ASDを理解するために(1)

ASDはAutism Spectrum Disorderすなわち自閉スペクトラム症の略であり、比較的新しい言葉だ。診断名としてはアメリカ精神医学会の診断マニュアル第5版(DSM-V)から正式に使われている。第4版では広汎性発達障害というカテゴリーに、自閉症高機能自閉症そしてアスペルガー症候群が含まれていた。今は全部ASDに包含されたので、わかりやすいといえばわかりやすいが、概念が随分と広がった。


スペクトラムって何だよ?と疑問に思う人は多い。連続体って意味だ。自閉症発達障害と言っても結局程度は様々で、ある性質は変わっていても他は普通の範囲だったりする。そんな曖昧な「自閉的」部分を併せ持ちながら、全体の性質としてはモザイク模様で健常人(何が健常かは難しいがあらゆる性質が一定の範囲内に入る人たちだ)、極端な人は自閉的性質で塗りつぶされる。



さて、自閉症ってなんですか?発達障害ってなんですか?という質問を受けることがよくある。それは当事者家族であったり、医療関係者であったり、学校の先生であったりと。


とりあえずASDとは何か、特に子どもASDを理解するのに最近勧めているのはこの本で、


信州大の本田秀夫先生の著作。




 梅永先生のblogもどうぞ
  http://blog.livedoor.jp/umechan0701/


両先生の著作からは以前はASDの理解が随分と足りなかったのを感じる。
実のところ私が医者になった2000年あたりに、ようやく日本の普通の精神科医がそろそろ自閉症アスペルガー症候群の人たちをきちんと認識ないといけないよね、という雰囲気が広がってきた気がする。研修医だった当時、振り返ると統合失調症人格障害と誤診されていたASD患者が多かった。梅永先生の著作にもあるが、独特な認知・思考様式が被害妄想を発展させやすく、時により統合失調症の妄想とも区別し難いのだ。エキセントリックで衝動的な行動が前面に出ている時には、境界性人格障害とされがちでもあった。



当事者の著作の幾つかが一般へ果たした啓蒙の役割は大きい。
例えば、ドナ・ウイリアム

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

かなり感動する本だが、この方のとても感情にあふれた文章は著者が「障害」を抱えていると思えず、かえってASDの生きづらさを忘れさせてしまう副作用もあるように感じる。

テンプル・グランディンも有名。

我、自閉症に生まれて

我、自閉症に生まれて

  • 作者: テンプルグランディン,マーガレット・M.スカリアーノ,Temple Grandin,Margaret M. Scariano,カニングハム久子
  • 出版社/メーカー: 学研
  • 発売日: 1994/03
  • メディア: 単行本
  • 購入: 3人 クリック: 35回
  • この商品を含むブログ (13件) を見る
彼女は動物学者であり、人の気持は分からないが、動物たちの心はわかるという。食肉処理施設で、殺される家畜がいかに恐怖を抱かないよう、屠殺場に行けるかを研究した。そんな彼女は人の行動がよくわからず、コミュニケーションの取り方はビデオを見て習得したという。場面ごとにどのように振る舞うのが正しいのかを1つ1つ確認した自分を評して「火星の人類学者」と表現したのはオリバー・サックスの著作で紹介されている。


火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

ただ、こういった著作を読んでASDとはこうなんだと理解するのも危険なことは本田先生も強調している。そもそも圧倒的多数のASD当事者はこんな本は書けないし、著作を書けるだけの選ばれた才能の持ち主の感じ方が普遍的とも言い難いはず。


実際臨床をやっていて痛感するのはASDと一言では言えないバラエティに富んだ個性があるので、ASDだからこれ、という公式はない。だから、対応も決めつけをせずに個別的であるべきだが、こんな特徴はありがちだよね、という部分を頭に留めおけば、定型発達者*1も一々ASD者の行動に腹を立てたり傷ついたりしないで済むだろうなと思うわけです。

*1:定型発達(https://ja.wikipedia.org/wiki/定型発達)ってなんじゃい?といつも感じるわけだが…。ざっくり言って、子供であれば、年齢に応じて期待される発達の程度にほぼ万遍なく遅れが無い子、大人であれば、所属するコミュニティや社会/民族集団で「常識」とされることが苦もなく共有できている人のことを指すと考えて良いのではないかと思う。もっともこの程度の定義にしてしまうと、学習能力の高いASD者は定型発達者と区別がつかなくなるのでは…と疑問もわく(自分で書いておいて何だが)。