擬似医学入門
生活していると耳から入ってくる医学的な内容というのがある。そういった内容は何となく得心するところがあって、無意識に真実とインプットされやすい。
そんな内容に例えば以下。
1) ゲームをやり過ぎると脳の働きが鈍る。
2) 人間の脳は普段は10%程度しか使われていない。潜在能力は無限。
3) 人間の記憶は絶対確かであり、思い出せない記憶が脳には沢山埋まっている。
全部間違っているのだが、医学生に授業で問いかけるとき、全てに自信を持って否定できる学生は皆無。
今日のタイトルの「擬似医学」というのは実は筆者の造語で、普通使われるのは「疑似科学」という言葉。
疑似科学…科学的方法に基づく、あるいは科学的に正しいと認められている知見であると主張されているが、実際にはそうではない方法論、信条や研究を指す(Wiki⇛疑似科学)
例を上げれば、こんな治療、商品が疑似科学的なもの。
ホメオパシー、マイナスイオン、手当て療法(気の注入)、高濃度酸素水、活性水素水、バイオリズム、ゲーム脳、酵素療法、がん免疫療法、EM菌…
で、まあ擬似医学を定義するとしたら、「疑似科学的理論に基づいた医学的主張やそれに基づく行為」としたいところ。
この数年医学部の講義で少しだけ話題として取り上げているのだが、少なくても医学部できちんと勉強すれば何の躊躇もなく否定できる(擬似)医学理論が医者によって(しかも医学部教授クラスまで!)一般社会に喧伝されていることに不安を感じるのは私だけか。
その代表格はホメオパシーかなと思うがまた別な機会に。
さて、冒頭に記した3つの疑問について。
1)ゲーム脳だが、詳しくはリンク先のWiki参照として、まあ殆ど妄想のような概念であり、プロゲーマーが自立し社会的成功を収めていることを考えれば、脳の働きが鈍るということは無いだろう。むしろゲームは、ルールに従ってプレイ、クリアのために様々な工夫が必要(レベルを上げる、アイテムの収集など)、段階的な難易度上昇、キャラクターに応じた役割転換などなど、多くの精神疾患で低下する協調性、作業記憶、柔軟性、選択的注意機能、集中力と意欲の維持、など多様な能力を駆使しなければいけない点で、脳力が下がるというのはあり得ないだろう。だからこそ、ゲームが自閉性疾患の能力向上や認知症のリハビリに使われている事実もある*1。
とはいえ、じゃあゲームやっていれば機能が育つかというのもまた疑問だったりはする。ゲーマーさんたちは凄い能力を実生活に如何なく発揮して社会的成功を納めていて良さそうだが、そうでのないのは皆んなが知っている。
ゲーム=脳機能に悪影響、の図式が誤りなのは確かだが、ゲームの上達=社会的機能の向上、も保証されるものではなく、人間の能力は練習してもその練習した技能の発達に留まり、他の領域に一般化させるのはかなり困難、ということだけが確かなことのように思える。
それでも自閉症スペクトラムの方の示す柔軟性に乏しい考え方(認知特性)とか、1つのゲームがその改善に役立てばどんなに有り難いかと考えてしまう。願わくば幻想で終わりませんように…。
2)「人間の脳はその10%くらいしか使っていない、眠れる潜在能力の宝庫だ。」30年前、子供向けの科学本で読んだ記憶があるが、未だに俗説として信じられていることが多い、とても優れたファンタジーだ。
人間の脳の潜在能力を信じたい向きもあろうが、残念ながら現在の様々な画像研究が明らかにしたのは、我々の脳みそは普段からほぼフル回転しているってことだ。脳はあらゆる領域に機能を分担させているために、何かを単純に見たり聞いたりするだけでも大変広い領域を使っている。
「人間は脳の10%しか使ってない」はウソ! 神経学者が脳ブームの迷信を語る」
とはいえ、眠れる脳の力が0かといえばそれも違う可能性はある。事故にあってから、はたまた認知症になってから芸術的才能を開花させた例があるのだ*2。
ただ、そういった方々は一面ではそれまでに持っていた機能を喪失しているからこそ開花させたという側面を持ち、必ずしも「使われていなかった脳領域」の新たな開発とは違う。
3)実を言うと記憶の細部は多くが抜け落ち、後から知ったことが体験当時も事実として把握できていたなど、実際に体験したこととはかけ離れていることも多い。
人は集中していないと細部まで記憶できないのが普通だ。さらに生理的に大変強く興奮していると、つまりは自律神経系の中でも交感神経が過剰興奮状態にあると、眠い時と同様に細部の記憶ができなくなる。例えばレイプされた女性は結構相手の男の顔を覚えていないということが多いが、極度の興奮状態に陥るためである。ただし、レイプされた事実そのものの記憶は失っていないことに注意。
アメリカで一時期、精神科医・心理療法家による間違った催眠誘導に寄って過去自分が受けた性的虐待を「思い出し」、父親を訴える事例が多発した*3。その多く(ほとんどか?)は、心理治療過程中に故意に植え付けられた偽記憶であり、そのようなことが被暗示性の高い(多分よほど低くないかぎり)人には十分に可能であることは実験で示されている*4。児童虐待の経験者がその記憶を抑圧させるというのなら、多くの経験者が今現在はその体験を覚えていないことになってしまう。非常に辛い記憶の抑圧、という観点から捉えたほうが良い事例があること全ては否定しないけど…。
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さて、そんな擬似医学的言説に引っかからないためにはどうするべきか?
医学生には、①直感を信頼し過ぎないこと、②権威を鵜呑みにするな、と2点を促している。
ある問題に直面した時、優れた直感能力のある人は不思議と正しい選択をしていくものだが、あなたがそんな天才でないことは自覚すべきだ。直感はしばしば間違う。将棋の羽生さんが絶対に正しいわけじゃない*5。
そして、権威の言うことに間違っていることは沢山あると承知すべき。ご説ごもっともと思いながらも、裏では根拠を求める思考態度、それが間違った学説にはまらないためには必要なのだろう。
ホメオパシーなどは理論を聞いてほぼノータイムで(つまり直感的に)その間違いを指摘し、その根拠を即座に言えることを医学生諸君には求めたいところだが…。
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*1:ADHDの持続的注意を高めるためのゲームというのも提案されている。 例えばこれ⇛ ATENTIVmynd でもビデオ見ると正直市販のゲームにこの要素は全部詰まってない?と思ってしまうが。
*2:イギリス人、トミー・マクヒューは脳卒中後に旺盛な詩作欲と絵画芸術に目覚め、自宅を前衛的な絵画で埋め尽くした。ただ一方で人格は一変し、妻とは離婚した。
*3:そのような訴訟沙汰の嚆矢がポール・イングラム事件。米ワシントン州保安官は娘に突然お幼い頃の性的虐待を告発されたのだが、あろうことか物的証拠など皆無にもかかわらず懲役20年の刑を受けてしまう。 ⇛『悪魔を思い出す娘たち』―よみがえる性的虐待の「記憶」―
*4:そういった「抑圧された記憶」による裁判が相次いだこと、交通事故の目撃情報がかなりな程度であてにならないことなどを受けて、アメリカの心理学者エリザベス・ロフタスは人に虚偽記憶が簡単に植え付けられることを証明している。詳しくはリンクの書籍参照。
*5:羽生さんと言えば直感力です。