について取り上げられた途端に「うちのおじいちゃんもそうじゃないんですか?」というご家族の質問が続いてやや閉口したことがある。*1
そんなわけで、放映された途端に番組内容に沿った形での検査や医療を要求される方が増えることが通常診療を妨げてしまうことが医療関係者内でよく批判されるのだが、今回の特集も早くもネット上で批判がかなり目につく。
番組内容に興味を持った方、オンデマンドで見られますよ、と思っていたら今は見られず、サイトでもついに謝罪が加わった。
批判はこんな感じで展開されていたので読みたい方はこちらを。
2017年2月22日放送のNHKガッテン「糖尿病に睡眠薬」に疑義を申す
見てみたが内容は面白い
で、まだ見られる時にオンデマンドで見てみた。批判を読んだだけだと、主張したい内容を煽って、専門家の立場からは得られる示唆も少ないかと思って警戒しつつ視聴したのだが…dneuro的には結構興味深く、面白く見ることができた。演出が上手くて、さすがテレビ。見せ方に感心してしまう(嫌味っぽいか…)。
内容的には要するに下記3つのことについて。
・睡眠障害と糖尿病の関係
・交感神経系とインスリン分泌や血糖の関係
・デルタ波が多く出る深い睡眠(番組ではデルタパワーと紹介)が現代人は少なくなっている
実際のところこの3点はそれぞれきちんとした内容であり、この番組が本来伝えるべきことを医学的に正しく表現するならば、こうなると思う。
・糖尿病患者の中には深い睡眠が得られていないなど睡眠障害を抱えている
患者が一定割合で存在する。
・浅い睡眠下では本来働くべきでない自律神経(交感神経)活動が高まりやすい
→血糖値上昇→早朝高血圧→血管障害の進展という悪循環形成
・睡眠障害を改善するための介入によって悪循環を断ち、糖尿病を改善させる
ことが可能な場合がある。
この内容を、一研究者の仮説的内容や、試みている治療を強調しすぎることなく伝えることが出来たなら良かったと思うのだが…
ベルソムラが直接糖尿病を改善させるわけではない
番組で最も大きな問題点と感じたのは、登場された大阪市立大学医学部、代謝内分泌病態内科学(長いな…)の稲葉雅章教授が、糖尿病の睡眠障害の治療薬として、殆ど1つの薬、つまりベルソムラ(一般名はスボレキサント)があたかも夢の薬であり、特効薬かのように紹介していることだろう。普通にこの番組を見ると、ベルソムラさえ服薬すれば糖尿病の改善が達成できるように思えてしまうが、そんなエビデンスは今のところ無いので、殆どの批判がここに集中している。糖尿病治療の先生のもとには、「ベルソムラ処方してください!」という患者さんが殺到してもおかしくないくらいだ。
NHKはこれまでに稲葉教授の研究を紹介していたようで、今回の特集もその延長上なんだろうなと。実のところベルソムラを使って睡眠障害を改善させることが糖尿病治療に効果的ではないかという論文自体は内容的にはマトモ。
でも、注意が必要。ベルソムラはあくまでも、睡眠障害を改善させるための介入法、とりわけ睡眠薬治療の中の1選択に過ぎないのだ。実際のところ、ベルソムラが糖尿病の改善に役立ったとしてもそれは間接作用であり、睡眠障害を改善させるための手段は、生活習慣の改善(運動、仕事量の調整、環境調整など)や他の治療法の選択(例えば認知行動療法)など他にもあるので、番組があんな誘導的であってはいけなかった。稲葉先生の研究自体はおかしな内容ではない(真偽は今後の研究による)だけに専門家の信頼を失わせるような紹介に関与したのは非常に勿体無いと感じる。
小さな問題点を2つ
1つは、ベルソムラ服薬によって、普段の血糖140が、112に低下した=糖尿病が改善したぞ!的な実際の患者さんを出したこと。実際には糖尿病における血糖の変動はかなり大きいものがあり、正直その程度の低下は治療に関係なく見られるもの。大事なのは持続的に丁度よい血糖調節がされていることで、1回の測定で血糖が低いことは糖尿病改善の指標にはならない。通常そのための指標はヘモグロビンA1c(HbA1c;1ヶ月程度の血糖推移を反映)だし、糖尿病で最も注意が必要なのは実は低血糖発作なのに、と感じますよ。もっとも出演された方にとって112という’正常値’が嬉しかった気持ちは伝わってきた。
もう1つはデルタパワーという言葉。番組を見た殆どの人は、あたかもそういう力、能力という意味合いのパワーを人が持っていると勘違いしそう。この番組で言うデルタパワー。脳波というのは図を見るように色んな波から成り立っているのだが、覚醒して目を開けている時にβ波、閉じている時にはα波という波が主に観察される(図は大熊輝夫著、「脳波判読Step by step 入門編」から)。それぞれ観察される一定の周波数内に収まる波をそう名付けている。*2一秒間に幾つの波が出ているか、が周波数なので、例えばα波は8-13Hzの波だが、それは波が1秒間に8回から13回観察されるということ。人は睡眠の深さに応じて脳波を変化させるが、深い睡眠段階(ノンレム睡眠の3もしくは4段階という)では非常にゆったりした脳波である、デルタ波が観察される。こういった周波数の異なる波が一定の時間内にどのくらいの割合で出てくるのかを、フーリエ変換という手法を用いて示した量をパワーと呼ぶ。つまり、デルタパワーとは、ある一定時間内に出現してくるデルタ波の量(割合)を示す言葉であって、デルタ波を出す力があるとかそういう意味ではない。
願わくば、ベルソムラが脳波を改善させるよ、というもっと説得力のある証拠が欲しかったのだが、番組で紹介されたように、簡易的な測定器(多分この開発に稲葉先生関わっているんじゃないのかとも思うけど…)での測定で改善しましたよ、という単なるデモは、証拠として圧倒的に足りない。
ベルソムラは新しい機序の睡眠薬だが、必ず効くわけではない
一臨床医として、ベルソムラが良い薬というのは確かだと思う。
この薬は、睡眠薬とは言っても、多くの睡眠薬(ベンゾジアゼピン)のような依存性が無く(少ないと言うべき?)、筋弛緩作用を心配することがなく(筋弛緩作用が強いと起きた時力が抜けて転んじゃう)、そういった安全性が高い上に効果もちゃんとある。もっとも、2014年に世界に先駆けて日本で発売されたため、世界的なエビデンスにはまだ乏しい。
ベルソムラの作用機序はとても変わっている。ベンゾジアゼピン系やバルビツール系といったこれまでの睡眠薬は、鎮静効果のある受容体に働きかけることで、いわば無理やり催眠効果を誘導していた。一方、ベルソムラは、オレキシンという覚醒タンパク質(我々は起きるために必要なタンパク質を持っているのだ!)の働きを阻害する。起きているのを邪魔すると眠くなるのだ。
開発過程も従来薬とは違っていて、とても興味深いが、今日はとりあえず↓参照で。柳沢教授は現在テキサス大学所属だが、もしかしたらオレキシン関連の研究でノーベル賞も、と期待されていたりもする。
で、このベルソムラ、確かに使い勝手はいいです。睡眠障害でこれまで精神科にかかっていなかった人に対する薬としては、使いやすい。ただまあ、どの薬にも言えることだけど、効果があるとは限らないし(効かないという人もいれば、効きすぎという人も当然いる)、副作用(傾眠と悪夢)はちゃんとある。
医療情報の伝達って難しい
長くなってしまったけど、dneuro的には今回の内容は、問題点と今後の治療方向性をもっと穏やかに言えれば、こんなに専門家の反発を受けないのに、と思う。
ただ、どの番組にも言えるのだけど、医療情報をテレビで伝達するのって難しい。テレビ的にはできるだけ断言的に、センセーショナルな作りをしないと視聴者の気が引けないというのがあるよねぇ、と。本当は、科学者が物を言うときは、大体が仮説的なことしか言えないので、迫力が無いのだ。
今回の件なら、上述したように、睡眠障害を抱えている糖尿病の人は、それを良くすることで、糖尿病も改善される可能性がありますよ、その時には、もしかしたらベルソムラのような新しい睡眠薬が役に立つかもしれませんよ、まだ研究中で断言はできませんけど…、なら科学的には許せる。でも、テレビ的には、そんな「〜かもしれない」「もしかしたら〜」「断言は難しい」という言葉じゃ曖昧で、視聴者受けが足りないと考えるはず。
以前書いたようなダークサイドに落ちた科学者さんたちもおしなべて断定ばかりする(だから断定口調の科学者というのは余り信用出来ないことが多い)。
そんなわけで、このblogも主張を断定的には書いていないつもりで、その分迫力に欠けるかもしれません…でも1つだけ断言できるのは、「病気の治療でこれが決定的でそれしかない、と言える治療法は今のところ何1つ無い」、ということかな。だから、権威の言うことも、サプリの煽りも、ある程度距離を置いて聞こうね、という、医療ユーザーとして正しい姿勢を我々は持たなければいけないのですよ…。
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とりあえずわかりやすい一般書。ベルソムラまでは話が出てるかな…
昼間眠くなるのはお昼ごはんを食べたせい、とか良い睡眠時間は決まっているとか、誤解が解けるかも。
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今日の内容に実は関係ないけど、睡眠絡みで…イタリアのある貴族家系は、ある年齢に達すると眠れなくなる致死性不眠症という疾患を発症する。その理由には人間が持つ食人習慣が関係したという意外な話に展開していくノンフィクション。この10年位で一番面白い本だったのでいつかは改めて紹介したい。
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脳波を勉強したい、医学生、今日の図に使った大熊先生の本は買わなきゃいけない本ではあるが、とりあえずフレンドリーな本で勉強したいならこちらをどうぞ。脳波は古い検査だが、今でも進歩しているし、なにせ測定コストが安く、またリアルタイムに脳機能を探れるスグレモノなのだ。
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ところで糖尿病と言えば糖尿病食。いかにも不味そうだが、ここ兵庫県尼崎市池田病院の病院食は美味しそう。何ごとも知恵と工夫次第と思える。できるかどうかは別問題として。
*1:「治る」認知症としての正常圧水頭症は認知症診断において必ず鑑別すべき疾患の1つ。なので、「最初にその可能性を否定しているんですよ〜」と繰り返すことになった。が、まあ確かに頭のなかで色んな疾患を否定しつつ診断をしてはいるものの、その過程の全てを説明したりしないからな…と反省点もあるし、しっかり鑑別しているよなあと確認する機会になったのも事実。
*2:覚醒閉眼状態でα波と書いたが、α波ってすごい一般的な脳波なんだよねえ。昔α波発生機とかいうのが流行った時期があるし、今でもリラックスしたら出てくるとか言うんだけれども、実際には普通の脳波。α波を増やす機械の開発にどうですか?と誘われたこともあるけど、理論的に何も納得できず参加しなかったことがあるなあ…。
発達障害特性独自の強みについて
発達障害についてはやはり「障害」と括られることで否定的なことが書かれることが多い。発達障害の持つ特性が障害になる一方かというと、そんなわけでも無いというのが今日の論点。実際の所、あぁこの人ASDだなあという偉大な人はそれなりにいるし、ADHDを公言している著名人もいる。
特性の強みに関しては、例えばASDでは⇓のような就職関連のサイトで、こだわりを上手く活かせば…とか、人が退屈に思うことでも不満を言わずに作業レベルを落とさずに長時間継続できる、といった文脈が多いかと思う。
ただ、一方でそれは「障がい者」の枠の中でこういった強みがありますよ、と言うだけであって、障がいと無関係な積極的な強みとして語られることは少ないのは仕方が無いとは言え残念な部分ではある。
ASDもADHDもその特性は条件が揃えば強みだ
条件が何か、というのは少し置いておいて…
・空気が読めない
日本人が空気を読みすぎたり、その場に居る立場が上の人を慮って議論を停滞させる傾向にあるのは周知の通り。
空気が読めない、ことは誰に対しても声をあげられるという素敵な面を発揮できる。なあなあで済ませてしまうもしくはそのようになってしまった中でも、余計な私情を挟まず誰かを特別扱いしない、裏表なく公平といった非常に公正な人になり得る。*1
ASD(傾向)があって活躍している人は「外国に居るほうが楽」と語ること、結構多い。英語圏では敬語もなく、議論においても上司や教授など権威に対してもファーストネームで呼び合い、また声を上げること自体が評価されるために、英語圏では能力を発揮できる条件が1つ多いと言えそうな気がする。
日本に戻ってくると途端に窮屈になる…この傾向はADHDにも言える。そう、ADHD特性に衝動性、多動があるがそれは外交的性格と重なると積極的な社交性に繋がり、日本人らしからぬ「空気を読まない実行力」「疲れを知らない行動力」となり得る。楽天三木谷社長はADHDの気があるかも、と発言しているようだが、頭の回転が早くアイデア豊富なのはADHD特性に源泉があるのかもしれない。衝動的にぱっと考えを口に出すのは日本社会には合わず、やはり海外、特にアメリカにマッチする方は多いだろうと思わせる。
いずれにしても、空気を読めない、というか周りを気にしないことは、特定領域の公務員、技術者、研究者、資格職にとって強みになることが十分にあるはず。
・こだわりが強い
ASD特性の1つだが、これも特定職種にとってはとても重要な資質になりうる。手順を確実に守り、疲れても手抜きしない。ルーティンを大切にして、ぶれない生活を守る。慣れてくると技術的には手抜きをしたり、特定の人や業者などに対しては融通を利かせすぎてしまうのが普通の人という感じだが、そういう袖の下を通さず、規律を遵守するのが得意というのはASDの強みと言っていい。*2
・不注意なればこそ
認知科学における注意と言う場合には、今起きている物事や周囲に適切に注意を分配する、例えば、何かに集中していても声をかけられたらそちらに注目するといったことも注意機能に含まれる。これはADHDが苦手とする機能。
しかし、特定のものへの熱中に度が過ぎて、話しかけてもまったく聞こえないというような過集中という性質は、特定分野においては強みだろう。注意の分配が適切にしっかりできることは、マルチタスキングに有利だし、どちらかといえば女性が高く持ちうる能力だが、ただでさえADHD的要素の強い男は、逆に過集中できるからこそオタク的、マニア的知識や技術習得に役立っていると言える。
・特性を活かせる条件とは何だろう
身も蓋もないが、一定以上の知的能力、技術習得能力が必要。特性そのものが問題になってしまうのは、特性を欠点としか認めてくれない環境条件もあるが、持ちうる能力が足りないことも多い(ので能力は伸ばす必要がある)。
本来は素晴らしい能力を持ちながらも、環境がその能力の発揮や、向上を許してもらえない状況にある発達障害者は多い。養育・教育に携わる人に考えてほしいが、大勢の健常者を凌駕するような何かの能力に長けている場合には、特性を修正することにこだわってしまってはもったいない。能力の凹凸を均すことに努めず(少なくてもある程度は)認めてあげられる環境づくり、というのが条件とも言える気がする。周りの人には、持ちうる得意な能力を伸ばす手助けをしてもらえたら、と思う。*3
また幼児期には十分に人に対する信頼を構築することが恐らく重要。そうでないとASDは被害的になりやすい部分があるし、ADHDは挫折に弱く悲観的になりやすい。人との良い関係を築けていてさえ、そういった部分は残るので、当事者であればそれも自覚する、自覚できることが自らの持つ能力を発揮できる条件といえる(はず)。自身を知ること、客観的に把握する能力をメタ認知(⇛https://ja.wikipedia.org/wiki/メタ認知)と呼ぶ。
特性を活かすキーワードは、能力、環境、メタ認知、とまとめたい。
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ASDとその特性を活かした就労支援といったときにまず思い浮かぶのが梅永雄二先生。まずは自分の特性を知る、ということも強調されている。ただし、特性の長所の活かし方については福祉的立場から述べていることが多いとは感じる。求められているニーズの多さからして仕方が無いとは思うが。
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楽天三木谷社長の評伝。色々なことに、短期間に次々チャレンジする姿勢は、ADHD的、と思える。
*1:良い方向に働ければASDの方は理想的な上司にもなり得るのではないか、と思う。ある私の知人は明らかにASDだ。彼はとても公平無私で、判断は常に合理的。理を大事にする。社会人なりたての頃は上司にとって、融通の利かない、上司にも正論をもって楯突く煙たい奴だったが、能力が高いため出世し、今では部下にその能力と公平さを慕われている。私も心から尊敬している。
*2:ADHDはむしろ逆というか、手順を守るための注意力を維持できない、つい手順を飛ばしてしまう、ミスをするといった面があるので、こちらは明確に改善が必要な場合が多い。とはいえ、過集中できるほど熱中できることに関しては妥協を許さない人が多い印象も持つ。
*3:どうも文科省は子供にバランスの整った能力発達を求めているらしい。一見良さそうだが、せせこましい。バランス重視というよりも尖った部分を評価する社会の方が発達障害者にとって生きやすいのではないかという気はする。アメリカやカナダにおける教育状況を聞くと殊にそう思う。伸ばせる能力は伸ばして欲しい。
優しい薬物療法を目指したい (2)
良い薬物療法はあなたに優しいはず
さて、良い薬物療法はある意味悪い薬物療法の裏返し。
正しい診断のもと、症状を緩和したり治すのに十分に効果を望める必要最低限の量、可能なら出来るだけ少ない種類を。定期的で、十分な副作用対策(副作用対策は薬だけとは限らない)。そして効果が発揮され、目的が達成された時に可能ならば減量もしくは中止する。
但し、言うは易しというやつで、現実にはスムーズに行かないこともある。良い薬物療法は実際には、医療者と患者双方の協力が不可欠で、出した薬の作用はそれが生活をしやすくしているのか、医療者の注意深いモニタリングと共に、患者側も医療側に伝えることをして欲しい。受療側は、介入手法の1つである薬物療法が、目的を達しているのか、改善させたのか、悪化させたのか、もしくは不変なのかを判定する必要がある。
「飲んでます?」と聞くと実は飲まずにいることも多かったりする。うん、結果が良ければそれでOK、怒ったりしませんよ。でも基本的には医者は出した薬は飲んでくれている、と思っているから、忘れたにしても、故意にしても、何を飲まなかったのか、は伝えて欲しい。そうでないと効果・副作用把握に誤解が生じるし、医療費の無駄遣いだ。もちろん、副作用が辛くて飲めませんでした、は殆どの場合しょうがない。*1合う、合わないはあるし、辛い副作用があるのに飲み続ける方も時にいらっしゃるが、頑張りすぎる前には主治医や処方医と相談して欲しい。
薬に抵抗はあるかもしれないけど…
前回冒頭に「時間制約のある現代精神医療の中では中心にならざるを得ない」と書いたけれども、薬物療法に後ろ向き、ということではない。
薬に抵抗を感じる、というその感覚は健康的だ。余分な異物は体内に取り入れたくない、そんな気持ちはとても良くわかる。
でも、正直症状に苦しみ抜いて自然の回復を待つ、のは余りに辛い時がある。服薬することで、眠れぬ夜が少なくなって疲労が回復し、死にたい気持ちから生きたいという気持ちに変わる、不安で外出もできない状態から安心して外出できる、そうなれるかどうか、まずは飲んでみてもいいだろうと思う。
副作用には、副作用が出ない量を使う、使う薬の種類を変える、副作用どめを使う、といった対策が取れる。
抵抗感だけで薬を飲まなかったり、とにかく少なくしたいと効かないような極小量を飲んだり、あれやこれやと感覚だけを頼りにした自己調節、は避けて欲しい。ただし、きちんと飲んでもらうための説明であったり、対応が医療側に必要であることも言うまでもない。やはり良い薬物療法は、両者の協力の上に成り立つものですよ。
dneuroは、困りごとはできるだけ良い方向に改善されていくべきと思うが、一方で「治療者」に依存して生きていく期間はできるだけ短い方がいいはずとも。医者にお世話になんて本来はならないほうがいいのだ。薬物療法は、丁寧に、正しい方向でやれば、受ける側の自己治癒力を邪魔せず、かつ他の治療法以上に自立を促し、医療者無しに過ごす自分なりのやり方を身につける生き方につながるものだと考えている。
カウンセリングは理想?
薬物療法に抵抗感がある方には、精神科に来たらカウンセリングとイメージを持っているのかなと思う。そう、カウンセリングなり、精神療法が理想なのか?という問いには、疾患や症状(要するに困りごと)、年齢、状況によっては、と答えたい。
まずは、提供されるカウンセリングが相談者にとって良くなる方向において正しいとしても、それを受け入れる脳の条件が整っていることが必要。つまり、幻覚・妄想、興奮や不安・焦燥感が強すぎたりする中では言葉が入っていかず、まずは薬で脳を落ち着ける必要があるだろう。
さらに、困りごとに、破綻した人間関係や明らかにおかしい職場環境、ないしは全く能力とマッチしない仕事をしている、といったことが関連しているなら、それをどうにかせずに薬物療法もカウンセリング(精神療法)も効力を持たないだろうと思う。環境改変させるのはカウンセリングだけでなく、薬物療法だって話しながらそれをしてもらっていきますよ。
また、ここでは詳述を避けるが、例えば精神分析はdneuro的には治療行為とは到底思えないし、間違った、というか方向性の誤った精神療法は時に薬物療法以上に副作用をもたらしかねない。*2
ところで、今流行りの認知行動療法も、訓練を受けていない治療者では効果を発揮し得ない。効きやすく、薬物よりも効果を発揮する疾患(例えば、単一の恐怖症、強迫性障害やパニック障害)がある一方で、認知行動療法だけでは治療が困難な疾患(例えば、統合失調症や双極性障害)がある。昨今の流行で、「認知行動療法が最後の砦」的意識を持っている医療者・患者がいるが、万能でないのは他の治療法と同じです。
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ではいずれは内科疾患になるのか?
精神科医としてしばらくが過ぎた頃、小児科の同期と話していたら、「あ、結局そうなんだ。でもいずれは内科の仕事になるってことかい?」と言われたのを思い出す。確かに、病因が解明され、根本治療がされたら、検査と治療法が一体となり、精神科医の武器である詳細な問診による診断、という技術が不要になる可能性は高い。そうなれば理想的とも思えるが、研究者視点でそれがあと数十年単位で可能とは到底思えない。以前も書いたが(⇛精神疾患って原因あるの?)、精神疾患の原因、すなわち原因遺伝子保持からその発現が疾患に至るまでの身体内での発展メカニズムは絶望的なまでにわかっていない。*3内科の仕事になるのはまだ当分先だ。
*1:辛い副作用があったとき、とりあえず服薬を止めてほしいと思う。精神科においては特別な場合(急性の興奮時や感染症、膠原病など身体疾患による精神症状治療時)を除けば、まず大体は一旦止めても大丈夫。副作用の中には危ないものもあるのだからひどい副作用があると感じたなら、とりあえず止めてからまた相談して欲しい。
*2:実を言うと精神科医になって精神医療に不信感を覚えたのは、精神分析治療のカンファに出たときだ。正直それはあなたの感想じゃないの?という医師側の言葉や、分析上級者たちが具体的な言葉もなく相互理解しているのがまずは気持ち悪かった。さらに、言葉による治療に頼る(はずの)分析上級者たちの薬物療法が多剤併用大量であることが多く、副作用に無頓着なことにショックを受けた。単に私の接した方々が悪かったのだという可能性はあるけれど、今に至るまで不信感を払拭しきれてはいない。また、精神療法というわけではないが、しかし類似のものとして危険性が高いのが「洗脳」だろう。
*3:よく「統合失調症の原因遺伝子が判明」みたいな記事が踊ることもあるが、全てウソ、まあそれは言い過ぎにしても、その研究者が解析した範囲内で原因の1つになり得る結果が得られた、程度の解釈が正しいものばかり。真の原因究明はまだまだ先の話。
優しい薬物療法を目指したい(1)
精神科や心療内科に訪れた方が時々口にするのが、「カウンセリングじゃ駄目なんですか?」という問いで、その言葉を聞く度に、精神科というイメージが持つ誤解や、時間制約のある現代精神医療の中では薬物療法が中心にならざるを得ないことや、名医と言わずとも良医ではありたいと思っているdneuro自身の力不足など思い浮かぶ。…とはいえ、精神科医療に薬物医療は必要であり、でもそれは優しいものであるべきとは考えている。
優しい薬物療法が基本的には必要と考えている
前に書いたように、薬は病気からの自己治癒力を支える杖のようなもの、と考えるといいのではと。
薬物療法は本質的治療といえないが、良い杖は生活を支えてくれるはずだ。
薬なんかに頼りたくない、という気持ちはわかるけれども、骨折してギプスで固めた足があるときに、松葉杖頼らないで暮らして生活圏が狭まっては勿体無いでしょう?
ちなみに、病気の根源を絶つ、というのを本質的医療というなら、多くの病気で実はそんなに根源的治療にはなっていない。糖尿病、高血圧、高脂血症、各種心臓疾患、がん、多くの病気がどのように引き起こされるか解明が進んでいるが、だからといって原因療法ができるとも限らないのだ。
誤診、病態に合わない量、同じ薬理メカニズムの薬の重複、副作用が強いのに使い続ける、効果がないのに漫然と続けている…
診療において誤診は実は少なくない。診断に沿った薬が使われなければそもそも薬は効かない。そんなことあるの?という疑問も持たれるかもしれないが、ある程度治療行為による介入が進んで初めてわかることもあったりはする。診断的使用という言葉があるくらいだ。
病態に合っていない多い量が強い副作用に繋がりかねないのは当然。でも実は、少なすぎるのに、効かないという判断を早くしすぎてしまうこともある。細菌をやっつける抗生剤で考えてみるとわかりやすいが、一定量の細菌群を殺すためには、それなりの強さの薬を使う必要があるのだ。弱い、病態を改善させるのに不十分な量の薬を漫然と使ったって改善するはずがなく、またきちんと判定できないのにその薬を諦めてしまうのは勿体無い。薬は少なければ少ないほどいいのではなく、病態改善に十分な必要最低量が望ましい。
同じメカニズムの重複は精神科医療の暗い歴史の中に歴然とある。今もそれは反省すべき現象で、以前統合失調症が適正化するかという話題で書いてみた。
平成28年度診療報酬改定は精神科における多剤併用大量療法を駆逐するか?
同じメカニズムの薬をいくら重複させても、基本的には意味がない。例えば抗うつ薬SSRIに属する、パキシル(一般名:パロキセチン)とジェイゾロフト(セルトラリン)を一緒に服用したって、同じセロトニン再取り込み阻害作用が発揮されるだけなので、2種類使うよりは、パキシル最高量、ジェイゾロフト最高量という単独の最高用量までtryしてから切り替えるのが標準的なのであって、重複使用はどちらが効いたのかもわからず、また副作用が複雑になる。実際の所、効果発揮メカニズムは同じでも、薬によって若干構造の違いがあることが、効きめの個人差や副作用の出方(こういった特徴をプロフィールと呼ぶ)に差が出てくるものなので、重複使用は事態を混乱させてしまう。とはいえ、状況によっては選択肢としてはありうるので、あくまでも基本的スタンスだが。
副作用が強いのに使い続けることもよく見られる(もちろんそうでないように努めているつもりですが)。精神医療においては、一旦処方してそのまま、病態回復しても使用続けた時、そしてお節介な副作用どめ使用、という形が多いのではないかと。
例えば、気分変動が続くので、最初に処方した抗うつ薬ジェイゾロフトに加え、感情安定薬リーマス(炭酸リチウム)を加える…まではいい。でもそのリーマスが効果なかったと判定したのに続けながら別な感情安定薬であるデパケン(バルプロ酸)まで加えて経過を見たら、それは出しすぎというもの。効果を発揮させるために加えた薬は、なんとなくそのまま使ってしまいがちなので、戒めたい。患者さん側も、減らすのが不安だからそのままのほうがいいです、という方がいたりする。
また、大体が、効果を発揮させたいときには、それが効くべき病態があるので薬がちょうどよく働き、副作用が出ないことが多い。一方改善してきたら効くべき病態が無いので、効果そのものが副作用になることもある。例えば抗不安薬は不安を鎮めるが、不安でないのに使えば眠くなったり集中力を落とす。必要なくなったら薬は減量すべきだ。
そして、dneuroが医師になりたての頃、副作用どめは最初っから入れておくべきと習ったが、今その発想は基本的にはしない。なにせ、副作用どめも薬である以上副作用があるのだ。効果を狙う薬の副作用が出るかどうかもわからないうちから、副作用の可能性だけ増大させても益は無い。
効果が無いのに漫然と使用。*1抗うつ薬や抗不安薬、睡眠薬で顕著に目立つ。とりわけ症状が重い時に効果があった薬を減量したり、やめるのは医療者側にとっても患者側にとっても勇気がいることが多い。
でも、そもそも医療なんて必要ないに越したことはないのだ。
十分に回復したら、必要ない医療から脱出を図るべき。
ところで、認知症についての講演で必出の質問がある。
「アルツハイマー型認知症の初期にしかアリセプトは効かないといいますが、もう5年も出ています。効果はあるのでしょうか?」
もちろん、個人差はある。もしかしたらアリセプトの持つ興奮作用がいい方向に働いているかもしれない。でも大抵の場合において、アルツハイマー型認知症が発症して5年も経ったらもうアリセプトは何も効果を発揮していないはず。医療コスト的にも良くないよね…。MRさんは使っているから有り難いと思うでしょうが、きちんと助言してね、と思う。
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ADHDに使う薬については簡単過ぎるが、それ以外は概ねわかりやすい。これを読めば自分の治療薬の把握と、医師への質問もしやすくなるだろうと。
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ちなみに、「白い巨塔」で中心となる教授選、少なくてもdneuroの知る限り、今の教授選はすごいクリーンですよ。
知って面白い医学史
医学史は面白い。それは不謹慎だが人体実験の歴史だし、今から見るとまさかそんなことを権威じみた偉い人達が言っていたんだ、と当然こちらは後出しじゃんけんなのでずるいのだが、正しい治療に至るまで苦闘の歴史が偲ばれるというのもあるのかもしれない。
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先日、「飲んだ、治った、効いた」の判断には注意しなくてはいけないと書いたけれど、治ったという判断ではなくて、飲んで病気になった、という判断の方も怪しいことはある。正しい例外は、胃潰瘍と胃がんの原因になるヘリコバクターピロリ菌で、オーストラリアのバニー・マーシャルが自ら飲み込んだ10日後に胃潰瘍を発症したことが決め手になった。医学史上、非人道的な人体実験がされていたことを理由に今では医学実験(治験)は大変面倒な倫理検査と、同意手続きを経て行われるが、マーシャルさんは「同意できるほど十分に説明を受けている人間は、私しかいなかったから」と自らを実験台にした理由を言う。マーシャルは2005年にノーベル賞を取って報われたけれども、自己を対象に報われない人体実験をした医師・研究者は沢山いらっしゃる。
本書の第1章の主人公は18世紀のロンドンの外科医、ジョン・ハンター。外科医の教育には遺体の解剖が不可欠と考え(それ自体は正しい)、そのために沢山の遺体を確保すべく墓泥棒とも結託したらしい(当時は献体という制度がないので…)。さらに、今もそうだがもっともポピュラーな性感染症の1つである淋病と、流行復活の兆しの見える梅毒は、18世紀同じ病気と考えられていた。1767年、ハンターは淋病患者の膿を自らの性器にこすりつけ、その淋病患者が偶然梅毒にも感染していたために両方に感染した。多分、彼は同じ病気と誤解したままだったはず。もしこんなハンター先生の奇人ぶりを知りたければこの本がいいらしい。
- 作者: ウェンディ・ムーア,矢野真千子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2013/08/06
- メディア: 文庫
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内容はこの方のblogに詳述されてしまっているけれども。
解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯
ところで、もちろん、今やっている治療が正しい、と決めつけるのは傲慢で、現在も20年後から見れば歴史であることを考えると、多分間違っていることも沢山やっている。でも、間違いや行き過ぎ、は今はわからない。そんな中でも例えば、抗がん剤治療は、ほんの10年前から見て今は随分と副作用に配慮されてきているように思う。近藤誠氏の「ガンと戦うな」は、氏の「結果から見てしかわからないがんもどき」理論を受け入れがたいのだが、それでも当時主流派のひたすらガン縮小が大事的発想に対して疑念は呈してくれた。主流・潮流になっている医療は時に病気を叩くことに行き過ぎになってしまう。でもその揺れ戻しが来て、というのを繰り返し、次第に結局何が大切なのか、を熟考できるようになる気がする。ガンだけでなく、高血圧しかり、高脂血症しかり、征服するだけが医療の発展ではないのだ。もちろん精神科も同様であって、統合失調症の治療に関してはようやくゴールを病気の軽快以外の点に置く発想が定着してきたように思う。
とはいえ、これまでこのblogで述べてきたように、主流派であり標準的な医療は、基本的には膨大な実験やダブル・ブラインドの治験を経ており、それを頭ごなしに否定してしまうのはおかしいことがほとんどだ。dneuroは治療で漢方も使うし、何しろ学生時代東洋医学研究会の部長だったので、別に漢方否定派じゃないんだが(⇛漢方って何だ?)、時に漢方絶対派の方に遭遇するとげんなりする。日本では、江戸時代末期まで、人の想像をベースにした東洋医学(当時は東洋なんてつけないけどさ)が全てであり、物理的存在を対象とした実証主義で無かったし、天然痘ワクチンとなる種痘の普及をどれだけ当時の主流派である漢方医たちが邪魔したのか知らないの?と問いたくなる。頼むから福井藩の町医者、笠原良策の決死の努力を知ってくれ。
- 作者: 吉村昭
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1988/04/28
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ところで、先日紹介した「外科の夜明け」はさらっと内容を読めるのだが、実は作者トールワルドの原著の大幅な抄訳。完訳版はこちら。
- 作者: ユルゲントールヴァルド,J¨urgen Thorwald,小川道雄
- 出版社/メーカー: へるす出版
- 発売日: 2007/05
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この人は医学史を、作中主人公が、医学史を発展させた医師たちの同時代人として生き、その発展を見て、体験していくドキュメンタリー仕立てとして書いている。
胃がんの手術といえば、ビルロート法(第1法と2法がある)という胃の摘出術があるのだが、手術法が開発された当時、外科手術そのものが冒険だった。主人公は若き妻に何とか手術を受けさせるよう奔走するのだが、結果的に妻は受け入れず死んでしまう。
外科医になりたい人は是非この本を読んで気持ちを高ぶらせ、外科医に憧れる人はこの本で疑似体験を。
外科の夜明け―防腐法 絶対死からの解放 (地球人ライブラリー)
- 作者: J.トールワルド,J¨urgen Thorwals,大野和基
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1994/12
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医学生は将来ダークサイドに落ちないでね(2)
部活も大事だが、思考法もちょっと磨いてみて欲しい。*1
ダークサイド、というと悪いことを自覚的にしているようにも思えるが、実際には効かない医療を信じ込んでしまっている場合があったりする。
自分の経験や、「独自の研究」から導いた結論を信じ込んでしまっている先生方もいて、そういった先生方は、元は善意なものだから、訂正しようが無い。このblogでこれとか、それとか、おかしいよと言うのも、本人が良いと信じてやっているなら名誉毀損で訴えられそうでし辛いものがある。
ヒトの脳の癖を知ろう
ヒトの脳というのはとにかく騙されやすいってことに自覚的になると少しはおかしな理論に対して免疫ができるんじゃないかな〜とこの数年思うのです。
人がどうしようもなく「信じたがる脳」を持っているその理由のキーワードが、バイアス。
ヒューリスティクス
数多くあるバイアス、つまり思考上の偏り、思い込みの中でも誰もが日常的に行っている行動がこれ。
何かって言えば、「必ず正しい答えが導けるわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることが出来る方法」のこと。ヒトだけじゃなくて動物だってそうなんだが、生きていくための情報判断の基本戦略だ。例えば、トラの生息域で、ヤブの向こうに隠れ見える縦縞を見た時に、
1. トラ 2. トラに似た模様の倒木
どっちと考える?と聞けば普通は1でしょう。
2だと思ってモタモタしていたら命が幾つあっても足りないわけで、確実性には劣るが、確実であることを待つわけには行かない状況では極めて有効に働くことが多い。
答えの精度は保証されないが、回答に至る時間が短くて済むのだ。
人も動物もヒューリスティックに物事を捉えるので簡単に無関係なものを関係があると思い込む。「雨乞い」なんて典型的だろう。日照りが続いて続いてもう限界というところで雨乞いをすれば、そろそろ雨が降る確率が高いわけだが、「雨乞いが雨を招いた」と結論付けるから、次の日照りからは雨乞いをするのだ。
我々はバイアスの中に生きている
日常自分がどれだけ偏見に基づいて物事を判断しているか考えてみて欲しい。
例えば「少年犯罪は激増している」なんて言葉を聞くともっともらしく思えたりする。だって、ワイドショーではしょっちゅう凶悪な少年犯罪を特集してるし、多いからこそ厳罰化なんて話が出てるんでしょう?と。
ところが、実際には現代は戦後最低の少年犯罪数で推移しており、率も低い(⇛
犯罪件数・少年犯罪が史上最少更新 「犯罪激増」と言うマスコミの謎)。
ついでに興味のある人は警察庁の統計を⇛少年非行情勢(pdf)
なのに、多い、と感じてしまうのは、メディアの発達と少ないからこその報道の多さとその詳しさで勘違いしてしまうのだ。
こういう、情報によって思い出しやすい考えが出来てしまってそれに基づく判断してしまうのを「利用可能性バイアス」という。
(ヒューリスティックな決めつけは利用可能性バイアスの1つだ)
その他にも以下のようなバイアスがある。
・後知恵バイアス: あの検査をしていれば助かったはず、という医療過誤への発展。
・代表性バイアス: 白衣を着ている女性は看護師。
・平均への回帰: 2年目のジンクス…本来の実力は1年目の神ってるようなもんじゃないのよと。確変でテスト100点取ることもあろう。
・ギャンブラーの誤謬: コイントスで続けて4回裏だったから次は表じゃないかな(確率はその都度1/2なのに…)
・アンカリング効果: 同じ犯罪でも、求刑が4年と7年では、判決結果が異なってしまう。
医学生として取るべき姿勢
何かしらもっともらしそうな言説を聞いた時に、君らの取るべきdneuro的姿勢は以下だ。*2
・提供もしくは引用されたデータや文章、言葉を鵜呑みにしない: オリジナル文献を読んで裏とりをしよう。メディアはしばしば論文内容を誤解、曲解し、時に論文で言及されていないことまで言ってしまう。
・権威を無批判に信じない: 医学も科学である(べき)以上、権威の言うことであっても盲信してはいけない。批判的吟味をしよう。
・数字にだまされない; 統計データだからと無批判に受け入れてはいけない。有意差があっても、臨床的に意味のない結果は数多く、また相関は得てして因果と勘違いされる。
・ある説を受け入れたら次にそれを疑う(信じるまでに一旦留保する): すげえと一瞬思っても、すぐに検証しよう。その説は得てして期待はずれだから最初に信じ込まないようにしよう。信じてしまうとアンカリング効果が働いて訂正しづらくなる。
・きれい過ぎるデータはまず嘘だと思え: 医学の結果は複雑な人間の生理を経た曖昧な結果であることが多い。あんまりキレイな曲線がグラフに描かれていたらむしろ疑おう。
・「絶対…」「必ず…」「…の可能性は無い」も仮説: 強い口調は疑ったほうがいい。何ごとも例外があるものだ。
- 作者: E.B.ゼックミスタ,J.E.ジョンソン,宮元博章,道田泰司,谷口高士,菊池聡
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 1996/09
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飲んで治ったら効いた、は疑え
「私も最初は疑っていたんですが、何ごとも自分で体験しなければいけないと思って具合の悪い時に飲んでみたんです。そしたら、ほんとに効くじゃありませんか!もうこれは興奮してしまって、外来の患者さんにも機会があれば飲んでもらったんですが、本当に劇的に効くんです。」
熱烈な漢方支持者や、ホメオパスとなった医師からこんな言葉や文章を聞いたり見たりすることがある。*3
実際こういう、「最初は疑念を持っていたのに、その効果を自ら納得できた専門家」の言葉はもっともらしく聞こえ、いかにも信頼が置けそうだ。
でもね、それで効果を判定してはいけないんですよ。二重盲検試験を経なければ、それはその人の個人的体験にすぎない。素人じゃないのだから…。
飲むときには、効いたらいいなという期待値が働く。そして尚素晴らしいことに、飲んだ後何であれ症状は緩和されることが多いが、それは自然経過と区別がつかない。
患者に投与しても効いたんですよ、という反論には、そもそもあなたが「効きそうに思う」患者に対して「効くんですよ〜」といって薬を出したら、それはもうプラセボ効果出しまくりというもんだ。砂糖玉だって効くだろう(ホメオパシーはまさにそうですね)。
ほんとーに効果を論じるのならば、「飲んだ、治った、効いた!」の3た法(高橋晄正)になっていないか強く戒めるべきだ。*4
医学史を知ろう
医学の歴史は間違いの歴史。
先人の医家はもーのすごい間違いを繰り返してきて、科学性を基盤とした権威への挑戦者が正してきた。
ギリシャ医学の医の倫理「ヒポクラテスの誓い」で有名なヒポクラテスは立派な医師だったけど、当時の医学は解剖を基礎としていないから、人体構造も生理学も発展しておらず、人間の身体は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つの体液の調和で健康が保たれているという思想だったし、その「想像」は何世紀にも渡り欧州では真実だった。
欧米には、「瀉血」が流行った時代がある。発祥はギリシャだが、瀉血は一時はどんな病気にも効く中心的医療となって、瀉血のためのヒルが使われたりした。もちろん血を抜くことは、限定的な条件下を除けば、身体に負担を強いてしまう行為で、治療どころか病気を悪化させてしまう。アメリカ建国の父、ジョージ・ワシントンは、倒れた時に大量の瀉血療法を受け(2リットル近い血液が抜かれたらしい)、まあそれで殺されたようなものだ。
正統医学(多くの医師が正しいと認識している一般的な医学)は、かつては権威の説(想像)に盲従していることが多く、数多くの間違いを繰り返した。しかし、治療法の検証に、二重盲検試験のようなバイアスを排除した厳密な臨床試験を用いることが一般的になってようやく現代医学は殆どの場合において信頼に足りるものに発展している。
間違いを科学的手法で正してきた医学史の歴史を学ぶと、同じ間違いを自分がしていないか、自分自身を検証可能になる、と思う。
- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1995/05
- メディア: 文庫
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外科の夜明け―防腐法 絶対死からの解放 (地球人ライブラリー)
- 作者: J.トールワルド,J¨urgen Thorwals,大野和基
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1994/12
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ちなみにこの本は、消毒法と麻酔法の歴史を軸に、外科学の歴史が書かれているが、読む人は選ぶ。昔の手術描写はグロいのだ。医学生なら必読。
*1:ご存知の方もいると思うが、医学部生はほんとに部活ばかりしている。それまで部活動を出来ていなかった反動からか、朝から晩までとにかく運動部活動に勤しむ学生は多い。dneuroだって医学部生時代の中心は部活だったし、そこで彼女も出来たし、今も有り難い先輩後輩関係がある。でも教員の立場で学生を見てると、現代医学の実践に必要な知識量を考えたとき、もう少しばかり勉強してほしいなあとは愚痴りたい。
*2:書いてて思うがジャーナリズムの基本と重なるのでは。メディアの科学記事が全然裏取っていないのを見る機会が多く残念なのだが。
*3:感覚、は勿論大事。でもそれは「自分の」感覚であって、普遍ではない謙虚さを持つ必要はあるでしょう、と思う。尊敬していた先輩医師がホメオパスになった時、非常に悲しかったのを思い出す。
*4:高橋晄正氏は東大物療内科の医師だった。一時もてはやされたアリナミンの薬効に疑念を抱いたことで有名。市民運動家でもある。dneuroは氏の活動全てに賛成するわけではないけど、飲んで、治って、効いたと判断する危険性については氏の著作で頭に焼き付いた。
医学生は将来ダークサイドに落ちないでね
研究者の中で気の置けない仲間と話していると、時折「あぁあの人はダークサイドに落ちたね」と語ることがある。
それが他のグループでもそうなのかはわからないが、分かる人はわかると思う。
ダークサイドに落ちるとはなに?と疑問抱くかと思うが、我々の仲間内では凡そ以下のような場合が当てはまる。
1.誤っている可能性が高いことを正しいことのように発信する。
2.確定していない学説や俗説を、証明されたかのようにパブリックな場で断言する。
医者の場合は、その行為(医療行為)に影響力が強く、また誤用や悪用で金儲けができてしまうため、ダークサイドに落ちる罪は大きい。
ちなみに、ここでいう正誤の判断は、現在入手できる科学的根拠(エビデンス)に依拠している。
ただ、何が正しいか、というのは厳密には難しくて、信頼の高い学術雑誌(NatureやScienceを筆頭とする科学誌のことです)これまでに積み上がった証拠から恐らくは本当だろうという推測が十分に成り立っている仮説(例えば恐竜の絶滅にはユカタン半島に落ちた巨大な隕石が関係している、とか)などあるわけだが、記憶にまだ新しい小保方さんのSTAP細胞騒動とか、論文捏造で話題になった降圧薬ディオバンの事件などがあるわけで、権威だから絶対的でないというのもある。
ダークサイド医療ってなんだ
定義は難しいけれども、
エビデンスがまだ確立されていないものを、さも確立されたかのように患者(読み手、聞き手)へ情報提供し、実際に医療行為(保険・自費問わず)を行うこと
かな。
以前疑似医学入門という記事を書いたが、そこに挙げたように具体的なキーワードは例えば以下だ(再掲)。
ホメオパシー、マイナスイオン、手当て療法(気の注入)、高濃度酸素水、活性水素水、バイオリズム、ゲーム脳、酵素療法、がん免疫療法、EM菌…
この中には、え?それって何らかの根拠があるんじゃないの?と思うのもあると思う。
例えばホメオパシーは、日本ホメオパシー医学協会(JAHMA)といったいかにも根拠持って実践していそうな団体まであるので、科学的根拠があると誤解されやすい。だけど、JAHMA自体が認めているように、「効く」根拠は「科学的に証明されていない」(ホメオパシーとは)。認めていないのに、効果をうたえるというのは謎としか思えない。
あれ、がん免疫療法はどうなの?と言う人もいるかもしれない。そう、つい最近話題になっているオプシーボ、あれ免疫療法じゃないの?と思う人は鋭いが、今回話題にするものとは全く違うもの。
喧伝された免疫療法は、人が自然に持っていて、がん細胞を見つけて殺すというナチュラルキラー細胞(NK細胞)を個人から抽出し、それを何らかの処置によって活性化・増殖させてまた取ってきた本人に戻すことでガンをやっつけるという形で沢山の診療所が自費で行っていた(いる?)。
実はdneuroが初めてそれを知ったのは医学部に入学した年(20年以上前だ)で、NHKで紹介された番組だった。採取した血液に、幾つかの漢方薬をブレンドしたものを振りかけて活性化させ、それを戻すことで末期がんの方も助かるという。
既に医学部に入学していたので、こんな凄い治療を将来習うのかと胸踊らせたし本も読んだが、待てど暮せどそんなことは習わない。まだ未確立だからかと何となく納得していたものの、いくら待っても同種の「免疫療法」がちゃんと紹介されることは今に至るまで無く、結局理論的期待だけの、カッコつきの治療行為でしか無いことがわかった。本当に効果がある治療を学会が放っておくというのはまずあり得ないことだ。それに効きめがあるとわからない、有効・無効の指標になる数字が示されていないところが殆どで、それに賭けるには余りに高すぎるんですよ、正直。最後の賭けに投資してどのくらいの方が失意を抱いたのか知りたい。ガンで死んだ親父にやってみる気にもならなかったのは言うまでもない。
上記気をつけるべきキーワードの他のは説明するまでもなく全てまやかしだが、水素水に関してはこの間国民生活センターから解析結果出ましたね。
でも更に付け加えると、
にんにく注射、プラセンタ、点滴療法、グルタチオン点滴といったのをうたっているのは、全て金儲け狙い。まあ納得づくのニーズがあるならしょうがないかもしれませんが…。
我が精神科領域ではどうだろう
精神科医療は、かつて学生運動華やかなりし頃は医療自体否定されることもあったようだが、現代では形を変えて、「薬物療法は悪だ」と声高に叫ぶ人(医師も!)、雑誌が出てきているし、それについての批判は以前書いた(⇛週刊現代の医学批判を考える)。
最近罪が重いと感じるのは、これまた以前書いたNIRS(光トポグラフィー検査)に関して、何だか広告が増えてきたことで、うつ病診断の決め手みたいに宣伝している医院もあるが、根拠レスなのは以前書いた通り。
光でうつが診断できる? ちょっとそれはという問題 (1)
光でうつが診断できる? ちょっとそれはという問題 (2)
NIRSに関しては最近日本うつ病学会も、安易なNIRS検査に意義が無いことを声明として発表している。
双極性障害およびうつ病の診断における光トポグラフィー検査の意義についての声明
ただ、なんというか、dneuro的には以前書いた通りどんなに注意深くやっても少なくてもうつ病の診断には意味を感じないので、保険適応になったこと自体が誤っていると感じる。私のクリニックで出来ないこともないが、うつ病や双極性障害診断目的にはやりませんよ。
他にセロトニン濃度測定でうつ病の重症度診断、なんてのも似たようなもんだ。
それにしてもなんでまたダークサイドに落ちる医者が後を絶たないのか...
ある意味、わざと、意識的に、金儲けのためにやっているのであれば、おかしなこと、間違っていることはわかっているわけで、むしろ心配は、ビリーバーさんになっていること。その背景には医学部で科学的思考が身につかないことにある。
- 作者:須田 桃子
- 発売日: 2015/01/07
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- 作者:村松 秀
- 発売日: 2006/09/01
- メディア: 新書