大学入試における発達障害特性に対しての合理的配慮、について考えてみる

f:id:neurophys11:20191008212436j:plainうーん、ついに9月は書けなかったなあと反省しきりですが、最近会社のほうで表記タイトルの内容をTweetしたところそれなりに反響があったので、こちらにもう少しdneuroの考えを入れつつ書いてみます。


そう、お題は大学受験における合理的配慮、発達障害特性編です。




まあ元々試験の本質ってなんなんだろう、少なくてもそれは「時間」ではないよなあと考えていたんです。

全くの私見ではありますが、試験って、早く終わってもう書くことなくなれば、ケアレスミスを防ぐための見直し時間さえ取れれば後は無駄な時間ですし、覚えてないことはいくら時間を書けても出て来ようがないわけで。もちろん、考えて解ける問題で時間が足りない〜となることもありますが、そういう問題でも、その解く力を見るのに「制限時間」は本質ではないよなあ、特に「素早く書く」ことが本質ではない大部分の問題の中で、素早く書けないがために点数取れないのは試験として適切ではないよねえ、と。


センター試験は配慮してもらえます


そんな中、今年はたまたまですが、患者さんに受験生が多く、センター試験への配慮申請の診断書を求められることが複数回ありました。

そう、発達障害特性に対する入試への配慮に関しては例えばセンター試験で申請すれば受けられる可能性があるのです。


試験時間の延長、別室受験、拡大文字問題、注意事項の文書配布などです。


www.dnc.ac.jp


なので、合理的配慮を求める方は主治医に必ず相談して、OKなら申請のための診断書を書いてもらいましょう。
もちろん絶対にOKとなる保証は無いですが...


センター試験配慮実績を見てみる


大学入試センターのサイトには、幾つかデータがアップされてます。
その中から、H28.29年の配慮決定に関してのデータがありましたので、そこから発達障害の実績を抜き出してみました。


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これを見ると発達障害者で配慮を受けたのは人数で全体のおよそ1割弱くらい。250人くらいが、複数の配慮を受けて、延べで平成28年に305人が、平成29年に375人が配慮を受けていますね。


多いのか少ないのかこれだけではわからないですが、、別な文献で申請者数を見てみると、どうやら配慮・変更無しは1000人位いるようなので、診断書があるからイコール配慮が受けられる、というわけではなさそうです。


とはいえ、配慮実施の実数に、謎の「その他」カテゴリがあり、そこに1400人も入っているのでどうなんでしょうか。今度電話して聞いてみるかな...。


ご興味あるかたはこちらの論文(pdf)をどうぞ。

ci.nii.ac.jp



アメリカではADHDやLDの特性に対する配慮は当然

ではここでどのような配慮が適切かなんですが、東京大学バリアフリー支援室の桑原氏がシンポジウムで行った発表が参考になります。


発達障害における配慮と公平性 (pdfです)

リンク先見ますと、公開シンポジウム「発達障害と合理的配慮~高等教育における「イコールアクセス」を考える~」で発表されたスライドと、それを受けた東京大学副学長の南風原先生のコメントを読むことが出来ます。


アメリカと日本の対応の差から話は始まるのですが、アメリカではADHDとLDに対しての配慮はかなり当然だと。

試験に関して、例えば試験時間の延長が、受験生にとって公平なのか、という命題がありますね。
要点は、試験が受験生に求める「学術的要件の本質」にスピードとか計算とか果たして入っているのかと。

もちろん条件はあるんですが、こういったサイトを見た限りでは図のような。

www.additudemag.com

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もっとも誰もが良い恩恵を受けられるとは限らず、このサイトに投稿しているADHDの方は画一的な役に立たない配慮を受けたということで残念だったようですが...


ともあれ、アメリカではコンセンサスとして配慮そのものは適切なこと、という認識があるようです。


試験時間と学術的要件


さて試験に戻ります。桑原先生のお話など読むと、要するに(私の解釈ですが)例えば数学で求めるのが、答えそのものの他に「問題によって提起されることに対して自分の思考を組織化して表現すること」(要するに過程です)であったとしたら、問題を解くスピードは学術的要件の本質ではないだろうと。計算も同様で、思考力を見たい問題で計算力そのものは本質ではないはずです。


従って、例えばADHD特性の注意機能が問題解決中に障害となるのであれば、一定時間延長することは合理的配慮だということです。


書字も同様で、もし書くことそのものが学術的要件の本質でなければ、ワープロ使用も合理的配慮になるわけです。


ただし日本語変換とかが大きなヒントになりうるならそこは考えどころですが…



いずれにしても、ADHDやLD特性を抱える受験生は、「早く読み、書く」ことに対してハンデを抱えていることは確かですね。


大学が入試において求める学力の本質が、制限時間内にどれだけを書けるのか、とかでなければ、試験時間の延長や書くこと、計算することへの補助デバイスがあることは公平性の観点から問題は無いと考えて良さそうです。



逆に、うちの大学(学部)は、その先の職業を考えた時に、素早く長文を読む能力、書くスピード、暗算で計算する能力など必須です、となれば、それらが学術的要件の本質になりますから、試験時間の延長は難しいでしょうね。

学部が試験で何を求めるかによって合理的配慮の条件が変わるのは構わないはずです。
それを門戸を閉ざす理由としてやたらと振りかざされたら困りますが。


なお、日本とアメリカでの試験における配慮対処の違いですが、先に書いたようにアメリカではADHDとLDに対してが多いのに対し、実は日本の実績ではASDが多いようです。


なぜなんでしょうねえ??

別室受験が多いことと関係しているかな...。


もういっそPCでね、皆試験しても良いんじゃないですかね、今の時代は。
とも思ってしまいますがまあそれは別な機会に。


いずれにしても、配慮は求められます。必要な方は準備しましょう。


尚、東京大学では合理的配慮を受けられることがHPに記載されています。


「受験生の障がいの程度に応じて、別室受験、試験時間の延長、PC利用の対応」をするとのことで、PC利用も可能なようです。


東京大学という日本の最高学府が率先して配慮を考えるのは素晴らしいこと、と思います。


読めなくても、書けなくても、勉強したい―ディスレクシアのオレなりの読み書き

読めなくても、書けなくても、勉強したい―ディスレクシアのオレなりの読み書き

読字、書字障害を考えた時に思いつくのはこの本です。

この本を読んで思うのは、少年期に先生からほめられること、存在の価値を認められることの重要性、そして、PCを用いて書くことが出来るとどれだけ世界が広がるか、です。