彼の責任能力は問題になりそうか

2016年7月26日早朝、主に行動障害を伴う知的障害者が入居する福祉施設で痛ましい事件があったのは周知の通り。夜中に侵入した犯人は19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた上で自首し逮捕、すでに送検されている。


戦後最大の殺人事件だが、それ以上に容疑者の犯行までの行動に注目が集まった。彼が犯行前に自らの主張を書いた手紙を衆議院議長に手渡そうとして警察から措置通報がなされ、措置入院となり、わずか12日間で退院したからだ。


措置入院に関しては今度の事件で特に患者の退院後のフォローにこれまで以上の手厚さを要求されそうだが、それに関しては今回は置いて*1、今回の容疑者の責任能力が問題になりそうかについて起訴前鑑定の事例を元に少し考えてみる。


刑法39条は彼を減刑させるか
精神科疾患によって減刑されたり無罪になったりする根拠は刑法39条である。
 刑法第39条
第1項で心神喪失者は刑罰を課さないことを規定し、第2項で心神耗弱者は刑を減刑するとある。この規定に関しては凶悪事件が精神疾患罹患者によって起こる度にその理不尽さが蒸し返されることもよく目につく。実際のところこういった精神障害者の罪の軽減というのは古代ローマ時代にもあったし、日本でも律令制時代からあるわけで、十分な根拠があるのだがここではそれは論じない*2



問題はこの心神喪失/耗弱を決める要素なのだが、それは責任能力の有無である。
そしてその責任能力を構成するのは、ある行為が良いことなのか悪いことなのかを判別する事理弁別能力と、自分の行動をコントロールできる行動制御能力が備わっているか、になる。
  責任能力
どう判定するんだ、という基準がよくわからないという声が聞こえる。もしくは恣意的ではないかと。要は鑑定する精神科医の主観的判断だけだろうと。


簡単な事例で考えてみると、例えば幼児に依る殺害事故(というのは造語だけど)。時折アメリカで銃の手入れ時にそばに居た2-3歳の子供がその銃で遊んでお父さんを射殺してしまう、みたいな事件がある。


統計でみる、銃社会アメリカの銃に関する驚くべき15の真実


こういった子供を父親殺害の罪で刑務所に入れても何の意味もないのは自明だ。幼児には銃の引き金を引くという行為のもたらす意味がわからず、状況に応じて行動を制御する力に欠けている。責任能力の2要件を満たさないことに誰も反対しないし、不幸だが納得しうる悲劇だ。


さて精神疾患だが…
大雑把には病気によって異なる。
統合失調症は幻覚や妄想を症状として持ち、時にそれが患者を犯罪者たらしめる*3。例えば私の担当したある措置入院患者は、「〇〇(近所の男性)が俺のことを狙っている」という被害妄想があり、本人としては自己防衛のために男性をナイフで斬りつけた。このように妄想に支配された行動を取るときには是非弁別能力も自己制御能力も失われていると判断する。必要なのは刑罰ではなく治療である*4
他の精神疾患でも例えば双極性障害(いわゆる躁うつ病)の躁状態では誇大感や万能感から犯罪行為に至ることがあるし、うつ病の拡大自殺(我が子を巻き込んだ心中など)というのもある。


かつては統合失調症=責任能力無し、という判断が司法界で働いていたようだが、現在ではそれはかえって人権侵害であり、病気と関係ないところで犯行が行われたという判断があれば、責任能力とは無関係である。


こういう事例が責任能力無しだろう
今から10年ほど前、70代男性の起訴前鑑定(簡易鑑定ともいう)を検察庁から依頼されたことがある。詳しくはぼやかすが、おおまかに言えば、リゾートホテル駐車場に侵入し、駐車車両を物色していたその老人の責任能力や如何に、という内容。


実はこの老人は認知症であり、徘徊している中迷い込んだ駐車場の車を自分のものと勘違いし、たまたま鍵が開いていたその車のダッシュボードを覗いていたのである。


鑑定は地方検察庁で行ったが、当時の鑑定書から改変して引用してみる。


被疑者本人は、意識は清明意識障害はなく、疎通良く、礼節は保たれている。しかし、見当識の障害は明らかで、最近の自動車事故についての記憶もなく、記憶障害があるのは明らかである。勾留理由を問われてもその理由を理解できていず、他の質問内容についても内容への理解が乏しく、思考能力の低下が窺える。認知症状態であるのは明らかであるが、その程度を知るために改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)を施行した所、見当識、記銘力、記憶の保持・追想、語想起、注意集中などいずれの質問においても能力の低下は明らかで、点数は5点と重度の認知症レベルであることを示した。


ポイントは意識障害がない状態ながらも、重度の認知症であり、責任能力が無いことが明らかだったことだ。従って、その判断はこう書いた。


被疑者の認知症という疾患の性質上、感染や中毒によるものとは異なり、急速進行性のものではなく、慢性進行性のものであることから、犯行時も現在と同様の精神状態であったと考えられる。従って、本件犯行は重度の認知症による精神状態下で行われているため、自己の行動の是非善悪に対しても著しくその判断・思考能力は欠けていたと考えられる。本件犯行当日は、恐らく1人で外出、どこに向かっているかも判然とせず徘徊し、駐車場において自らの車を探している中で、たまたま鍵の開いている車に当たったため、ドアを開けて中を覗いたが、その行為の意義に関しては理解してなかったであろう。懐中電灯は普段から外出する際には妻と一緒に夜散歩するために持ち歩くことがあり、車の鍵と免許証をダッシュボードに入れておく習慣があったことから、懐中電灯の保持と車のドアを開け、中を物色するように見える動作も習癖となっている日常生活動作を行っているという説明が可能である。


そう、本人にしてみれば日常習慣上の行為をしていたに過ぎない。
結論はこう書いた。



被疑者は犯行当時、重度の認知症状態、見当識障害、記銘力障害、記憶障害、思考・判断能力の低下が見られ、その程度は著しく、異常状態に犯行は支配され、それがなければ元来の性格・素行から考えて犯行に至ったとは考えられず、現在も同様の精神状態にあると結論付けられる。
従って、物事の理非善悪を弁識する能力およびその弁識に従って行動する能力には著しく欠けているため、責任能力を問うことはできないと考える。


実は責任能力の判断については、本来は鑑定医の情報に基づき司法がすべきなのだが、鑑定した精神科医がそれについても意見を述べることが習慣になっている。
このような認知症の症状による行為が例え犯罪要件を満たしていても、それを持って刑罰を与えることに意味がないのは明らかだろう。鑑定後、この気の毒なお年寄りのご家族が「おじいちゃんは本当に何もわからないのに…」と泣いていたのに対して、検察官が「えっ、ホントに(やったことを)わかっていないんですか??」と驚いていたのが対照的だった*5


相模原の事件の容疑者については?
先に書いたとおり、責任能力を有するかは、彼に是非弁別能力と自己制御能力が犯行時に備わっていたかどうか。


彼が衆議院議長宛に書いた手紙からは、一部に特異な記述(UFO云々)があるものの、全体として主張は偏っていても論旨は明快であり、今回の殺人がもたらす意味を理解していたのは明らかだ。つまり是非弁別能力は保たれていた。


次に周到な準備とそれに伴って順序を追い(職員をまず縛りそれから障害者を殺していった)、冷静に着実に目標を達成させていった上、犯行終了後速やかに自首をしたことは、彼に自己制御能力が十分に備わっていたことを示唆するだろう。仮に統合失調症急性期の幻覚・妄想に基づく犯行であったり、薬物にせよ躁状態にせよ興奮状態で凶行に至ったとしたら今回のような犯行後すぐに自首という冷静な行動が出来る可能性はかなり低い。


特異な動機や、措置入院の経緯、元々は穏やかであったという容疑者の変質から精神鑑定がどこかの時点であるのは確実だが、責任能力に関しては少なくても心神喪失はあり得ないレベルで判断されるはず。ただ、鑑定医によっては何かしらの病的理由をもって限定的な責任能力とする場合も否定出来ない。その場合ご遺族や世論の反発は必至だろうが…。


精神障害者をどう裁くか (光文社新書)

精神障害者をどう裁くか (光文社新書)

ADHD研究者としても名高い岩波先生の本。執筆当初から若干触法精神障害者の扱いが変わっている面はあるのだが、まあまあ入門書として良いのではないか。

*1:措置入院自傷・他害を疑われる患者に対する都道府県知事命による強制入院。ある意味究極の人権侵害を精神保健指定医が担う。今回の容疑者は他害行為前に措置通報から入院に至っており、そこに明らかな病的理由を見いだせなかった時には長期入院判断は困難だったと思われる。

*2:律令における責任能力の減免については例えば⇛律令における障害者福祉法制と現代法と比較して

*3:統合失調症と犯罪というのは一般に想像するよりは遥かに少ないし、殺人で犠牲になるのは親族が多い(⇛例えばこの統計 )。実際には同疾患の問題は、派手な症状よりも行為を何もしなくなる陰性症状の進展であることが多い。

*4:犯人に障害があろうがなかろうが犯罪は犯罪で刑罰に処すべきという意見も多いが、実際のところ刑罰は、与えられる様々な制限が機能する人に対してのみ意味がある。そうでない場合、刑罰は社会的にも個人的にも無駄で、何らかの代替手段が課されるべきだろう。研修医の頃、幻覚・妄想に支配された患者さんに対峙した時、たとえこの人に殺されても確かに刑罰は意味無いなと感じたのを思い出す。

*5:鑑定医としてはこの方の認知症が演技であるとは考えられず、検察官というのはそこまで人を疑うのかと驚いた経験だった。それともこの検事さんが変な人だっただけなのか…。

午後の昼寝は正当化されていい

午後は眠い。
だから、最近は午後短時間、すなわち10〜20分くらいの睡眠を取るといいなんて言われるが、本当だろうか。

アメリカではいくつかの記事で20分程度の昼寝をpower napと呼んで推奨している記事が多い。

有力紙の1つWall Street Journalではこんな記事。

   The Perfect Nap: Sleeping Is a Mix of Art and Science
www.wsj.com

記事の中では、20分、30分、60分、90分で昼寝の効用が違うと。20分は良い仮眠の一方で、30分になると睡眠慣性(睡眠を続けようとする力;急に起こされると眠いというやつ)が働いてしまうし、60分は良いがしばしば寝起きが辛く、90分は睡眠サイクルに合うから良いと。さらに、昼寝は13-16時が良く、少し上体が起きた姿勢でアイマスクをすることを推奨。こういった昼寝を取ることで睡眠不足を一定程度補えるという。


そういえば医者は良く昼寝をしている。色んな病院の医局(医者控え室と思っていい)を覗いてみると、お昼は寝ている人実に多い。ある医者はソファに座り、別な医師は自分の机で。私も病院勤務時代はほぼ毎日どっかで20-30分寝ることにしていた。



・人は午後、どうやら眠いらしい
そう、午後は眠いからホントはちょっと寝たほうがいい。
2001年のイタリアの研究では高速道路における居眠り事故と時刻の関係を調べているが、事故が一番多いのが午前3-5時、そして次のピークが午後2-4時になっている。当然午後眠いからだ。

アメリカのブラウン大学教授Mary A. Carskadonは時刻による人の眠気を調べていて、それによると8時間睡眠後の翌日、どの年齢層も13時〜15時半くらいの午後の時間に最も眠いことがわかる。10時間睡眠でも多くはそうだが、7-11歳は一切眠くならず、また8時間睡眠の時よりも眠気の年齢差が明確になっている(7-11歳は元気いっぱいで羨ましい)。
ということで、午後、人は眠くなるらしい。
そして、それは基本的には年齢によらず、かつなぜかははっきりわからない*1


そこらへんのまとめは広島大学大学院総合科学研究科教授の林光緒先生のまとめが面白い。
 例えば⇛ 居眠り運転発生の生理的メカニズム(論文pdf)


ともあれイタリアやスペインのシエスタは生理学的には圧倒的に正しい。



・昼食は実は関係ない
この午後の眠気、「ご飯食べたから〜」という人が多い。
1つよく言われるのはご飯を食べると、消化管に血流が取られて、脳に行く血流が減るから、という説明をする人がいるが、これは間違い。実際は脳に行く血流が食事程度で変化はしないようなメカニズムを我々は持っており、確かに食べれば消化管活動が増えるから血流は一定程度増すだろうが、脳に行く血液の絶対量が変わるということは無い。
もっとも、食べることで消化のために自律神経系の中でも、副交感神経系が亢進し、それが眠気に関わるというのはあるかもしれない。副交感神経系は交感神経系と並ぶ自律神経系だが、リラックスするために働く神経系でもあり、一定の眠気に寄与する可能性はあるんじゃないかと思うのだが。

さて、というわけで、皆さん昼を食べると眠くなるから〜なんて言うけど、関係ないからお昼は食べていい*2



色々と睡眠に関係する物質はあるが、実際のところこの午後の眠気に絶対的に関与する物質はよくわからない。いずれにしても人は午後眠くなるし、眠くなったら短い仮眠を取ることが作業効率を上げると近年よく言われるようになった。仮眠有り無しで作業をさせるような研究からそれは確かなようだ。

十分な睡眠時間がしっかり取れるなら、一定程度この眠気が和らぐのは確かだが、そうそう十分な睡眠が取れないのが現代なので、午後の短時間仮眠、試せる人は試して欲しい。



r25.jp

トイレで寝ている皆さんは実は多い様子。
堂々と眠れる環境が整えられますように…と願わずにはいられない。
ちなみに、仮眠前にコーヒー飲むと、カフェイン吸収が仮眠後の眠気覚まし(難しく言えば睡眠慣性の力に負けないで済む)になるので、良いと言われている。



睡眠の科学―なぜ眠るのかなぜ目覚めるのか (ブルーバックス)

睡眠の科学―なぜ眠るのかなぜ目覚めるのか (ブルーバックス)

睡眠に関する適切な正しい知識はこの本を読めばわかる気はする。


まあただ適切な睡眠というのも人それぞれであってあまりこれが正解というのは無いし、仕事によっては、いくら「こうしたほうがいい」と言われても出来ないことがしばしばあるだろう。大体異性と過ごしたいのは夜だし、夜型なら仕事捗る夜に休んでいるだけじゃ力もつかない。


なので、「眠いのに睡眠時間をどんどん削る」生活だけは長く続けないよう、何らかの工夫を、午後の仮眠含めて方策を取るべきだと思う。
これまでの経験では、どこでもいつでもちょこちょこ眠れる人が最強、という気がする。

*1:睡眠に関係した物質は、例えばメラトニン、アデノシン、オレキシンヒスタミンなど。それぞれ生体リズムに応じた血中濃度の高くなる時間というのは存在するし、例えばメラトニンは追加すればその後眠くなったりするわけだが、どれも単独で午後の眠気を説明はしないようだ

*2:もっとも私のようなウルトラ下戸は、食事中の微量なアルコールにも反応してそのせいで眠くなるから食事には気をつけている。間違えて、もしくは誘惑に負けてカツ丼とか食べたりしたら眠くてかないません。

週刊現代の医学批判を考える

どうも週刊現代は医療批判に目覚めたようで、このところ特集が続いている。
今回は第一部として、「内視鏡・腹腔鏡手術の真実」、「医者が切りたがるがんも本当は手術しないほうがいい」。


センセーショナルな見出しと内容を見たければかなりな程度ネットでも見られる。
 現代ビジネス(医者でサイト内検索 )


さらに特集は続いて、「飲んだら、一生やめられなくなる生活習慣病薬」。
そして「医者とMRが本音を告白〜安くて安全な薬より、高くて危ない薬を出すんです」。


今回殆どは私の専門外なので、記事の妥当性を説得力を持って語るのに役不足だから一々否定や批判はしたくないのだけど、危惧するのはこういった記事が医療不信を煽り、正しい治療を受けている人がそれを疑い、放棄し、治る機会、改善するチャンスを逸すること*1
記事には正しい批判と不確実・もしくは個別的に論じるべきものを一般化してしまっている批判が混在しており、医師でも科が違えば真偽を判定しづらいのが困りもの、と感じる。


例えば一部の腹腔鏡手術に危うい側面があるのは事実だ。慈恵医大や群馬大の事件が記憶に新しい。開腹手術を選択することがいい場合は確実に存在する。
一方で、腹腔鏡を使うことで確実に負担が減り、技術的にも回復を凌駕する治療を受けられるチャンスがあることを否定してはいけない。私の親しい知人は確かにその恩恵を受けた。


がんの手術を延々と批判して放射線を活用した方がいいというのは文芸春秋に負けず劣らずだが、どれもケースバイケース。日本で放射線治療がもっと活用できる余地があることと、手術の是非は切り離して考える必要がある。
前立腺がんに対して「欧米では切らないのが常識」という富家孝氏のコメントはしっかり考えなくてはいけない問題だが、後半の「大学病院が一番危ない」は「大学病院にいる医者の多くの最終目標は教授になること」という偏見から記事内容が歪んでいる。大学病院に近い立場からすると、多くの大学病院の医師は誠実であり、希少症例の経験を積むために大学に居ることも多い*2


薬に関しては、副作用が出た人、を過大に紹介することでその薬の存在価値を全否定しているかのような薬剤批判が多すぎるように感じる。総じて新しい薬の副作用を書きたてるが、副作用は出る人には出てしまうものだ。だからそれをしっかり考えた上で個々人にとって有益か否かを判断しながら使う必要がある。



週刊現代の記事は、別な号の同様記事と同じジャーナリスト、医師のコメントが多い。コメントを寄せる医者が限られているのだろうが、批判者を無批判に信頼することも危険なことは覚えておくべきだ。特に医療ジャーナリスト田辺功氏は、これまでの著作を読んでも(良く考えて)理解不足からくる誤解から激しい批判を展開することが多く、読者は注意を要する*3


dneuroの専門でもあるので、抗認知症薬に関しての記事を少しコメントを。前回と違ってこの部分は一面からは事実。
紹介しているのは2剤。
1つはメマリー。成分名はメマンチン(⇛wiki )。
本文引用すると、
このメマリーはその後、記憶回復効果があまりないことがわかってしまい、今では製薬会社と学会は「怒りっぽくなった認知症患者の興奮を抑えるために使って欲しい」と言っている。
実はこれはこれまでの発売後のエビデンスからは本当で、抗認知症薬としては臨床的実感を持って役立つ、という感覚は乏しい。
Lack of Evidence for the Efficacy of Memantine in Mild Alzheimer Disease


次に名古屋フォレストクリニック院長河野和彦氏の推奨するウインタミン(成分名はクロルプロマジンで一番古い抗精神病薬の1つだ)について。河野氏はこの薬が興奮を抑えるのにはずっと有効だと「思う」とし、古い薬で安い点を強調する。そう、確かに低用量では使い勝手も効果もそして経済的にも良いことを否定しない。でもこの薬だって、wiki を見ればわかるようにとても怖い副作用でいっぱいであり、この高用量処方が日本の精神医療をどれだけ遅れさせたかという暗黒面を持つ薬であることは忘れてはならないのだ*4


さて、結局医療はバランスである。どんな治療も過小では効果を期待できず、過剰では副作用・弊害が多くなる。絶賛だけ出来る医療はあり得ないとは言えないまでも希少であり、副作用面から見ればほとんどの薬が怖くて飲めないだろう。手術や麻酔も然り。なので、賛美も批判も医療記事はちょっと距離を置いて読むべきだ。ごく一部しか当てはまらないのを拡大解釈して賛美もしくは批判している記事やテレビ番組が多いせいで現場は苦労している。


とはいえ、今回の週刊現代だって的を得た医師にとって耳痛い内容はある。日常臨床をしていればなんじゃこりゃという医療に出会うことも多い。エビデンスもあればいいってもんじゃないので*5、結局は信頼できる医療者と知り合いであることが一番の安全弁という困難があったりする…。


「医療否定本」に殺されないための48の真実

「医療否定本」に殺されないための48の真実

医療記事に信頼が置けない以上は色々情報収集して武装しないといけない。極論は否定し、1人の言葉に信じこんだりはしないようにしよう。

*1:極論的医学批判や疑似科学に染まってしまう危険は正にこのことで、標準的な医療へのアクセスを失ってしまうこと。標準的医療をしていると言いつつ標準的な医療をしていない医者もいるのでコトがややこしい。もちろん標準医療は常に刷新される可能性があるからそれも難しい。でも極論は普通ダメ。

*2:大学病院は患者層が教授の専門に応じて特殊なことが多い。大学病院の医師が教授ばかり狙って患者を実験台にしているというのは過去のイメージの産物だ。とはいえ政治家と一緒でトップでないとできないことがあるから、きちんと正しく教授を目指す人がいる必要もある。

*3:最近読んだ氏の認知症に関する著作は突っ込みどころ満載だった。一方できちんと考慮すべき問題提起もしており、今度取り上げたいと思う。問題提起が正しいのに、解決として選んだ医師の言うことが全て正しいわけではなく、それを見抜けないで著作になっているのは勿体無い。

*4:私が医師になった2000年当時このクロルプロマジンをはじめとする抗精神病薬のあまりに高用量な使用が問題となっていた。当時イギリスではこの薬を使うことはもはや犯罪だという風潮だったと聞くが今はどうかな。しゃっくりの治療、緩和医療、冬眠、そしてプリオン病治療と時折話題にはのぼる。

*5:どんな試験や研究も一定のバイアス下にある。今あるエビデンスを知識として網羅した上で、独りよがりでない豊富な経験を元に目の前の人に適応可能か判断できれば理想だ。実際には理想の人はいないから部分部分で信頼できる人の意見を総合する。

学習できないのは報酬系の不全が問題

  (補足)ここを読んでくださる方はコチラもセットでどうぞ
     ⇛目の前の誘惑に耐えるのは難しい

ADHD(やASDもだが)の子と接していると、褒めても通じないということがよくある。叱るんじゃなく褒めて行動を増やそうと実践するのに、褒めた行動が次につながらない。やっぱり次も同じ行動を起こしてしまうことが重なり、ついには怒ってしまう。おかしい…という思いにならざるを得ない。


何故だろう?そう考えた時にたどり着く1つの結論は、褒められたことが快感に繋がっていないのではないか?ということだ。そう、褒められたことが嬉しければ次はその望ましい行動をするはずなのに、褒められた経験の喜びが乏しいからこそ行動が改善されないのでは?と。


先日出席した研修会では、福井大学教授の友田明美先生(子どものこころの発達研究センター発達支援研究室 HPはコチラ)の講演会だったが、ADHD報酬系の話題であった。


   報酬系…心地良いことが起きた時に活性化される脳内のシステムのこと。覚せい剤のような依存性物質の摂取はこのシステムを非常に強く効率的に活性化させるために快感が非常に強い。そこに関わるのが神経伝達物質ドパミン。だからドパミン神経の亢進は報酬系の活性化→依存形成の一面を持つ。(→Wiki)*1


機能的MRI(functional MRI;fMRIと略す)を使った実験では、ある課題を被験者にモニターを見ながらさせると、その時の脳活動を記録することができる。友田先生のグループは、このfMRIの中で金銭的報酬を獲得するようなゲームをADHDと非ADHD児17人ずつ(平均年齢は双方とも約13歳)に行った(⇛Mizuno et al., Neuroimage:Clinical, 2013)。


ゲームはカード選択をするもので、報酬が高い、低い、無いの3条件に分かれる。そしてカード選択によって報酬があれば、普通は「やった!」という感情とともに報酬系が活性化されるわけだ。


結果(図参照)*2、非ADHD児は報酬の高低に関わらず脳の報酬系(線条体、特にその中の側坐核という部分)が活性化したが、ADHD児は高い報酬の時しか報酬系が活性化せず、低い報酬の時には報酬系の活性化が見られなかった。一方、ADHD児も薬による治療を受けた後は非ADHD児と同様の脳活動を示した。

f:id:neurophys11:20160629230401j:plain


このことは何を意味するか?
脳の中で報酬系が動くと人はその行動に快感を覚えるので繰り返すようになる。
実は褒めることが金銭に匹敵する価値のあることが別な研究でわかっているので、子供がして欲しい行動をした時にまたして欲しければ、すかさず褒めることだったりする(犬と同じ)。なので、今は「褒めて」育てることが推奨されてもいるのだが…この研究結果を見ると非ADHD児がちょっとでも褒めることで報酬系を動かしてくれるのに対して、ADHD児はその程度じゃ報酬系が動かないことになる。


そう、ADHD児にして欲しいことをさせるためには、「褒める」だけでは足りなくて、「ものすごく褒める」ことが必要なのだ。そしてその時に動く神経伝達物質ドパミンで、報酬系が動くためには線条体ドパミンが高まらないといけない。ADHD児の治療で使うメチルフェニデート(商品名はコンサータ)*3線条体ドパミン濃度を高めることが知られているが、治療後ADHD児はその治療結果として低い報酬でも報酬系が動くことになる。


またこうも考えられる。ADHD児は普段、非ADHD児が快感や喜びを覚えるようなちょっとした出来事には反応しないので、関心を払えないのだ。そういう意味でADHD児は快感という大事な感覚を普段十分に味わえていない子供とも言える。


このことはADHD者が依存性薬物だとかゲームにハマりやすいことも理論的には説明可能とする。例えば覚せい剤線条体におけるドパミン濃度を高める作用があるので、普段ドパミンが足りなくて快感を覚えられないADHD者は、覚せい剤で通常では味わえないような快感を得てしまう。日常とのギャップが非ADHD者よりも大きいがために快感に対する希求がより強くなる。さらにそういった欲望を抑える能力を持つ前頭葉の能力も元々低いので、一旦高まった欲求を抑えられない。それが依存の悪循環を作り出す。


将来何か望ましくないことへの依存状態にならないようにするためには、やはり幼少期から望ましい行動に快感を覚える経験を増やすことにあると思う。人はある行動とその結果を脳の中で結びつけるので、良い行動、望ましい・その場にふさわしい行動をした時、とにかくそれを見ていた周囲がその子の快感と結びつけてあげる必要がある。とりわけ忘れてならないのは、
   ADHD児を相手にするときは物凄く大げさに、そして心から褒めよう
である。


尚、今回はADHD児の結果だが、共通する性質や合併の多い自閉症スペクトラム(ASD)ではどうかというのも知りたいところ。ASD者も快感に乏しいという気がするので、ある程度あてはまるだろう。特にADHDを合併しているときには同じことが言えると考える。ただし、ASD者には治療薬も効きづらい。ADHD者は快感を覚える経路は非ADHD者と同じで、ただその経路(報酬系)が弱く、活性化のためにより強い刺激を要するだけだが、ASD者はその経路そのものが違う可能性もあるのではないか。


以前も紹介した本。方法としては正しいことばかりなんだろうけどなかなか上手く行かない。ADHD児への対応が非ADHD児にとっても良いのは間違いない。


実際に発達障害ないしは気味の子供3人を育児している方の工夫。ここまでやってみたいものと思うけれども…。ヒントは沢山。


報酬系にご興味をお持ちの方は是非この本を読むことをお勧めしたいです。
なぜ人はハマってしまうのかを生物学的、要するに脳の構造的観点から知ることができます。

*1:ドパミンは脳内の代表的な神経伝達物質パーキンソン病で低下することが知られているように一部の神経経路(黒質線条体経路)では身体の動きに関わる。一方で、ドパミンは好奇心や快感を覚える脳内経路に関わり、ときめく時にはドパミン系の神経回路が活性化している。

*2:脳というのは何もしていなくてもいろんな場所が動いている(例えば画像を見るだけで視覚領域が活性化している)。こういう研究の結果は、【報酬が高い時−(マイナス)報酬が無い時】【報酬が低い時−(マイナス)報酬が無いとき】というように、何かあった時の脳活動から活動が一番低い時の脳活動を引いて、何かあった時だけに活動している領域を検出している。

*3:メチルフェニデートは脳内でドパミン濃度が高まるように働く。覚せい剤と作用はほぼ同じなため依存の不安があるかと思うが、正しく使えば問題ない。現在日本で使われているのは服薬後錠剤から徐々に成分が溶け出す徐放剤(コンサータ)。かつて同成分の薬(リタリン)の乱用は問題となり、一部クリニックの違法処方が関わったこともあり、精神科医にとっては苦い思い出(⇛リタリン乱用)。

精神科の薬物療法はこれからも進歩するのか?

精神科治療において治療の中心に位置する薬物療法精神科医から薬物治療を取ったら相当程度の精神科医がその専門性を失ってしまうだろう。


少なくても一部の疾患には薬物療法が必須であり(⇛薬について)、これからもその意義を失うことはないと考える。


そんな薬物療法に関する今日の疑問。
これからの薬物開発にどれほどの期待が持てるのだろうか?


精神科の薬剤は、基本的に、抗精神病薬抗うつ薬抗不安薬睡眠薬、感情安定薬、抗てんかん薬、抗認知症薬に分類される。


新薬は私が医者になった2000年前後から数えても幾つも出ている。抗精神病薬抗うつ薬で思いつく限り挙げてみると…


抗精神病薬:リスペリドン、オランザピン、クエチアピン、ペロスピロン、ブロナンセリン、アリピプラゾール、パリペリドン、クロザピン、アセナピン


抗うつ薬:フルボキサミンパロキセチンセルトラリンエスシタロプラムミルナシプラン、デュロキセチン、ベンラファキシン、ミルタザピン…
 (いずれも成分名)


といったところか。薬をわずか2種類に限ってもこれだけ新薬が出ているのだから、我々医師の味方「今日の治療薬」が15年前に比べて分厚くなるわけだ。


さてさて、こんなに新薬が出ているのに、私はいつからか新薬発売に胸踊らなくなった。それはこれら新薬の薬理作用(薬の効き方のメカニズム)的観点から、これは新しい!とみなせるものがほんの少しも出ていないから(この数年スマホの進歩って停滞しているよねと感じるのと一緒)。


例えば、抗精神病薬の効果は基本的に全てドパミン受容体拮抗作用においている。これは抗精神病薬として初めて登場したクロルプロマジンと何ら変わるところが無い。もちろん、古い薬に比べて変わったところはあるのだが、基本効果において古い薬を凌駕しているものは実は無く*1、変わったのは副作用の出方である。新薬の副作用が軽いというのも嘘と言っていい。


私自身は、新規抗精神病薬の功績は、統合失調症の治療目的を症状消失から生活が出来るための症状改善に変えた、というような医療者のマインドセット改変を促したことにあると思う*2


抗うつ薬はどうか。SSRI,SNRIという略語が世間に踊り、あたかもハッピードラッグであるかのように宣伝されたこともあるが、その作用の仕方(セロトニンノルアドレナリン神経伝達を強化する)はやはり一番初期の薬(イミプラミンやクロミプラミンといった三環系抗うつ薬)と変わっていない。抗精神病薬と同じく効果の面からも新薬は旧薬を凌駕することがなく*3、副作用の出方が変わった点も同じ。


抗精神病薬抗うつ薬の新薬に共通した功罪は疾患適用範囲が広がったことだろう。今やそれぞれ統合失調症うつ病への薬という疾患への1対1対応は意味が無いことは明らかだ。さらに、どちらも大量服薬時に安全性が格段に増したのは救急治療的観点からは大きい*4


ということで、新薬登場の恩恵というのは確実にあるのだが、しかし新しい薬理作用に基づく治療が何十年も前から進歩していないってどういうことよ、と思ったりはする。私自身新薬開発に資する研究テーマに従事しているのだが、既存の薬の効果を上回る新薬開発を考えると、非常な困難を感じている。各製薬会社が準備している新メカニズムを謳う薬も正直根本的に違うものが見当たらない。


今後の精神科薬進歩の方向、とりあえずDDSに期待するくらい。
DDSとはドラッグデリバリーシステム(wiki)。
要は人体にどのように薬を吸収させ、効かせたい場所にどのように効率よく運ぶか、という吸収と運搬の問題。吸収という意味では経口か注射か、はたまた経粘膜(舌下や直腸とか)か経皮か。精神科領域では注射剤としてのデポ剤(古くはフルデカシン、今ならコンスタ、ゼプリオンなど)。経口薬では徐放剤が盛んだ。例えばデパケンR(バルプロ酸:抗てんかん薬、感情安定薬)であって、その特殊な形は腸からゆっくりと放出されるため、1日1回服用でいい。


でも望みはもっとドラスティックな進歩だ。抗がん剤は凄いことがたくさん考えられている。がん治療における最大のトピックの1つが抗がん剤を如何にがん細胞のみに働かせるかであり、その知恵がDDS。抗がん剤ががん細胞にだけ配達できるよう様々な仕組みが考えられている。
同様に精神科分野でも直接脳の必要部位に薬を届けて欲しい。実際には薬の脳への選択的運搬というのは、大事な脳が毒素から守られている自然の仕組みすなわち脳血液関門(BBB:Blood Brain Barrier)が発達していることも手伝って、とても困難な課題だったりする。


抗精神病薬の作用、抗ドパミン作用は、脳全体に等しくその作用が出てくることが副作用の原因となっており*5、働かせたい場所にだけ抗ドパミン効果を出せれば革命的と言えよう(メカニズムが革命的じゃないだろという反論には目を瞑る)。動物なら開頭して直接薬剤振りかけられるのですけどね…。


精神科薬の期待ではなく、生物学的精神科治療への期待であれば、今後のキーワードは再生と刺激(TMS:経頭蓋磁気刺激とtDCS:経頭蓋直流電気刺激)と考えているが、それはまた別機会に。


今日の治療薬2016 解説と便覧

今日の治療薬2016 解説と便覧

 (病院の外来に行けば必ずあると言っても過言ではない)


精神科の薬がわかる本 第3版

精神科の薬がわかる本 第3版

 (未読だが、患者さんやご家族にも読みやすそう。近々確認したい)


精神科治療薬の考え方と使い方 第3版 「ストール精神薬理学エセンシャルズ」準拠

精神科治療薬の考え方と使い方 第3版 「ストール精神薬理学エセンシャルズ」準拠

 (世界的に有名な著書だが、著者はかなり調子のいいおっちゃんだ…専門家向け)

*1:そうなのだ、新薬が効果において旧薬を上回っていないというが残念な現実で、ならば副作用さえ出なければ安い旧薬を使ったほうが医療経済的にも良いのではという議論がある(あったというべき?)。とはいえ、今新薬を出さないわけにはいかない。グローバル・スタンダードですから。

*2:実臨床においてこれはとても大きかったと思う。症状の完全消失を狙って副作用でQOLを下げてしまっては意味が無い、という「普通の考え方」が普通になった。

*3:副作用の出方が変わったということに尽きる。決して軽いわけじゃない。新規抗精神病薬の耐糖能異常・肥満はQOLに関わるし、SSRI/SNRIの吐き気だって相当なものだ。もちろん体質によっては効果だけを享受できる。代謝酵素活性の個人差など様々な要因(主に遺伝要因)が関わっているはず。

*4:大量服薬時の安全性は確か。古い三環系抗うつ薬は2週間分まとめて飲むだけで致死的不整脈を誘発し得る。そういう意味では自殺企図目的で大量服薬した患者が救急に来た時も新薬であればそれほど慌てずに済む。

*5:例えばドパミン神経系というのは脳の中に代表的なものだけで4系統ある(http://www.mental-navi.net/togoshicchosho/chiryo/yakubutsu1.html)。中脳辺縁系という経路の過剰な活動が陽性症状(幻覚・妄想)に関わり、そちらが薬で抑えられれば症状が改善する。一方で中脳皮質系が阻害は認知能力の低下、黒質線条体系の阻害はパーキンソン症状を誘発してしまう。抗ドパミン薬の薬理作用は、脳機能の改善という側面からは矛盾する作用が包含されているのだ。

完全無欠コーヒー本を読んでみた〜小麦グルテンって悪いの?

各種ダイエット法に夢を抱く人は多いが、残念ながら奇跡は存在しない。
いわゆる〇〇ダイエットの類はどれも極端であり、医学的蓋然性がないことが多い。身も蓋もないが、そもそも太るかどうかは遺伝的に規定されている。とはいえ、色んなダイエット法や健康法に惹かれる気持ちはわかる。痩せる必要の無かった筆者もこの5年で6kg太り、5年前のズボンではウエストがキツすぎる。ちなみにBMIはかつて理想と言われた22だ*1


シリコンバレー式 自分を変える最強の食事

シリコンバレー式 自分を変える最強の食事


今話題の「完全無欠コーヒー」を提唱した本。
「完全無欠コーヒー」とはコーヒーにグラスフェッド(牧草飼育)牛のバターと、中鎖脂肪酸(MCT)オイルを入れて飲むコーヒーのこと。


この本の著者デイヴ・アスプリー氏は、どうやらシリコン・バレーで成功した億万長者さんらしい。ところが、140kgある体重を何とか減らさなければいけないということで、30万ドルという大金と時間を費やして、数多くのダイエット法を自ら試し、一線級の学者と知己になって理論も研究した。結果として得られたダイエット法、なんと1日0.5kgずつやせていくことができ、50kgの減量に成功、しかも筋肉質な身体をずっと維持できているという。今ではダイエットコンサルタントとしてビジネスも展開している。さらに奥さんは医者だ。


30万ドル、自ら各種ダイエット法を試行、一線級の学者、そして筋肉質を維持しての50kgのダイエット成功と維持という現実、医者の妻…といった魅力的なキーワードに惹かれつつ自信たっぷりの記述を読んでいくと、成る程この本は他と違って信用できるという気になるに違いない。
実際そんな気になりながら読んだが、気になった部分をまとめてみると…


・推奨しているもの 
   中鎖脂肪酸 (☆だけど筆者の主張とは違う)
   グラスフェッド牛(牧草飼育)のバター (?)
   コーヒー (☆)
   野菜 (☆)
   適度な運動(短時間、高負荷) (☆)

・避けるべきもの
   小麦食品(グルテンを含有しているため) (★★)          
   アフラトキシン(食品由来のカビ毒) (☆)
   フルーツ、豆類 (★★)
   過度な運動 (☆)
   遺伝子改変作物 (★★★)*2


ということだ。うーん、どうだろうか、野菜や適度な運動はともかくとして、小麦食品が駄目ってうどんもパンも駄目ってことでは??とか、フルーツや豆類が避けるべきってどういうこと?、脂肪やバターがいいの?と疑念を持つのは私だけではないはずだ。とりあえず、私自身が賛意を示せるところを☆で示し、疑念を抱いた主張を★とその数で示した(数多いほど異論に自信あり)。


今日は一番気になった小麦グルテンについて。


小麦グルテンってそんなに悪者か?
最近特に目立つ小麦グルテン悪玉論。グルテンは、セリアック病という小児の栄養失調を引き起こす、小腸に炎症を起こす原因となる子が100人に1人位いる、注意集中力を減じさせるのでパン食をやめると集中できるようになる…とかなり散々な批判をされる。とりわけ著者は、グルテンの持つ麻薬性(中毒性があり、食事に対する渇望を強く起こさせる)と小腸炎症・胃腸障害の起因となることを根拠に批判を展開している。

  セリアック病…グルテンに対する免疫反応で引き起こされる自己免疫疾患。小腸上皮が破壊されるため栄養失調に。特定の遺伝子変異が見つかることが多い。小児期に発症。治療はグルテン除去(グルテンフリー)食。

  セリアック病(メルクマニュアル)


 さて、パンが食欲を増進させるというのはそうかもしれんと思いつつ、気になるのはグルテンが胃腸障害を起こさせるという記述。


ネットを探ると、グルテンは小腸細胞にゾヌリンというタンパク質分泌を促してしまう。このゾヌリンが小腸細胞同士を固く結びつけているタイトジャンクションという結合タンパク質を緩めてしまい、血中によろしくない物質の侵入を許して、様々な疾患(喘息、アトピー発達障害、その他…)の誘因になるのだと。


この学説どっから来てんのかと調べてみた。するとグルテンがゾヌリン分泌を促すというのは、セリアック病研究者で小児科医のFasano氏の研究によることがわかった。そしてセリアック病においてグルテンが悪役を演ずるのは確かそうだ。でも普通の健常者にもグルテンが悪役を演ずるという確かな証拠(研究結果)は学術論文を調べた範囲では見当たらない。そもそもFasano氏の論文中に健常者でグルテンを摂取しても血中ゾヌリン濃度が少しも変わらないという図がある*3


さらに当のFasano氏、グルテンフリーなんて殆どの人には必要ないし、そうしたからって何にも健康に与える影響は無いと自分でワシントン・ポスト紙に寄稿している!!*4


   Five myths about gluten
 ‘For most of us, a gluten-free diet is not a naturally healthier diet. If you give up gluten-containing cookies, cakes and beer, and replace them with gluten-free cookies, cakes and beer, you will not lose weight or feel better.’
(殆どの人にとって、グルテンフリー食は(グルテン含有食)よりナチュラルで健康な食事というわけではない。もしグルテン含有のクッキー、ケーキ、そしてビールをあきらめて、グルテンフリーのクッキー、ケーキ、そしてビールに替えても体重が減るわけでも心地良くなるわけでもない。)


ここまで調べて、何だ、グルテンの毒を説く人はそもそもその危険性を一部の人に対してだけ発した研究者の言葉を無視して、拡大解釈しているのねと納得。
Fasano氏の主張を拡大している人は、色々害毒を説いて、例えば自閉症者をグルテンフリー(グルテン除去食)にすると性質が変わるとか言うのだけれども、ちゃんと否定する研究結果が得られている*5


パンやうどんが食べられないなんて嫌だ
セリアック病や単純に小麦アレルギーを持つほんの一部の人にとって小麦がイカンことに何の異論もない。その人達はしょうがない、エビアレルギーの人がエビを食べられないのと同じで、小麦原料食品を食べちゃいけませんよ。

でも、私は違う。パン食べたいし、日本人だからうどんもラーメンも、そしてパスタも食べたい。それらが全部ダメな人生なんて悲しい(セリアック病の人にはごめんなさい)。グルテンがそんなに身体に悪い証拠も見つけられなかったし、そこまで小麦が身体に悪いなら、あのローマ帝国においてずっと主食だったというのも解せない。

ま、ダイエット本はより人生が豊かになる範囲で参考にしたら?と思うわけです。それに怒られちゃうかもしれないけど、著者アスプリー氏は140kgの大巨漢であったわけでそもそもスタート地点が違う。50kg減量した90kgだって普通の日本人からしたらどうなの??というレベルでしょう。


完全無欠コーヒーは美味しい
批判ばかりしているようだが、完全無欠コーヒーは作ってみたら美味しかった。ネットにどんなものかは沢山転がっているので、詳細はそちら参照だが、バターコーヒーは味まろやかで、腹持ちもする。今、朝に飲んでいるが間食要らなくなるのは確か*6。ただし、グラスフェッドバターじゃないと駄目とかはちょっと良くわからない(買ってみたけど高すぎです。よつばの無塩バターでダメな理由が知りたい)。アメリカは良い品質のものが手に入りづらいからこその色んな主張では?とか言うとまた著者に怒られそうだ。それに頭の回転が良くなるかどうかもわかんない(元々良いから、と言ってくれても構いません)。


*1:BMIはbody mass indexの略で、体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)。ちょい前は22が理想とされていた(はず)。摂食障害ではしばしば16を切り、生命予後に関わる。ちなみに一番長寿なのは22〜26くらいの群らしい。ちょっと太め、が健康なのだ。「太り過ぎ」は「やせ」よりも長生きする?

*2:いつか書くけど、遺伝子改変作物って安全ですよ。それがモンサントという大企業によるほぼ独占状態だとか、従来型の農業が奪われるだとか、いろんな経済的な批判と危険性をごっちゃにする人がいるが、全く別問題。どのような品種改良もそれは自然な遺伝子改変がベースになっており、それを人為的に行ったからといって危険になるわけじゃない。高収率で虫にも農薬にも強い作物ができるって良いことだ。ただし味が良くないと食べたくないけど。

*3:What No One Is Saying About Zonulin -- Is Celiac About More Than Genes and Gluten? Fasano氏論文の図を見る限り、グルテンは健常者には何の影響も与えないとしか思えないわけ。もう世の中はグルテン=害毒というビジネスモデルが出来上がってしまっているからまともな研究者が否定しても聞く耳持ってねえなという感じ。

*4:説得力のある研究結果が1つの研究グループからだけということがままある。そしてその研究者の社会的発言力が強い場合、しっかりした科学的根拠と思われがち…そんな研究は要注意、と書きたかったけどFasano氏は記事を読む限り良心的。

*5:Are ‘leaky gut’ and behavior associated with gluten and dairy containing diet in children with autism spectrum disorders?自閉症スペクトラム(ASD)で、グルテン摂取群と非摂取群で腸管透過性と行動が変わるかどうか。4週間で何も差はなかったとのこと。ASDの子から小麦食の美味しさを奪ってはイカン。

*6:いくら食べても満腹感を感じない認知症のご老人に使うと自然に食欲抑えられて良いかなと思ったり。

週刊現代の精神科薬批判は的外れ

風邪薬が風邪を治していないというと驚く人が多い。あれだけ内科に行くと風邪薬をもらっていたというのに!ということで。


解説すると、風邪の多くはウイルス性だが、風邪ウイルスに対する直接的な薬は存在しない。よく貰う薬は日本では鎮痛剤や抗ヒスタミン剤の合剤であるPL顆粒と去痰薬、それに抗生物質の組み合わせか。PL顆粒と去痰薬は自覚症状を和らげはするが本質的ではなく、抗生物質は細菌をやっつける薬なわけで、ウイルスは殺さない*1


つまり、いわゆる風邪薬を飲んでも治りはしない。
もちろん、社会人は風邪を引いても仕事をしなくてはいけない状況が多々あるわけで、そういう場合に自覚症状を和らげることは職務遂行を可能にしてくれるから、本質的でなくても敢えて処方するということはあるのだが。「治す」という意味において休養と適切な栄養に勝るものはない。


だから実は全国的には相当無駄な処方がされているはずだ。国民皆保険であらゆる治療の大部分が国費によって賄われていることを考えると、このような無駄は批判されて然るべきだし、ユーザーとしての患者はもっと賢くなるべきだと思う。


さてさて、週刊現代は時折、こんな薬は危険だ・殺されるといった記事を載せることがあり、つい先日も以下の記事が出て、正直困ったなあと思ったりする。


ダマされるな! 医者に出されても飲み続けてはいけない薬〜一般的な頭痛薬、降圧剤、抗うつ薬…がはらむ危険


dneuroの専門である精神科分野の批判の割合も多いが全て的ハズレである。
そこで精神科薬関連の記事に沿って内容を要約しつつ反論を試みる。


認知症薬として名高いアリセプト(一般名は塩酸ドネペジル、開発はエーザイ)に関して。

(名古屋フォレストクリニック、河野和彦院長*2の言葉を要約)
効果があると認めつつ、副作用で暴力があり、投与量は3mg⇛5mg⇛10mgと増量していくことが保険診療の枠内で決められており、そうしないと病院が診療報酬を受け取れないから、医者が投与調整が出来ない。


⇛ え~…投与調整が出来ないって嘘である。確かに増量規定が決められており、お上が例えば3mgの少量で維持を公式に認めていないのは本当だが、現実には3mg維持でちゃんと保険が通るので、そういった用量調整をしている医師は沢山いる。まして必ず10mgに増量するなんてあり得ない。医師が投与調整していますよ。
ただ、乱用されている現状があるのは事実で、そもそも抗認知症薬は、認知症発症数年で進行を遅くするという本来の効果を発揮できなくなるので、他に理由がなければ認知症進行時点で止めるべきだろう*3(というように書いて欲しい)。


次に抗うつ薬批判。
(医療ジャーナリスト、田辺功氏の言葉を要約)
抗うつ薬SSRI心の風邪ですねと処方される。SSRIセロトニンという脳内物質に関わる薬で、脳内環境を変えてしまうのでどんな副作用があるかわからず恐ろしい。消化管出血というわかりやすい副作用も報告されている。


⇛10年ほど前だろうか、うつ病が「心の風邪」と表現されたことがあり、確かに抗うつ薬乱用が問題になったが、少なくとも心ある精神科医うつ病を「心の風邪」と表現したりしない*4。またうつ病状態にある脳は、セロトニンノルアドレナリンといった神経伝達物質のバランス異常を来しており、それを正すのが薬の目的であるので、その調節を怖がったらそもそも治療出来ない。消化管出血の報告はあっても頻度の高い副作用ではない。


統合失調症で処方されるジプレキサ(一般名オランザピン、開発はイーライ・リリー)やセロクエル(一般名クエチアピン、開発はアストラゼネカ)に関して

(しんクリニック院長、辛浩基医師の言葉を要約)
血糖値が上がることがあり、精神科の医者が単に「ポピュラーな薬だから」という理由だけで処方すると、患者が糖尿病持ちだった場合命を落とす可能性がある。


⇛なんというか…「ポピュラーな薬」という薬剤選択を精神科医がしているってひどく失礼だが、これら2薬は世界で統合失調症のファーストチョイスとして使用されているのである。副作用が血糖上昇であることは事実。もちろん精神科医は必ず注意をしているのだが、とりわけ日本では糖尿病患者には禁忌とされているので、処方がそもそもあり得ない!!


さらに、マイスリーハルシオンという短時間作用型の睡眠薬に関して。
(医療ビジランスセンター理事長内科医の浜六郎氏の言葉の要約)
前向健忘という酒に酔って記憶が無いのと同じ状態になる。性格が変わったり、事故を起こしたり、人を傷つけたり、人を殺しても覚えてないことがある。1日飲まないだけで痙攣を起こすことがある。


⇛ 内容に嘘はない。しかし、そうならないように標準的な用量範囲内で出来るだけ少量で使っていればまず問題にならない。人を殺したり…という下りはハルシオンがかつて今よりずっと高用量で使われていた時の事件であり*5、そんなことは現在起きていない。とはいえ、両薬ともに効果が強いだけに依存性が高く、それは気をつけなければいけない。


上記の通り、記事内容は普通の良心的な医師であればしないことをとりあげて批判しているのが的外れであること甚だしい。患者がこの記事を読んで主治医を疑い、正当な治療機会を奪うことになる可能性を編集部は考えなかったのか、と文句も言いたい。意図的かわからないが、明確な事実誤認、医学的間違いも書かれているので編集部は気をつけて欲しい。


で、とはいえなんだけれども、残念ながら記事内容とは別に、精神科医が批判されてもおかしくない処方行動をしている(してきた)のも事実。例えば統合失調症への多剤大量併用処方という問題は大いに批判されていい。それでも止むに止まれず現処方となっている患者さんもいるはずで、一部の医師の感情論的なな言葉をまとめて記事にすることは避けてもらいたい。とりわけ服薬を勝手にやめて精神不安定になることは本人のみならず、家族、場合によっては社会が困る事態になりかねないのだから。

*1:抗生物質の利用目的は細菌を殺したり増殖を抑えたりするためであり、不用意に使ってしまうと抗生物質への対抗力を持った耐性菌を増やしてしまう。日本の医師のこの誤った処方行動のせいでどれだけの耐性菌が増やされたことか。世界中から批判されていることでもある。医療サービスへの気軽なアクセスの負の側面とも言えそうだ。

*2:河野和彦氏は認知症治療のいわゆる「コウノメソッド」で有名だ。おそらく熱情溢れる真摯な方だと思うのだが、しかしコウノメソッドに関しては批判的吟味をすべきものと感じるのでいずれ取り上げたい。

*3:認知症薬は認知症を治すのではなく進行を遅らせる。そして一定期間の後には効果が無くなる、というのはそもそも開発・販売をしているエーザイも主張する常識である。MRさんの言うことを聞かない医者がおかしい。

*4:うつ病が短期間で治る「風邪」に例えられたのは本当に不幸だった。ほんまモンのうつ病は、動くことすらままならず、妄想を抱くことだってあり、そして治った後も再発を懸念しなくてはいけない(参考⇛http://matome.naver.jp/odai/2142309912193663701)。どっちかといえば心の複雑骨折だ。

*5:ハルシオンに依る殺人は大学時代に別冊宝島のムックで知った。殺人だけでなく、時に起こすせん妄状態は、わけのわからない行動を起こしたりする。タクシーに一晩中乗る、本棚を綺麗に整理、ずっとしていない奥さんに求めてしまう…などなど。でも今普通の量を守って使うのであれば危険はずっと少ない。問題は犯罪への利用と感じる。良いまとめはこちら⇛ http://www.cool-susan.com/2015/11/05/ハルシオン/