正常圧水頭症の予後を考える

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正常圧水頭症といえば「治る」認知症として紹介されることが多い。
正確には特発性正常圧水頭症。特発性というのは、特別な原因がない、という意味で、なぜ水頭症になったのかはわからないということ。水頭症は、脳神経が浸っている脳脊髄液が、適切に排出されずに貯留してしまう状態をいう。脳室という部屋として画像上見えているところに(図参照)、脳脊髄液が溜まりすぎてしまうと、外側の脳を頭蓋骨方向へ圧迫していく。一番外側の頭蓋骨は硬くて膨らんだりしないから窮屈に押し込められることになる、脳は機能障害を起こす。


info.ninchisho.net


とりあえずどんな病気かというのはリンク先に詳しいし、わかりやすいが、特徴的な症状が3つある。1つは「認知症」というだけあって記憶障害。2つめは歩行障害で、独特なすり足歩行。3つめは排尿障害(尿失禁)。なので、比較的急速な経過で生じるこの3症状は特徴的で、三徴(trias)と言われるが、必ずしも揃うわけでもない。幾つかの研究によれば、歩行障害はほぼ必発。認知症は80-90%ほど、排尿障害は60-80%弱程度。三徴が揃うのは60%程度。だから、高齢になり比較的急速に歩行障害を呈した時には積極的に可能性を考えて良さそうだ。


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特徴的な歩行と、治療後の映像。


治療について
さて、正常圧水頭症をどう治すのかといえば、排出できない余分な脳脊髄液を除去するというわけで、とりあえずは腰から脊椎の間に注射針を刺し、脊髄周囲まで進めて針を進めて脳脊髄液を一定量採取する。これを腰椎穿刺という。それにより、脳脊髄液の溜まっていたことによる圧が低下するから、圧排されていた脳もそれが解かれ、脳機能が回復する。



逆に言えば腰椎穿刺によって機能改善が見られれば診断も決まるということ(こういうのを診断的治療法と言ったりもする)。ただし、これによって得られた回復は基本的には一時的なもので、脳脊髄液はまた溜まってくるので、最終的には、持続的に脳脊髄液を除くためのシャント手術という手術が必要になることが多い。


 シャントというのは流れを別方向に誘導する道のことで、正常圧水頭症の場合、脳室からお腹の中(腹腔)まで管を通して脳脊髄液を逃してやる、というのが一般的(脳室腹腔シャント、という)。最近では他の術式もある(適応は限られるようだが)。*1


 ⇛ 千葉大学医学部脳神経科のHP(治療の紹介)


早めに発見しよう
さて、このように正常圧水頭症は治る認知症なのだが、とはいえあらゆる治療がそうであるように、治療の効果は100%にはならない。
どれくらいなんだろう?というのが気になったので調べてみる。


とりわけ参考になったのは特発性正常圧水頭症診療ガイドライン第2版(2011年)。


結論から言うと、当然ながら、全般的に改善は期待できる。特に本人の主観的満足度は80%以上と高い様子。また、客観的には歩行障害の改善が最も期待でき、術後半年〜1年の判定で、70-90%のケースで改善が認められている。排尿障害は40-80%。認知症の改善度は、40〜80%。*2


どうだろう、これを高いと見るか、低いと見るかは、事前の期待値に拠ると思う。恐らく多くの人が望んでいる、「認知症が治る」期待を煽られて見るとやや残念に思うのではないか。


一方で、歩行障害と排尿障害は、本人のみならず介護する側にとっても生活の質(QOL)に大きく関係するため、手術の現実的なメリットは大きいと感じる。

認知症が十分に改善しない理由は、調べた範囲では確実な因子がわからなかった。知人の神経内科医に問うと、経験的には、発見が早ければは早いほどやはり改善が良く、半年以上も経ってしまうと余り期待できない、と言う。まあそれはそうかな。画像上、脳があんなに圧迫されていたらそりゃ機能障害起こすでしょう、と思えるので、やはり早く可能性を疑うことが大事なのだ。
あとは、恐らく正常圧水頭症発症前の認知機能をしっかりと測定できていることは無いので(そりゃそうだ)わからないことではあるが、発症前から認知症が進行しているケースもあるのではないか。そうすると術後の認知症回復も抑えられてしまうだろう(というのは単なるdneuroの推測だが)。


ちなみに、エビデンスとして、術後に脳室の拡大が減少したかどうかと、症状の改善には必ずしも相関が無いという報告が多い。つまり脳が圧迫されている画像に変化がなくても、歩行障害はじめ症状の大幅な緩和があるという。不思議。


末期がんでも治療には意味があった経験
 さて、dneuro自身の経験といえば、医者として遭遇することが多いわけではないんだが、自分の伯父で経験した。


 伯父は肺がんで都内の病院に入院していた。抗がん剤による治療を受けており、残念ながら治すのではなく、延命を期待するのみではあったが、比較的元気で会話はしっかりしていた。ところが、比較的早い進行で意識が混濁し始め(ぼーっとする)、会話がままならなくなったのが、入院して3ヶ月経とうとするところか。MRIを撮ってもらうと、どうやら正常圧水頭症っぽい画像が、絶対の確信を持つほどではない状態。主治医からは「どうしましょうか?」と方針の選択をこちらにあずけられた。


 む...経験ないぞ...こういう場合、肺がん末期であることを考えると、治療の負担を考えて経過観察なんだろうか、と思いつつ、それでも1週間前来た時は話ができていたし、伯母ももう一度話をしたい、という気持ちが強かったため、腰椎穿刺をしてもらうことに。


 結果としては、また話ができるようになったのだ。前ほどクリア、というわけではなかったが、無事に会話が可能となり、伯母にも喜んでもらえた。幸い腰椎穿刺だけでその後水頭症の症状は顕著に悪化することはなかった。伯父はその後さらに3ヶ月ほど闘病して亡くなったが、疼痛管理もしっかりされており、安らかだったのを憶えている。


認知症―専門医が語る診断・治療・ケア (中公新書)

認知症―専門医が語る診断・治療・ケア (中公新書)

認知症に関する良い本は何回でも紹介。
ただし、正常圧水頭症への言及はごくわずか。


ブラック・ジャック (6) (少年チャンピオン・コミックス)

ブラック・ジャック (6) (少年チャンピオン・コミックス)

ご存知、「ブラックジャック」。
脳室内に閉塞(つまり)があった場合には、当然頭蓋内圧が上昇するのだが、子どもの頭蓋骨は閉じていないため、頭が大きくなる。
水頭症の出て来るエピソードがこの巻に。切ない内容だがお勧め。
ただ、この秋田書店版以外には現在収録されていないそうだ。
michaelgoraku.blog22.fc2.com
ブラックジャックは今から見るとキワドイ表現が多いので再収録にためらうのはわかるのだが、もったいないことと思う。水頭症のエピソード、とても良いのに...。

*1:dneuroは研修医時代に麻酔をしていたので、脳室腹腔シャント術の麻酔も経験した。この手術は、皮下に管を入れてぐいっぐいっと通していくのだが、なんてこと考えるんだと思ったので、脳外科医にとんでもないことしますねと思わず言ってしまった。他の手術でも思うことだが、最初に考えて実行した人は凄いと思う。

*2:以前NHKのガッテンで紹介された時には「家のおじいちゃんもそうじゃないですか」というご家族が多くなったのは書いたが、正直あの番組にせよ、「認知症が治る」ことが強調されすぎと思う。残念なケースもままあるので...。といって期待をしてはいけない、というのも違うけど。