認知症にならないってできるのか、とかキツネのはなしとか

アルツハイマー病(アルツハイマー認知症)の臨床をやっていると、何が進行速度の決め手になるのか?という疑問を持つ。画像上は萎縮像が確かに診断の参考にはなるし、ある程度は萎縮の程度が認知症の状態と相関関係にあるのはわかる。


ただ、萎縮が目立つとされる海馬でも、個人差が大きい。この程度の大きさでもうこんなに認知症が進んでいるのか、と思う人がいる一方で、こんなに小さいのにまだかなり元気ですねえという人まで。


1回の画像では、今見ている大きさが、以前からどのくらい縮んだのかはわからないし、そもそも小さいから機能が低い(大きいから機能が高い)とも限らない。月日を置いて同じ人の経過を見られることは実際には少ないから何とも言えないなあと思うことはしばしば。


例えばある80代の某難関国立大理学部卒お婆ちゃんは、MRI上で萎縮が明らかで、物盗られ妄想や短期記憶障害もあったが、それでも知的水準が高く、中学生相手に家庭教師を現役でしていた。もともとの知的活動具合が進行に影響するのかと感じたことはある。多分、脳を解剖すれば、アルツハイマー認知症で出て来る老人斑が溜まっていただろうに。



日経サイエンス8月号の記事の1つは「アルツハイマー病に負けない力を蓄える」。筆者ベネット教授はシカゴにあるラッシュ大学アルツハイマー病センター所長先生。


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20年にわたって多数のアルツハイマー病患者を追跡調査してわかった、認知機能低下とアルツハイマー病発症のリスクを下げるために出来る10項目が掲げられている(図参照)。


でもなんだろう、のっけから実現不可能な項目でちょっと困るのだが。良い両親もう選べんし…。

とはいえ、それは自分たちが子どもへ良い両親であるべきだと解釈し直すことにして(遺伝子は変えられないがネグレクトは回避できるし相手の遺伝子とも混ざるし)、自分たちができることを端的にまとめると…


生きがいを持つ
知的にも身体的にも動き続ける
食事内容に気をつける


が主要な3点かなと。いずれも出来ていた群はアルツハイマー病発症リスクがかなり低くなったらしい。


   意地悪を言うと、アルツハイマー病にならない人がそもそもそういうことが出来るだけなんじゃないの?と反論できるが、正確にはわからない。


図中にあるMIND食というのは同じくラッシュ大学のモリス氏が提唱する地中海食に近いもので、ベリー類、野菜、全粒穀物、ナッツ類をふんだんに含んだ食事。アルツハイマー病発症リスクを劇的に下げると報告されているものの、臨床試験の結果はまだ出ていないので、現状真偽不明。悪くはなさそうだが。興味ある方はご自分で検索して下さい。日本人が普通に健康に気をつけた食事をすれば多分大丈夫?という気もする。*1


修道女研究からわかったことはなんだろうwired.jp


ところで、ベネット先生が参考にした研究に、アルツハイマー病の修道女研究というのがあり、一時その結果が日本でも話題になった(⇛原著はコチラ)。アメリカジョンズ・ホプキンス大学の研究者らが、修道女の解剖した脳組織を解析したところ、病理的にはアルツハイマー病の病変が認められても、臨床的には認知能力が健常脳の高齢者と同じレベルに保たれていた方たちがいた(無症候群)。


臨床的にアルツハイマー病を発症した(=認知症になった)人たちとの相違点として、無症候群の修道女たちの海馬細胞は健常高齢者以上に細胞の体積、細胞核の体積が大きく、そして若い時に書いた文章が発症群の修道女よりも複雑で巧みだった。言語活動が活発だとアルツハイマー病を予防できるかも、と話題になったのだ。


もっとも同じ研究者たちが2015年に出した論文(⇛原著はコチラ)が興味深くて、無症候群の修道女たちは、アポリポタンパク質遺伝子にε2という変異を持つ頻度が発症群の修道女たちより非常に高かった(無症候群19.2%vs発症群4.7%)。同じくアポリポタンパク質遺伝子にε4という変異があるとアルツハイマー病のリスクを高めることが知られており、実際そうだった(無症候群3.8%vs発症群19.4%)。*2


無症候群では大学院卒が多く、知的活動が盛んだったことが伺われるのだが、実はそれはアルツハイマー病を発症予防した原因ではなく、単にアルツハイマー病を発症しづらい(もしかしたら頭の良さにもつながる)遺伝子を持っている結果なのかもしれない。だとすると予防も何もあまり関係ないだろう。


ということは、先に紹介した日経サイエンス記事にあるように、「いい両親を選ぶべし!」が結局一番重要なのか…いや無症候群だって多くはε2変異を持っていないのだから、遺伝子ですべて決定されるのではないと信じたいところ。遺伝子も唯一無二の因子ではないので、何か自分の努力で出来ると考えて実行した方が健全なのは確かだ。*3


キツネも懐けばイヌになる

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さて、日経サイエンス7月号で一番面白かったのはこっちだ。
ロシアに酔狂な研究者(ベリャーエフ氏)がいて、動物の家畜化の課程を研究するために野生のキツネから人間に対して穏やかに接する個体を選び出しながら交配を繰り返し、遂には人が近づくと尻尾を振って近づいてくるキツネが生まれてくるようになったのだという。実験開始は1958年。


そういったキツネは6世代目に登場したが、とはいえ、そこまでイヌ的なキツネ(著者たちはエリートと呼んでいる)は2%に過ぎなかった。それが世代を経るごとに増え、現在では70%に達するという。


エリートは写真のようにとても可愛い。
動画で見たい人は⇓。
www.youtube.com


実験結果として出てきた人に馴れたキツネ。どこまでイヌなのよ、という感じ。

How to Tame a Fox (and Build a Dog): Visionary Scientists and a Siberian Tale of Jump-Started Evolution

How to Tame a Fox (and Build a Dog): Visionary Scientists and a Siberian Tale of Jump-Started Evolution

詳しく知りたければこれを読むしか無い。
現在も実験は進行中で、43世代目のキツネがいるらしい。ますますイヌらしくなり、生まれつき人間の視線と身振りを目で追い、尖った鼻が丸くなり、四肢がずんぐりと短いそう。ただまあイヌよりはやはり懐かない個体も生まれるとのこと。ペットにしていいものかはわからない。


人イヌにあう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

人イヌにあう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

イヌと人間の関わりと言えばローレンツ先生のエッセイ。
読んだのが確かdneuro高3時なので内容はうろ覚え。忠実なイヌも裏切られ続けるとあるときから攻撃性を向けるようになったという話が記憶に残ってます。


実験医学増刊 Vol.33 No.7 発症前に診断し、介入する 先制医療 実現のための医学研究

実験医学増刊 Vol.33 No.7 発症前に診断し、介入する 先制医療 実現のための医学研究

ハイリスク群を層別化し、指標となるバイオマーカーを同定、発症前に予防する、それが先制医療。アルツハイマー病は先制医療で癌と並んで最も期待される疾患だが、残念ながら今のところは理論先行。早く実を結んで欲しい。

*1:一応臨床試験は進行中。こういった食事系や〜油が良いの類は沢山あるが、きちんとした臨床試験を経て確立されたものはあるのかな。とりあえず血管病変につながる高血圧、高脂血症、糖尿病を予防する、悪化させない食事が良いのは確かと思う。

*2:精神科系疾患のリスクになりうるような遺伝子で今まで発表されているものは、ほぼ全てが再現性無く、信じるに値しないと何度も書いてきたと思うが、唯一の例外と言って良いのが、アルツハイマー病リスク遺伝子としてのアポリポタンパク質ε4変異(APOE4という)。この変異を持つ場合には確かにリスクが上がるようだ。これについてはいつか。

*3:認知症予防に認知トレーニング、例えば脳トレみたいなものが役に立つのかというのはずっとある疑問で、役に立つという研究も立たないとする研究もあって両論拮抗している。個人的印象を言えば、効く人がいればいいなと願望を持ちつつ、今までの結果を見ると残念な思いを禁じ得ないので、そんなに都合よく予防できないんだと考えている。これについてもそのうちに。