うつ病とモノアミン仮説

ノアミン仮説と製薬の歴史
先だってコメントに書かれた、モノアミン仮説(⇛週刊現代の精神科薬批判は的外れ)。
ノアミンとは(脳科学辞典参照)、アミノ基(-NH2)と芳香環(亀の子です)を化学構造に持つ神経伝達物質で、うつ病に関連しては、セロトニンノルアドレナリンが双璧で、次いでドパミン


一般的には、こういったモノアミンが脳内で不足していることがうつ病の原因と書かれているようなことがあったりするがそういうわけではない。うつ状態であるとか、不安が強い状態にある病態の中では脳内でそういうことが起きているだろうという仮説だ。


なぜこの仮説が生まれたのか?といえばそれは治療薬の歴史にある。実を言うと抗うつ薬は、病態解明⇛治療薬開発、という本来の流れではなくて、治療効果の偶然の確認⇛薬理作用の解明⇛同薬理作用の抗うつ効果の確認、というサイクルから開発が進んできた。


     抗うつ薬(脳科学辞典から)


最初に抗うつ効果が確認されたのは1950年代、抗結核薬のイプロニアジドで、偶然の産物なのだ。たまたまその薬は、モノアミンを代謝(≒分解)する酵素(モノアミン酸化酵素)の阻害作用を持っていた。次いで抗精神病薬(統合失調症の薬)として開発されていたイミプラミンが偶然にも抗うつ効果を持っており、それは神経と神経の接合部(シナプス)でのモノアミン(セロトニンノルアドレナリン)を増やす作用を持っていた。*1


うつ病の薬を狙って開発されたのではなく、抗うつ効果という現象論ありきで薬が出てきた、というわけだ。*2


そういうわけで、抗うつ薬はイミプラミンと同じ作用を持つものを探すことになった。イミプラミンは現在でも動物実験において、とりあえず抗うつ効果を示す指標としての対照薬(開発中の薬と効果を比較するための薬)として使われている。うつ病の動物モデルというのは幾つかあるが、開発中の薬Aが抗うつ効果を持つ、と言いたい時にはイミプラミンと同様の効果を持つことからAは抗うつ薬として有望だと議論されたりする。
実際、そのような抗うつ薬動物実験上、脳内におけるセロトニンノルアドレナリンを増加させる効果を認めることが多い。


とはいえ、モノアミン低下がうつ病の原因なのか、増やせば良いのか、という点に関しては決定打が欠けており、矛盾点もある。


ここでは2つ。
まず、抗うつ薬セロトニンノルアドレナリンを脳内で増加させるのは動物実験では認められているものの、ヒトで直接の証拠はない。
それは、例えばマウスを用いた実験では、マウスの頭蓋を開けて管を入れ、直接脳内から採集した脳脊髄液から各種物質の濃度が測定できるのに対して、ヒトではそういう実験が出来ないので、確認がされていない。
末梢血採血から濃度を測ることはできるが、実際のところ、末梢血の濃度は、うつ病の重症度や薬の抗うつ効果と相関しない。うつ病が重いからセロトニンが減っている、とか、回復したから上がってきた、なんてのは末梢血からは何も言えないのだ。


  セロトニン濃度を測定する、というクリニックがあるようだ。保険が利かない検査だから自費で測定する。もしそういったクリニックでうつ病の重症度を把握するため、とか抗うつ薬の効果判定のために、といった理由でセロトニン濃度測定を提案されても断るほうがいい。セロトニンは末梢だけで沢山合成されており、そもそも脳内から出てこないし入ってもいかないのだ。末梢血に増えていれば事足れりであれば、単にセロトニンを摂取すればいい。でもそれは特に意味を持たない。


次に、仮にセロトニンノルアドレナリンが増えることが抗うつ効果を発揮するというのであれば、抗うつ薬が効果を発揮するまでに時間差(2週間といわれる)があるのがおかしい。セロトニンノルアドレナリンが足りないことがうつ病の病態で、薬がとにもかくにもそれらの脳内濃度を高めるのであれば、即効性があって良いではないか。まあこれにはセロトニンを、細胞の受け取り手である受容体の感受性が変わるまでに時間がかかるのだとか、脳由来神経栄養因子(BDNF)などの神経栄養因子が合成されて抗うつ効果を発揮してくるのだとか、色々と理由が考えられているが、これですよ、という決定的な証拠はまだ無い(はず)。


そんなわけで、現在の一般的な抗うつ薬が、セロトニンノルアドレナリンなどのモノアミン系の神経伝達に関わり、効くからにはうつ病の病態として、それらの物質の濃度や神経伝達回路が関わっているのは確かだろう、という点は大方の研究者が同意するだろうが、それ以上は何ともいえない状況が正直ずっと続いている。


ところで抗うつ薬はどのくらい効果があるんだろう?


どんな薬もそうだが、効果は100%じゃない。副作用によって服薬の継続が無理だったり、同じメカニズムで効くはずの薬にも合う合わないがあったりする。それは、薬が結合する受容体の分布が人によって違ったり(今のところそれを測定する簡単な手段は無い)、薬を代謝し、身体から出すための肝臓の酵素活性が違ったり、他の薬や食事との飲み合わせなどが関係するということがあるだろう。


抗うつ薬うつ病患者への効果に関しては、アメリカ国立衛生研究所(NIMH)が主導したSTAR*D研究(2006年発表)というのが有名。全米で7年間にわたり4041人の患者が参加した臨床試験によれば、1/3の患者が最初の治療薬で寛解(症状が問題ない程度に治まること)、4種類の抗うつ薬を連続してそれぞれ12週間ずつ、1年にわたって使ったとして寛解にいたるのは全体の70%だった。


    詳しく知りたい人は...
              STAR*D study, Q&A


1年で70%、という数字は、抗うつ薬のみを治療手段として考えた時には決して低くはない数字に感じる。それでも、正しくうつ病と診断して抗うつ薬を使っても、1年かけて治らない人が1/3近くもいる。うつ病の病態仮説としても、治療薬としても、モノアミン仮説に基づいた薬物開発に限界があるのは明らかだ。


じゃあ、他の選択肢は?というと長くなるのでまたいずれ。


1つ言えるのは、薬はいくらメカニズムを考慮して開発しても、効かないものは効かないし、効くものは効く。臨床的には、厳密な臨床試験を経れば結果がわかるので、その結果を踏まえて、効くと証明された薬は治療の選択肢に入れないといけない。ただし、きちんと効果が出るためには、前提として診断が正しくないといけないのは言うまでもない。


野村総一郎先生は、防衛医大の元教授。講演や評判を聞いた限りでは穏やかで頼りにしていい先生と思う。野村先生の著書でdneuroが読んだのは「うつ病の真実」。抗うつ薬セロトニンノルアドレナリンの濃度を増やすことではなく、本来の状態になるように「揺さぶって」効果を発揮しているのでは、と。抽象的な表現だが、感覚的には納得がいく。


漫画家田中圭一氏による、自身を含めてうつ病経験のある方々がどのようにうつ病を抜けてきたのか、を描いたインタビュー漫画。キャラクターは手塚治虫似。大槻ケンヂも一時期大変だったのね...
実体験に基づいた描写がほとんどなので、生々しさがある。とにかく発症のきっかけや、「抜けた」方法、うつとの付き合い方が実に各人各様に異なっている。今うつの人にとっては、それぞれのエピソードと状況が違うし、うつを抜けた「成功者」の体験は、苦悩の最中には必ずしも心の助けとはならないかも。色んな人がなり得るのだということを知ることは支援者にとって役立つ気がする。


最新版 「うつ」を治す (PHP新書)

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うつ病の治療は、薬物と認知行動療法が2本柱。慶応の大野裕先生は日本の認知行動療法の第一人者の1人。そんなわけで本書は心理的治療側面が詳しいのはもちろんだが、社会的側面、つまり周囲がどのようにサポートしていくか、もわかりやすい。物腰柔らかな著者の人格がにじみ出るような文章に接すると安心感を覚える。

*1:イミプラミンは三環系抗うつ薬に分類されるもっとも古い抗うつ薬の1つ。現在では第1選択になりえないが、新薬も効果自体はこの薬を上回ってはいないので、使うことはあり得る。新薬に比して、心血管系や消化器系への副作用は強い。

*2:目的とは違う効果が偶然に発見されるというのは薬の歴史の中ではよくあること。統合失調症治療のための抗精神病薬(ハロペリドールクロルプロマジン)も然り。近年ではバイアグラが有名。元々は狭心症治療薬として開発中の化合物だった。