将来必要なのはきっと整形外科医だけ

以前、AIの発展に伴って精神科医は20年後には生き残れないと書いたが、最近はますますそうじゃないかな~と思う。


www.huffingtonpost.jp


いや、人間に打ち勝ったアルファ碁をさらに100戦全敗に追い込んだアルファ碁ゼロなどの記事を見るとその感は強くなる一方だ。アルファ碁は人間の棋譜を学習したが、アルファ碁ゼロはそれすらしなかったのにごく短期間で強くなったので、人間の結果が、アルファ碁が強くなるのにはむしろ足かせだったのだろう。


画像診断はAI医学の得意技


そんな今のAIブーム発展につながった機械学習においてとても親和性が高いのは画像認識。普段は例えば顔認識技術などに応用されてその素晴らしさが実感できるのだが、人の顔というのは要は一定の特徴を持ったパーツの組み合わせであり、そのパーツは更にある範囲内での特徴がある構造の集まりにすぎないから、同じ技術で認識させるのは何も顔に限定する必要はないわけで…。


itpro.nikkeibp.co.jp


記事にあるように、国立がん研究センターNECと共同で、内視鏡検査の画像を認識するシステムを開発している。

内視鏡、受けた方もいると思うが、上部消化管内視鏡ならば口や鼻から、下部消化管内視鏡ならば肛門から長い蛇のような管を挿入し、管の先に付いているカメラが食道・胃・十二指腸(上部)、大腸(下部)の内部・壁面を撮影する。直接見るこの技術による恩恵は絶大なものがあるのは当然で、もうずっと以前から粘膜内にとどまるような初期癌であれば操作者の手元から挿入した別な器具によって切除まで可能になっている。*1


さて、この内視鏡で、例えば胃ならば胃壁の微妙な形状・凸凹や、その色合いなどから、正常か、異状か、異状ならばどのような病変か、経過観察で良いのかそれともすぐに処置が必要か、それとも開腹手術を要するか、など様々なことを判断する。


病変が誰でもわかる典型的なものならば良いが、残念ながら実際には微妙なものも多い。


そこに術者による判定の差が出てきてしまう。ある医師では何でも無いと素通りされるものが別な医師では病変と認定され、それが前癌病変や癌の場合にはその差が生死を分けかねない。記事中「国立がん研究センターの山田真善中央病院内視鏡科医員によると「内視鏡医による検査では、24%の病変が見逃されているという研究結果もある」とあるがそんなものだろうなあと。


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図は日本内視鏡学会雑誌(清水ら、2014)からの写真を載せてみた。論文は炎症性腸疾患(潰瘍性大腸炎クローン病)の病変を他の疾患、特にアメーバ性大腸炎カンピロバクター腸炎、腸結核などの感染性腸炎と誤診しないよう、病変判断のコツを書いているのだが、見分けるのに熟達した技と経験が必要なことがわかる。頻度的には少ないかもしれないが、見逃しや間違いがあるからこそこういう論文が出るのだ。


また、カプセル内視鏡(⇛カプセル内視鏡について)はカメラの内蔵されたカプセルを飲み込むことで、消化管の生理的な蠕動運動に乗って、通常の内視鏡では到達できない小腸も含めて壁面を撮影できるスグレモノ。


ただし、その欠点の1つは画像数が多すぎる(5万枚以上!)ことで、現状医師の目視でぱぱっと見ている。ちょい古いが2008年の論文(Solemら、Gastrointestinal Endoscopy誌)にある内視鏡の診断感度(病変をキャッチできるか)と診断特異度(間違えずに判断できるか)を比較している結果を見ると、カプセル内視鏡は83%と53%。案外病変の拾い上げはできているが、目視に頼る限り疲労度の問題もあるだろうし、精度良く何人も出来るためには自動画像解析に頼るしか無いだろう。


こんなふうに画像にAIの親和性が高い以上、今後画像解析が人の手を離れていくのは避けがたい。放射線科や消化器内科の業務のうちで、専門的判断が必要とされる部分は相当程度自動化されていく。


要は手技の操作的部分以外の内科的判断は全てAIがこなすようになるだろうから、いずれそういう分野の医師は殆ど要らなくなる。


ただ、少なくてもあと数年は、普通の医師にとって便利で有用なツールになるだろうし、その後も精度においてしばらくは名人域の判断>AIの判断という熟練した人間の優位性は保たれるだろうが、少なくても平均的な医師の力はAIに遠く及ばなくなるだろう。時間が経てば、そもそも何を根拠に診断が出来たのか、人の頭ではうかがい知れなくなるかもしれない。


そうなってくると、カプセルで収集した画像さえあればあとは手持ちの画像をAIが判断してくれば事足りるので、内視鏡を扱う医師が、ひいては消化器内科医がいつまで必要か、という話だろう。


もちろん、消化管内視鏡だけでなく、画像判断は例えば脳のMRI,CT、眼科の眼底所見など、画像さえあればその後の診断をするのが医師である必要が無いのは言うまでもない。


問診系もAIだ


問診と検査データから専門知識を駆使し、名人芸的診断を下すのは、内分泌科や膠原病・アレルギー科、神経内科、そして救急医だが、その分野にもAIは親和性が高いだろう。NHKの「総合診療医ドクターG」で断片的情報から診断を組み立てていく思考が披瀝されるが、進化したAIさんはきっと楽に診断ないしは限られた鑑別診断にたどり着くだろう。


dneuroの分野たる精神科医
もちろん、以前書いたとおり少なくても今のようには要らなくなる。時々精神科医は大丈夫でしょ〜と言われるが、そんなのはちょっとした幻想が皆んなの頭のなかにあるからだろう。どういう幻想かは秘密。


外科医は必要か?


さて、今のところ外科技術は人間のもの、という認識が一般的だと思うが、それもそうではなくなる。


現在は手術支援ロボットに過ぎず(⇛手術支援ロボットダ・ヴィンチ徹底解剖)、あくまで操作の主体は人間だが、細かい血管結紮などから順に自動化されていくはず、と思う。そういう方向に行くでしょう?しばらくは小さな血管を次々に結んだり、神経を避けながらの微小病変削除から自動化だろうが、細かい眼科や脳外科手術、肝臓手術時のきめ細かい止血など、人より絶対機械がいい(という風にならないと)。


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消化管内視鏡時の細かい手技は勿論自動化されるし、されるべきで、例えば普段消化器内科医はどれだけ薄い膜に処置をしているのかと(⇛胃がんの内視鏡治療)。今の医師たちが努力の末に大変な成果を出しているのだが、避けがたい出血や穿孔(穴が開いてしまう)リスクは今の数%からさらに下げることができるだろう。まだまだとりあえずは図のように術者がロボットアームを操作する支援ロボットにとどまるのだろうけど、微細な構造へのアプローチはどんどん進むのかなと思える。*2


恐らくもっとマクロの、外傷時のちょっとした処置であるとか、怪我して痛かったり、意識朦朧下で何するかわからないような非常事態下で外傷処置を手早くやってのける、というような肉体労働系がロボットに変わるのは相当先だろう。


そして離島など遠隔地で、設備の整った病院まで行くほどではない、もしくは行く過程の中で応急処置をする、といった中では医者の価値があるだろうと思う。遠隔医療も幾ら整ったとしても器具の整備やネットワークへアクセスする物理的制約からは逃れられないはず。


医者が今後も必要とされるキーワードは、救急、外傷、離島(遠隔地)。


それを満たす整形外科医の皆さんが最後まで必要とされるんじゃないかなあ…当然その人は、ある程度までは内科を含めかなりな万能選手である必要があるが、今だって優秀な整形外科医さんは相当何でも出来るので、そういう人がちょっと居れば医者は十分なはず。


blogos.com


そんなわけで、例えばこの著者さんは医師が要らなくなる理由がないことを説明してくださっているが、少なくてもdneuroは医師自身の実感として、いずれはこんなに要らなくなるし、社会にとってそうあるべき、と考えてます。


AI以外で医者は今ほど要らなくなる理由

さて、これまではAIとロボットの発展に伴って医者が不要になる論を書いたが、実際にはAIが発展しなくたって、今ほど医者は要らなくなる。少なくても日本からは。


少子高齢化社会による人口低下
 dneuroは第2次ベビーブーマーの最終世代だが、様々な要因があるとはいえ、結果的には我々が十分な子どもを残さなかったために、次世代は先細っている。我々が老年を迎えるまでは医療需要が増す可能性はあるが、その後の人口減社会では当然医療需要が減るはず。


予防医学の発展
 医療の理想は病気にならない、発症を抑えられることだろう。
 医学生の頃、臓器移植の講義があり、講師は京都大学田中紘一先生だった。


 「医学の発展に伴い、臓器移植というのは将来は無くなる医療では?」という質問に対し、「正にそれこそが我々の望みであり、我々の仕事が無くなることが理想だ」と答えられたことに皆が感銘を受けた。

 
 そう、今後正常に医療が発展すれば、医師の数なんてそんなに要らなくなるはず。実際に現代社会はかなりな程度予防医学の恩恵を受けており、そのために平均寿命も伸びている。


・ウエアラブル端末による自己健康管理と遠隔医療
前項の一部の機能を担うのだが、Apple Watchを代表格として、ウエアラブル端末で活動量だけでなく、心拍数が計測できたりする。こういった技術の進展は近い将来健康管理に非常に役立つようになるはずで、慢性疾患である高血圧、高脂血症、糖尿病などの管理に近所の内科医が必要、なんてことは無くなるんじゃないかなあ。コレに関してはまたいずれ。


他にも、遠隔医療の発展、医療の自由診療化、移民人口の増大(外国人の優秀な医師が入ってくる)なども少医師化への理由になりそうだ。


というわけで、そもそもAIが予想通りに発展しなくても現在のままの医師供給は明らかに過剰にならざるを得ないと思うわけです。


今から整形外科医になろうかな…とりあえず仮想現実(VR)の発展で外科的処置の練習がきっと容易になるだろうし(おっとそうしたら整形外科的処置も誰でも学べるから、整形外科医すら必要ないかも)。



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天才外科医と言えば、大門未知子よりブラックジャック。どんなにAIとそれに基づく医療が発達したとしても、そのネットワークが届かないところに行ったらその場で手に入る技術を駆使して助かるしか無い。5巻の「ディンゴ」ではオーストラリアの人里離れた僻地が舞台。自分を治す必要が生じたBJは自ら腹をかっさばいて手術をする。こういうとき頼みになるのは自分自身に習得された技術のみ。今だってそうだが、技術とそれを載せるネットワークがある社会と無い社会の格差、システムが壊れたときのサバイバル、そういう場面では人間が役立つはず。


切るか切るまいか、一般的な判断では確実に安全策が取られる中、BJだけは挑戦できる、そんな話が多い。将来のAIはそういった限界の判断をどうするんだろうとは思う。一般的には倫理的枠組みを議論するフレーム問題というやつに相当するかな。




既に囲碁・将棋の世界では人知を超えたAI。AIがあらゆる分野で人知を超えた到達点がシンギュラリティ。もちろん、その後も進んでいくのだがもうその世界ではAIが辿った思考の道筋を人は追えなくなってしまう。そんな未来を従来から予測しているのはレイ・カーツワイル博士。なにせ思考はネットワークにアップロードされて、拡大した人間の知性はいずれは宇宙を満たす、みたいなことを言うので面白いにも程がある。でもカーツワイル博士の言うことはこれまでも実現してきたらしいし、夢がある。ただし博士の言う未来世界の中で、個のもつ意味はとか、人の生きる意味はなんて考えていくと、映画「マトリクス」の世界でVR世界に生きる人たちとか、SF作家アーサー・C・クラークが描いた「地球幼年期の終わり」の進化した人類の姿を思い浮かべたりする。きっとシンギュラリティに達した未来に今の私たちが意識している人という存在は無いんだろう。




未来の話は置いといてとりあえず現実想像可能な範囲で日本が直面するのは人口減少社会。今後の人口減少に大きく寄与したのがdneuro世代なので子どもたちには責任を感じざるを得ない。著者はAIが労働力減少を補う想定そのものを夢物語と説く。うーん、どうかな。個人的には今回のAIブームは本物で、実際に仕事は奪われていくだろうなあと思ったりする。本稿のように医師はとりわけ要らなくなる(特に先進国では)職業の1つと思っているのだが。それより本書を読んで怖いのは人口減少がもたらす治安悪化の恐れかな。人がまばらにしか存在しない、というのは怖い社会なのだ。

*1:dneuroも上部は3回、下部は1回体験した。上部は鼻からが2回、口からが1回である。鼻から入れるのは正直とても楽だった反面、口からでも案外入るのだなと感じた。受ける側のコツとしては、ビデオ画像を見せてもらいながら、管が喉に来た時にタイミングを合わせてゴクン、と飲み込むイメージかな。最近の喉の麻酔は優れものなので、余り怖がらずに。下部は術者の腕によって苦痛が大分違う。上手い人、事前にわかればなあと思う次第。

*2:今後のロボット手術、さらなる自動化進むのか?と思って検索しても今のところ操作は人間がする支援ロボットしか見つけられなかった(例えば⇛11 surgical robotics companies you need to know)。操作が人間である以上ミスは避けられず、支援ロボット使った医療事故が起きていることにも注意。