ASDは治療するものなのか

ASDに関する報道をみていると、例えば「オキシトシン」で自閉症の治療につながるという報道がある。以下は東大のプレスリリースではあるが*1


www.jst.go.jp


「治療」というのを、病的な状態から健康な状態に復する、という定義で考えているとすると、ASDには当てはまらない、という気にどうしてもなってしまう。というのも、ASDが「病」とは違う概念に感じるし、ASDではない=健康、というわけでもない。


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幾つかの慢性疾患では治療ゴールを病的状態からの完全な脱出に置いてしまうと、時に不可能を追いかけることになる。例えば糖尿病や高血圧のようないわゆる生活習慣病*2で考えてみる。図に示したように、両疾患とも、「常に医療を必要とする状態」から「治療行為をほぼ必要としていない」状態にグラデーションを持って存在している。同じ糖尿病の人でも症状は様々であり、医療の必要度も個人によって異なる。


医療依存度という観点から精神疾患を考えると、疾患によって大分違う。統合失調症躁うつ病(双極性障害)は治療という概念が当てはまる度合いが明らかに強く、薬をやめることを治療ゴールに設定するのは苦しい場合がほとんどだ。うつ病や不安関連疾患、認知症はもう少し医療依存度が低くなることが多い。皇室の雅子様もかかっている適応障害は外在するストレスに対する適応不全なのだが、そのストレスが大きければ大きいほど医療依存度が高くなるし、環境改善が図れれば医療はもはや必要ない*3


また、誰もが環境変化によって適応障害にはなりうる。
    適応障害とは(厚生労働省)


私の友人に屈強なラグビー経験者が居て、当然ラグビーの中では立派なのだが、一緒に登山に行くと簡単にへばり「もう俺は置いていっていい」と泣き言が多くなる。登山という別環境が強いはずの彼を適応障害にしてしまう。どこでも強いということは中々無いものだ。そして、たとえ辛い環境では適応障害を起こす弱さ(素因)を持っていたとしても、自分にとって良い環境にいる限り症状は出てこない。表に出なければ(顕在化しなければ)その人は疾患を持っているとは言えないだろう。


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さて、ASDと治療という話に戻ると、まずASDは「病」というよりはその人が持っている特徴、特性、性質といった類のものだ。その特性がある環境下では非常な不適応を起こし、適応障害化すれば医療依存度は高くなる一方で、図に示すように、その人に適した環境下では何の問題もなくいられる。そういう状態はASD(自閉症スペクトラム障害)というよりASC(自閉症スペクトラム条件)を特性として持っているだけと考えたい。つまり、ASC状況にあるだけであれば医療的に治療を求める必要もなければ、医療者が大多数のASDでない人(敢えて健康な人とは言わない)のように特性に踏み込んで変えていく必要もない。*4


敢えてASDに対して、治療するという言葉を使うとすれば、ASDからASC状態にしていくこと、二次障害には対応することだろう(標準的な治療を試みることが困難な場合もあるが)。


一方で、ADHD注意欠陥多動性障害は、「治療」対象になりうる症状が幾つかある。ADHDに関してはまた日を改めて。


自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体 (SB新書)

自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体 (SB新書)

本田先生のこの著作は何度も紹介しているがやはり素晴らしい。
今日の文脈ではこの図を紹介したい。


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ASDに治療という言葉がしっくりこないのは、どうやっても、成長した時に特性(特徴)は残っているからだ。それは小さい頃とは出方が変わっているかもしれないし、人によっては他人との違いに対策を練っていたりするだろう。



女性のアスペルガー症候群 (健康ライブラリーイラスト版)

女性のアスペルガー症候群 (健康ライブラリーイラスト版)

「女性の」アスペルガー症候群(という言い方はちょい古いのだが)。男性と違い目立ちづらいこともあるが、男とは違う身体の状態が、男性アスペルガー(ASD)とは違う悩みを持つのは当たり前。

*1:オキシトシンは本来子供が生まれた後、乳汁分泌を促すホルモンとして知られている。このホルモンが、例えば人が肌を通じたコミュニケーションを図った時に上昇するということがわかり、愛情ホルモンとしてある意味もてはやされている。ASD者にとって福音か?といえば正直まだはっきりわからないところではある。

*2:生活習慣病というと習慣さえ変えれば発症せず、また軽快するので、それができないのは本人が弱いからだという考えがある。それを突き詰めて透析患者は糖尿病を治すのに努力しなかった末路なのだから公費使う必要なし、と言ったのは最近ブログが炎上した長谷川豊氏。実際にはどうやっても症状改善が図れない場合もあるし、そもそも発症は遺伝的に規定。自分ではどうにも出来ない部分も多く、生活習慣病という名前がおかしい。

*3:皇太子妃雅子様の症状が改善するのか。普通に考えれば答えは1つなのだが日本社会はそれを許さないだろう。皇后になられたときに自由度が増え、元気になられるといいのだが。

*4:ASDを定型にしていくのは本人にも周囲も辛い無駄な努力と言っていい。ASDというのは大多数のASDではない人(定型という)とは違う脳内ネットワークを発達させているはず。それを発達させた後に再度組み直す、という治療は正直無理筋。