オーダーメイド治療は精神科ではまだまだ先になりそうだ

薬物療法において、薬が効くか効かないか、それが予測できればどれだけいいだろう。前回紹介したアメリカの抗うつ薬効果研究(STAR*D)では、最初の治療薬(シタロプラム)で寛解まで至る患者さんは約1/3だった。現在使える抗うつ薬SSRISNRIといった頻用されるタイプの薬を中心に10種類弱ほど。その中から、選んだこの薬が効く可能性が高いとはいえない(効果という面で最大60%ほどの確率か)のなら、事前に反応性を予測して薬を選択したいと願うのが人情というもんだろう。*1


薬はどちらかと言えば副作用で使えない
さて、反応性の話をしたものの、実際に臨床の場では長期間服薬して効きませんね、というよりも、副作用でとにかく使えない、というのが勿体なく感じる。特にSSRIでは嘔気(吐き気)の副作用が出やすい。日本で使えるSSRIは現在4種類(フルボキサミンパロキセチンセルトラリンエスシタロプラム)。一応セオリーとして、この中の1種類で副作用が出たからといって、全てのSSRIで副作用が出るわけではない。別なSSRIを出すことで、副作用なく効果発現を狙う、ということはできるのだが、最初のSSRIで吐き気が非常に強かったらやはり次にSSRIを選択するのは躊躇するものだ。勿論、効果が確約されていればいいが、高くて60%の反応率だし...と思うと、メカニズムの異なる抗うつ薬に食指が動く。


オーダーメイド医療ができれば...
オーダーメイド医療(テーラーメイド医療とも)は、各個人に対して最適な個別的治療のことをいう。我々は、それぞれが、遺伝的背景を異にしており、疾患のかかりやすさ(脆弱性という)、同じ病気でも症状の出方(強く出る症状もあれば出ない症状も)、治療への反応性がそれぞれ違ってくる。


うつ病を例に取れば、抑うつ的な気分がひたすら強い人、いてもたってもいられない焦燥感が強い人、意欲低下が強く動けない人、不安が非常に強い人、希死念慮(死にたい思い)が強く自殺への切迫感が高い人、と症状の出方は共通している部分がありながらも様々だ。


臨床的には、例えば不安な気持ちには神経伝達物質セロトニンが強く関わるだろうからよりセロトニンに特化したSSRI、意欲低下が強いのならノルアドレナリンにも働きかけるSNRI、といった選択を実は考えがちだったりもする。しかしながら、実際にはSSRI/SNRIのどちらを第1選択にしても、そして患者さんの症状の何が強くても、結局はその選択自体に余り意味は無い(両薬を逆に選択しても結果的には余り変わらない)ことがわかっている。そう考えると、結局のところ処方する医師の個人的経験や好みから薬が選ばれることになり得るし、実際そうなっているし、かといってそれで不合理というわけでもない。*2


さて、どの抗うつ薬から始めても結果に大差はない、というのはマス(集団)を対象にした結果である。臨床試験の結果は、集団の平均を解析対象とするのでどうしても漏れてしまうが、実際にはこの薬なら効く、もしくは飲めるが、別な薬は効かない、もしくは副作用が強く出てしまって飲み続けられない、という明確な個人差がある。どの薬を選んでも合理性の観点からは妥当と言えても、しかし目の前の患者さんにはその選択が正しいかを事前に判別できない...この状況はいかにも気持ちが悪い。


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この状況から、例えば、ある個人の採血結果から、こんな結果が出れば薬の選択がしやすいなあと夢想したりする。


とりあえず副作用発現の予想をしたい
先に書いたように、効果発現に薬の差を期待するのは現時点では難しいので、せめて知りたいのは、この薬が目の前の患者さんに副作用をもたらすのか。これは事前予想が極めて立てづらい、というかほぼ無理。


でも実は立てられるんじゃないの?という考え方はある。
抗うつ薬の多くは肝臓でシトクロムP450(⇛Wiki)というタンパク質で代謝を受ける(代謝を受ける、というのは薬の場合には排泄される形に構造を変化させられることを意味することが多い)。このP450タンパク質は50種類以上に分類でき(CYP...と名前がついている)、かつ遺伝的差異が結構ある。つまり、遺伝子配列に変異があることで、活性の強さが個人によって違っていたりする。


例えばCYP1A2がフルボキサミン、CYP2D6がパロキセチンというように抗うつ薬で使われるCYPが違う。このことを利用して、CYPの遺伝的差異がそれぞれの抗うつ薬代謝の個人差につながり、例えばCYP2D6の活性が高い形の遺伝子変異があったときには、より早くパロキセチン代謝されてしまう。言い換えるとより早くパロキセチンが体外に排泄されてしまうために、効果発現が弱まる(はず)。一方CYPの活性が低ければ、パロキセチンがより長く体内に留まり、かつパロキセチンは自身を代謝するCYP2D6を阻害するので、効果発現に有利な一方、副作用の発現頻度も高いはずである。こういった遺伝子変異が民族差(日本人、白人、アフリカ系アメリカ人、アラブ人...など)を持って存在してもいる。いずれにしても、CYP2D6をはじめとしたCYPタンパク質遺伝子変異から、抗うつ薬の副作用発現率が予測できても良さそうだ。
基本的な代謝と排泄と効果の関係を整理すると...


   代謝が早い⇛身体にとどまる時間が短い = 効果弱い、副作用弱い
   代謝が遅い⇛身体にとどまる時間が長い = 効果強い、副作用強い


実際の臨床は理論通りには予測できない
ところがそうは問屋がおろさず、今述べたような発想で薬物効果を検証しても再現性のある結果が得られていない。

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図を見てほしいが、薬が効果を持ち、そして代謝されていく過程は1ステップではなく、沢山のステップを経る。


吸収⇛血流運搬⇛脳内到達⇛効果発現⇛肝代謝⇛腎臓から膀胱への排出といった経過で薬は身体から出て行くが、図の通り沢山のタンパク質がその過程に関わる。そしてそれぞれに遺伝子の差が個人によってある。


例えばCYP2D6の活性が低い人のパロキセチンの効果・副作用を考えてみる。CYP2D6による代謝が遅いということだ。先の図式からすると、パロキセチンが長く身体にとどまれば、作用・副作用ともに強いのでは?と予想される。ところが、良い方向から考えると、脳内のパロキセチンの標的(セロトニントランスポーター)が沢山ある一方で、副作用をもたらす末梢組織の標的が少ない人がいる。その人は効果をより多く享受できるということになるだろう。薬の標的はその分布や量・反応性に個人差が大きく、末梢に偏って存在している人もいる。そういう人ではパロキセチンを使わないほうが良い。末梢性副作用(吐き気や下痢、時に便秘)が強く出るだけで効果も無い。さらに、パロキセチンの直接の標的でなくても、吸収が悪ければ血中に入る濃度は低いだろうし、血液から脳内への運搬が上手く行かなければそもそも服薬の意味が無い。吸収されづらい体質の人では飲んでも何も変わりませんよ、となる。


まあここにあげたのは単なる思考実験で、実際にどうと解析した結果から語っているわけではないけど、少なくても2016年までの多くの研究を解析したメタ解析論文からわかるのは、現時点で遺伝子変異から薬物の効果・副作用予測を目の前の個人に行うのは困難。人というのは極めて高度な複雑系生物なため、そうそう簡単には効果・副作用の発現を予測できないってことか。


いずれは複数の遺伝子変異の組み合わせがどのように薬物動態に影響するのかをごく短時間にかなり正確にした上でのオーダーメイド医療が可能になるのだろうが、もう少し先(10年後くらい?)になりそうだ。


だから今のところは、医療者としては副作用の発現に注意しながら、1種類に拘泥せず、効果なく耐え難い副作用があったなら速やかに他の薬に置換することを心がけるしかない。服薬する側にとっても同様で、医者が処方したのだからと副作用がひどいのに我慢し続ける必要はなくて、別な薬への置換をしてもらうべきだし、次の薬の効果を諦める必要もなかったりする。


尚、薬物はうつ病治療に限らず精神科治療の選択肢の1つであって、そもそも最も必要なのは休息だし、認知行動療法を筆頭格とする他の治療法も選択肢です。


「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか パーソナルゲノム時代の脳科学 (NHK出版新書)

「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか パーソナルゲノム時代の脳科学 (NHK出版新書)


精神科薬物治療におけるオーダーメイド医療というのは良い本も書きようが無いので...
本書の著者は研究者も使う遺伝子解析の教科書を書いているような専門家。
こころを生み出すのは脳であって、その脳の働きに遺伝子がどう働くのか、という視点から書かれている。氏の研究対象である遺伝子とその遺伝子を欠損したマウスの行動実験の結果について、精神疾患研究をわかりやすく紹介しているのが前半。本書の白眉は後半第4~6章で、自身の遺伝子(ゲノム)解析サービスの利用経験を踏まえて結果解釈の仕方や、今後のゲノム脳科学の未来についてしっかりと解説してくれているところだろう。ゲノムで性格や相性がわかるのかといったのは現在の問題として、ゲノム情報をこれから社会がどう利用する可能性があるのかは、子どもたちの未来を考える上でも興味が湧くはず。


ただまあ、本書執筆が2011年という結構前にもかかわらず、残念ながらというべきか、ゲノム利用についての記述が現在もほとんどそのまま当てはまる。このことはゲノム解析についての進歩が著しかった数年前からはちょっと予想が外れたと思うべきではないか。


個人的には、今日取り上げた、抗うつ薬の副作用予測や、抗がん剤の効果的利用についてくらいはあと10年で利用できるようになって欲しい。でも、2011年当時の、あと数年で個人の生活にもっとゲノム情報が入り込んでくるだろうという予測が外れたのと同様に、10年後もそんなに遺伝子情報がわかりすぎている必要はないかなと。ゲノム情報利用に関しては何となく保守的な考えをしてしまう。それが出来うる社会に不安が大きいからかな。

*1:薬というのは効果が無い以外にも、体質に合わず副作用が出てくるから、とか、飲み忘れや飲みたくないという気持ちから飲まれなくなるということもあるので、目の前の患者さんに処方して効果があるのはせいぜい6割くらいの確率かなあというのが臨床的実感。

*2:第1選択とすべき抗うつ薬は現在は他にもう1種類、NaSSA(ミルタザピン)がある。また、抗うつ薬は新しいから良い、と選んでいるわけではない。効果という面では古いタイプの三環系抗うつ薬も実は新しいタイプの抗うつ薬と変わらないどころか若干良い可能性はある。だが、副作用、とくに大量服薬時の心臓への安全性など考えると、第1選択にすることの合理性は低いと言わざるを得ない。古い薬の利点は安いこと、色んな状況においてのデータが蓄積されていることだ。