前頭側頭型認知症を考える(1)

いざ認知症か、というときに本人にとっても家族にとってもかなりな大変さを覚悟しなければいけない認知症の1つが前頭側頭型認知症*1(Fronto-Temporal Dementia: FTD)だろう。


客観情報としての検査で正常と異常の別がすぐにわかるのか?というと…


ここにいわゆる知能テスト*2によるIQが116で、長谷川式認知症スケールが30点満点の43歳男性が居るとする。


長谷川式認知症スケールは目の前の人が認知症か、特にアルツハイマー認知症かを考えるためのスクリーニングツール*3として有用。知名度も高く、私も頻用するが、それでも図形模写が無かったり、これだけだと足りないことも多い。作成された長谷川和夫博士は御年86歳でお元気なはず。


これだけの情報ではいかにも問題無い、というかIQ116はとっても高得点であり、頭の良いお方という感じ。
でも実は、こんな人が次のような症状を持っていた。

  • 職務中しょっちゅう離席をして流しに唾を吐きに行く。
  • それを上司に注意されても無関心。
  • 4歳の息子が可愛くてほっぺたを子供が泣き出してもつつき続ける。
  • カロリー高いもの避けていたのに最近毎日カツ丼だけ食べに近所の店に行く。


どうだろう、こんな社員は、そして夫は。正直困った存在だ。
私の目の前には困った上司とともに来た。こうなって1年だというから42歳発症である。若い。子供も小さい。


「なんで唾を吐くんですか?」の質問には「いや別に…」
「今困ったことはありますか?」には「奥さんにセックスを断られていること」


うーん…まあ奥さんの気持ちもわからんではない。


この人の画像を見てみよう。


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MRI画像(白黒の3画像)だけ見ると、赤く囲んだ海馬というところが随分な萎縮に見えるし、側脳室という場所も広がっており、いかにもアルツハイマー認知症っぽかったりもする。そんな人がIQ116で、長谷川式認知症スケール満点というところに画像と臨床症状の乖離が見られるのが特徴。
(すべてのFTD患者がこれと同じというわけではない。念のため)


この人の「明らかにおかしく」そして「人格が変わってしまった」のを捉えようとしても検査の選択を間違えば、正常ですよ、ともアルツハイマー認知症ですかねえとも誤診されかねないわけだ。
実は異常の多くは、前頭葉機能不全が関係しており、それは知能検査で測定できない(より正確には足りない)。


こういう一般的な認知機能検査では引っかからなかったり、MRI単独では診断の難しいのを補完するとしたら機能的脳画像が1つの手段。MRIのように脳の形(形態画像という)の異常ではなく、血流やある種の化学物質がどのように脳に分布するかを見る。今回示した図の右下は、SPECT(スペクトと読む。ここでは血流と考えて良い)画像であり、前頭葉付近の血流が下がっていることから、こちらでは画像と臨床症状に一致を見る。


続きはまた。


尚、今回話題にした方はその後間もなく失職され、子どもの小さいことも関係して離婚となり、ある地方のご実家に帰ることとなった。その後はわからない。*4


バナナ・レディ―前頭側頭型認知症をめぐる19のエピソード

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ピック病―二人のアウグスト (神経心理学コレクション)

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*1:ほんの10数年前まで今日話題にした方は偉大なアーノルド・ピック博士の名を冠したピック病と言われていた。病態理解が進んだこともあり、幾つかの改訂も経て、現在一般的にはこの呼称。とりあえずは前頭葉と側頭葉の両部位の機能が低下する認知症の1つとして考えれば良い。

*2:この人にやったのはウェクスラー認知症スケール改訂版(WAIS-R)。今は第3版WAIS-IIIが日本では一般的。IQ値80-120が正常と健常範囲とされているが、万能ではなく、臨床的には低い点数(70未満)の有用性の方が高い。この例とは逆に実生活の頭の良さを反映しないことも多いので単純にIQ値だけだと情報として役に立たないことに注意。

*3:スクリーニングとはその検査をすることである種の病気の可能性を探るもの。スクリーニング陽性(高値)=疾患ではない。すり抜けてしまう本物(例えば今日の例です)もあれば、本当は違うのに引っかかることもある。絶対視してはいけません。

*4:この人の妻をひどいというのは酷だろう。若いし、介護だけでない自分の人生を生きる権利がある。幼い息子さんの成長にとっても「変わってしまったお父さん」が近くに居ないほうが良い可能性がある。ただし、私の患者さんのご家族には人格変化にめげず介護される方も多く敬服するし、それまでの夫婦関係が良好ゆえと想像する。