彼の責任能力は問題になりそうか

2016年7月26日早朝、主に行動障害を伴う知的障害者が入居する福祉施設で痛ましい事件があったのは周知の通り。夜中に侵入した犯人は19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた上で自首し逮捕、すでに送検されている。


戦後最大の殺人事件だが、それ以上に容疑者の犯行までの行動に注目が集まった。彼が犯行前に自らの主張を書いた手紙を衆議院議長に手渡そうとして警察から措置通報がなされ、措置入院となり、わずか12日間で退院したからだ。


措置入院に関しては今度の事件で特に患者の退院後のフォローにこれまで以上の手厚さを要求されそうだが、それに関しては今回は置いて*1、今回の容疑者の責任能力が問題になりそうかについて起訴前鑑定の事例を元に少し考えてみる。


刑法39条は彼を減刑させるか
精神科疾患によって減刑されたり無罪になったりする根拠は刑法39条である。
 刑法第39条
第1項で心神喪失者は刑罰を課さないことを規定し、第2項で心神耗弱者は刑を減刑するとある。この規定に関しては凶悪事件が精神疾患罹患者によって起こる度にその理不尽さが蒸し返されることもよく目につく。実際のところこういった精神障害者の罪の軽減というのは古代ローマ時代にもあったし、日本でも律令制時代からあるわけで、十分な根拠があるのだがここではそれは論じない*2



問題はこの心神喪失/耗弱を決める要素なのだが、それは責任能力の有無である。
そしてその責任能力を構成するのは、ある行為が良いことなのか悪いことなのかを判別する事理弁別能力と、自分の行動をコントロールできる行動制御能力が備わっているか、になる。
  責任能力
どう判定するんだ、という基準がよくわからないという声が聞こえる。もしくは恣意的ではないかと。要は鑑定する精神科医の主観的判断だけだろうと。


簡単な事例で考えてみると、例えば幼児に依る殺害事故(というのは造語だけど)。時折アメリカで銃の手入れ時にそばに居た2-3歳の子供がその銃で遊んでお父さんを射殺してしまう、みたいな事件がある。


統計でみる、銃社会アメリカの銃に関する驚くべき15の真実


こういった子供を父親殺害の罪で刑務所に入れても何の意味もないのは自明だ。幼児には銃の引き金を引くという行為のもたらす意味がわからず、状況に応じて行動を制御する力に欠けている。責任能力の2要件を満たさないことに誰も反対しないし、不幸だが納得しうる悲劇だ。


さて精神疾患だが…
大雑把には病気によって異なる。
統合失調症は幻覚や妄想を症状として持ち、時にそれが患者を犯罪者たらしめる*3。例えば私の担当したある措置入院患者は、「〇〇(近所の男性)が俺のことを狙っている」という被害妄想があり、本人としては自己防衛のために男性をナイフで斬りつけた。このように妄想に支配された行動を取るときには是非弁別能力も自己制御能力も失われていると判断する。必要なのは刑罰ではなく治療である*4
他の精神疾患でも例えば双極性障害(いわゆる躁うつ病)の躁状態では誇大感や万能感から犯罪行為に至ることがあるし、うつ病の拡大自殺(我が子を巻き込んだ心中など)というのもある。


かつては統合失調症=責任能力無し、という判断が司法界で働いていたようだが、現在ではそれはかえって人権侵害であり、病気と関係ないところで犯行が行われたという判断があれば、責任能力とは無関係である。


こういう事例が責任能力無しだろう
今から10年ほど前、70代男性の起訴前鑑定(簡易鑑定ともいう)を検察庁から依頼されたことがある。詳しくはぼやかすが、おおまかに言えば、リゾートホテル駐車場に侵入し、駐車車両を物色していたその老人の責任能力や如何に、という内容。


実はこの老人は認知症であり、徘徊している中迷い込んだ駐車場の車を自分のものと勘違いし、たまたま鍵が開いていたその車のダッシュボードを覗いていたのである。


鑑定は地方検察庁で行ったが、当時の鑑定書から改変して引用してみる。


被疑者本人は、意識は清明意識障害はなく、疎通良く、礼節は保たれている。しかし、見当識の障害は明らかで、最近の自動車事故についての記憶もなく、記憶障害があるのは明らかである。勾留理由を問われてもその理由を理解できていず、他の質問内容についても内容への理解が乏しく、思考能力の低下が窺える。認知症状態であるのは明らかであるが、その程度を知るために改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)を施行した所、見当識、記銘力、記憶の保持・追想、語想起、注意集中などいずれの質問においても能力の低下は明らかで、点数は5点と重度の認知症レベルであることを示した。


ポイントは意識障害がない状態ながらも、重度の認知症であり、責任能力が無いことが明らかだったことだ。従って、その判断はこう書いた。


被疑者の認知症という疾患の性質上、感染や中毒によるものとは異なり、急速進行性のものではなく、慢性進行性のものであることから、犯行時も現在と同様の精神状態であったと考えられる。従って、本件犯行は重度の認知症による精神状態下で行われているため、自己の行動の是非善悪に対しても著しくその判断・思考能力は欠けていたと考えられる。本件犯行当日は、恐らく1人で外出、どこに向かっているかも判然とせず徘徊し、駐車場において自らの車を探している中で、たまたま鍵の開いている車に当たったため、ドアを開けて中を覗いたが、その行為の意義に関しては理解してなかったであろう。懐中電灯は普段から外出する際には妻と一緒に夜散歩するために持ち歩くことがあり、車の鍵と免許証をダッシュボードに入れておく習慣があったことから、懐中電灯の保持と車のドアを開け、中を物色するように見える動作も習癖となっている日常生活動作を行っているという説明が可能である。


そう、本人にしてみれば日常習慣上の行為をしていたに過ぎない。
結論はこう書いた。



被疑者は犯行当時、重度の認知症状態、見当識障害、記銘力障害、記憶障害、思考・判断能力の低下が見られ、その程度は著しく、異常状態に犯行は支配され、それがなければ元来の性格・素行から考えて犯行に至ったとは考えられず、現在も同様の精神状態にあると結論付けられる。
従って、物事の理非善悪を弁識する能力およびその弁識に従って行動する能力には著しく欠けているため、責任能力を問うことはできないと考える。


実は責任能力の判断については、本来は鑑定医の情報に基づき司法がすべきなのだが、鑑定した精神科医がそれについても意見を述べることが習慣になっている。
このような認知症の症状による行為が例え犯罪要件を満たしていても、それを持って刑罰を与えることに意味がないのは明らかだろう。鑑定後、この気の毒なお年寄りのご家族が「おじいちゃんは本当に何もわからないのに…」と泣いていたのに対して、検察官が「えっ、ホントに(やったことを)わかっていないんですか??」と驚いていたのが対照的だった*5


相模原の事件の容疑者については?
先に書いたとおり、責任能力を有するかは、彼に是非弁別能力と自己制御能力が犯行時に備わっていたかどうか。


彼が衆議院議長宛に書いた手紙からは、一部に特異な記述(UFO云々)があるものの、全体として主張は偏っていても論旨は明快であり、今回の殺人がもたらす意味を理解していたのは明らかだ。つまり是非弁別能力は保たれていた。


次に周到な準備とそれに伴って順序を追い(職員をまず縛りそれから障害者を殺していった)、冷静に着実に目標を達成させていった上、犯行終了後速やかに自首をしたことは、彼に自己制御能力が十分に備わっていたことを示唆するだろう。仮に統合失調症急性期の幻覚・妄想に基づく犯行であったり、薬物にせよ躁状態にせよ興奮状態で凶行に至ったとしたら今回のような犯行後すぐに自首という冷静な行動が出来る可能性はかなり低い。


特異な動機や、措置入院の経緯、元々は穏やかであったという容疑者の変質から精神鑑定がどこかの時点であるのは確実だが、責任能力に関しては少なくても心神喪失はあり得ないレベルで判断されるはず。ただ、鑑定医によっては何かしらの病的理由をもって限定的な責任能力とする場合も否定出来ない。その場合ご遺族や世論の反発は必至だろうが…。


精神障害者をどう裁くか (光文社新書)

精神障害者をどう裁くか (光文社新書)

ADHD研究者としても名高い岩波先生の本。執筆当初から若干触法精神障害者の扱いが変わっている面はあるのだが、まあまあ入門書として良いのではないか。

*1:措置入院自傷・他害を疑われる患者に対する都道府県知事命による強制入院。ある意味究極の人権侵害を精神保健指定医が担う。今回の容疑者は他害行為前に措置通報から入院に至っており、そこに明らかな病的理由を見いだせなかった時には長期入院判断は困難だったと思われる。

*2:律令における責任能力の減免については例えば⇛律令における障害者福祉法制と現代法と比較して

*3:統合失調症と犯罪というのは一般に想像するよりは遥かに少ないし、殺人で犠牲になるのは親族が多い(⇛例えばこの統計 )。実際には同疾患の問題は、派手な症状よりも行為を何もしなくなる陰性症状の進展であることが多い。

*4:犯人に障害があろうがなかろうが犯罪は犯罪で刑罰に処すべきという意見も多いが、実際のところ刑罰は、与えられる様々な制限が機能する人に対してのみ意味がある。そうでない場合、刑罰は社会的にも個人的にも無駄で、何らかの代替手段が課されるべきだろう。研修医の頃、幻覚・妄想に支配された患者さんに対峙した時、たとえこの人に殺されても確かに刑罰は意味無いなと感じたのを思い出す。

*5:鑑定医としてはこの方の認知症が演技であるとは考えられず、検察官というのはそこまで人を疑うのかと驚いた経験だった。それともこの検事さんが変な人だっただけなのか…。