精神神経学会参加(2)_アルコール依存症の治療
こちらは一般口演で、埼玉県立精神医療センターの成瀬先生の連続2題の口演を聞いた。
タイトルは、「アルコール依存症治療革命」の提案、と、アルコール依存症「中核群」は本来の中核群ではない〜アルコール依存症中核群に対する新たな治療の提案〜。
精神科医の殆どは依存症が苦手
そもそも精神科医が依存症をどう感じているか書いてみたいと思うけれども、普通依存症を苦手としています。それが何故か?精神科医のくせに、と思うかもしれないが、多くの精神科医にとって「依存症」は特別な専門領域。そこには幾つか要因があるのです。
思い込みも含まれていることを考えつつ挙げていくと…治らない、社会的な部分に手を入れないと良くならない、薬は効かない、問題行動に対応する必要がある、酔って来たらスタッフの安全が脅かされる…といったような偏見ないしは少数例でも自分の経験に持っていたりすることが大きい。要するに治療に当たっては相当の覚悟と資源注入が必要とされる為に、治療者側に十分な体制が整備されていないと引き受けられない、という思いがあるのですよ。
しかし、成瀬先生はそういった「思い込み」は、従来精神医療が対象としていた非常に重度な患者さんがたをアルコール依存症の「中核群」とイメージしているからであるという。実はアルコール依存症の中核群は軽症〜中等症群なのだと。
2014年に報告された厚労省のアルコール健康障害対策推進基本計画 によれば、成人の飲酒行動アンケートからは我が国にアルコール依存症の生涯経験者は100万人を超える一方で、患者数(=治療を受けている人)は4-5万人前後に過ぎないという(下記引用)。
”アルコールの持つ依存性により、アルコール依存症を発症する可能性がある。患者調査における総患者数は、約4万人前後で推移しており、平成 26(2014)年は、4.9 万 人と推計されているが、成人の飲酒行動に関する調査では、アルコール依存症の生涯経験者は 100 万人を超えるとの報告がある。また、アルコール依存症を現在有する者 (推計数 58 万人)のうち、「アルコール依存症の専門治療を受けたことがある」と回答している者は 22%しかおらず、一方で、アルコール依存症を現在有する者の 83%は 「この 1 年間に何らかの理由で医療機関を受診した」と回答しており、一般医療機関か ら専門医療機関への受け渡しが適切に行われておらず、専門的治療に繋がっていない可能性があるとの報告がある。
要は、アルコール依存症の裾野は実は非常に広く、今までは、進行した重度の、言葉は悪いが非常に扱いづらい人しか結果的に治療につながっておらず、その人達は必然的に専門病棟を持った病院でのみ治療が可能であり、従って、数が多いはずの軽症〜中等症者は医療が掬い取ることができず、治療されて来なかったというわけ。
なるほど。確かに今迄医療は、殆どがもうどうしようもなくなって、いよいよ持ってなんとかしなきゃあという、言ってみればしょうがない思いから治療対象を受けていた。でもそれは氷山の一角で、本当はもっと普通に外来で対応できる、そして治療対象とすべき人たちがいるのだ。
アルコール依存症治療、変化の背景とどのように変わればいいのか
- 中年男性から女性・高齢者への患者層の広がり
- 健康・就労・暴力問題から飲酒運転・自殺・虐待・メタボ問題への広がり
- 併存症として気分・不安症以外に発達症などの多様化
- DSM-5の登場による「アルコール依存症」から「アルコール使用障害」の診断上の変化
- 「断酒至上主義」から「節酒・飲酒量低減」への移行
- 一律治療から個別治療へ
- 自助グループ至上主義から認知行動療法の導入へ
- 入院治療から外来治療へ
- 抗渇望薬を使った薬物療法の導入
そう、以前はとにかくアルコール依存症といえば、重症。入院が殆どで、3ヶ月の入院を基にして、刑務所のような生活を送る「久里浜方式」と呼ばれるものがあったのだ。導入するには、アルコールをやめるという強い意志と、少しでもスリップ(飲酒の再発)があれば治療は終わり、退院してもらう(そして元の木阿弥に)という厳しい治療が待ち受けていたもの。*1
スリップしたらダメって、そりゃ治療放棄では??と思いつつ、そう教わったわけですよ。
しかしそんな状況は成瀬先生によれば、それでは医療は患者を罰するようになり、対決姿勢を取らねばならないと。
そーなのだ、そんな必要は無いというのだから有り難い。
新しい治療では、来てくれたことを歓迎し、飲んでも決して責めないと。
「ダメ、絶対」じゃなくて、アルコールがもたらすダメージを減らすハームリダクションを発想として持とうと。
成瀬先生の著作。今回の学会内容は全てカバー。
面白いのは、再飲酒時の本人の気持ち。
そもそも再飲酒した時には「やめよう、どちらかというとやめよう」という 気持ちが8割近いのだと。しかし、家族や医療者に責められると「飲もう、どちらかというと飲もう」という気持ちが6割を超えてきてしまうと。
そう、責めても逆効果なのだ。確かに映画なんかでも、「やめてぇ」と叫ぶ奥さんに依存旦那は「うるせえ、お前がそういうからやめる気無くなったわ」と言って飲むよね…。
ところで、成瀬先生の職場は埼玉県立精神医療センター。
研修医時代、薬物治療病棟のモデルとして見学に行く機会があり、驚いたのは、非常にソフトな病棟だったこと。なにせ、薬物治療メッカたる、千葉の下総療養所の薬物病棟は非常な厳戒区域で、監視カメラ完備、時に暴力沙汰、と聞いていたので、ギャップにびっくりしたのを覚えている。
また、dneuroはアルコール全く飲めないのだが、かつて精神病院時代にアルコール依存症治療班となり、15人程度の依存症の方の主治医となっていた。スリップされてしまうと、患者さんの吐く息で酔ってしまうので困りものだったのだが、当時のアルコール治療神話を覆す経験があった。*2
それは「依存症になってしまったら、一度でもスリップすると元に戻り、連続飲酒に至ってしまう」という神話。
これをですね、患者さんに熱心に説く一方、結局患者さんたちは隠れて飲んでいたし、でも問題行動起こさない人たちが確かにいて、彼/彼女らは少なくても自分が診ている間はきちんと外来に通ってくれたから、スリップしたのがわかっていても責めなかったんんですよ。厳しいこと言うの辛いし…。
それと、正直、節酒で上手く行く人居たんですよね。
だから、「絶対やめなきゃいけません」と言いつつ、いや中には一旦依存症になっても節酒でアルコール復活できる人いるよね?と内心 では建前とのギャップに苦しんでたのですよ。
もっとも当然中には、スリップ後依存症状態に逆戻り、の人たちは居たわけですが。
ところで…
アルコール依存は自殺率が非常に高い。dneuroの受け持った患者さんたちも、後々消息を聞くと、残念ながら1/3は自殺されたか、やや不可解な変死として発見されたと。
昔はいわゆる「底付き」から治療が始まったためというのもあったと思うところ。職場をクビになり、家族関係も壊れてから治療始めても、壊れた関係は元に戻らないですから…。軽症から治療を始められていたら結果は違ったかもと思うと心苦しいのです。その意味でもアルコール依存症治療環境が変わるといいなと。
尚、成瀬先生も、理念説くだけでは環境が変わらないことを考えており、治療環境が整うためにはしっかりしたインセンティブが必要だと。保険収入、研究や教育の制度の充実‥と。整備されるといいのですが。
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樋口先生もアルコールを含めた依存症の大家。恐らく先生も従来から現在に至る過程で発想を変えてきたのでは。
アルコールの問題を抱えていたといえば吾妻ひでおさん。突如ホームレスともなった。第2段は未読なので買って読むこととします。
ハームリダクションとは何か 薬物問題に対する,あるひとつの社会的選択
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ハームリダクションといえば松本俊彦先生。依存症からの回復において、医療者が対決姿勢を取らないで良いと講演で聞いたときの衝撃たるや。
精神神経学会参加(1)_リキッドバイオプシーとアルツハイマー病
第114回日本精神神経学会学術総会に参加しました。
会場は神戸。国際会議場とポートピアホテルが会場。結構広い。
日本の精神科医の殆どが参加するという...精神科医が一同に集うある意味気色悪い学会です。もちろん中にはコメディカルの方や基礎研究の方々もいらっしゃいますが...こんな人まで精神科医なんだと自分を棚に上げて見てしまうこともあったり。
今回は非常に短いのですがとても真面目に参加したので、シンポジウムと口演から幾つか、備忘録も兼ねてご紹介。*1
さて、今日の紹介はPCにメモした内容から。
見てもよくわからない人は多いと思いますが、あんまり親切には書きません(すみません)。わかる方はわかってください。難しい方はふーん、くらいに...。
脳リキッドバイオプシー(脳由来エクソソーム解析)による神経疾患の予防・診断・治療
リキッドバイオプシーってのは血液から病態を知るために役立つ物質を同定し、定量するための技術ですが、要は採血で病変を知ろう、というもの。バイオプシーは日本語だと生検、すなわち人の粘膜とか臓器の一部分をちょろっと持ってきて、それで病変を診断する技術です。がんでおなじみ。手術中に、怪しいところをちょっと切除して、急いで標本にしてこれはガンか、ガンなら切除範囲を広げるぞ、みたいなことをします。大事で時に必須なんだけど、現場(腫瘍とか病変部位)まで何かしらの手段(手とか内視鏡)を届けなくてはいけないし、痛いこともあって結構侵襲性が高いんだな。
で、記事にあるようにガンで今ホットトピックなんですが、精神科領域だと脳を取ってくるわけにはいかないので、血液から何かわかる疾患指標物質(バイオマーカーという)を探そうよ、というわけ。
一方、エクソソーム。
エクソソームは、いろんな臓器から分泌される細胞外小胞にタンパク質や、DNA・RNAなどの遺伝物質が中に含まれている脂質膜を外側に持つ玉で、血液に漂っている。脳からも実は抹消に向けてそのエクソソームが分泌されているので、それを例えばアルツハイマー病の人から取ってきたら、特有の性質をもっているだろうと。
それを解析することで、アルツハイマー病の病態や、何が治療にとって真に有効なのかがわかるのではないかと期待されています。
以前dnueroも書いたとおり、アルツハイマー病の新治療薬として開発されているものはほとんどが有効性を示せず悲惨な状況下に。
演者の滝川先生に言わせれば、アミロイドやタウ蛋白といった異常なタンパクの脳内への蓄積は認知症の原因ではなく、結果だろうと。今や、病理所見からの仮説提唱型アプローチは低く、データを統合し、集められたデータから考えていかなきゃならんと。
そんなわけで、エクソソーム解析から言えたことは...
・エクソソーム中のアミロイドβタンパクはアルツハイマー病で高くなっている。
・エクソソーム中のリン酸化タウ蛋白もアルツハイマー病で高い。(↓図)
・アルツハイマー病ではリン酸化セリン持つインスリン受容体タンパク(IRS-1)が2型糖尿病と同じく多い(すなわち脳の糖尿病?)。
・アルツハイマーでは細胞内の老廃物処理が上手く行っていない。
・アストロサイト、血管内皮細胞などニューロン以外の脳細胞もアミロイドβ42を作り出している。
つまりそんなこんなでエクソソーム解析がもたらした結果は非常に面白い、と。
エクソソーム研究への質問
滝川先生の研究は大変面白かったが、質問を2つほどしてみました。
1つは結局何がアルツハイマー病の原因と考えているのか。もう1点はどこ由来のエクソソームか判別は簡単にできるのか?
滝川先生がアミロイドβやタウ蛋白の増加は結果に過ぎない、というのは、結局は炎症を背景にタンパク質の劣化がエイジング(老化)によって全般的に起きてくる、と考えておられると理解いたしました。
つまりそうであれば、老人斑だけを追ってもダメ、ということで、もっと前の段階でタンパク質がしっかりと機能を発揮し、劣化タンパクがきちんと修復ないしは処分されるメカニズムが効果的に働いていることが大事であって、そういった機構を維持・回復させることが治療になるということかな。
エクソソームがどの臓器由来か、というのは結構難しいと。そうねえ。そうだろうと思うところ。何せ微量なので、滝川先生方の研究は疑うつもりはないのだが、よく訓練されていない研究者がやってしまうと誤差が極めて大きいのではと心配にはなりますね。
感染を契機に、という意味では、感染と戦った結果としてアミロイドβが貯まるのではという仮説も。
昔全ての病気は炎症である、と病理の教授から習ったが、やはりそうなのかも。
であれば、抗炎症作用がある鎮痛剤(NSAIDS)が何らかの役割を果たしうるという幾つかの結果に何かの解がありそうだけども…。
また、もう一点どなたかの質問で面白かったのは、そもそもエクソソームが何故神経から抹消へ分泌されるのか?という疑問。筋肉に向かうのでは?という意見があるらしい。確かに、老齢により筋肉量が衰え、サルコペニアになるのが認知症につながるという考え方があり、前に紹介した。抹消に存在しているからにはその意義があるはず。それを知ることも認知症治療の開発につながることになりそうです。
最後にアルツハイマー病は感染症か、古細菌が見つかったとという鹿児島大チームの研究がちらっと紹介されたけど、それに関してはもう体力も無いのでいずれまた追いかけよう。
参考文献
・Fiandaca et al.,2014 doi:10.1016/j.jalz.2014.06.008
・Kapogiannis et al, 2016 doi: 10.1096/fj.14-262048
・Goetzl et al., 2015 doi: 10.1212/WNL.0000000000001702
・Goetzl et al., 2016 doi: 10.1096/fj.201600756R
アルツハイマー病は「脳の糖尿病」 2つの「国民病」を結ぶ驚きのメカニズム (ブルーバックス)
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未読だが、今日の流れにつながるものの良い解説本の1つかな。
糖尿病、というのは血糖値が高くなる病気と思われがちだが、実はそうではなくて、インスリンが相対的に不足することで、インスリンの大事な作用、すなわち細胞内に栄養分であるグルコースを取り込めなくなるのです。
だから、糖尿病になると脳は、神経細胞のほぼ唯一の栄養源たるグルコースを取り込めなくなってしまい、きっとそれがアルツハイマー病につながるような、飢餓による細胞機能の喪失を起こしてしまうんじゃないかな〜と。
いずれにしても糖尿はコントロールしたいもの。
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シロスタゾールの白澤先生も多分同じようなことを書いているのではないか。
細胞が自分を食べる オートファジーの謎 (PHPサイエンス・ワールド新書)
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細胞内のお掃除はきっと大事。オートファジーは細胞内で廃棄処理をするメカニズム。大隅先生がノーベル賞獲りましたが、糖尿病でオートファジー能が落ちるという研究もあり、やはりアルツハイマー病には関係深そうではあります。
*1:いつもは真面目じゃないのか?と突っ込まれそうですが、実際この学会は専門医の更新に必要なポイントを集める為だけに参加する人もいて、そういう人は出席したふりをして観光に勤しんだりする。でも今回は自分も含めて真面目に参加している人が例年より多いのでは?と思えましたよ。大学を辞めると特に何でも聞きたくなるな...情報に飢えているのかしらん。
突然「障害」と言われて納得できるわけがない
「発達障害」という言葉が嫌い
嫌いだと言っても行政に出す書類を出すために使うこともあるし、実際~の専門という時に一々いやそう言うのは嫌いなので…と伝えるのも面倒なので使うことはあるんですが、「障害」という言葉はどうにも使いづらいのです。
というのも、例えば、学校や職場などから「あんたは発達障害の気があるから診てもらってきなさい」という要請を受けて受診された方々や、親に連れてこられて本人的には半強制で来院した子供たち。どちらかといえば自分に問題があるとは感じていなかった人が、問診を経て、検査をしたからと言っていきなり「発達障害ですよ」と言われて納得できるもんかなと思うわけです。こちらとしても、自分から「発達障害だと思いまして」と来られた人ならともかく、そうでないのに「障害」呼ばわりされては理不尽感ハンパないだろうと。
実際、障害の定義が「ものごとの達成や進行のさまたげとなること、また、さまたげとなるもの」(Wikiより)であれば、発達特性を持つ場合に、それが必ずしも障害ではないわけで…そのことは以前書いた中で主張してきたつもり。
科学者、医者、職人さん、にはASDもADHDも、小さい頃LDだったぞという人も多いのですが、今活躍してる人で特性があるからといって障害という呼称を当てるのは明らかにおかしいでしょう、と。
障害ならそれを取り除く、すなわち治療するのかという議論にもなると思うわけですが、特性そのものを「治療する」というのはそもそもおこがましいと言うか、そこは変わらんでしょうとも考えるわけで。
かといって、「障害」を「障碍」とか「障がい」と言い換えるのも何だかもやっとした感情が残ります。少なくてもワタシ的には。行政は当てる漢字を変えればいいでしょう、なのかもですけど。
「障害」の定義、Wikipediaさんは、「医学的には、生理的な機能障害のimpairmentと、その結果ものごとを遂行するための能力障害disabilityが日本語では区別されておらず、また精神障害では、変調を意味するdisorderに障害の語があてられる。」と書いてますが、正にそのとおりで、英語から~Disorderと書いてあるものが、日本では上手く当てはめる単語がないということなんでしょう。
障害という言葉を忌避してか、最新のアメリカ精神医学会診断基準DSM-5の訳では、「~症」という言葉を使い始めました。例えば、パニック障害→パニック症、注意欠陥多動性障害→注意欠如・多動症という感じに。
妥協点としてはまあいいとは思うんですよ。だから「発達障害」も「発達症」と言ってもいいのかもしれないし、実際使っている人はいました。
とりあえず「発達特性を持っている」と表現している
dneuroの臨床ではだから相談をしてもらうのも、「発達特性」という言葉を使ってます。この言葉は誰かから聞いたり読んで使い始めたわけではないけれども、「発達上の特性を持っている」という言い方は少なくても奇妙ではないし、それなら「発達特性」の特徴を見る、ということで良いのでは、と考える次第。とはいえ、英語で発達特性=Developmental Characteristics、を調べると、例えばある年齢範囲の純粋な発達上の特徴、という形で使われているので、必ずしもベスト、というわけではないかもしれない。とはいえ、個人的にはではどう呼ぶのが良いのかはわからなかったりします。特に英語で聞いたときのニュアンスとしてどうなんだろうかとか…。今度ネイティブに聞いてみよう。
ともあれDSM-5の訳、良いと思うんですよね。大体ASDなんかはもうスペクトラムなわけで、定型(この言い方もなんとかならならんかですが)の方との間は断絶があるのではなく、連続した性質の中で、強い特徴が目立つという概念なのだから。ASDの説明項目も、「周囲からの社会的要求が能力の限界を超えるまでは完全には明らかとはならないかもしれない」という記述があって、ハンデになりそうな性質を能力でカバーしていることはよくあるわけです。それで上手く行っているなら、やはりわざわざ「障害」診断する必要は無いだろうと思うんですよね。ある意味問題が出てきたら診断し、問題が消失したら診断を引っ込めるのも可というか。
私はそう感じているんですが、ともあれ自分の特徴を告げられた人が、それを受け入れやすい呼称、そして偏見を助長しない呼称、というのは大事ですよね。それはごまかしとか、ラベルを貼り替えるだけという非難は当たらないと思うんですよ。元々の言葉がおかしいんだから。
理想としては、特性を持っていることに対して、卑屈になったり、蔑視するような感情を持たずに、自由に「俺(私)の特性からするとそれは苦手なんだよねえ〜」とか、「お前の特性だと一体どう感じてんの?どうすれば楽なのよ?」とか気軽に口に出せる状況が良いなと思うんですが。
ちなみに、「統合失調症→精神分裂病」も、変わって本当に良かったと思います。そもそも名が病態を現していなかったし。一方で「痴呆→認知症」は痴呆のままよりはいいけど、「認知」という言葉に本来とは別な意味が加わってしまったのは余り良い呼称じゃないなあとは思ったりします。
医学部を辞めてみた(2)
野心は必要 (かも)
さて医学部を辞めて1ヶ月ほど。
これ実際教員になって2年ほどして思ったんですが、野心、というか地位的な野心ね、これが無いと研究ってやりづらいのだなと。
私はもともと、かなり純粋な好奇心派でして、つまり好奇心が研究の原動力であり、ポジションなんて二の次、というやつ。大学院生時代に師匠筋の方に、「いや全くの地位的野心が無く研究を続けるなんて不可能でしょ」と言われ、それに対して反発心の抱いていたわけですが、まあ年取って少しばかり(かなり?)変質した部分があります。
とはいえ、もともと自分が生涯に渡って研究者であり続けるのは無いな、そんな贅沢が自分に許されるほどの才能は無かろうと思っていたこともあり、出世するなら貪欲に求めるべきインパクトファクターとか、論文のcorresponding author(コレスポと略す)とか敢えて欲せず、特にコレスポは院生さんにも譲ってきたので、まあ自分には地位的野心が入り込む余地が無かったんですが。*1
好奇心だけだと長く続けられない
いや、物凄い贅沢な環境下なら別です。イギリスの貴族的研究者はそれにあたるかな。例えば水素の発見者キャベンディッシュ(→ヘンリー・キャヴェンディッシュ - Wikipedia
)なんてまさにそうで、人と会うことも名誉を追うこともせずに画期的発見をし続けた。ASDだったに違いないとは言え、旺盛な好奇心と名誉への双方の意欲が半端なかったニュートンとは対極というか。
閑話休題、好奇心だけだと長く続けられない理由は2つ。
1.結婚や育児によって研究が自分の人生にとってどれほどの重みを持つのか考えてしまう。
そうなんですよ、特に子供生まれたら育児は大事だし、私は結局育児を取ったし(いやそれでも足りなかったと思うけど)、子どもの成長を実感できる喜びと、病気したときの対応の大事さ/必須さというのを研究の次に置くことは到底できません。軽重で言えば、少なくても自分の研究能力を考えたときには、圧倒的に家庭>>研究の重みなわけで…
でもね、出世をしたかったらもっと両立への努力をしただろうし、疲れていてももっと貪欲に知識の吸収とアイディアを得るための思考を頑張ったと思うんですよ。そうすれば結果的に研究もより良いものをできただろうし。
つまりは、好奇心だけだと、その他の人生の大事な出来事を前にすると、後回しにせざるを得ないというか。
2.好きなことをするには地位を上げるしか無い
政治家みたいだけども、一定のポジションでなければできないことが多い。どの社会でも下でいる限り理想を追うことは難しく、基本下にいるのは修行が必要な状態なのであって、自ら研究テーマを追い求めていきたいなら、まずはお前の能力を証明して(=言われたことをこなし、論文を量産する)からだろう、と。
そう、上になって初めて教授を離れて自分のテーマを追えるもんなのです。そして研究が進んでいけばこれはまた企業と同じで、拡大せざるを得ない。大きなことをするためには自分ひとりで遂行することは不可能であり、大型予算を獲り、人的資源を使いこなしていかなくてはいけない。それにはポジションが下でいては当然ダメなわけで。とりわけ医学分野では。
そんなわけで、これから研究者になりたい皆さんに言いたいのは、ポジションを上げていく適切な野心を持ちましょう、と。まあ当たり前か。dneuroは医者というライセンス持ちで、その資格に極めて甘えられる人間でもあるので、そもそも何かしらにハングリーさを発揮しない限りイカンのですよ。今は以前とは別な気持ちで研究意欲が高いと言えば高いけど。あなたが医者や薬剤師でライセンスを持っているのに研究者としてやっていきたいと思うなら、まずはそのライセンスを利用してお金を得るという甘えからは脱却せよ、と言いたい(すぐは難しくても)。
ちなみに、母校では途中までは、助教は5年(更新1回可)、講師は7年(更新1回可)という、ポジションが上がらない限り契約更新しないよ、という条件があった。今は諸事情により無いようだが、新教員は年俸制に移行しており、少なくても給料を上げるのは条件が求められるようになった。そのための条件は結構理不尽に感じるけどそれはまたいずれ。
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以前もおすすめしたけど、超一流雑誌にフェイクを投稿し続けたヘンドリック・シェーンの話。彼の動機は解明されたとは言い難いが、やはり研究者としてのポジションアップを狙う野心があったからなんでしょう。野心がこんな風に発露されてはいけません。
ちなみに捏造論文数トップは日本人麻酔科医。その数なんと172本(→
藤井善隆 - Wikipedia
それだけのバイタリティがあれば何故まともにしなかった???と疑問に思うのはdneuroだけじゃあるまいて。
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彼女の野心が何だったのか、といえばやはりポジションなんでしょうか。最近も話題になっていましたが、明らかに論文は間違いですよ。それも恐らく故意の。同じ存在を作り出さないという責任が大学にはあるはず。
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出世のための野心と言えばやはりこれ。財前教授。
でもまあ思うんですけど、野心と研究への好奇心って良い研究のための両輪なんですよ。だから、小説家やマスコミさんは、野心的な方は研究への誠実さは二の次で、ポジションだけを求める名誉と権力への権化みたいに描いて、カウンターパートに善意の野心がない世渡りは不器用な研究者を置いてしまうけど、実際には両立できるはずなんですよ。
野心のもたらしたダークサイドに疲れた人にはこちらを。キャベンディッシュが出てきますよ。
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*1:医学部時代に習った解剖学の教授が最終講義で、「私は研究員には自由に研究することを奨励してきた」というのが印象的だったこともあった。自由にさせる、というのは研究者のやる研究の責任も栄誉も教授が取らないのだ、と解釈した。実際発言に拍手が鳴った。
医学部を辞めてみた(1)
dneuroはこれまで房総の某国立大の(1つしかないけど)神経生理学分野教室の講師をしていたが、このほど会社設立のために辞めました。
医学部生活は2007年度から2017年度プラス1ヶ月。
教授の厚意で大変快適な研究&教育生活を送れ、個人的にはパワハラやアカハラなどとは少なくても所属教室では無縁だったのは当たり前のことなはずだが、世の様々なエピソードを聞くに大いに感謝すべきことと感じてます。いや実際教授には感謝しか無いのですよ。自由にさせていただきました。大学院生にも恵まれて、自分が中心に指導した子が2人研究方面の職に就いたのは、大きな成果と誇りたい。*1
さてさて、この約10年基礎系医師研究者として過ごしてみて思ったことを簡単に。
何を置いても研究資金が欲しい
就職した途端、心細くなったのは研究費。
今でこそ科学研究費(科研費という)を取ることがまあまあできるようになったものの、研究はとにかく金がかかるのです。
生物系の研究をやる人は知っていると思いますが、とにかく機材1つ、試薬1つとっても高い。高い。
例えば、DNAを増やす技術、PCR。とっても基本技術だが、そのPCRを行う機械はいっぱしの性能を持つものが欲しければ普通は50万くらい。
組織や細胞の中で今増えている遺伝子を計測するためのリアルタイムPCR。そのための機械は、今は知らんけど自分が買ったときで300-500万くらい。
またそういったPCRを行うための試薬として、まずは遺伝子を組織から抽出したりするキットを購入するが、これらがまた高い。使いやすいあるメーカーのキットは250サンプル分で5万円ほど。それ以外にも当然細々した道具が必要で、これらがまた海外製。代理店を通して買うのが一般的であり、関税なども含めて、大体アメリカで購入する2倍くらいが相場。そう、日本で買うと何でも高く付くのです。
今では欧米に遜色ない研究が日本でも十分にでき、そういう意味では業績を積むのにわざわざ海外留学をする必要というのは感じないのですが、研究環境という意味では、この試薬や機械の価格面という1つをとっても日本で研究することはハンデを抱えていると感じます。
科学研究費として国からもらえるお金は幾つもの種類に分かれているのですが、若手研究者の応募する若手Bとか、基盤Cといった下層の研究費は、上限がそれぞれ2年間、3年間で500万。あら、これじゃリアルタイムPCRの機械すら買えんわ、という…
医学研究には生体試料も必要だ。
例えばマウスちゃんたち。
全く心苦しいことこの上ないが、医学研究の大部分にマウスくんたちの犠牲が必要。彼らマウスも様々な品種を研究によって使い分けるのだが、dneuroが研究に使っているマウス、C57BL/6という。彼らは♂1匹1500円。
マウスの数は研究にもよるが、自分の場合50-150匹くらいは使います。これら全てを購入で賄おうとすると75,000円から228,000円なわけで、マウスも高い。
メスは更に高く、様々な条件に沿った、例えば遺伝子改変マウスは目が飛び出るほどの値段であることも。マウスでこれだけ高いのだから、大柄なラットや、別な動物たちの値段は推して知るべし。*2
大学院時代に行っていた細胞研究は、使いたい細胞にもよりますが、数万円から数十万円で細胞を買います。そして維持にも莫大な金が必要であり、先の科研費なら、少額を当てるだけなら到底継続した研究は望めないのです。維持費が月々数十万で済むなら安い方。
ともあれ、まあまあとにかく研究には金がかかると言いたいわけです。
若手教員にとってのジレンマ
ことほど左様に資金が必要ながら就職当初は資金に悩むわけです。研究室にいる以上教授が獲得している研究費から必要な試薬や機器は購入できるはずだって?
普通そうなんでしょうけど、有り難いことに自分は基本的に「自分がやりたいテーマ」で研究することを許容してもらえていました。逆にいうと教授がやろうとしているテーマと無関係な研究をするのに、教室の研究費を使わせてもらうのは、2つの意味で申し訳ないというか、基本イカンのですよ。というのも教授は当然自分のテーマに沿った形で申請して研究費を獲得しているので、当然ながらdneuroの研究に費用は出せない。当時教授の研究の担い手は大学院生と実験助手さんだったので。まあもう1つはそもそも駄目なのはあるけど、仮に共用できる機器や試薬を買ってもらったとしても、やはり肩身は狭いというか、半人前、学生と変わらんという状況になるわけで…。
科研費を獲得したら状況は変わったのか?
ところがですね、大学院生と一緒になってやるわけですが、彼らの技術を上げていく必要があり、かつそれにもお金がかかるわけです。自分が贅沢に使ってしまえば彼らに使ってもらう金がなくなり、彼らにお金を使ってもらえば私の分が無くなってしまう…。
問題は技術習得をどうするか。
新しい技術の習得は自分よりも院生さんを優先させるべきかと悩んだり…。ココらへんは他の研究者の皆さんはどうなんでしょうかね…。
結果としては院生さんを優先して技術習得をしてもらいました。だって彼らが活躍しないと結局研究室全体としての活力が生まれないし、彼らが力をつければ研究室の業績が上がるわけだし…私は博士課程までで身につけた技術を使えば当面の研究には困らない。ある時院生に「俺だってもっと自分で実験したい」とぼやいたら、「えっそうなんですか?」と。悲しかったな…。
というわけで、博士課程までにできるだけ色々と身につけておこうよというのは大事です。
多分私の長所でもあり欠点でもあるのは広く浅くいろんな研究に携わったこと。
遺伝子解析(RFLP,Taqman,Northern, シーケンス、メチル化)、動物行動、免疫染色、人の認知機能解析、人の脳画像(MRI,MRS,NIRS,tDCS,脳波)などなど。おかげで理解だけなら広範囲にわたって。化学系の方に指導いただいたときは辛かった。医者の研究が如何にいい加減か思い知らされたから…。
思うようにいかない研究費獲得
就職1-2年目はとにかくお金が欲しいからいろんな研究助成に申し込む。
科研費は当然として、民間企業が結構色々と助成をしてくれる。若手の間は。40歳までは!
でも当初は何に応募しても落選ばかり…。特に誰かに教えてもらったりするわけでもないし、申請書は自分で工夫しつつ。
闇雲に応募したので打率1割くらいかな。NatureDigest誌の誌面だったか、オーストラリアの研究者の話として「優れた研究者の指標は打率3割」みたいな記事を読んだことがありましたが、彼女も含めそれってハードル高いです。苦しんでいる若手の方、皆さんもめげずに頑張って下さい。
で、ある時から獲得ができるようになりました。いや今でもそんなに自信があるわけじゃないですが…。
もし、なかなか申請が通らないという方がいましたらとりあえず私が心がけていることを。
・書式は守る。…当然だけど、落ちている人に守っていないことが多かったり。
・応募先にとって魅力的なタイトルを。
・内容は、その分野の素人が見てもわかるように、わかりやすく、話を必要以上に複雑にせずに。
・具体的に書く。何を使うのか、誰に助けてもらう、もらえるのか、今どこまで進んでいるのか。
若手の盲点として、審査する人は自分の研究内容などわかっているだろうという思い込み。だから読み手に知識がある前提で申請書を難しく書いてしまう。
だめだめ、審査する人は大体が年配の方で必ずしも最新技術そのものには精通していないし、膨大な申請書カタログを前にどうしようかと頭を抱えている(多分…)ので、読むのに労を要させないこと。レベル設定は案外難しい。
若手の直面する理不尽
最後に理不尽に対する文句を一つ。
就職して若手Bに落ちたときのこと。かつての上司に審査って何を見るんですかね?と聞いたら「業績」、と。
えぇ、業績ってこれから作るんじゃないの???
内容わからない時、業績欄が埋まっていると、こいつできるなと思われるよと。これって凄い理不尽ですよね…まあでも有力研究室が研究費獲得しやすくなるのは、そういうからくりもあるのねと思った次第。
それでも良い申請書を書けば目につくはず。これからの人は頑張ってください。
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研究室の指南本といえばやはりこれ。本棚にあると気分が盛り上がります(ました)。
科研費獲得の方法とコツ 改訂第5版〜実例とポイントでわかる申請書の書き方と応募戦略
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持っている人がいたなあ。色々参考になることが書いてあるに違いない。dneuroはこの手のは当時なかったこともあるし、使いませんでした。今読んだらそれはそれで役立つと思います。なにせ高額の助成(1千万以上とか)には単独で申し込んだこと無いし。
そう、それとどうなんですかね、大学では科研費獲得のために自分より上級職に申請書を添削してもらう制度があるんですが、個人的にはイマイチ…。
抗ADHD薬の値段を他の精神科治療薬と比べてみる
ADHDの方に処方する代表的2薬、継続するにはかなり経済的に負担がかかる。
改めてその印象が実際のところどうなのか、薬価サーチにて計算してみた。
結果は下図のとおりだが、やはり3割負担で相当に高い。特に日本イーライリリー社のストラテラ(一般名:アトモキセチン)は相当高い。
120mgの目いっぱいまで使うと月に約12000円、年間15万円。
ヤンセンファーマのコンサータ(一般名:メチルフェニデート)も高いがそこまではいかない。最大量72mgまで使っても(dneruroはそこまで処方したことは殆ど無いけど)月に7200円、年間8.8万。
ということで、自立支援医療制度を使った場合と比較もしてみたが、やはり随分楽になる。特にストラテラではその恩恵は大きく、最大量120mgの場合には、3割負担との価格差が年間10万にもなり、所得によってはもっと少なくなるだろう。
抗ADHD薬の使用は、逃れられない無い特性からくるハンデを和らげるのに正当な医療と考えるので、自立支援医療制度は積極的に利用すべき、と思う。
他の精神薬はどうか。
こちらはジェネリックとの比較をしてみる。
やはり日本イーライリリー社のジプレキサ(一般名:オランザピン)は高い。ジェネリックとの価格差は1年で2万円を超える。
一方代表的な抗不安薬で古くからあるワイパックス(一般名:ロラゼパム)はほとんど差がない。
他にdneuroが比較的外来でよく使う身体疾患治療薬だとこちら。
うーん、そうか、必ずしもジェネリックとの価格差が先発薬に無く、これらは正直ジェネリックの品質がわからない状況なら先発品のほうがいいという発想ありだな。
ちなみに今日の薬のお値段はこちらで調べました。便利。
尚、ジェネリックにも実は価格差があって、恥ずかしながらそれは今回初めて知ったのだけど、その理由はこちら(pdf)。
DSM-5 神経発達症群の診断名
発達障害というと一般的には図のように自閉症スペクトラム(ASD)、注意欠如多動症(AD/HD)、それに学習障害という形で紹介されることが多い一方で、医療系が診断書に書くときに参考にする診断基準はちと違う。
WHOの診断基準はICD-10といい、公的な診断書に使われる。一方で、精神科臨床や研究上頻繁に使われるのはアメリカの精神医学界の診断基準、DSM-5。DSMは改訂のたびに疾患の定義や範囲が大きく変わることもあって正直わかりづらい。もっともそれは改訂のたびに一線級の医学者が様々なエビデンスをもとに真剣に議論し、かつ世界的にも広く意見を求めた上でなので、素晴らしいことなのだが。
とりわけ、ASDとAD/HDは神経発達症群の中に含まれた。この分類はとても使いやすく感じる。併存診断も可能になった。従来は駄目だったのだが、これは臨床をよく反映していると思う。ただし、そのせいで診断を曖昧なままにすることも可能にしてしまったとの批判もあり、診断時には注意したい。実際、AD/HD単独でもコミュニケーションの問題やこだわりを抱えることもあれば、ASD単独でも注意・集中に問題を抱えるものだ。
さてざっと見た限りDSM-5の神経発達症群の一覧がネットに出ていないので、今回載せることにした。今の概念だと、例えば発達運動強調障害は、ASDに含まれるわけではないんだよなと。確かにASDやAD/HDで協調運動の問題を抱えている人は多いが(=要するに不器用)、必ずしもそうなわけでないしな。でも症候をそれぞれ独立診断名にしていくと最後に残るのはどういう部分だろうか。
- 作者: 日本精神神経学会,高橋三郎,大野裕,染矢俊幸,神庭重信,尾崎紀夫,三村將,村井俊哉
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2014/06/30
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