経頭蓋直流電気刺激法(tDCS)入門 (1)

2011年、イギリスの総合科学誌Natureで紹介されたのは、経頭蓋直流電気刺激(transcranial direct current stimulation: tDCS)という脳を直流電流で刺激する怪しげな機械とその方法だ。


www.natureasia.com


以下、論説の内容を1つ引用(太字、下線はdneuro)。


2007 年に Boggio と Fregni は、背外側 前頭前皮質に tDCSを行うと、被験者がリスクを冒さなくなる場合があることを 報告した。研究チームは、健康な大学生たちに、コンピューターのキーを押して画面上の風船に空気を入れるゲームをプレイしてもらった。このゲームで は、空気をたくさん入れるほど仮想の金がたくさん手に入るが、もし風船が破裂すれば、獲得した金をすべて失ってしまう。すると、tDCS を受けた被験者は、受けなかった被験者に比べてあまり欲張ろうとしなかった。この実験結果から、依存症にも適用できる可能性が考えられる。Boggioは、依存症では「抑制制御」が効かなくなっているのだと話す。Boggio は、Fregniらととも に、2008年に3つの研究を発表し、背外側前 頭前皮質を刺激した後では、酒やタバコ、甘い菓子を飲み食いしているビデオを被験者に見せても、それらを欲しがる気持ちがあまり起きないことを示した。研究チームは、最終的には禁煙の臨床試験で 同じ方法を試してみたいと考えている。


これはtDCSによる電気刺激が、危険回避に関係した選択を変えた可能性を示し、要するにtDCSは人の行動を変えうることを示唆している。使いようによっては、彼らが言うように依存症への治療になるほか、自分の能力を高めたり、また人の行動を変えてしまうような悪用にも繋がりうると予想される技術だ。


tDCSの基本


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tDCSでは、図(a)のように、人の頭に電極パッド(赤と青の四角いやつ)を当て、弱電流を頭皮から流す。電流到達先の目標は大脳皮質だ。電流の強さは0.5mAから2mA、これは9Vの乾電池 (あの四角いやつ)で十分に作れる程度の弱さで、流されてもせいぜい「チクチク」する程度に過ぎない。それを頭皮という脳が入っている頭蓋の外側から当てるので、「経頭蓋」という。御存知の通り電流はプラスからマイナスに流れるので、電極パッドにはプラス側とマイナス側があり、プラスサイドを陽極(anode)、マイナスサイドを陰極(cathode)と呼ぶ。基本的には陽極を当てた直下の大脳皮質の機能を上げ、逆に陰極を当てると直下の大脳皮質の機能が下がる、とみなされている。


tDCSの基本をまとめてみる。


・目的は大脳皮質の活動を変化させること。
・刺激は0.5~2mA程度の弱い直流電流を5~30分。
・刺激したい脳部位直上の頭皮から与える。
・基本的には非侵襲的な刺激であり被験者は電極位置に僅かな痒みを感じる程度。


どんな効果があるのか?


このtDCSを使った研究は近年その報告数が飛躍的に増大しており、図(b)は医学系論文検索サイトであるPubMedで検索した2001~2017年の17年間の論文数である。見て分かる通り2000年代には世界的に見ても報告数が年間数件しか無かったのに、この数年の伸びは著しく、2017年には714件。今年に入ってわずか1週間の間に既に33報報告があるから、単純計算で今年は1700報以上の論文が発表される可能性もある。


事程左様に急激に研究が進んでいるのは、もちろん効果が高いと期待されているから。


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その効果は、初期には認知機能、運動機能、感覚機能の強化や抑制を中心に報告されてきた。例えば認知機能を担う大脳の前方部分(前頭前野)にtDCSの陽極刺激を与えれば作業記憶が改善したり、逆に小脳に陰極刺激を与えれば作業記憶が低下したなどの報告。運動神経に司令を出す第一次運動野に陽極刺激を与えれば巧緻運動障害が改善し、感覚を知覚する第一次感覚野に陰極刺激を与えれば触覚が鈍くなるなど。


こういった比較的単純な課題での報告に加え、疾患への応用も期待され、片頭痛や慢性疼痛、脳卒中後のリハビリなどへの研究報告が蓄積されつつある。また、精神疾患においても、似たような脳刺激法だがこちらは磁気を使った、経頭蓋磁気刺激法(TMS)と並んで期待されつつあるというところ。


何故脳機能が上がったり下がったりするのか?


tDCSは先に書いたように陽極刺激で大脳皮質の機能を上げ、陰極刺激で大脳皮質の機能を下げる(そうは言っても電流は一方向に必ず流れるから、あくまでも目的の側に当てた電極の側で論を進める)。


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図にあるように、神経細胞はその細胞膜が一定の電位を持っている(膜を挟んで電圧がかかっている)のだが、信号が入ると、細胞膜内外からイオン(主にナトリウムイオンとカリウムイオン)の流れが生じ、膜の持つ電位がプラス方向に傾いたりマイナス方向に傾いたりする。


ものすごく大雑把に言って、膜がプラス方向に傾くと神経細胞が興奮しやすくなり、マイナス方向に傾くと活動が抑制的に向かいやすくなる。


tDCSをかけると、直下の脳皮質に分布する神経細胞で同じ現象が起きると考えられている。基本的に細胞膜の電位が上がると神経細胞は興奮側に傾いて、受けとる信号を強化する方向に働くし、細胞膜の電位が下がると受けた信号を弱める方向に働くので、陽極刺激によって神経活動は強化され、反対に陰極刺激によって神経活動は阻害される。


実際にtDCSの前後で、それは細胞の興奮がしやすくなる(しにくくなる)ことで確認されている。図のように、例えば運動野にtDCS陽極刺激を一定時間行った後に、手の筋活動を誘発させると、筋肉が発する筋活動が筋電図上で増大したり、筋収縮の持続時間が増すことが多くの研究で確認されている。つまり陽極刺激によって、筋肉に動けと司令する神経細胞の活動が高まるのだ。陰極刺激ならその逆。


tDCSは基本的には危険が少なくて取扱いやすい


そんなわけで、臨床応用に大いに期待したいtDCS。危険性は?というとこれが極めて少ないと言っていいが、考えなきゃいけないのは大きく2つ。電流の強さと、効果の持続性。


気になる電流の強さは微弱で、刺激している間は頭皮が「チクチク」する程度。しかも数分もすると何も感じなくなる人も多い。もっとも、dneuroもそうなのだが、一部に敏感な人はいて、そういう人は刺激中ずっとそのチクチク感ないしはピリピリした感じが続くため、快適とは言えず、終了後に何となく頭痛がしないでもない。これは電流の強さに依存し、1mAでは感じても0.75mAでは感じなかったりする。頭皮上の感覚と刺激による効果の関係については特に関係ないはず。


また、電極の大きさは、図のように通常大きめのパッドを用いる。図はドイツneuroConn社のものだが、通常サイズは5cmx7cm=35cm2の長方形。一方で小さいサイズは3cmx3cm=9cm2。この5cmx7cmという通常サイズは、小さな手のひらサイズ。結構大きい。


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同じ電流の強さなら、小さい電極のほうがピンポイントに強く脳に刺激を与えられるのでは?と考えた方、それは正しい。面積あたりの電流密度が大きくなる小さい電極のほうが脳を効率的に刺激する意味では利点がある。


大きい電極は電流が分散され、直下の脳刺激において必ずしも十分とは言えない。


それでも小さい電極を使わないのは、小さいとそれだけピンポイントに電流が流れるため、刺激も強くなり、不快感が増大し、場合によっては火傷もしかねないから。そのため、脳の刺激という面からは余り大きいサイズにはしたくないのだが、一定の妥協をしてのサイズということになる。


さて、効果の持続性という面はどうか?


もしtDCSが劇的に脳機能を変えてしまうとして、それがずーっと続くのは、良い影響ならいいかもしれないが、悪い影響がずっと続いてしまったら困るのでは??

それも今のところは余り考えなくていい。


というのも、効果は、tDCSで刺激している間か、終わってしばらくせいぜい数時間以内に限られているからだ。むしろ、どうやって効果を持続させるか、を実現させたいと考えている状況。


このことは、実験という限定された場では非常に有り難い。神経活動を抑制させるのは、説明を受ける立場として何となく脳機能を悪化させているのではと思いがちだが、その影響が一時的なら実験に参加しやすいだろう。


強い懸念は今のところ無いのは安心していい。


DC-STIMULATOR Plus


tDCS研究に使われている最もポピュラーな機械の1つ。ドイツneuroConn社のもの。およそ150万円。実を言うとtDCSは弱い直流電気刺激を与えるだけだから、乾電池を使って極めて安価に作成可能で、アメリカではDIYする学生が後を絶たないという。が、研究用に用いているのは刺激時間中の電流供給が極めて安定しており、信頼性が高く、様々な条件設定が可能。150万というと高い!と思われがちだが、医療機器としては安い方。でももっと安く良い機械が欲しいけどね…。



今月号の日経サイエンス。医療の話題は「胎盤の不思議」。胎盤というのは不思議な臓器で、母親から出来るのではなくて、胚(受精卵から発達したごく初期の個体)由来だから、母親にとっては異質な細胞の固まり(半分は父親の遺伝子)。なので、母親の免疫系がこれを取り除かないのは不思議。2015年にブラジルで流行し、妊婦が感染すると小頭症の子どもが多く生まれたジカウイルス感染。母親から胎児にどのようにウイルス感染が進むか現在研究中とのこと。本稿ではないが、母マウスは、妊娠し胎盤ができて胎児と共存するようになると一部の胎児細胞が脳に到達するという。人間も同じなら、出産後の女性は脳的にも出産前とは違う人間になっている。