医学部を辞めてみた(2)
野心は必要 (かも)
さて医学部を辞めて1ヶ月ほど。
これ実際教員になって2年ほどして思ったんですが、野心、というか地位的な野心ね、これが無いと研究ってやりづらいのだなと。
私はもともと、かなり純粋な好奇心派でして、つまり好奇心が研究の原動力であり、ポジションなんて二の次、というやつ。大学院生時代に師匠筋の方に、「いや全くの地位的野心が無く研究を続けるなんて不可能でしょ」と言われ、それに対して反発心の抱いていたわけですが、まあ年取って少しばかり(かなり?)変質した部分があります。
とはいえ、もともと自分が生涯に渡って研究者であり続けるのは無いな、そんな贅沢が自分に許されるほどの才能は無かろうと思っていたこともあり、出世するなら貪欲に求めるべきインパクトファクターとか、論文のcorresponding author(コレスポと略す)とか敢えて欲せず、特にコレスポは院生さんにも譲ってきたので、まあ自分には地位的野心が入り込む余地が無かったんですが。*1
好奇心だけだと長く続けられない
いや、物凄い贅沢な環境下なら別です。イギリスの貴族的研究者はそれにあたるかな。例えば水素の発見者キャベンディッシュ(→ヘンリー・キャヴェンディッシュ - Wikipedia
)なんてまさにそうで、人と会うことも名誉を追うこともせずに画期的発見をし続けた。ASDだったに違いないとは言え、旺盛な好奇心と名誉への双方の意欲が半端なかったニュートンとは対極というか。
閑話休題、好奇心だけだと長く続けられない理由は2つ。
1.結婚や育児によって研究が自分の人生にとってどれほどの重みを持つのか考えてしまう。
そうなんですよ、特に子供生まれたら育児は大事だし、私は結局育児を取ったし(いやそれでも足りなかったと思うけど)、子どもの成長を実感できる喜びと、病気したときの対応の大事さ/必須さというのを研究の次に置くことは到底できません。軽重で言えば、少なくても自分の研究能力を考えたときには、圧倒的に家庭>>研究の重みなわけで…
でもね、出世をしたかったらもっと両立への努力をしただろうし、疲れていてももっと貪欲に知識の吸収とアイディアを得るための思考を頑張ったと思うんですよ。そうすれば結果的に研究もより良いものをできただろうし。
つまりは、好奇心だけだと、その他の人生の大事な出来事を前にすると、後回しにせざるを得ないというか。
2.好きなことをするには地位を上げるしか無い
政治家みたいだけども、一定のポジションでなければできないことが多い。どの社会でも下でいる限り理想を追うことは難しく、基本下にいるのは修行が必要な状態なのであって、自ら研究テーマを追い求めていきたいなら、まずはお前の能力を証明して(=言われたことをこなし、論文を量産する)からだろう、と。
そう、上になって初めて教授を離れて自分のテーマを追えるもんなのです。そして研究が進んでいけばこれはまた企業と同じで、拡大せざるを得ない。大きなことをするためには自分ひとりで遂行することは不可能であり、大型予算を獲り、人的資源を使いこなしていかなくてはいけない。それにはポジションが下でいては当然ダメなわけで。とりわけ医学分野では。
そんなわけで、これから研究者になりたい皆さんに言いたいのは、ポジションを上げていく適切な野心を持ちましょう、と。まあ当たり前か。dneuroは医者というライセンス持ちで、その資格に極めて甘えられる人間でもあるので、そもそも何かしらにハングリーさを発揮しない限りイカンのですよ。今は以前とは別な気持ちで研究意欲が高いと言えば高いけど。あなたが医者や薬剤師でライセンスを持っているのに研究者としてやっていきたいと思うなら、まずはそのライセンスを利用してお金を得るという甘えからは脱却せよ、と言いたい(すぐは難しくても)。
ちなみに、母校では途中までは、助教は5年(更新1回可)、講師は7年(更新1回可)という、ポジションが上がらない限り契約更新しないよ、という条件があった。今は諸事情により無いようだが、新教員は年俸制に移行しており、少なくても給料を上げるのは条件が求められるようになった。そのための条件は結構理不尽に感じるけどそれはまたいずれ。
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以前もおすすめしたけど、超一流雑誌にフェイクを投稿し続けたヘンドリック・シェーンの話。彼の動機は解明されたとは言い難いが、やはり研究者としてのポジションアップを狙う野心があったからなんでしょう。野心がこんな風に発露されてはいけません。
ちなみに捏造論文数トップは日本人麻酔科医。その数なんと172本(→
藤井善隆 - Wikipedia
それだけのバイタリティがあれば何故まともにしなかった???と疑問に思うのはdneuroだけじゃあるまいて。
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彼女の野心が何だったのか、といえばやはりポジションなんでしょうか。最近も話題になっていましたが、明らかに論文は間違いですよ。それも恐らく故意の。同じ存在を作り出さないという責任が大学にはあるはず。
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出世のための野心と言えばやはりこれ。財前教授。
でもまあ思うんですけど、野心と研究への好奇心って良い研究のための両輪なんですよ。だから、小説家やマスコミさんは、野心的な方は研究への誠実さは二の次で、ポジションだけを求める名誉と権力への権化みたいに描いて、カウンターパートに善意の野心がない世渡りは不器用な研究者を置いてしまうけど、実際には両立できるはずなんですよ。
野心のもたらしたダークサイドに疲れた人にはこちらを。キャベンディッシュが出てきますよ。
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*1:医学部時代に習った解剖学の教授が最終講義で、「私は研究員には自由に研究することを奨励してきた」というのが印象的だったこともあった。自由にさせる、というのは研究者のやる研究の責任も栄誉も教授が取らないのだ、と解釈した。実際発言に拍手が鳴った。