精神科の薬物療法はこれからも進歩するのか?

精神科治療において治療の中心に位置する薬物療法精神科医から薬物治療を取ったら相当程度の精神科医がその専門性を失ってしまうだろう。


少なくても一部の疾患には薬物療法が必須であり(⇛薬について)、これからもその意義を失うことはないと考える。


そんな薬物療法に関する今日の疑問。
これからの薬物開発にどれほどの期待が持てるのだろうか?


精神科の薬剤は、基本的に、抗精神病薬抗うつ薬抗不安薬睡眠薬、感情安定薬、抗てんかん薬、抗認知症薬に分類される。


新薬は私が医者になった2000年前後から数えても幾つも出ている。抗精神病薬抗うつ薬で思いつく限り挙げてみると…


抗精神病薬:リスペリドン、オランザピン、クエチアピン、ペロスピロン、ブロナンセリン、アリピプラゾール、パリペリドン、クロザピン、アセナピン


抗うつ薬:フルボキサミンパロキセチンセルトラリンエスシタロプラムミルナシプラン、デュロキセチン、ベンラファキシン、ミルタザピン…
 (いずれも成分名)


といったところか。薬をわずか2種類に限ってもこれだけ新薬が出ているのだから、我々医師の味方「今日の治療薬」が15年前に比べて分厚くなるわけだ。


さてさて、こんなに新薬が出ているのに、私はいつからか新薬発売に胸踊らなくなった。それはこれら新薬の薬理作用(薬の効き方のメカニズム)的観点から、これは新しい!とみなせるものがほんの少しも出ていないから(この数年スマホの進歩って停滞しているよねと感じるのと一緒)。


例えば、抗精神病薬の効果は基本的に全てドパミン受容体拮抗作用においている。これは抗精神病薬として初めて登場したクロルプロマジンと何ら変わるところが無い。もちろん、古い薬に比べて変わったところはあるのだが、基本効果において古い薬を凌駕しているものは実は無く*1、変わったのは副作用の出方である。新薬の副作用が軽いというのも嘘と言っていい。


私自身は、新規抗精神病薬の功績は、統合失調症の治療目的を症状消失から生活が出来るための症状改善に変えた、というような医療者のマインドセット改変を促したことにあると思う*2


抗うつ薬はどうか。SSRI,SNRIという略語が世間に踊り、あたかもハッピードラッグであるかのように宣伝されたこともあるが、その作用の仕方(セロトニンノルアドレナリン神経伝達を強化する)はやはり一番初期の薬(イミプラミンやクロミプラミンといった三環系抗うつ薬)と変わっていない。抗精神病薬と同じく効果の面からも新薬は旧薬を凌駕することがなく*3、副作用の出方が変わった点も同じ。


抗精神病薬抗うつ薬の新薬に共通した功罪は疾患適用範囲が広がったことだろう。今やそれぞれ統合失調症うつ病への薬という疾患への1対1対応は意味が無いことは明らかだ。さらに、どちらも大量服薬時に安全性が格段に増したのは救急治療的観点からは大きい*4


ということで、新薬登場の恩恵というのは確実にあるのだが、しかし新しい薬理作用に基づく治療が何十年も前から進歩していないってどういうことよ、と思ったりはする。私自身新薬開発に資する研究テーマに従事しているのだが、既存の薬の効果を上回る新薬開発を考えると、非常な困難を感じている。各製薬会社が準備している新メカニズムを謳う薬も正直根本的に違うものが見当たらない。


今後の精神科薬進歩の方向、とりあえずDDSに期待するくらい。
DDSとはドラッグデリバリーシステム(wiki)。
要は人体にどのように薬を吸収させ、効かせたい場所にどのように効率よく運ぶか、という吸収と運搬の問題。吸収という意味では経口か注射か、はたまた経粘膜(舌下や直腸とか)か経皮か。精神科領域では注射剤としてのデポ剤(古くはフルデカシン、今ならコンスタ、ゼプリオンなど)。経口薬では徐放剤が盛んだ。例えばデパケンR(バルプロ酸:抗てんかん薬、感情安定薬)であって、その特殊な形は腸からゆっくりと放出されるため、1日1回服用でいい。


でも望みはもっとドラスティックな進歩だ。抗がん剤は凄いことがたくさん考えられている。がん治療における最大のトピックの1つが抗がん剤を如何にがん細胞のみに働かせるかであり、その知恵がDDS。抗がん剤ががん細胞にだけ配達できるよう様々な仕組みが考えられている。
同様に精神科分野でも直接脳の必要部位に薬を届けて欲しい。実際には薬の脳への選択的運搬というのは、大事な脳が毒素から守られている自然の仕組みすなわち脳血液関門(BBB:Blood Brain Barrier)が発達していることも手伝って、とても困難な課題だったりする。


抗精神病薬の作用、抗ドパミン作用は、脳全体に等しくその作用が出てくることが副作用の原因となっており*5、働かせたい場所にだけ抗ドパミン効果を出せれば革命的と言えよう(メカニズムが革命的じゃないだろという反論には目を瞑る)。動物なら開頭して直接薬剤振りかけられるのですけどね…。


精神科薬の期待ではなく、生物学的精神科治療への期待であれば、今後のキーワードは再生と刺激(TMS:経頭蓋磁気刺激とtDCS:経頭蓋直流電気刺激)と考えているが、それはまた別機会に。


今日の治療薬2016 解説と便覧

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 (病院の外来に行けば必ずあると言っても過言ではない)


精神科の薬がわかる本 第3版

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 (未読だが、患者さんやご家族にも読みやすそう。近々確認したい)


精神科治療薬の考え方と使い方 第3版 「ストール精神薬理学エセンシャルズ」準拠

精神科治療薬の考え方と使い方 第3版 「ストール精神薬理学エセンシャルズ」準拠

 (世界的に有名な著書だが、著者はかなり調子のいいおっちゃんだ…専門家向け)

*1:そうなのだ、新薬が効果において旧薬を上回っていないというが残念な現実で、ならば副作用さえ出なければ安い旧薬を使ったほうが医療経済的にも良いのではという議論がある(あったというべき?)。とはいえ、今新薬を出さないわけにはいかない。グローバル・スタンダードですから。

*2:実臨床においてこれはとても大きかったと思う。症状の完全消失を狙って副作用でQOLを下げてしまっては意味が無い、という「普通の考え方」が普通になった。

*3:副作用の出方が変わったということに尽きる。決して軽いわけじゃない。新規抗精神病薬の耐糖能異常・肥満はQOLに関わるし、SSRI/SNRIの吐き気だって相当なものだ。もちろん体質によっては効果だけを享受できる。代謝酵素活性の個人差など様々な要因(主に遺伝要因)が関わっているはず。

*4:大量服薬時の安全性は確か。古い三環系抗うつ薬は2週間分まとめて飲むだけで致死的不整脈を誘発し得る。そういう意味では自殺企図目的で大量服薬した患者が救急に来た時も新薬であればそれほど慌てずに済む。

*5:例えばドパミン神経系というのは脳の中に代表的なものだけで4系統ある(http://www.mental-navi.net/togoshicchosho/chiryo/yakubutsu1.html)。中脳辺縁系という経路の過剰な活動が陽性症状(幻覚・妄想)に関わり、そちらが薬で抑えられれば症状が改善する。一方で中脳皮質系が阻害は認知能力の低下、黒質線条体系の阻害はパーキンソン症状を誘発してしまう。抗ドパミン薬の薬理作用は、脳機能の改善という側面からは矛盾する作用が包含されているのだ。