新型コロナ雑感(1)_西浦氏42万人について

また2ヶ月経ってしまいました...
更新しようにもなかなかできないのは、私自身もこのコロナ禍である種の無力感に陥っているのかもしれません...。
前回4/24にアップしてから、1ヶ月以上は自分の会社と、勤めるクリニックで言ってみれば危機管理をしていて、精神科医ではありますが、新型コロナウイルス情報ばかり見る日が続いていました。


どうもこのコロナ禍は、専門家でなくても(つまり私もですが)何か言わなければ気がすまなくなる病に皆さん罹っているようで、なかなか議論が収束せず、専門家は専門家で一定程度揺らぎがあるし(当たり前なんですけどね...)、「私の信頼する専門家」の意見のみ声高に主張する人が溢れている気がします。


信頼できる人でも時にはブレるし、意図によって語る言葉は違ってくる


実際には、ある事実があったとして、専門家であってもリスクの軽重を判断する際にはその人の拠って立つ基盤によって、また経験によっても、発言の狙いによっても揺らぎが生じ、誰か1人が全期間に渡って科学的・医学的に妥当なことを言い続けることは難しいわけです。


そんな中一貫して冷静で中庸的な、そして一般的な思考をとる医師からみて納得できる記事を書いてくれているのは国立国際医療研究センターの忽那賢志先生でしょうか。

news.yahoo.co.jp



その一方、信頼が揺らぐ専門家としては例えば、神戸大感染症内科教授の岩田健太郎氏。私自身深く尊敬するのですが、時折言動がエキセントリックになり、ダイヤモンド・プリンセス号に乗り込んで、語る必要のない恐怖を一方的に喋って、結果的には成功したと思われるかの船での対策への評価を混乱させたわけです。しかし、それ以外の面での氏の発言には勉強させられ、納得できることがやはり多く、基本的には信頼しています(というのも私の主観に過ぎませんけどね)。

教授 | 神戸大学病院感染症内科



また、「8割おじさん」で知られる厚生労働省クラスター班の西浦博先生。
news.yahoo.co.jp

西浦先生はこの、新型コロナウイルスはインフルエンザのように皆が皆ウイルスを拡散するというわけではなく、感染者のごく一部が多くの人に感染拡大させてしまうことを見抜いた方です。こういった感染症の伝播に関しての数理モデル構築では日本で唯一無二の方でもあるわけです。*1

f:id:neurophys11:20200620104721p:plain
この図は、5/29の専門家会議資料から。


www.mhlw.go.jp


このままだと「42万人が死亡する」、との主張があったのは4/15でした。
www.asahi.com


で、この発言が色々と取りざたされているわけで、特に何もしなければ...の計算根拠は、基本再生生産数(1人の感染者が何人に感染させるか)を2.5にしたことのようですね。
この2.5という数字が大きすぎる、と批判もされているのですが...


4/15当時を振り返ってみます。
私は社員に向けた現在のコロナ状況への考察を4/2以降毎週作っているのですが、ちょうどその時点での感染者動向がこんな感じでした。


f:id:neurophys11:20200620162246p:plain


そう、感染者数(色々と言われますが、正確には捕捉陽性者数というべきかなと)が5日で倍になるようなペースであって、死者数は増加ペースがこのままだといいけどな...と感じているような時期です。私自身は新型コロナの最前線にいたわけではなく、外来の数を減らした関係で仕事量そのものは減っていたわけである意味とても時間的余裕ができていたのですが、当時最前線にいた医学部同期の回想を聞くに、現場では非常に切迫した状況でした。


私の親しい同期2人は東京多摩地域と千葉県成田辺りにいたのですが、ことに東京での防御具不足は大きく、5月に入った時点でゴミ袋を切って利用していたわけですから、たとえ軽症でも感染者数が増え続ければ一層医療状況が逼迫したのは明確です。


そもそもこの新型コロナウイルスは、8割以上は無症候〜軽症であり、罹ったとしても重症化は少ない、という一見大したことのない性質を持っており、そしてそれこそが私を含めて多くの医療者が当初リスクを見誤った要因です。問題は数なのです。特に、指定感染症*2であり基本的には入院させなければいけない中、2週間は様子をみなければいけないという出口が狭い状況下で数が増えることは恐怖でしか無い。数が増えればどんどん医療が逼迫していく、それも凄まじいスピードで、というのが当初わからなかったのがこの新型コロナウイルスの怖さでした。



従って、4/15の時点である意味、非常に極端な数字で国民を脅かしてくれたのは末端の医療従事者として大変有り難いなと感じたと記憶しています。もちろん、当時はまだ現在進行系ですから、大げさな嘘で脅かしている、と認識したわけではなく、本当にひどい状況に振り子が振れることがありうるのかもという危惧も抱きながら、という状況です。


同じく専門家会議の資料から分かる通り、

f:id:neurophys11:20200620153509p:plain

実は感染者のピークは4月初旬にあったわけで、その後増え続けたということはないわけですが、それは結果論というべきでしょう。

www.newsweekjapan.jp

リンク先記事で西浦先生、

私たちモデラーは、リスク評価についてはアンダーリアクト(控えめに言う)よりは、オーバーリアクト(大げさに言う)して話をすべきと、肝に銘じながらやってきた。

と述べてますね。


つまり、4/15の発言は意図的なオーバーリアクトだったわけですが、そこには、人は必要を越えて伝えられて初めて必要程度にしか動かない、という人の行動への一種の不信感(ある意味信頼感)があったのだと思います。行動経済学的に言えば、人同士の接触を抑えて感染者数を抑えるためのナッジ*3として上手く機能したと言えるのではないでしょうか。



あれ、論点がずれてきたかな。
要は基本的に正しい(であろう)ことを語っている先生方でも、ときには間違ったり、また発言に意図を混ぜ込んで大げさに言ったりすることはあるということですね。


でもまあ、日本は押谷先生率いるクラスター班の先生方を信頼すれば良かった(というのは日本での死者が少なかった結果から明らかに私は感じるのですが)のは、大変な安心材料でした。今回の政府の白眉は対策班に十分に信頼できる先生方をおいたこと、そして意見を十分に聞いてくれたことにあると感じます。


www.m3.com


*1:他にもいるんでしょうが、残念ながら声大きい人はいないようですね...

*2:指定感染症だからベッドが逼迫するのだ、という意見には傾きたくなりますが、性質が十分わからない段階では患者とわかった以上医療ベースに載せるほうが望ましかったとも思いますし、途中からホテル利用などするようになるなど柔軟な対応が結果としてできたのは良かったです。

*3:ナッジとは、自由な選択をできる状況にありながらも、良い方向への選択肢に誘導させる声掛けや何がしかの仕掛けのことです。例えば、レストランでシェフが食材消費のため特定のメニューを客に選択させたい時、あからさまにこれをオーダーしろというのではなく、「シェフのお勧め」といった形でメニューに載せられていると、ついオーダーしたくなりますよね。そういうのがナッジです