ハンドスピナーとADHD,それに行動経済学

巷で話題の、というともう遅れているが、子どもに買ったハンドスピナーを自分が気に入って回していたりする。


ハンドスピナーには色んな種類があり、それぞれにちょっとした違いがあるためにコレクション心が揺さぶられてしまうのだが、気になるのは広告に書いてある効用だ。


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あるハンドスピナーの広告では

「不安、ADHD自閉症、悪い習慣をやめる、
長い車の運転で目を覚ますなど、楽しく興味深く、焦点と深い考えに効果的です。」

とある(図で示したのと別なハンドスピナー)。


ADHD自閉症?と思うわけだけど、自分で弄くりつつ、少なくてもある種の集中力を高めるのには役立つ気がしてきた。


結論から言うと、ハンドスピナーは課題施行中に残存する注意容量を埋めることで施行中の課題への集中力を維持させることができる。
今日はそれに関して。


‘ながら’が難しいにはわけがある
ながら勉強は駄目よ!と言われつつながら勉強する経験はあると思う。が、こと暗記する科目に関して、テレビを見ながらなおかつ完璧にこなす人は普通いない(特殊な人は除く)。他のことをしながら人の話を聞く、というのも大体は上の空になりがちで、肝腎なことは抜けているために、その後の人間関係がまずくなったりもする。


要は何か他のことをしながら、というのは注意散漫なわけで、人が向けられる注意の量というのはその人に応じて(状況によって多少は違えど)一定量で、ある1つのことに必要な注意を向けつつ、なおかつ別なことを為すのは難しい。なかなか聖徳太子にはなれず、マルチタスクは完璧どころか中途半端にさえこなせない。



神経学的には、注意(attention)とは脳に入力される情報を取捨選択する心的過程のことを言う。注意を向けられる脳の容量(PCで言うメモリ)には限りがあり、それを注意容量(attentional capacity)といい、2つ以上の課題をこなすときにはそれを分割し、分配する。


 ここらへんは、医学的立場からするとどう考えても仮説的で、実証されているかdneuroは
知らないがどうなんでしょうね。ノーベル経済学賞受賞の心理学者ダニエル・カーネマンが1973年に提唱した説を主に参考にしてます。興味ある方はこちらが詳しい⇛
北大文学部田山先生のpdf


話を簡単にするために注意容量を100として、例えば英語読解で精読するのに70くらいの注意力を必要とする。周囲に集中を阻害するものが無ければ余裕があるし、残りの30を周囲環境に気を配ったり、ちょっと他のことを考えたりすることもできるはず。しかしそこで、テレビのバラエティを見始めたりすると、場面にもよるだろうが、20~50くらいの注意力を要するとしたらキャパオーバーだ。読んでいたはずの内容が抜けたり、テレビを見るのに手を止めてしまったりする。*1


注意が発散しやすいといえばADHD


ちょっとやろうと思って目的に向かい始めるとすぐに他のことが目に留まったり、考えついたりしてちっとも目的を達成する方向の行動が進まない。かと思えば、特定のものには猛烈な集中力を示し、声をかけても反応せず、気づけばいつの間にか数時間。


課題遂行と注意容量の関係で言えば、ただでさえ注意を1つに向けるには困難なことで、遂行中の課題への注意へ向ける力は揺らぎやすい。ADHDはそれにも増して、目についたり耳から聞こえたりする感覚からの入力にも反応しやすくて、それが注意容量の中に侵入しやすい。反面、過集中状態では非ADHD者が残している注意容量が殆ど無くなっており、ある程度は必要な外部入力に振り分ける余力が無い(選択的注意力に欠けている)。両極端なのだ。


 参考⇛ADHDに関する10の誤解(神話)_前編


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ハンドスピナーは余剰な注意容量を埋め、集中力を増させるのかも

さて、ハンドスピナー
これが集中力を発揮する、というのは要は図に描いたような感じかなと。


場面としては、読書、ないしは音声で情報を得ているときを想像して欲しい。


(a)では集中しようと思っても、色んな思考が邪魔したり、目や耳から入ってくる感覚情報が別な思考を誘発し、読み物、聞いていることに集中することを邪魔しようとする。集中力が低い人では今集中が必要なことへ向けている注意はとても浮動的で、安定もしていないだろう。


(b)では、ハンドスピナーを使ってみる。ハンドスピナーの特徴は、やり方簡単、ただ回すだけだが、何となく気持ちよく、やり続けるのに苦痛が無い点。


この、簡単、心地良い、疲れにくい、というのがたぶん利点で、(a)で余剰部分として色々感覚情報が入っていた部分をちょうどよく占めてくれる。その結果として今集中すべき読書なり、音声情報へ気持ちを持続的に向けることが楽になるのでは、と。


ただ、多分これはBGMとして音楽を流すのと基本的には変わらない。でも、音楽だと好みだったり、不快だったりで情動面が動きやすいのと、歌詞があると集中が難しい部分はある。


また、以前スマホの読書アプリ読み上げ機能は運転やランニング、買い物中に使うといいと書いたけど(⇛本は読むより聴いてみたら?)、そういった作業は注意容量を占めるのにちょうどいい。それでも例えば運転は難しい場面でなければ認知的に暇になる(作業が自動的で簡単)ので、その時は更にハンドスピナーやりながらのほうが聴読に集中できるだろう。


ハンドスピナーで集中力を上げる、は実験されて無さそう


軽く調べた限りでは、ネットで論文業績を調べてもハンドスピナーで注意容量の過剰部分を埋めて課題成績を上げようという論文は見当たらない。日本語でも英語でも。広告のADHDへの効果って誰が実証したのやら…。


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というわけで、例えば、文章読み上げを聞きながら特定の位置の言葉を記憶したり、幾つかの選択的注意課題や短期記憶課題をやったりしながら、ハンドスピナー使用時と非使用時で効果を見るというのは簡単に実験できそうだから誰かやってみたらどうか。

選択的注意課題というのは例えば図のような。


正直細かい条件を気にしなければ、子どもの夏休みの自由研究課題になりそうだ。
研究者的にはもう少しひねりが欲しいけど。


さらに、ADHD者に対して実験してみれば効果をしっかり判定できるのでは?と思う。


しかし、ハンドスピナーってペン回しだよなと思う。あれは集中力を上げるための自己治療であり、正しい行為なのだ。



注意容量の仮説を提唱したのは、ノーベル経済学賞を受賞した心理学者、ダニエル・カーネマン。心理学者なのに経済学?と思うかもしれないが、今でいう行動経済学の先駆者。今年のノーベル経済学受賞のリチャード・セイラーとも共同研究したりしている。この著書が一般向け代表作。人の認識にはシステム1と2という2通りのものがあるというのが有名。システム1は自動的な反応で、ある種の刺激に対して極めて素早く対応する。一方システム2は複雑・論理的な思考をする回路であり、努力を要する知的思考過程。システム1は言ってみれば直感で、パッと物事を判断する。毒蛇がいると聞いている藪の中で細長いものを見かけたら正体が判明する前にぱっと避ける行動をすると思う。そこでいやこれは待てよと考えていたら万が一毒蛇だった時のリスクが大きいから、システム1は生存に必要なのだ。が、人間社会の物事は直感に反したことも多いわけで、システム2をいかに働かせるかが社会成功の鍵になる。


行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)


カーネマンは元々心理学者なのにその業績が経済学で使われた、という方。そもそも経済学ってのは、人間は合理的な判断を常に行いうるという「経済人」を想定してできていた、らしい。経済畑を元々知らず、人間は合理的に動かないのが当たり前な感覚でいたdneuro(精神科医なので…)からすれば何を当たり前な、と思うのだが、経済学ではそうだったらしい。カーネマンもその点不思議だった様子。では人間の非合理性が経済学に取り入れられたらどうなるのか、ということで本書。


実践 行動経済学

実践 行動経済学


で、今年のノーベル経済学賞のセイラーさん。
実はkindleサンプル分しか読んでいないけど、キーワードは「ナッジ」らしい。ナッジとは人に良い行動を取らせようとする戦略のこと。オランダのスキポール空港の男性用小便器にハエの絵が描かれたことがあり、その結果男性がそのハエを狙って用を足すようになった結果小便器の周りの汚れが劇的に減ったという(それまでどれだけひどかったかということ)。そんなふうに気づいたら多くの人が行動を誘導されてしまっている、そんな戦略がナッジであり、上手く設定すれば善にも悪にもなる、というか、多くの詐欺の被害者はナッジされてしまっているのではないかなと。

*1:とはいえ、注意容量が十分にあって、その容量内に収められる範囲では多方向に注意を払いながら作業ができるのも事実。特に例えば運転のように行動が自動化していれば振り分けられる残存注意量は多い。

将来必要なのはきっと整形外科医だけ

以前、AIの発展に伴って精神科医は20年後には生き残れないと書いたが、最近はますますそうじゃないかな~と思う。


www.huffingtonpost.jp


いや、人間に打ち勝ったアルファ碁をさらに100戦全敗に追い込んだアルファ碁ゼロなどの記事を見るとその感は強くなる一方だ。アルファ碁は人間の棋譜を学習したが、アルファ碁ゼロはそれすらしなかったのにごく短期間で強くなったので、人間の結果が、アルファ碁が強くなるのにはむしろ足かせだったのだろう。


画像診断はAI医学の得意技


そんな今のAIブーム発展につながった機械学習においてとても親和性が高いのは画像認識。普段は例えば顔認識技術などに応用されてその素晴らしさが実感できるのだが、人の顔というのは要は一定の特徴を持ったパーツの組み合わせであり、そのパーツは更にある範囲内での特徴がある構造の集まりにすぎないから、同じ技術で認識させるのは何も顔に限定する必要はないわけで…。


itpro.nikkeibp.co.jp


記事にあるように、国立がん研究センターNECと共同で、内視鏡検査の画像を認識するシステムを開発している。

内視鏡、受けた方もいると思うが、上部消化管内視鏡ならば口や鼻から、下部消化管内視鏡ならば肛門から長い蛇のような管を挿入し、管の先に付いているカメラが食道・胃・十二指腸(上部)、大腸(下部)の内部・壁面を撮影する。直接見るこの技術による恩恵は絶大なものがあるのは当然で、もうずっと以前から粘膜内にとどまるような初期癌であれば操作者の手元から挿入した別な器具によって切除まで可能になっている。*1


さて、この内視鏡で、例えば胃ならば胃壁の微妙な形状・凸凹や、その色合いなどから、正常か、異状か、異状ならばどのような病変か、経過観察で良いのかそれともすぐに処置が必要か、それとも開腹手術を要するか、など様々なことを判断する。


病変が誰でもわかる典型的なものならば良いが、残念ながら実際には微妙なものも多い。


そこに術者による判定の差が出てきてしまう。ある医師では何でも無いと素通りされるものが別な医師では病変と認定され、それが前癌病変や癌の場合にはその差が生死を分けかねない。記事中「国立がん研究センターの山田真善中央病院内視鏡科医員によると「内視鏡医による検査では、24%の病変が見逃されているという研究結果もある」とあるがそんなものだろうなあと。


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図は日本内視鏡学会雑誌(清水ら、2014)からの写真を載せてみた。論文は炎症性腸疾患(潰瘍性大腸炎クローン病)の病変を他の疾患、特にアメーバ性大腸炎カンピロバクター腸炎、腸結核などの感染性腸炎と誤診しないよう、病変判断のコツを書いているのだが、見分けるのに熟達した技と経験が必要なことがわかる。頻度的には少ないかもしれないが、見逃しや間違いがあるからこそこういう論文が出るのだ。


また、カプセル内視鏡(⇛カプセル内視鏡について)はカメラの内蔵されたカプセルを飲み込むことで、消化管の生理的な蠕動運動に乗って、通常の内視鏡では到達できない小腸も含めて壁面を撮影できるスグレモノ。


ただし、その欠点の1つは画像数が多すぎる(5万枚以上!)ことで、現状医師の目視でぱぱっと見ている。ちょい古いが2008年の論文(Solemら、Gastrointestinal Endoscopy誌)にある内視鏡の診断感度(病変をキャッチできるか)と診断特異度(間違えずに判断できるか)を比較している結果を見ると、カプセル内視鏡は83%と53%。案外病変の拾い上げはできているが、目視に頼る限り疲労度の問題もあるだろうし、精度良く何人も出来るためには自動画像解析に頼るしか無いだろう。


こんなふうに画像にAIの親和性が高い以上、今後画像解析が人の手を離れていくのは避けがたい。放射線科や消化器内科の業務のうちで、専門的判断が必要とされる部分は相当程度自動化されていく。


要は手技の操作的部分以外の内科的判断は全てAIがこなすようになるだろうから、いずれそういう分野の医師は殆ど要らなくなる。


ただ、少なくてもあと数年は、普通の医師にとって便利で有用なツールになるだろうし、その後も精度においてしばらくは名人域の判断>AIの判断という熟練した人間の優位性は保たれるだろうが、少なくても平均的な医師の力はAIに遠く及ばなくなるだろう。時間が経てば、そもそも何を根拠に診断が出来たのか、人の頭ではうかがい知れなくなるかもしれない。


そうなってくると、カプセルで収集した画像さえあればあとは手持ちの画像をAIが判断してくれば事足りるので、内視鏡を扱う医師が、ひいては消化器内科医がいつまで必要か、という話だろう。


もちろん、消化管内視鏡だけでなく、画像判断は例えば脳のMRI,CT、眼科の眼底所見など、画像さえあればその後の診断をするのが医師である必要が無いのは言うまでもない。


問診系もAIだ


問診と検査データから専門知識を駆使し、名人芸的診断を下すのは、内分泌科や膠原病・アレルギー科、神経内科、そして救急医だが、その分野にもAIは親和性が高いだろう。NHKの「総合診療医ドクターG」で断片的情報から診断を組み立てていく思考が披瀝されるが、進化したAIさんはきっと楽に診断ないしは限られた鑑別診断にたどり着くだろう。


dneuroの分野たる精神科医
もちろん、以前書いたとおり少なくても今のようには要らなくなる。時々精神科医は大丈夫でしょ〜と言われるが、そんなのはちょっとした幻想が皆んなの頭のなかにあるからだろう。どういう幻想かは秘密。


外科医は必要か?


さて、今のところ外科技術は人間のもの、という認識が一般的だと思うが、それもそうではなくなる。


現在は手術支援ロボットに過ぎず(⇛手術支援ロボットダ・ヴィンチ徹底解剖)、あくまで操作の主体は人間だが、細かい血管結紮などから順に自動化されていくはず、と思う。そういう方向に行くでしょう?しばらくは小さな血管を次々に結んだり、神経を避けながらの微小病変削除から自動化だろうが、細かい眼科や脳外科手術、肝臓手術時のきめ細かい止血など、人より絶対機械がいい(という風にならないと)。


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消化管内視鏡時の細かい手技は勿論自動化されるし、されるべきで、例えば普段消化器内科医はどれだけ薄い膜に処置をしているのかと(⇛胃がんの内視鏡治療)。今の医師たちが努力の末に大変な成果を出しているのだが、避けがたい出血や穿孔(穴が開いてしまう)リスクは今の数%からさらに下げることができるだろう。まだまだとりあえずは図のように術者がロボットアームを操作する支援ロボットにとどまるのだろうけど、微細な構造へのアプローチはどんどん進むのかなと思える。*2


恐らくもっとマクロの、外傷時のちょっとした処置であるとか、怪我して痛かったり、意識朦朧下で何するかわからないような非常事態下で外傷処置を手早くやってのける、というような肉体労働系がロボットに変わるのは相当先だろう。


そして離島など遠隔地で、設備の整った病院まで行くほどではない、もしくは行く過程の中で応急処置をする、といった中では医者の価値があるだろうと思う。遠隔医療も幾ら整ったとしても器具の整備やネットワークへアクセスする物理的制約からは逃れられないはず。


医者が今後も必要とされるキーワードは、救急、外傷、離島(遠隔地)。


それを満たす整形外科医の皆さんが最後まで必要とされるんじゃないかなあ…当然その人は、ある程度までは内科を含めかなりな万能選手である必要があるが、今だって優秀な整形外科医さんは相当何でも出来るので、そういう人がちょっと居れば医者は十分なはず。


blogos.com


そんなわけで、例えばこの著者さんは医師が要らなくなる理由がないことを説明してくださっているが、少なくてもdneuroは医師自身の実感として、いずれはこんなに要らなくなるし、社会にとってそうあるべき、と考えてます。


AI以外で医者は今ほど要らなくなる理由

さて、これまではAIとロボットの発展に伴って医者が不要になる論を書いたが、実際にはAIが発展しなくたって、今ほど医者は要らなくなる。少なくても日本からは。


少子高齢化社会による人口低下
 dneuroは第2次ベビーブーマーの最終世代だが、様々な要因があるとはいえ、結果的には我々が十分な子どもを残さなかったために、次世代は先細っている。我々が老年を迎えるまでは医療需要が増す可能性はあるが、その後の人口減社会では当然医療需要が減るはず。


予防医学の発展
 医療の理想は病気にならない、発症を抑えられることだろう。
 医学生の頃、臓器移植の講義があり、講師は京都大学田中紘一先生だった。


 「医学の発展に伴い、臓器移植というのは将来は無くなる医療では?」という質問に対し、「正にそれこそが我々の望みであり、我々の仕事が無くなることが理想だ」と答えられたことに皆が感銘を受けた。

 
 そう、今後正常に医療が発展すれば、医師の数なんてそんなに要らなくなるはず。実際に現代社会はかなりな程度予防医学の恩恵を受けており、そのために平均寿命も伸びている。


・ウエアラブル端末による自己健康管理と遠隔医療
前項の一部の機能を担うのだが、Apple Watchを代表格として、ウエアラブル端末で活動量だけでなく、心拍数が計測できたりする。こういった技術の進展は近い将来健康管理に非常に役立つようになるはずで、慢性疾患である高血圧、高脂血症、糖尿病などの管理に近所の内科医が必要、なんてことは無くなるんじゃないかなあ。コレに関してはまたいずれ。


他にも、遠隔医療の発展、医療の自由診療化、移民人口の増大(外国人の優秀な医師が入ってくる)なども少医師化への理由になりそうだ。


というわけで、そもそもAIが予想通りに発展しなくても現在のままの医師供給は明らかに過剰にならざるを得ないと思うわけです。


今から整形外科医になろうかな…とりあえず仮想現実(VR)の発展で外科的処置の練習がきっと容易になるだろうし(おっとそうしたら整形外科的処置も誰でも学べるから、整形外科医すら必要ないかも)。



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天才外科医と言えば、大門未知子よりブラックジャック。どんなにAIとそれに基づく医療が発達したとしても、そのネットワークが届かないところに行ったらその場で手に入る技術を駆使して助かるしか無い。5巻の「ディンゴ」ではオーストラリアの人里離れた僻地が舞台。自分を治す必要が生じたBJは自ら腹をかっさばいて手術をする。こういうとき頼みになるのは自分自身に習得された技術のみ。今だってそうだが、技術とそれを載せるネットワークがある社会と無い社会の格差、システムが壊れたときのサバイバル、そういう場面では人間が役立つはず。


切るか切るまいか、一般的な判断では確実に安全策が取られる中、BJだけは挑戦できる、そんな話が多い。将来のAIはそういった限界の判断をどうするんだろうとは思う。一般的には倫理的枠組みを議論するフレーム問題というやつに相当するかな。




既に囲碁・将棋の世界では人知を超えたAI。AIがあらゆる分野で人知を超えた到達点がシンギュラリティ。もちろん、その後も進んでいくのだがもうその世界ではAIが辿った思考の道筋を人は追えなくなってしまう。そんな未来を従来から予測しているのはレイ・カーツワイル博士。なにせ思考はネットワークにアップロードされて、拡大した人間の知性はいずれは宇宙を満たす、みたいなことを言うので面白いにも程がある。でもカーツワイル博士の言うことはこれまでも実現してきたらしいし、夢がある。ただし博士の言う未来世界の中で、個のもつ意味はとか、人の生きる意味はなんて考えていくと、映画「マトリクス」の世界でVR世界に生きる人たちとか、SF作家アーサー・C・クラークが描いた「地球幼年期の終わり」の進化した人類の姿を思い浮かべたりする。きっとシンギュラリティに達した未来に今の私たちが意識している人という存在は無いんだろう。




未来の話は置いといてとりあえず現実想像可能な範囲で日本が直面するのは人口減少社会。今後の人口減少に大きく寄与したのがdneuro世代なので子どもたちには責任を感じざるを得ない。著者はAIが労働力減少を補う想定そのものを夢物語と説く。うーん、どうかな。個人的には今回のAIブームは本物で、実際に仕事は奪われていくだろうなあと思ったりする。本稿のように医師はとりわけ要らなくなる(特に先進国では)職業の1つと思っているのだが。それより本書を読んで怖いのは人口減少がもたらす治安悪化の恐れかな。人がまばらにしか存在しない、というのは怖い社会なのだ。

*1:dneuroも上部は3回、下部は1回体験した。上部は鼻からが2回、口からが1回である。鼻から入れるのは正直とても楽だった反面、口からでも案外入るのだなと感じた。受ける側のコツとしては、ビデオ画像を見せてもらいながら、管が喉に来た時にタイミングを合わせてゴクン、と飲み込むイメージかな。最近の喉の麻酔は優れものなので、余り怖がらずに。下部は術者の腕によって苦痛が大分違う。上手い人、事前にわかればなあと思う次第。

*2:今後のロボット手術、さらなる自動化進むのか?と思って検索しても今のところ操作は人間がする支援ロボットしか見つけられなかった(例えば⇛11 surgical robotics companies you need to know)。操作が人間である以上ミスは避けられず、支援ロボット使った医療事故が起きていることにも注意。

今年のノーベル賞と概日リズム

海外に旅行すると時差ボケが強くて困る人と大して問題ない人がいると思う。


dneuroはもともと時差ボケが強いとは思っていなかったが、大学院生時代に参加したアメリカ西海岸のサンディエゴでの学会。5日間のうち2日は時差ボケのせいか眠気がものすごく、ほとんどホテルで寝て過ごしてしまった。我が身の体内時計の頑固さと予防策を取らなかった自分の至らなさに恨みを抱いたのを覚えている。*1


で、今年のノーベル生理学・医学賞は日本人が受賞しなかったが、研究としては我々が時差ボケを持つことにも関わってくる内容。


scienceportal.jst.go.jp


受賞したのはアメリカの70代のおじ様たちで、いずれも概日リズムを制御する遺伝子、いわゆる時計遺伝子の発見とその機能研究に功績のあった方々。


概日リズムとメラトニン


概日リズムというと一般的な言葉ではないと思うが、要は人も含めて地球上の殆どの生物が24時間周期の生理的なリズムを持って生きている性質のことをいう。


www.nobelprize.org


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ノーベル賞のページで紹介されているのを和訳したのが図1Aで、通常、人の生理現象にはリズムがあり、例えば一番体温が低くなるのは早朝だし、血圧が一番高くなっていくのは午前中(一番高血圧になるのは夕方)、反応速度が一番早くなるのは午後で、夕方には体温が一番高くなる。


こういったリズムは、外部からの刺激(光や社会的な刺激)に影響されるものの、基本的には1日のリズムを生み出す内的なメカニズムを持っている。つまり外からではなくて、自分自身が時計のように周期的なリズムを刻んでいて、それが生物の持つ体内時計となっている。


図1Bで示すように、その中枢が動物では脳の視交叉上核(⇛Wiki)という部分にあり、光によってそのリズムを調整する。*2


さらに脳の松果体からは、メラトニンというホルモンが分泌され、言ってみればこのメラトニンがその量の変化で身体の各部位に伝令として今が何時ですよ、と伝えている。図1Cはヒヨコの松果体細胞を取り出して分泌されるメラトニン濃度を測定しているが、松果体自体も光情報によって調整を受けながらリズムを持ってメラトニンを分泌していることがわかる。*3


概日リズムを作り出す時計遺伝子

さて、今回ノーベル賞を受賞した皆さんの研究の中心は時計遺伝子。


人では視交叉上核の神経細胞が時計遺伝子活躍の場となる。


一方、その時計遺伝子の発見と機能究明に鍵となった生物はショウジョウバエ生ゴミや発酵した果物に寄ってくる、あの小さいハエ。


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時計遺伝子はショウジョウバエでその周期性が研究されたが、働く遺伝子やメカニズム的には人を含めた多くの生物で共通している。


時計情報を担うのは幾つかのタンパク質群であり、その合成が24時間の周期で調整を受けていることを発見したことになる。


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特に初期に発見されたのがPER遺伝子で、これはピリオドタンパク質を作る遺伝子。図2の下に描いたように、細胞内でこのタンパク質は夜に量が多くなり、日中は少ない。

PER遺伝子は細胞核内で転写が活性化して、細胞質内でピリオドタンパク質に合成されだんだん細胞内に貯まってくる。


  注)遺伝子DNAは細胞核内に存在。DNAはタンパク質の構造が書かれている設計図だが、タンパク質は細胞核の外、細胞質で合成される。


十分に貯まると、ピリオドタンパク質はタイムレスタンパク質(TIM遺伝子が設計図)とともに細胞核内に入り込んで、今度はPER遺伝子の活性化を抑制する。つまりもう十分増えたから合成ヤメレと伝えることをしている。

このようなタンパク質合成とその抑制のサイクルが極めて正確に24時間周期で動いているので、時計遺伝子と呼ばれるのだ。


研究に大きな役割を果たした実験動物、それはショウジョウバエ


時計遺伝子研究で活躍してくれたショウジョウバエ

ショウジョウバエは実験動物として非常に優れている。理由は以下のようなものかな。*4


・世代交代が早く、1週間から10日で子孫を残してくれる。
・だから遺伝子変異の結果を子孫ですぐに確認できる。
ショウジョウバエの全ゲノム配列(遺伝子配列)が短く、コンパクトで解析しやすい。
・飼育が容易で、飼育費用もお得。


こうして分かった時計遺伝子の機能とその結果として生物が持ち得た概日リズム(サーカディアンリズムとも)。その成果が例えば不眠臨床にどう役立つかなんてのはまたいつか。時間医学なるものもあるようだし。



今日のトピックに興味を持った人は良かったら粂和彦先生の本を。やや古いが記載は色あせない。

睡眠研究に役立ったショウジョウバエ。寝なそうな昆虫も実は寝る。一瞬でも動きを止めないように見えるが、そんな彼らもじっとし、少し大きい音や刺激を加えないと動かない時間があり、それは夜に多いという。研究者によって、その時間が10分続いたら、とか30分続いたら睡眠とみなすようにしているらしい。時計遺伝子の1つを無くしてしまうと、そのハエは断眠に弱く、12時間眠らせないだけで死んでしまうという。睡眠は生存に必要なのだ。人では当たり前だがハエでさえ。


ちなみに粂先生は今は名古屋市立大学薬学部の教授だが、本書執筆時は熊本大学で奥様(当時教授)の研究室にいらした。dneuroは本書に感動し、一時弟子入りを考えていたが、事情により断念した。行ってたら人生違っていただろうなあ…。



生物時計はなぜリズムを刻むのか

生物時計はなぜリズムを刻むのか


さらに興味を持った人はこの本を。絶版は勿体無い。生物時計研究の歴史や研究成果の細かい部分まで丁寧に解説しているので、専門家にも役立つ。といっても2000年代前半までの研究成果が基本だが、正直基礎は今も変わっていない。


エピソード満載だが、その中から1つ。
電気自動車の全自動運転で有名なTeslaの創業者イーロン・マスク氏は火星移住計画を考えている。そこで火星の1日は24.65時間なことが実は人の概日リズムを狂わせる。地球の1日24時間と大した違いではないと思う。ところが、実験では1日が24時間よりちょっと時間が短かったり長かったりするだけでもメラトニン分泌リズムが狂い、睡眠-覚醒リズムの維持が困難となる。
火星移住には人の概日リズムも妨害要因になりうるのだ。


体内時計の謎に迫る ?体を守る生体のリズム? (知りたい!サイエンス)

体内時計の謎に迫る ?体を守る生体のリズム? (知りたい!サイエンス)


新し目の本ではこれかな。
未読だが、目次を見る限り読みやすそう。


ところで、どの本でも時間医学はトピックになっている。NHKでも抗がん剤投与を夜にしたら効果が増し、副作用が少なくなったという紹介があったし、多くの病気で1日の中での症状変動があるのも確か。


時間医学は時間科学者が必ず言及するとは言え、dneuroを含めた一般医家には知識が殆ど無い。実際どうなんだろうか…というのを今後確かめたいところ。


最後に、ショウジョウバエ研究といえば東北大学の山元研究室。
www.biology.tohoku.ac.jp

ショウジョウバエの研究から人の行動の起源となりえそうな様々な遺伝子を発見。記憶や求愛行動、性自認などの分子メカニズムに関して。最近一般書を書いてくれなくて寂しい。

*1:今なら正直飛行機でがっと寝るために睡眠薬を使ってしまうが、薬を使わない方法ならJALのサイトなどどうぞ⇛https://www.jal.co.jp/health/arrive/ 他のサイトは正直科学的に??な記述多し。鍵は旅行前から少しずつ時間をずらす

*2:体内時計を調整するのは実際には光情報だけではない。人であれば朝食や夕食といった食事や、時間によって異なる挨拶など社会的な事象も調整のための情報として使われる。

*3:もっともメラトニンは睡眠ホルモンや体内時計を知らせる役割があるだけではなく、実は様々な良い作用をもたらしている可能性もある。⇛この方のblogに詳しい⇛http://blog.livedoor.jp/beziehungswahn/archives/30497276.html

*4:医学実験は沢山の動物の犠牲の上に成り立つ。マウスやラットも実に可愛く、見ていると実験に供することの罪深さを考えてしまう。ショウジョウバエはそういった罪悪感を大きく減らせるのが実験者としての利点の1つでもあると思う。でも、進化系統樹の別の到達点に達している彼らはヒトからは種として余りにかけ離れているので、医学実験に使うには制約が大きい。早くスパコンとAIが進化して動物実験など必要なくなる世界を望む。

プラセボは効いてしまう

薬効の証明は二重盲検試験を経なければならない 



現代の薬の効果判定の最終プロセスは無作為二重盲検試験というやつで、このサイトがわかりやすい。


臨床試験・治験に特有の仕組み アーカイブ - 臨床試験・治験の語り


ある新薬Aの効果を知りたい時に、Aと味も形も区別できないBを用意し、症状だけでなく年令や性別なども含めて病気の人たちをランダムに(無作為に)2群に分けてA,Bを投与する。だから患者は自分がどちらを服薬するかわからない。


ここで、Bはプラセボ(偽薬)であることが多い。
偽薬とは効果を持たない、生理的に不活性な薬で、本来は飲んでも何にも反応を来さないもの(なはず)。


ただし、二重盲検試験において、Aは苦く、Bは甘い、なんて違いがあるとすぐにどちらを服薬したかわかってしまうから、それを避けるためにAとBは、形、色、においや味が全く同じになるように作られる。*1


患者をランダムに2群にわけるのは、十分な数が対象のとき、AとBを服薬する2つの集団の性質(年令、性別、病気の重症度)に偏りが無いように調整するため。


さらに、投与する側の医療者もどちらがAでどちらがBかわからない。


そういった無作為な割付と二重盲検、つまり患者も医者もどちらを服薬しているかわからない試験を解析して、効果の点でA>Bが出れば晴れて新薬Aが効くことが証明できる。


これはとっても大事なことで、現代医薬品はほぼ全てこのプロセスを経て発売されているから、信用して使えるのだ。


さて、面白いのはこのプラセボが効くのだ。大抵の試験で、プラセボでも服薬後に症状が良くなる(場合によっては治る)人が出てくる。
失敗した臨床試験というのはプラセボで効果のあった人たちと実薬との間に、服薬後に出た効果の人数に差が無かったということになる。


プラセボ(偽薬)は効く


生理学の授業で必ず紹介するエピソードがある。


56人の医学生を2群に分けて、2種類の何の生理的効果を持たない錠剤をそれぞれに服薬させた。A群にはそれを鎮静薬、B群には興奮薬と言って。


するとA群の学生は眠くなり、1錠より2錠投与された群では更に眠く。
B群の学生は疲労感を感じなかった。


さらには頭痛、めまい、ふらつきの副作用が出現し、効果を感じないのは3人だけであった。


このエピソードが示すように、効果を持たない(はずの)錠剤(生理学的に不活性という)でも、事前に情報を持って服薬すると効果がその情報に沿って出て来さえする。


サプリに二重盲検試験の結果を見つけてみた


殆どのサプリはこういったプロセスを経ていないので、効くか効かないかは正確にはわからない。


大抵のサプリに関しては、飲んで良い気持ちになればいいんじゃない?というのがdneuroのスタンスだが、1つ、健康食品の二重盲検試験の結果を見つけたので紹介したい。


疲労を感じている男女成人におけるニンニク・卵黄配合食品の疲労改善効果―無作為化二重盲検プラセボ対照並行群間比較試験―


これは(株)健康家族の「伝統にんにく卵黄」の効果検証の論文らしい。疲労回復に役立つとされるにんにくと卵黄を成分に入れたものだ。最近のは話題のアマニ油成分まで入っているようだから、若干試験に使ったカプセルとは成分が違うかもしれない。


試験はこのにんにく卵黄を20歳以上60歳未満の成人80人をランダムに2群に分けて、実薬(GE)群とプラセボ群として12週間に渡って服薬してもらい、疲労の回復を見た。


その結果を論文中では表だが、グラフにしたのが図で、2つあるのは、疲労を評価するための質問紙を2種類使っているから。


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簡単にまとめると以下。

1.CFS-Jという評価では2群に差がない。12週まで一貫して。
2.POMS-Sの疲労尺度を使ったときには、12週の評価時点ではGE群がプラセボ群に対して統計的に有意に疲労の回復が良かった。


ということで、にんにく卵黄は安全で効果も高く、疲労に悩ませられる現代社会にとても有用と考えられる、という結論を導いているのだが…
有意な結果って言っても小さいよねえと思ってしまう。安全は確かにしても。
dneuroが売り込むとしたらグラフ中に囲った中のように差を際立たせたい。


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特定の商品に対する悪口を言うわけではないんだけど、どうかなあ、これ見て効果あるって自信を持って言えるかなあというと個人的には疑問である。
もし、次の図のような差があったら何をおいても買うんだけどなあ…。論文の結論は些か盛り過ぎの感はあるが、データをそのまま出しているのはとても素晴らしいと思うけど。



で、本稿で言いたいのは、要はやはりプラセボって効いてしまうということだ。


それでも、毒性が無いプラセボで病気が治療できたら理想的じゃん、とは言えないのであって、それに関しては後日。


***


ところで、にんにく卵黄だが、紹介した試験では疲労を強く感じているといえども基本的には病気を持った人を除外している。試験に応募する時点で健康に関心がある人なら試験参加後はより疲労回復に気を留めそうだ。試験参加時点で疲労のピークに達しているなら後は回復するだけだろう(健康なんだから)。


といった理由で、そもそも差が出づらい被験者集団だろうと思う。


疲労が問題となる病的状態の方でどうなのかを試験して欲しい…。


「病は気から」を科学する

「病は気から」を科学する

著者はイギリス人ジャーナリスト。今日書いたようにプラセボは効くのだが、効くからにはそこには様々な生体反応が実際に起きて症状を軽減させたり病気を治しているわけで…どんなこと、行為、思想、宗教が人に治療効果を発揮しうるのかをこれでもかと取材を通じて語り尽くす。


ルルドの泉についての章が個人的には興味深かった。ルルドの泉はスペイン国境にほど近いフランスにある。聖母マリアが出現し、病気を治す水が湧くとされる、カトリック教会の聖地だ。病気が治った、という話があると、かなり厳しい基準を経てその「奇跡」が認定されているという。だが、ある奇跡的に治癒したと奇跡認定された骨肉腫(死亡率高い)の青年は、後にちゃんと診断すると治りやすいリンパ腫であったことが発覚する。とはいえ、ルルドでは奇跡的体験を感じやすい。宗教心というよりもそこに集う皆との心のつながりがどうやら良い実体験をもたらしているらしい。



以前も紹介した(⇛自殺数10万人超えのデマと自殺統計をつらつら見て考える)。
この本に紹介されている死に様で凄まじいの一言なのが、ロシアの怪僧ラスプーチンであり、彼はロマノフ王朝をたぶらかしたことで貴族たちに図られて殺された。彼は非常に粗野で、とても王と話すのにふさわしい言葉遣いなどでは無かったのだが、そのことがむしろ彼の持っていたという神通力を信じさせたらしい。


ロマノフ王朝最後の皇子、アレクセイは血友病を持っており、激しい運動など出来ないひ弱な子であった。が、その彼がラスプーチンと会って言葉を交わすやとても元気になり、血も止まったのだという。


ラスプーチンは自らの雰囲気・口調によって、アレクセイ皇子にプラセボがもたらす効果と同じメカニズムが働かせたのだろう。

*1:実薬との比較対照薬がプラセボで無いこともある。これは抗がん剤の試験などで多いが、偽薬投与が倫理的に問題ありと考えられる場合だ。そういったときには、既に使われている実薬Bに対して、新薬Aが少なくても同等の効果、できれば更に良い効果を示すことを期待して試験が行われる。

きっとあなたも信じている医学神話

医療とその技術はすべてエビデンスに支えられているべき


エビデンスとは読んで字のごとく証拠ないしは根拠であり、医療技術はその1つ1つに根拠があるべきだといいたい。何を当たり前な、と感じる人は現代に生きる若者だからであり、エビデンスに基づいた医療(Evidence Based Medicine; EBM)は1990年代になってようやく根付き始めた概念。


  根拠に基づく医療(Wiki)


目の前の患者さんの症状に対し、最新最善の科学研究から得られたエビデンスを治療選択の意思決定に使おう、という至極真っ当な話。


どのような治療が理にかなっているのか、それを個人の勘や、定説的な思い込み、好みによって左右されてはいけないということだ。*1

やっぱそれが当たり前でしょ?と思っていただきたいのだが、医療の世界にはしばしば思い込みがあって、それはプロたる医師も同様だったりする。



今日はプロも信じやすいそういった「医学神話」について。


Medical myths | The BMJ


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7つの医学神話というのが2007年にBritish Medical Journal(BMJ)に載って反響を呼んだそう(伝聞の理由は後で明かします)。
今でもあちこちで紹介されたりするもののネット上日本語解説も無さそうなので。*2



1.1日に少なくてもコップ8杯分の水は飲むべきだ


アメリカで昔こういったことが言われたのかな。人は2.5lの水分を必要とし、食事から1lの水を摂るから、残りを(コップの容量にもよるだろうが)6-8杯くらいの水分で補えと。


しかし、通常は日常の中でミルクやコーヒーなどの形で摂る量で十分と言えよう。


ちなみに水のとり過ぎは水中毒、低ナトリウム血症を引き起こし時に死に至るということで、論文では注意されている。精神科の病棟では統合失調症の方が水を飲みすぎてしまって水中毒を起こすことが見られるが、それ以外にもダイエット目的に大量の水分補給ということもあり得るか。


ただ今の暑い日本の夏を考えると、脱水も注意しなくてはいけないし、注意喚起の仕方も難しいな…。


2. 脳は10%くらいしか使っていない


これは昔からある神話で、アインシュタインがそう言ったという説もあるようだが、1907年に端を発しているらしい。


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実際には脳の機能は大変に細分化されており、どの場所をとっても違う機能を担っているために、「働いていない90%」を見つけることは不可能。機能的MRI(fMRI)など脳機能を時間差無く見ることができる装置で覗いてみると、脳は1つの課題をこなすのにも沢山の場所を働かせている。図は、画像通りに手を動かして、という課題で賦活される脳領域をfMRIで見たもの。色の濃いところは全て賦活されているので(下のカラーは一部を強調しているだけ)、単純な課題でいかに脳の殆どの部位が働いていることがわかる。


それに脳は人間の体重の約2%の重量しか無いが、人体が利用する糖の20%も消費する。もし10%しか使っていなければこんなに効率が悪い組織は無いだろう。


3.死んだ後でも髪の毛や爪は伸び続ける


これ、怪談になっているが、錯覚。


法医学者によれば、爪や髪の毛の周囲組織(指とか頭皮)が乾燥し縮んでいくことで、あたかも伸びていくかのように見えるとのこと。


爪が伸びるのであれば白い部分が長くなるはず。そういった計測がされていないのでは(見つけられず)。


ネットを散見すると、心臓が止まったからといって身体の全組織が同時に死ぬわけではないからありそう、という人もいるが、違います。


実際には髪も爪も血中のホルモンを含めた多数の因子による複雑な調節を経て伸びているので、死んでまで生きているときのように伸びたりしないのだ。


4.毛を一旦刈ると、伸びが早くなり、濃くなり、巻いてくる


これは確かだ、という声が聞こえそう。しかしBMJの記事によればしっかりした科学的根拠で否定されているようだ。1928年には早くも髪の毛が刈った後で濃くなったりしないことを確認しており、その後繰り返して証明されている。


毛を刈ると、刈った部分が滑らかでないことや、陽や化学薬品にさられていないことで濃く見えてしまうとのこと。


考えてみれば、毛剃が伸びを早くするならハゲの人の解決ができるはずですよね。


5.薄暗い中で本を読むと目が悪くなる


え、そうでしょ?と言いたいが、実際には薄暗さそのものは視力を悪化させない。とはいえ、十分な明るさが無いと目を疲れさせるからそう思えるのだろう。でも目が疲れやすいシェーグレン症候群の人でさえ、休めば回復する。


ただ、ある総説論文によれば薄暗い中で本を読み、目に近づけて本を持っていることは視力発達に悪影響があるだろうと。


論文を離れるが、実際に視力悪化=近視を起こさせるのは距離、と遺伝だろう。薄暗い中で物を見ることが視力悪化の原因になるのなら、電気の無い社会ではそういう機会が多いから視力が悪くなりそうだが、そうじゃないでしょ。


とはいえ、薄暗い中で本を読むときには必然的に距離近くなるからね。まあ寒いと風邪を引く、みたいな相関かなと思ったりする。*3


6.七面鳥を食べると眠くなる


七面鳥?まあ日本人に馴染みが無いのは置いといて、肉に多く含まれるアミノ酸トリプトファンが睡眠を誘発させるということらしい。


トリプトファンメラトニンという睡眠調整ホルモンの原料となっているから…という発想。さらに神経伝達物質セロトニンの原料にもなり、セロトニンは幸福感をもたらすという記述も。*4


探してみるとサプリもあり、トリプトファンでしっかり寝れるし、セロトニン増やして気分もよくしようみたいな宣伝サイトが数多い。


このトリプトファンアミノ酸である。必須アミノ酸と言って人体を構成する様々なタンパク質を維持するために食物から取らないといけない。トリプトファンは確かにメラトニンセロトニンを作るのに必要。だが、実はそれ以外の様々なタンパク質にも原料として使われており、体内に入ったトリプトファンの使いみちはメラトニンセロトニン合成だけではない。さらに、Wikipediaにも書いてあるがトリプトファン摂取によって首尾よくセロトニン合成に使われたとして、セロトニンが過剰に増えてしまうとセロトニン症候群のような重大な副作用も懸念されるので、取れば取るほど良いというわけではない。


ちなみにトリプトファンサプリの1錠は500mgあたりが相場の様子。トリプトファン含有量は例えば卵1個(60gとして)におよそ100mg程度あるらしい。肉類、豆類には豊富だし、ご飯にもそれなりに含まれることを考えると、普通に食事をすれば十分量摂れることが考えられる。


睡眠に対する二重盲検スタディが無いかと調べてみると、2016年の中国の研究が新しそう。確かに若干の改善がありそうだが、古い研究では心理的効果が大きいと結論づけているものもあり、少なくても効果が大きいことは無さそうに思える。*5


まあそんなに効果がしっかり出るなら医者が使うし、第一危険でしょう?


7.病院で携帯電話を使うと深刻な電波障害を起こす


これは今では大体使えるようになったし、ちょっと古い神話、というか注意事項になったかな。


アメリカの有名病院メイヨークリニックで2005年に510ものテストがされた。16の医療機器に6個の携帯電話。医療的な問題な障害は1.2%に過ぎなかった。でもあったんだ、と思うが、1メーターも離れれば障害は起きない。さらに今ではほとんど障害は無いだろう。



入門 犯罪心理学 (ちくま新書)

入門 犯罪心理学 (ちくま新書)


さて、今日紹介した7つの神話はこの本から知ったもの。内容まるで関係ないと思われそうだが、エビデンスに基づいた犯罪対策を、という文脈で紹介されている。
その上で効果的な犯罪対策、刑罰のありかたを解説しているが、犯罪予防の観点からは犯罪者を罰するよりも治療する必要があるという。
薬物犯罪や性犯罪において特に治療の効果は高いのだが、どちらも嗜癖の問題として治療という観点を考えたことの無い人が殆どではないか。


子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)


神話が生きている分野の1つは教育界、とうか教育に関する考えだろう。
氏と育ち、という点でとかく「育ち」=「環境」が強調されがちだが、実際に最も影響が大きいのは「氏」=「遺伝の効果」。
だからといって環境が悪くてもいいというわけではないのだが、育ちを重視しすぎると、上手く育たなかったのは親のせい、となる。
とかく「心理」や「教育」の専門家は子どもの行動にもっともらしい理由をつけがちだが、その多くが間違っているのは本書を読めばわかる。20年前に書かれたこの本の状況が今読んでも新鮮に感じるのは残念。

*1:名医の直感がもてはやされることもあるが、その直感の背景には莫大なエビデンスの知識があるものだ。目の前の状態にエビデンスをどのように調整して当てはめるかが名医の条件と言えよう。

*2:BMJはイギリスの権威ある医学雑誌。論文評価に使われるインパクトファクターは2015年で19.967。これは相当高い数字でこれに自分の論文が載れば出世が約束される(かも)。毎年クリスマス前にはジョーク論文が載る(⇛Wiki)。例えばアイスクリームと頭痛の関係、など。

*3:寒いのは風邪の直接の原因にならない。風邪の原因はウイルスであり、ウイルス無くして風邪は引かない。乾燥が喉の細胞を傷めたり、寒さ自体も免疫系を弱める。そして人口密度が高ければ他人の風邪ウイルスい曝されやすい。そういった付帯条件が風邪ウイルスに感染させやすい条件を冬に作っている。

*4:セロトニンを増やす(正確にはセロトニンの機能を増強する)薬剤がいわゆる抗うつ薬抗うつ薬を批判する方はトリプトファン摂取も批判していいのではと思うんだが…。

*5:薬の試験はほぼ必ず、実薬(例えばトリプトファン)と偽薬(例えば乳糖などの薬理効果を持たないプラセボ)が用いて、効果を比較する。二重盲検スタディでは、投与する医者側も、投与される被験者(患者)側もどちらを投与されたかわからない。実薬と偽薬は味や形が同じくなるように作られる。

無届けさい帯血医療のニュースで偽物医療に思うこと

www.nikkei.com


先日、他人のさい帯血を国に無届けで投与したとして東京渋谷のクリニックの医師を含めて6人が逮捕されたようだ。


さい帯血(⇛Wiki)はへその緒に含まれる胎児血液のこと。これを使った代表的な治療対象は、白血病であり、骨髄移植に並んで、移植治療の有力な選択肢となる。骨髄移植は、他人の骨髄を、HLA型という白血球のタイプがあった人に移植することで新しい血液細胞を造ってもらう医療だが、他の移植医療同様、ある種の拒絶反応(移植片対宿主病:GVHDという)から逃れられない。しかし、さい帯血を使った場合にはその拒絶反応が弱く、さい帯から採取するので、ドナー(供給側)の負担が無いメリットがある。一方で、量が少なかったり、治療期間が伸びるデメリットもあったりする。


また、さい帯血の当人(さい帯血は胎児の血液)が将来病気にかかった時のためにとっておく、という選択肢も考えられる。万が一輸血が必要になったり、白血病が発症した時に、自らの血液移植が考慮できればこれほど安全なものはない。*1


このさい帯血が、そういった本来の目的ではなく、さい帯血中には様々な幹細胞(臓器細胞の元になる細胞)が含まれていることから美容やアンチエイジングに効果を期待している人が多いらしい。残念ながら根拠レスなのだが、そういった期待に乗じてやっているクリニックがあったということだろう。供給数が少ないとうこともあるだろうが、基本的に人の弱みにつけ込む悪徳医療なので、高額だ。


偽物医療には共通のキーワード


以前このblogでも書いた(⇛詐欺医療に騙されるな)が、偽物の医療には幾つか共通しているキーワードがある。以前書いたのは、


どんな癌でも治る、免疫力をアップする、気の流れを正す、
邪気を取り除く、生命エネルギー、現代医学では治せない、
学会では認められない、誰もが習得できる、克服した方々の体験談


といったキーワードで、それは今でも変わらない。
改めて強調しておきたいポイントは以下。


1. どんな病気にも効く「万能」な治療法は存在しない

2.「超自然、スピリチュアル、波動、量子、~エネルギー」は偽物の目印

3.「学会では認められていない」という殺し文句に気をつけよう

4.「体験談」は危ない

5.医師自身がビリーバーさんなこともある


あらゆる治療に完全なものは無く、メリットとデメリットの双方があることは念頭に置いて欲しいと思う。残念ながら何にでも効く治療なんて無い。だから、効能として、「どんな病気にも効く」「あらゆる疾患の原因として~があります」みたいな治療法の全能性や、極端に包括的な疾患原因を説くような文章を見たらそれだけで嘘と判定していい。

そういった「嘘」は、全て詐欺行為として、施術者が自分の行為が「偽物」であることを認識しているのであれば、まだ改善の余地があろうものです。しかし、実際には医師自身がビリーバーさんであり、正しいと信じてしまっているとある意味より大変です。そういったビリーバーさんたちが多いのは、ホメオパシー、Oリング、メタトロンなどでしょうか。


疑似科学に基づいた偽物医療の最大のキーワードは、「万能」。

波動とか量子とか、「気」とか邪気だとか…そんな計測できないものの流れを正す、といった文句が踊っている「治療法」はとても多いが、現実にないものを根拠にされては困る。


さらに、こういった言葉を使う施術者がその独自な妄想理論を東洋医学的医療と結びつけていることが多いのも特徴で、非常に残念というか…。*2


研究する身からすれば「学会」への信用度が一部の方に低いのは残念。革新的な医療は学会の大物が認めない、とか、そういう治療を推進する側を排除に動くように思われているんじゃなかろうか。


これも前にも書いたが、学会というのはマトモであれば自由な討論がされるし、革新的な医療技術や理論にはオープンだ。通常構成員は可能な限り自らが関わる病期を治したい、何かしらの役に立ちたいと願っているため、もし素晴らしい医療技術があるならそれを取り入れない理由は無い。


体験談の類が強調されるのは、根拠の部分がきちんとしていないからなんだろう。百聞は一見に如かず、実体験に勝るものはない、と思う気持ちは理解できるが、とりあえず以下を考えて欲しい。


・あなたと体験者は違う人間であり、治療の反応性は異なる可能性
   (もちろん、副作用も)
・診断と見立てがそもそも間違っていた
   (少なくない割合でこれではないか)     
・「治った」と思った体験者の実感は体験談を書いた時だけ
   (プラセボ効果も確実にあるだろう)     
代替療法にハマる前もしくは同時に受けた標準的治療が実は効いていた
   (時間的タイミングが合えば効いたと勘違い可能)     
・体験者の自然治癒力が素晴らしかった
   (これがあることは否定しない。ごくまれには奇跡もある)


奇跡の体験談に溢れるといえば、高額な「がん免疫療法」。
がん患者の血液を回収し、その中に含まれるがん細胞を攻撃するキラーT細胞やNK(ナチュラルキラー)細胞を活性化し、元に戻すという手法が多い。が、殆どは実際には効果が無い。がんを免疫で治す、というのはdneuroが学生だった20年以上前からマスコミを踊ったが結局実現してこなかった。話題の抗がん剤オプジーボ」は遂に出てきた免疫系に働く薬なのだ。


さて、偽物医療、と書くものの、これらは詐欺なのか?
「詐欺」が成立するのは他人を意識的に騙す意図が必要なはず。法的には「効果が無い=詐欺」ではなく、詐欺として成立するなら施術者が信じ込んでいては駄目なのだ(だから告発されないのかな…)。


例えばホメオパシーはレメディなる砂糖玉や水を用いるが、本当に信じている医師も多い。dneuroの先輩筋に当たる方が心からのビリーバーになってショックを受けた経験は忘れられないが、彼らに科学的根拠は通じず、詐欺医療をやっている自覚は無い。*3


儲け主義の危うい魅力

疑似科学との境界すれすれという行為(敢えて医療行為とは言わない)を稼ぎにしているクリニックは検索すれば数知れず。


それは、にんにく注射デトックス注射、ビタミンC注射、グルタチオン注射、それにプラセンタといったところか。点滴療法なるものを謳うのも入る。


ビタミンの場合にはそれぞれの中に入っているのはビタミンB1だったり(にんにく注射)、ビタミンCだったりと普通に食べ物やサプリからとれるビタミンを直接注射することによってあたかも効力がとても増強されるかのように宣伝していることが多い。

デトックス注射の成分はどうやら各医療機関独自の成分配合があるらしい。ビタミンB1やC、それに肝臓機能を補強するという触れ込みのグリチルリチンに抗酸化物質グルタチオンなどをブレンドしているようだ。


大体どのクリニックでも1回の注射2000円~5000円の範囲内か。こういった行為は、その成分が少なくても毒ではない。自費で納得づくならまあ違法性はないわなと思う。


が、明らかに効果に関しては、信じる者は救われる程度の価値でしか無い。ビタミンは食べ物で取ったら?と思うし、グルタチオンも体内では容易に酸化されてしまうしねえ。


点滴はするくらいならスポーツドリンク飲めば?と思うのだが、二日酔いに対する代謝促進目的のビタミンB1投与と水分負荷という意味では効果が無いとは言えないか。ただ、極度の下戸のdneuroは研修医時代に結構やってもらったけど、自覚的辛さはほとんど軽減しませんでした…。



プラセンタ?いやプラセンタ注射液「メルスモン」は複数アミノ酸の配合製剤であり、それに過ぎないというか…食べ物やサプリで十分では?という成分内容。


胎盤製剤メルスモン


そのサイトから…


国内の、感染のない健康なヒト胎盤を原料とし、多種アミノ酸を含有しています。ホルモン、たんぱく質は含有しておりません。
酸で加水分解し、最終滅菌(121℃ 30分間)するなど、感染症に対する安全対策を講じていますが、理論的に未知のウイルス等の危険を完全に排除することは困難です。


なるほど、胎盤原料を酸処理し、滅菌のため高圧加熱しているからタンパク質やホルモンは分解して跡形も無いわけで、アミノ酸が残ったわけね。どうやら期待する皆さんが欲しい成分はほとんど分解されているようだ。


眉唾な効果、注射費用、医療機関へのアクセスに使う時間と手間、そして拭い去れない未知の感染の危険などを考えたら割に合わないと思うのだが…。


さい帯血やプラセンタ注射への信仰は「若い血」がアンチエイジング効果を持つという発想から来るのか…実際そういう動物実験はあるのだが、血液は本質的に汚いものであり、もっと直接的なアンチエイジング物質の開発を待ちたいよ(⇛不老の薬があるかもしれない)。


結局これらは、人の何となく良いのではという漠然とした期待や、もっと健康でいるために少しでもいいものを取らなきゃという不安を利用した悪徳すれすれの医療ビジネスとしか思えんのですよ。


というわけで、dneuroの勤めるクリニックでもやればとても儲かると思いますが、やりませんよ。


でもどうしても試したい?

誰だったか失念したが、エビデンスのはっきりしない医療行為でもその効果を確認したければ6回まではやってみて評価してみよう、と書いていた方がいた。


ダメダメと言われてもひょっとして、と期待を持つのが人間だし、少しはやってみないと不満が溜まりそうだ。なので、どうしても試したけければ、6回まで受けてみればどうですかね。



代替医療解剖 (新潮文庫)

代替医療解剖 (新潮文庫)

よくある代替医療である、鍼、カイロプラクティック、そしてホメオパシーについて、歴史とともにどんな「根拠」がそこにあるのか、それがどれだけ非科学的かをわかりやすく解説。魔法のような鍼麻酔の映像を見た人がいると思うが、実は事前にしっかりと静脈麻酔薬を打たれていたりという内幕に驚く。また、瀉血のように誤った「標準医療」があった歴史は教訓としたいもの。


わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか―ニセ科学の本性を暴く

わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか―ニセ科学の本性を暴く

ちょっと古いが、著者は物理学教授。詐欺医療もその理論は「科学」的な装いを身にまとう。そうしないと人は欺かれないから。医学だけでなく、宇宙開発、永久機関、エイリアンによる誘拐(アブダクション)なども扱われる。送電線はいかにも強力な電磁場によって周囲に悪影響(例えば白血病とか)を及ぼしそうだが、そのような事実は無いことをこの本で知ってもらうと安心できるはず。


トンデモ本の世界―MONDO TONDEMO

トンデモ本の世界―MONDO TONDEMO

科学を装う偽物を判別するには訓練が必要だが、どうせなら笑いながら学べるといい。「と学会」はSF作家を中心に疑似科学本の謳う根拠を看破というよりは笑い飛ばす本を多数出しており、一部には反感もあるようだけども、UFOの矢追純一とか、ノストラダムス五島勉とか40代より上の世代には香ばしい作家陣の著作も俎上に乗って面白い。絶版なのは残念。


フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

本論と関係無いが、紹介した「代替医療解剖」の著者サイモン・シン出世作フェルマーの最終定理は超有名な定理(⇛wiki)。誰でも内容がわかるために、そのプロ数学者のみならず沢山のアマチュアがその証明に取り組んでは跳ね返された。定理として予想されて360年、遂に証明したのがアンドリュー・ワイルズというイギリス人数学者。7年間にもわたって秘密主義を貫いて証明したエピソードに驚く。もうあいつも終わった…なんて陰口もあったらしい。数学の天才たちが残した数々のエピソードは絶対退屈しないので誰にもお勧め。数学の素養は要りません。

*1:dneuroの学生時代に小児科で受け持った患者さんが日本で最初のさい帯血移植された女の子。その後無事に育ったはず…と感慨深いのだが、当事者が将来病気になった時や、再生医療に大きな可能性があるさい帯血が十分に管理されていないのは余りに勿体無い。

*2:漢方医学の理論的文脈の中で「気の流れ」「水(すいと読む)や血(けつと読む)のうっ滞」などの説明が出てくることがあるが、現実に存在しているのではなく、東洋医学的治療や漢方を使うための方便と捉えていたほうがいい。そういった「理論」は、東洋医学を発展させたかつての中国人が、目の前の病気の症状や治療のメカニズムを説明するために思念的に作り出したもの。解剖とかしなかったですからね。

*3:ホメオパシーには「微量の法則」というのがあり、効果を期待する成分を薄く限りなく希釈したものほど効果が強まると考える。標準的には100倍希釈を30回繰り返すという。それはもうただの水である。そこには元の物質は原子レベルですら残っておらず、敢えて言えば、水+不純物。

嗜銀顆粒性認知症で説明つくのかな

認知症の種類を問うと4大認知症と答える方が多い。アルツハイマー病(型認知症)、脳血管性認知症レビー小体型認知症、そして前頭側頭型認知症


しかし、臨床をやっているとどうにも当てはまらない人が出て来る。dneuroは外来のみだがそれでもこの10年、ほどほど認知症の方を診てきたと思う。そして大抵の方はいわゆる4大認知症+治る認知症(正常圧水頭症、硬膜下血腫、甲状腺機能低下症など)で迷っているわけだが、時々この人はどうにも既存の診断に(挙げた以外も含む)当てはまらないのではないかという方もいる。


1つは、初期にアルツハイマー認知症様の記憶障害(記銘力低下)で始まるのだが、次第に性格変化・情動変化、被害的言動が目立つようになり、認知能力の低下自体はさほど進まないタイプ。普通のアルツハイマー病なら余り目立たない人格変化が強いなあと感じる。


もう1つは、前頭側頭型認知症の始まりと思える症状が明確で、診断的に自信を持っていたら、どうにもやはり認知能力の低下が遅く、通常であれば数年で周囲へのレスポンスがほぼ消えて、身体も動かなくなる経過をたどるはずが、そういった面でも低下が見られない。どちらかと言えば穏やかな面が強くなってきて、介護者が楽になる。こちらは前頭側頭型認知症が穏やかなアルツハイマー病に変化した?と思えたりする。


今日紹介するのは前者として、まだ余り医者においてさえ認知度が低い嗜銀顆粒性認知症がその答えなのかなという紹介。ちなみに漢字が難しいが、「しぎんかりゅうせいにんちしょう」と読む。嗜は「嗜好」のしで、銀に染まりやすい顆粒(つぶつぶ)の画像が脳標本に見られることでそんな名前に(変換しにくいったら…)。


嗜銀顆粒性認知症の特徴
なにせ概念が新しい(といっても最初の報告は1987年)ので、診断基準も無いのだが、高齢発症、軽度認知障害、緩徐な進行、易怒的(怒りっぽい)などが特徴。


記憶力低下が出て来ることでアルツハイマー病診断が下ることは多いと思われる。実際dneuroが体験した恐らく嗜銀顆粒性認知症の患者さんたちもこの病態概念が無いとそう診断せざるをえないと思う。診断して経過を見ている間になんとなく違うんだよなあという違和感を感じつつフォローする印象。ただし、合併を否定する概念ではなさそうだし、最初はアルツハイマー病で、それに合併してきたと言えなくもない…とすると認知機能低下が緩徐なことと矛盾するか。


アリセプトは残念ながら効かない
アルツハイマー病やレビー小体型認知症治療薬として一般的に使われるアリセプト(一般名:塩酸ドネペジル)は残念だが効果が無いようだ。
なので、アリセプトに反応しないノンレスポンダーの中に嗜銀顆粒性認知症が紛れている可能性はそれなりにあるのではないか。


頻度は高い
 もともと嗜銀顆粒性認知症は高齢者の保存された病理脳標本の中に銀に染まる顆粒が存在することで発見されている。東京都健康長寿医療センターの村山氏の論文を読むと、そういった銀に染まる顆粒(嗜銀顆粒)は凍結保存された脳の672例中323例(48.1%)に、さらに感度の高い染色法では443例(65.9%)に認められたという。
もし、これら全ての症例が嗜銀顆粒性認知症であったとすると、相当高い割合で存在していることになり、実は頻度的には1,2を争う認知症ということもあるのだろうか。


病変の始まる部位に特徴がある
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嗜銀顆粒が沈着し始める部位に特徴があるという。それは図のように、大脳の側頭葉の奥に位置する、迂回回(うかいかい、と読む。英語ならambient gyrus)という場所で、記憶に関連し、アルツハイマー病で萎縮の目立つ海馬という部位に近い場所。ここから徐々にその嗜銀顆粒沈着部位が前頭葉や側頭葉に広がっていくという。その進展が広範囲になれば認知症は必発。


回というのは大脳皮質の襞(ひだ)のこと。大脳皮質は肉眼的にはしわしわだが、そのしわの膨らみには「~回」、溝には「~溝」という名前がついている。「迂回回」は海馬に近い部位。恥ずかしながらこの認知症で初めて知りました…。


文献に提案される診断基準
国立精神・神経医療研究センター病院臨床検査部の斎藤祐子氏は昨年の老年精神医学雑誌(第27巻増刊号P.80-87)にて診断基準を提案されている。今日はその紹介をもって終わりとしたい。


臨床特徴
1)高齢発症(嗜銀顆粒が沈着し始めるのは60歳以上)
2)物忘れから始まることが多いが、頑固さや易怒性(怒りっぽさ)に前頭側型認知症との共通点がある。
3)進行は緩徐。日常生活動作(activity of daily living:ADL)も保持される傾向。
4)ドネペジル(商品名:アリセプト)に反応性が乏しい。

検査所見
1)左右差を伴う形態画像。迂回回を中心とする萎縮像がアルツハイマー病と異なる。
2)VSRADスコアがMMSE得点に比して高い(悪い)=認知機能が比較的保たれているのに、画像上の萎縮が強い。


VSRADはMRI画像の自動解析。平たく言って海馬の萎縮が全脳に比してどのくらい強いか?を示す。MMSEはminimental scale examinationという認知機能テストのことでとても一般的。


3)機能画像(例えば脳の血流を見るSPECT)で側頭葉の機能低下に左右差。
4)脳脊髄液の認知症指標物質(タウ蛋白濃度やAβ濃度)の濃度がアルツハイマー病ほど高くないもしくは正常範囲。


診断しても治療法が全く無いだけに、告知もなかなか難しいという気はする。
それでも早期にわかれば介護のやり方に今後工夫の余地が生まれるかも。

恍惚の人 (新潮文庫)

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認知症と言えば懐かしき有吉佐和子氏の名著。
お嫁さんがお祖父さんを一生懸命介護する姿にそこまでしなくてもと感じるのが今の感覚かなあと。


スクラップ・アンド・ビルド

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第153回芥川賞受賞作。孫が支える認知症のお祖父ちゃん。文章の感覚が新鮮。どちらかと言えば面白いのは作家の羽田氏。

火花 (文春文庫)

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羽田氏と同時受賞の又吉さんの作品。ラストの後が気になります。