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アルツハイマー型認知症でも残る記憶

アルツハイマー認知症は記憶力を失っていく。
だがどんなことも記憶出来ないのか?


アルツハイマー認知症を発症すると新しい出来事を記憶する力(記銘力という)を障害する。その理由は、主に海馬と呼ばれる組織とその周辺が萎縮するためであり、例えばこのエーザイのpdfなど参照 
ビジュアルde病態 アルツハイマー型認知症


f:id:neurophys11:20151014120134p:plain:rightさて、記憶と言っても実は色んなタイプの記憶がある。日々の出来事を覚えることをエピソード記憶、単語の意味などを覚えるのは意味記憶。こういった記憶は意識的に語ることができるため、陳述記憶という。一方で、例えば自転車に乗る、スキーを滑る、ピアノを弾く、といった動作が流れるように身体に染み込んでいるのも認知科学側からは記憶に分類され、手続き記憶という。このような1つ1つの所作が意識に上らずに覚えられているのは非陳述記憶と分類される。これらはそれぞれ別な神経経路を辿って別な脳領域に格納される。


そしてアルツハイマー認知症(以下AD)ではこの中の特にエピソード記憶力が落ちる。 ADの方と話すと、「え、あの人認知症なの?」と後で知らされてびっくり、ということも少なくない。それは、ADの少なくても初期〜中期は、過去の記憶は覚えているため、今話されている事柄に対して、自らの経験に照らして適切な応答・判断能力は衰えていないからだ。一方で、翌日言葉を交わせば「昨日話したこと」はきれいに忘れていることに気づくだろう。

ではADになるとすべてのエピソードを忘れ去ってしまうのだろうか?
現大阪大の数井裕光先生の論文はそれに1つの示唆を与えてくれる。


Impact of emotion on memory Controlled study of the influence of emotionally charged material on declarative memory in Alzheimer's disease Kazui et al, British Journal of Psychiatry, 2000.


1995年1月17日、阪神淡路大震災があった。今もって直近の大型直下型大震災であり、大きな被害を関西にもたらした(のは当時大学1年だった私の記憶には未だに新しいが、今の学生たちにとっては歴史だ…)。


さて、ある日神戸大の医師*1は、診察室で目の前に座るADのおばあちゃんから「この前の震災は…」という話を聞いた。医師はその震災は、関東大震災のことだろうと推測したが、よくよく聞いてみるとどうもこの前の阪神淡路大震災のことらしい。うん?ADといえば海馬萎縮があり、エピソード記憶が残らないはずだが…


この現象を踏まえ、研究者らは、AD患者と健康な高齢者に11枚の写真と共に2種類の物語を聞かせた。どちらも母親が幼い息子を連れて父の職場に連れて行くという話だが、途中が違う。一方は途中の道で防災訓練を行っている病院を通り過ぎる。もう一方は途中で息子が交通事故に遭い、医者が懸命に救おうとしている写真の出てくる衝撃的な話となる。その後母親は1人で病院から出てくる。

f:id:neurophys11:20151014122202p:plain:rightこの2つ、最初と最後は同じだが、特に最後の場面は母親が1人で出てきたという意味合いが全く異なるだろう。
ストーリーを聞いた5分後に内容を思い出してもらうと… 
健常者は一般的に何か話を聞くとその最初と最後は強く記憶に残り、何も印象的なことがなければ話の中程は忘れやすい。一方で、感情を強く動かされれば、その場面が最も記憶に残るだろう。図を見てもその傾向がすぐわかる。

そして、その傾向はADでも同様であり、衝撃的な場面は、ADでもなんと60%以上の正解率だったのだ。実はこの理由としては、感情を起こす脳部位である、扁桃体がしっかり残っているかどうかが影響していた。つまり海馬萎縮があっても、扁桃体が生き残り、感情が強く動かされれば記憶に残りうることを示唆する。


この研究は何を意味するのか?


AD患者は明確な内容を記憶するのは困難とはいえ、強く感情を動かされれば、それがネガティブなものであれ、ポジティブなものであれ、一定程度記憶に留めることが出来そうだ。少なくてもその感情を突き動かした出来事、環境、人に対しての良い/悪い感情は残りそうだ。このことは介護現場における意味が大きいだろう。覚えていないだろうとお年寄りを馬鹿にしてればそれは何がしかの悪感情を育て、良い反応を引き出せなくなるだろう。そして何より、心を込めた介護は、相手の心に残るのだ。

*1:それが著者たちなのか私は実は直接知らない。これは2007年の神経心理学会の教育講演で聞いたエピソードで、記憶違いがあれば、私の責任である。