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優しい薬物療法を目指したい(1)

精神科や心療内科に訪れた方が時々口にするのが、「カウンセリングじゃ駄目なんですか?」という問いで、その言葉を聞く度に、精神科というイメージが持つ誤解や、時間制約のある現代精神医療の中では薬物療法が中心にならざるを得ないことや、名医と言わずとも良医ではありたいと思っているdneuro自身の力不足など思い浮かぶ。…とはいえ、精神科医療に薬物医療は必要であり、でもそれは優しいものであるべきとは考えている。


優しい薬物療法が基本的には必要と考えている
前に書いたように、薬は病気からの自己治癒力を支える杖のようなもの、と考えるといいのではと。


  薬について


薬物療法は本質的治療といえないが、良い杖は生活を支えてくれるはずだ。
薬なんかに頼りたくない、という気持ちはわかるけれども、骨折してギプスで固めた足があるときに、松葉杖頼らないで暮らして生活圏が狭まっては勿体無いでしょう?


ちなみに、病気の根源を絶つ、というのを本質的医療というなら、多くの病気で実はそんなに根源的治療にはなっていない。糖尿病、高血圧、高脂血症、各種心臓疾患、がん、多くの病気がどのように引き起こされるか解明が進んでいるが、だからといって原因療法ができるとも限らないのだ。


良い薬物療法、悪い薬物療法
悪いほうが考えやすい。

誤診、病態に合わない量、同じ薬理メカニズムの薬の重複、副作用が強いのに使い続ける、効果がないのに漫然と続けている…


診療において誤診は実は少なくない。診断に沿った薬が使われなければそもそも薬は効かない。そんなことあるの?という疑問も持たれるかもしれないが、ある程度治療行為による介入が進んで初めてわかることもあったりはする。診断的使用という言葉があるくらいだ。


病態に合っていない多い量が強い副作用に繋がりかねないのは当然。でも実は、少なすぎるのに、効かないという判断を早くしすぎてしまうこともある。細菌をやっつける抗生剤で考えてみるとわかりやすいが、一定量の細菌群を殺すためには、それなりの強さの薬を使う必要があるのだ。弱い、病態を改善させるのに不十分な量の薬を漫然と使ったって改善するはずがなく、またきちんと判定できないのにその薬を諦めてしまうのは勿体無い。薬は少なければ少ないほどいいのではなく、病態改善に十分な必要最低量が望ましい。


同じメカニズムの重複は精神科医療の暗い歴史の中に歴然とある。今もそれは反省すべき現象で、以前統合失調症が適正化するかという話題で書いてみた。


平成28年度診療報酬改定は精神科における多剤併用大量療法を駆逐するか?


同じメカニズムの薬をいくら重複させても、基本的には意味がない。例えば抗うつ薬SSRIに属する、パキシル(一般名:パロキセチン)とジェイゾロフト(セルトラリン)を一緒に服用したって、同じセロトニン再取り込み阻害作用が発揮されるだけなので、2種類使うよりは、パキシル最高量、ジェイゾロフト最高量という単独の最高用量までtryしてから切り替えるのが標準的なのであって、重複使用はどちらが効いたのかもわからず、また副作用が複雑になる。実際の所、効果発揮メカニズムは同じでも、薬によって若干構造の違いがあることが、効きめの個人差や副作用の出方(こういった特徴をプロフィールと呼ぶ)に差が出てくるものなので、重複使用は事態を混乱させてしまう。とはいえ、状況によっては選択肢としてはありうるので、あくまでも基本的スタンスだが。


副作用が強いのに使い続けることもよく見られる(もちろんそうでないように努めているつもりですが)。精神医療においては、一旦処方してそのまま、病態回復しても使用続けた時、そしてお節介な副作用どめ使用、という形が多いのではないかと。


例えば、気分変動が続くので、最初に処方した抗うつ薬ジェイゾロフトに加え、感情安定薬リーマス(炭酸リチウム)を加える…まではいい。でもそのリーマスが効果なかったと判定したのに続けながら別な感情安定薬であるデパケン(バルプロ酸)まで加えて経過を見たら、それは出しすぎというもの。効果を発揮させるために加えた薬は、なんとなくそのまま使ってしまいがちなので、戒めたい。患者さん側も、減らすのが不安だからそのままのほうがいいです、という方がいたりする。


また、大体が、効果を発揮させたいときには、それが効くべき病態があるので薬がちょうどよく働き、副作用が出ないことが多い。一方改善してきたら効くべき病態が無いので、効果そのものが副作用になることもある。例えば抗不安薬は不安を鎮めるが、不安でないのに使えば眠くなったり集中力を落とす。必要なくなったら薬は減量すべきだ。


そして、dneuroが医師になりたての頃、副作用どめは最初っから入れておくべきと習ったが、今その発想は基本的にはしない。なにせ、副作用どめも薬である以上副作用があるのだ。効果を狙う薬の副作用が出るかどうかもわからないうちから、副作用の可能性だけ増大させても益は無い。


効果が無いのに漫然と使用。*1抗うつ薬抗不安薬睡眠薬で顕著に目立つ。とりわけ症状が重い時に効果があった薬を減量したり、やめるのは医療者側にとっても患者側にとっても勇気がいることが多い。
でも、そもそも医療なんて必要ないに越したことはないのだ。
十分に回復したら、必要ない医療から脱出を図るべき。


ところで、認知症についての講演で必出の質問がある。
アルツハイマー認知症の初期にしかアリセプトは効かないといいますが、もう5年も出ています。効果はあるのでしょうか?」
もちろん、個人差はある。もしかしたらアリセプトの持つ興奮作用がいい方向に働いているかもしれない。でも大抵の場合において、アルツハイマー認知症が発症して5年も経ったらもうアリセプトは何も効果を発揮していないはず。医療コスト的にも良くないよね…。MRさんは使っているから有り難いと思うでしょうが、きちんと助言してね、と思う。


精神科の薬がわかる本 第3版

精神科の薬がわかる本 第3版

改めて見てもこの本はわかりやすくて良いと思う。
ADHDに使う薬については簡単過ぎるが、それ以外は概ねわかりやすい。これを読めば自分の治療薬の把握と、医師への質問もしやすくなるだろうと。


白い巨塔〈第1巻〉 (新潮文庫)

白い巨塔〈第1巻〉 (新潮文庫)

上述の誤診したら薬は効かない、に絡んで。山崎豊子の「白い巨塔」は、浪速大学医学部第1外科助教授(今なら准教授か)である財前五郎が教授目指して策謀巡らせる話。その中で財前が、潔癖な親友里見に対して「なあ、〇〇大学の元教授が自分の誤診率は3割だったと言ったそうだ。医師仲間はそれだけかと驚き、普通の人はそんなにか、と驚いたと言う。それほどまでに意識は違うものなんだよ」と諭すシーンがあった(正確な引用じゃないです)。実際誤診は珍しいものではなく、それは様々な要因が絡むけれども、大事なのは早くそれに気づき、わかったならすぐに対処するということだと思う。「後医は名医」という言葉があり、前の医師がしたこと、というのは何かしらの結果が伴うので、次の医者は多くの情報を持った状態で診断・治療にあたられる。次の医者が名医だから診断できたというわけではないことも多いのだ。
ちなみに、「白い巨塔」で中心となる教授選、少なくてもdneuroの知る限り、今の教授選はすごいクリーンですよ。

*1:効果が無いのに漫然と処方、は精神科だけでは勿論無い。急性期に対してもそうだが、日本の医者が薬を使いすぎ、患者が薬を求めすぎ、なのは明らかで、意味がない処方が正直多すぎる。風邪を引いたら抗生剤、咳止め、去痰薬、複合剤がかなりな量出されると思うし、高血圧、高脂血症、糖尿病などに対する薬も一度始めたら止められない神話が利きすぎているように感じる。さらに効果の無い漢方薬治療が漫然と続けられることもあり、使うからには効果検証が個人レベルでも行われるべきと思う。