ハンドスピナーとADHD,それに行動経済学
巷で話題の、というともう遅れているが、子どもに買ったハンドスピナーを自分が気に入って回していたりする。
ハンドスピナーには色んな種類があり、それぞれにちょっとした違いがあるためにコレクション心が揺さぶられてしまうのだが、気になるのは広告に書いてある効用だ。
あるハンドスピナーの広告では
「不安、ADHD、自閉症、悪い習慣をやめる、
長い車の運転で目を覚ますなど、楽しく興味深く、焦点と深い考えに効果的です。」
とある(図で示したのと別なハンドスピナー)。
ADHDや自閉症?と思うわけだけど、自分で弄くりつつ、少なくてもある種の集中力を高めるのには役立つ気がしてきた。
結論から言うと、ハンドスピナーは課題施行中に残存する注意容量を埋めることで施行中の課題への集中力を維持させることができる。
今日はそれに関して。
‘ながら’が難しいにはわけがある
ながら勉強は駄目よ!と言われつつながら勉強する経験はあると思う。が、こと暗記する科目に関して、テレビを見ながらなおかつ完璧にこなす人は普通いない(特殊な人は除く)。他のことをしながら人の話を聞く、というのも大体は上の空になりがちで、肝腎なことは抜けているために、その後の人間関係がまずくなったりもする。
要は何か他のことをしながら、というのは注意散漫なわけで、人が向けられる注意の量というのはその人に応じて(状況によって多少は違えど)一定量で、ある1つのことに必要な注意を向けつつ、なおかつ別なことを為すのは難しい。なかなか聖徳太子にはなれず、マルチタスクは完璧どころか中途半端にさえこなせない。
神経学的には、注意(attention)とは脳に入力される情報を取捨選択する心的過程のことを言う。注意を向けられる脳の容量(PCで言うメモリ)には限りがあり、それを注意容量(attentional capacity)といい、2つ以上の課題をこなすときにはそれを分割し、分配する。
ここらへんは、医学的立場からするとどう考えても仮説的で、実証されているかdneuroは
知らないがどうなんでしょうね。ノーベル経済学賞受賞の心理学者ダニエル・カーネマンが1973年に提唱した説を主に参考にしてます。興味ある方はこちらが詳しい⇛
北大文学部田山先生のpdf
話を簡単にするために注意容量を100として、例えば英語読解で精読するのに70くらいの注意力を必要とする。周囲に集中を阻害するものが無ければ余裕があるし、残りの30を周囲環境に気を配ったり、ちょっと他のことを考えたりすることもできるはず。しかしそこで、テレビのバラエティを見始めたりすると、場面にもよるだろうが、20~50くらいの注意力を要するとしたらキャパオーバーだ。読んでいたはずの内容が抜けたり、テレビを見るのに手を止めてしまったりする。*1
注意が発散しやすいといえばADHDだ
ちょっとやろうと思って目的に向かい始めるとすぐに他のことが目に留まったり、考えついたりしてちっとも目的を達成する方向の行動が進まない。かと思えば、特定のものには猛烈な集中力を示し、声をかけても反応せず、気づけばいつの間にか数時間。
課題遂行と注意容量の関係で言えば、ただでさえ注意を1つに向けるには困難なことで、遂行中の課題への注意へ向ける力は揺らぎやすい。ADHDはそれにも増して、目についたり耳から聞こえたりする感覚からの入力にも反応しやすくて、それが注意容量の中に侵入しやすい。反面、過集中状態では非ADHD者が残している注意容量が殆ど無くなっており、ある程度は必要な外部入力に振り分ける余力が無い(選択的注意力に欠けている)。両極端なのだ。
ハンドスピナーは余剰な注意容量を埋め、集中力を増させるのかも
さて、ハンドスピナー。
これが集中力を発揮する、というのは要は図に描いたような感じかなと。
場面としては、読書、ないしは音声で情報を得ているときを想像して欲しい。
(a)では集中しようと思っても、色んな思考が邪魔したり、目や耳から入ってくる感覚情報が別な思考を誘発し、読み物、聞いていることに集中することを邪魔しようとする。集中力が低い人では今集中が必要なことへ向けている注意はとても浮動的で、安定もしていないだろう。
(b)では、ハンドスピナーを使ってみる。ハンドスピナーの特徴は、やり方簡単、ただ回すだけだが、何となく気持ちよく、やり続けるのに苦痛が無い点。
この、簡単、心地良い、疲れにくい、というのがたぶん利点で、(a)で余剰部分として色々感覚情報が入っていた部分をちょうどよく占めてくれる。その結果として今集中すべき読書なり、音声情報へ気持ちを持続的に向けることが楽になるのでは、と。
ただ、多分これはBGMとして音楽を流すのと基本的には変わらない。でも、音楽だと好みだったり、不快だったりで情動面が動きやすいのと、歌詞があると集中が難しい部分はある。
また、以前スマホの読書アプリ読み上げ機能は運転やランニング、買い物中に使うといいと書いたけど(⇛本は読むより聴いてみたら?)、そういった作業は注意容量を占めるのにちょうどいい。それでも例えば運転は難しい場面でなければ認知的に暇になる(作業が自動的で簡単)ので、その時は更にハンドスピナーやりながらのほうが聴読に集中できるだろう。
ハンドスピナーで集中力を上げる、は実験されて無さそう
軽く調べた限りでは、ネットで論文業績を調べてもハンドスピナーで注意容量の過剰部分を埋めて課題成績を上げようという論文は見当たらない。日本語でも英語でも。広告のADHDへの効果って誰が実証したのやら…。
というわけで、例えば、文章読み上げを聞きながら特定の位置の言葉を記憶したり、幾つかの選択的注意課題や短期記憶課題をやったりしながら、ハンドスピナー使用時と非使用時で効果を見るというのは簡単に実験できそうだから誰かやってみたらどうか。
選択的注意課題というのは例えば図のような。
正直細かい条件を気にしなければ、子どもの夏休みの自由研究課題になりそうだ。
研究者的にはもう少しひねりが欲しいけど。
さらに、ADHD者に対して実験してみれば効果をしっかり判定できるのでは?と思う。
しかし、ハンドスピナーってペン回しだよなと思う。あれは集中力を上げるための自己治療であり、正しい行為なのだ。
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注意容量の仮説を提唱したのは、ノーベル経済学賞を受賞した心理学者、ダニエル・カーネマン。心理学者なのに経済学?と思うかもしれないが、今でいう行動経済学の先駆者。今年のノーベル経済学受賞のリチャード・セイラーとも共同研究したりしている。この著書が一般向け代表作。人の認識にはシステム1と2という2通りのものがあるというのが有名。システム1は自動的な反応で、ある種の刺激に対して極めて素早く対応する。一方システム2は複雑・論理的な思考をする回路であり、努力を要する知的思考過程。システム1は言ってみれば直感で、パッと物事を判断する。毒蛇がいると聞いている藪の中で細長いものを見かけたら正体が判明する前にぱっと避ける行動をすると思う。そこでいやこれは待てよと考えていたら万が一毒蛇だった時のリスクが大きいから、システム1は生存に必要なのだ。が、人間社会の物事は直感に反したことも多いわけで、システム2をいかに働かせるかが社会成功の鍵になる。
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カーネマンは元々心理学者なのにその業績が経済学で使われた、という方。そもそも経済学ってのは、人間は合理的な判断を常に行いうるという「経済人」を想定してできていた、らしい。経済畑を元々知らず、人間は合理的に動かないのが当たり前な感覚でいたdneuro(精神科医なので…)からすれば何を当たり前な、と思うのだが、経済学ではそうだったらしい。カーネマンもその点不思議だった様子。では人間の非合理性が経済学に取り入れられたらどうなるのか、ということで本書。
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で、今年のノーベル経済学賞のセイラーさん。
実はkindleサンプル分しか読んでいないけど、キーワードは「ナッジ」らしい。ナッジとは人に良い行動を取らせようとする戦略のこと。オランダのスキポール空港の男性用小便器にハエの絵が描かれたことがあり、その結果男性がそのハエを狙って用を足すようになった結果小便器の周りの汚れが劇的に減ったという(それまでどれだけひどかったかということ)。そんなふうに気づいたら多くの人が行動を誘導されてしまっている、そんな戦略がナッジであり、上手く設定すれば善にも悪にもなる、というか、多くの詐欺の被害者はナッジされてしまっているのではないかなと。
*1:とはいえ、注意容量が十分にあって、その容量内に収められる範囲では多方向に注意を払いながら作業ができるのも事実。特に例えば運転のように行動が自動化していれば振り分けられる残存注意量は多い。