漢方ってなんだ?

現代医学的エビデンス至上主義者にとって漢方に代表される東洋医学というのは現代医学頭にとっての収まりが悪く、言ってみれば敵対的な存在だ。条件を統制した上での結果を積み上げる現代医学と、そもそも条件統制の発想がそぐわない東洋医学との会話は噛み合わないこと甚だしい。

かく言う私は学生時代東洋医学研究会に属し、部長まで務めたが、かつてお世話になった先生方とは絶縁状態。経験医学としての側面を尊重するのは良いのだが、あまりに昔々の知恵ばかり参照することを至上とする雰囲気に耐えられなかったし、疑似科学に親和性の高い先生方とは同じ事象に対する共通理解を持つのが困難と考えたのだ。


ここで言う疑似科学って例えばホメオパシー(https://ja.wikipedia.org/wiki/ホメオパシー)や
Oリングテスト(https://ja.wikipedia.org/wiki/O-リングテスト)。いずれも普通に読めば、
これを信じるってどういうこと?としか思えないが、日を改めて論じます。


そんな漢方に対して思うこと。Twitterまとめ風に。

ちょっと前の記事だが、Japantimesの記事
http://www.japantimes.co.jp/text/fs20120417a3.html#.T-MstrM9Wrl
漢方の現状についての簡単な記事。相変わらず東洋医学vs西洋医学の対立軸で捉えている。
学生の頃から思うのだが、古典医学(伝統医学)vs現代医学である。
いわゆる西洋医学はもはや欧米諸国の業績だけでなく、日本を始めとした世界中の業績に依拠しているのだから、西洋医学なる呼び方は現実にそぐわない。

最近では医学部に東洋医学講座が増えている。実際2007年からは全大学医学部で何らかの教育があるらしい。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed/63/2/63_121/_pdf
私が懸念を抱くのは、漢方をはじめとした東洋医学における理論(陰陽とか気・血・水とか…)なるものは単なる作業仮説、つまりとりあえず本態はわからないけれども、存在Xを仮定することで現象が上手く説明できるものだ、ということ。
それがきちんと学生に伝わってるのかが心配。言葉は悪いが、薬の効果を説明するのに有りもしない妄想が基になっているのだ。
 (敵が増えた気がする…)

学生時代から漢方系の方々と接していて違和感を抱くのは、東洋医学派の現代医学に対する激しい線引きである。彼ら曰く、元の発想法が違うのだから、現代医学的理解をするのは筋違いだ。
いやいやいや、おかしいって。
東洋医学では人体の構成臓器を五臓六腑(https://ja.wikipedia.org/wiki/五臓六腑)と教えるが、例えばその中の三焦など存在しないのである。解剖が出来なかった古代中国において、作業仮説的に編み出した理論を、なぜそのまま教えようとするのか。実際に身体を開けて、そんな物は無いと確認したのだから、理論を変えよう。無いものをあるとして作った理論は変えようと思うのが普通の発想というもんだ。17世紀にガリレオが地動説を唱えて迫害された時代じゃないのだから。

いやまぁひとまず、東洋医学ではこう考えます、というのは良しとしても、現代医学的にはどう説明されるのか?
という視点が著しく欠けている。
東洋医学の理論は、現代医学の生理学を駆使して説明されるべき、せめて説明しようという努力がなされるべきだと思うのだが、ひたすら文字通り「古典」がいつまでも尊重される理由がよくわからない。

1つ、東洋医学の素晴らしい点は、不定愁訴を対象にできる点である。例えば疲れやすい、だるい、なんとなくお腹が痛い...こういった所見は検査に現れず、場合によっては精神的ストレスにその原因を求められ、精神科受診を勧められてしまう。
現代精神医学界で頻繁に用いられるアメリカの診断基準DSM-IV(最新版はDSM-V)には、身体表現性障害だの、疼痛性障害だの便利な病名もある上に、うつ病でも仮面うつ病という言葉がある通り、精神的な病気なのに症状は身体に現れるというのは、精神科の得意とするところ。

東洋医学は、身体症状として感じられるからには、どこかに異常があるのでしょうよ、という素朴な感覚を否定せずに、堂々と治療対象にしている点が素晴らしい。症状があるならそれを治療しよう。
だがしかし、そうであればなおさら、東洋医学的文法だけで症状を捉えようとするのではなく、果たしてその不定愁訴は、現代医学的にはどのように説明されるべきなのかを求めるべきなのである。

そういいつつ、欧米人は結構ちゃんと不定愁訴を辛いよね、と理解を示す姿勢が
日本の医学界(普通の現代医学ね)と比べて明らかにある。
日本人はそういうのを気持ちが弱いからだと精神科マターにし過ぎ。

現代医学を教える大学医学部なのだから、そこを探求して欲しいのですよ。でも残念ながらそういう文脈は見えてこない。所詮無理と諦めているのか。気・血・水とか、陰陽、虚実なんて言葉を使えば説明できてしまうから、もう必要ない、ということですかね。

また、古典=4000年に渡る経験値の積み重ねであり、素晴らしいという賞賛が多い。そこに何の疑念も抱かないのはどう考えてもおかしい。もう進化しないってことか?
学ぶところがあるのは確かだが、江戸時代、頭の中でこねくり回した理論ではなく、実際にどうなのかという事実を元に発展を見せていた蘭方に、前野良沢杉田玄白をはじめとした医師たちが感銘を受けた。頭が固く、理論に固執しすぎた漢方医達の治療がコレラ天然痘をはじめとした感染症や、外傷、重篤な精神疾患には無力であったことなど忘れてしまったかのような漢方愛好家が多いのは困ったことだ。経験に基づく実証主義であるはずの漢方が江戸時代には理論的すぎて敗北したのが、なんというか現代の対立図式と逆転していて面白い。今の漢方好きの人は、現代医学は理論にそぐわないとすぐに否定する、みたいなことを言うのでね。江戸時代、それは蘭方医側の主張だったのだ。事実を見ろ、と。

もう1点、医学部教育における東洋医学教育では、東洋医学愛好家はいかがわしい代替医療ととても相性が良いことを忘れずに教えて欲しい。
しかしそのいかがわしさを理解してもらうのは難しいかもしれない。
私が学生時代、大変感銘を受けた程バカバカしいものが例の「O-リング」。医学徒ならば冗談として聞くだろうなと思っていたら、ある大学での漢方医の講演で「確かに効果があると感じました」なるお言葉があった。脱力した私の周りはそれに深く頷く医学生・薬学生だらけだったのだ。一刻も早くその場から逃げ出したくなったことを思い出す。


漢方薬に薬効があるのは紛れも無い事実。願わくばその作用機序、どういう病態を対象にするとどのようなメカニズムを通じて治療効果を発揮し得るのか、頼むからどなたか非常に頭の良い人に、現代医学的に解明していただきたい。