読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

綾野さんと認知症の記憶について

綾野さんは手強かった


綾野さんはアルツハイマー認知症。大正生まれ。
dneuroは老人ホームの嘱託医なのだが、入居した方にはまずは何か精神・神経的な問題を抱えていないかを診察する。


綾野さんの診察時、看護師からの依頼があった。
「とにかく頑固で、爪も切らせてもらえないのでなんとか説得してくれないか」
そんなわけで、自分としては説得するぞという強い気概を持って初診察に臨み、話をして数分、看護師が手を焼くに十分な「突破力」をお持ちの方だと思い知らされる。


「綾野さん、爪切りましょうよ」と私。
「切りません!」とは綾野さん。
「でもね、爪切らないとゴミが入ったりして不潔だし、身体傷つけちゃいますよ」
「何言ってるの、あんた。私はね、爪の間にゴミを挟むような汚いことはしていないし、身体を傷つけるような間抜けでもないんですよ!」
「いやそうはいってもね、やはり危ないし…」
「わたしゃね、自分の意志でこの爪を伸ばしているんだし、それで悪いことも起こしていないわけ。そういう自由が私に無いとでもいうわけ??」


ここまで言われて、個人の自由を尊重する崇高な人権意識が無いわけではない身としては屈服せざるを得ない。
「いや、そうではないですよ……わかりました…」
看護師から怒られたことは言うまでもない。
後日機嫌のいい時にベテランの介護士が同意を得てささっと切ったという。



さて、そんな綾野さんとは2週間に1度の診察機会があった。綾野さんの人生は波瀾万丈で、職業的意識を越えて聞いているのが楽しかった。
戦前に2度の結婚と2年以内の離婚、それぞれ娘を1人設けているのは珍しいのではないか。そして戦後にもう1回最後の結婚。3人目のご夫君が亡くなって後、ホームに入居となった。

ある日は3度も結婚した綾野さんに結婚について聞いてみた。
「結婚に値する男はいなかったねえ…」
「最後のね、やつはずっと私に惚れていたんだよ。だから一緒になってやったんだ」*1


レクリエーションとして来たフラダンスサークルの方々の公演には行かないというので理由を聞いてみる。
「あんなニセモノには行かないよ!」


本は好き、というのだが理解力が下がってきたこともあり、雑誌を勧めてみる。
「雑誌はくだらないから読まない」


毒舌の綾野さんには、スタッフも手を焼きつつ親しみを感じていたようだったが、入居3年、心不全を患い、いよいよ死期も近いのかなぁという日に会いに行く。いよいよ元気もないかと思いつつベッドに近づいたとき。
「また来た?120歳まで生きる権利があるけど、権利は行使出来ると限らないからね」
帰り際、綾野さん、またね、と挨拶すれば「また、はくさいから嫌だね」


綾野さんは2009年5月14日7時49分肺炎で死去。享年89歳。


覚えていたかは怪しいけれど…
綾野さんには、明らかに記憶障害があり、正直私の顔を覚えていたかは疑問だ。それでも、当意即妙の受け答え、皮肉の聞いた言い回し、そして悪戯っ子のようなチャーミングな表情は認知症そのものが進んだ晩年になっても衰えることはなかった。
認知症だからその人の認知機能が全て衰えるものではないのだ。


ぼくは物覚えが悪い:健忘症患者H・Mの生涯

ぼくは物覚えが悪い:健忘症患者H・Mの生涯

H.M氏というイニシャルで神経学の教科書に必ず出てくる方がいる。本名はヘンリー・グスタフ・モレゾンというアメリカ人。27歳の時、自動車事故に遭った10歳の時から苦しんでいる、てんかんの発作を止めるために、両側海馬切除術という実験的な手術を受けた。以後、彼はアルツハイマー認知症と同様、前向性健忘、すなわちこれからのことを覚えられないという記憶障害に陥った(⇛HM (患者) - Wikipedia)。本書は初期から彼に寄り添い、彼の失われた能力についてずっと研究を続けた心理学者による著作


さて、これからのことを記憶できないHM氏は、コーキン女史に会う度に、初めましてだったのだが、しばらく後からは彼女のことを高校の同級生と認識していたらしい。その理由ははっきりわからないが、HM氏にとって高校の同級生というのは好感のもてる馴染みのある人が多く、そのためにコーキンさんをその記憶に当てはめたのかもしれない(著者もそこまで突っ込んでは書いていないけど)。


綾野さんは、なんのかんの言いながら常に(初対面と認識されるはずの)dneuroには好感を持って会っていてくれた(うぬぼれでありませんように)。私はHM氏にとってのコーキンさんのように、何かしら記憶の中の「良い人」の面影を持っていたのかな、などと思ったりする。もしくは好みの男だっただけかもしれんけど…。

*1:綾野さんが3番目の夫を振り返る口調は厳しい中にも愛情を感じさせるニュアンスは感じ取れた。しかし一方で、夫の死というものは妻たるおばあさんたちに大きな衝撃になっていないことも多いようだ。ある認知症のおばあさんが楽しそうにしているので尋ねたところ「今日夫の葬式なんですよ!」と明るく言われたことがある。この数日毎日そういう状態のようで、夫でもある我が身としては聞いていて悲哀感を感じたもの。もちろん中には、健忘があるために夫の死を記憶できず、毎回聞く度に悲しそうな顔をするおばあさんもいた。前者の方が幸せだとは思うけどね…。