オキシトシンと自閉症〜オキシトシンはどうなっている(2)

前回はNature誌の論説を紹介したが、現浜松医科大学精神医学教授の山末氏らのグループはオキシトシン臨床試験を日本で行っており、一定の効果を得たという発表が2015年にあった。

www.amed.go.jp


その山末氏がやはり同年にPsychiatry and Clinical Neuroscience誌(日本精神神経学会発行の英文誌)にこれまでのASDに対するオキシトシンについてまとめている。そこで言及されている現在の問題点について少し紹介したい(⇛論文はコチラ)。*1


まず、これまでに行われたオキシトシンの単回投与(1回だけ投与する)について。
2003年から15年に発表された11の臨床研究(二重盲検)ではいずれでもオキシトシンの鼻腔内スプレーにて何らかの指標、特に人との感情的交流に結びつくようなスコアが改善している。対象は3つを除けば18歳以上のASDだ。*2


一方、オキシトシンの持続投与臨床研究(二重盲検)は2012年から15年にかけての4つ。対象は7歳から成人まで。オキシトシンのスプレーを短いのは4日間、長い研究では8週間継続。結果は、基本的には1つを除いて効果を認めていない。その1つというのが山末氏らの研究だけど。


そんなわけで、どうも1回限りの使用であれば何らかの変化がありそうだが、毎日使ってしまうと効果が薄れてしまうのはいかがなものか。本当に効果があるのかを含めて、この持続投与による何らかの改善報告の乏しさ、というのはオキシトシンの利用に際して躊躇する理由の1つ。


オキシトシンを治療薬として使う際の解決すべき問題点
・経時的に投与前後のASD中核特性を定量的に測定するための信頼できる評価法がない。


現在の評価法には例えばADOS-2(本人対象)であるとか、ADI-R(養育者対象)のかなり詳しくASD特性を評価するテストがあるが、これらは通常1回きりの評価であり、これで評価する特性が余り変化をしないことを前提に開発されている。例えば、1月にADOSを測り、3ヶ月間オキシトシンを投与して4月に評価する、そんな形での測定には向いていない。dneuroも心理士さんにやってもらっている身として、多分2回目にはたとえ別な心理士さんを相手にしたとしても、介入に関係なく評価点としてはASDレベルが下がることが多いだろうと思うし、そもそも短期間に複数回測ることに向いていない質問が多すぎる。


・臨床研究で期間を変えての治療報告がない。


動物では慢性投与が社交的にネガティブな影響を与えたことが報告されている。そうこれに関しては面白い実験があり、先日紹介した一夫一婦制のプレーリーハタネズミ。雄個体に1回だけの投与ならパートナーへの親密度を増させるが、長期間与えると一夫一婦制でなくなってしまうのだ!つまり、1回なら相手への愛情が増して、より愛情深くなるが、オキシトシンがいつも高まっていると、愛情が他の雌にも向いて傍目には浮気性になってしまう(人間でも優しい性格の男性が艶福家であったりしますよね...)。
これをネガティブ、と表現するのが正しいかはわかりませんが。


・用量を変えての治療報告がなく、至適用量がわからない。


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動物では用量に比例してではなく、効果を期待できる丁度よい(そして狭い)用量があり、その幅を外れると、低用量でも高用量でも効果がない。


こういうのを逆U字形という(図参照)。



例えば英単語の試験を控えた学生時代を想像して欲しい。試験がずっと先だと緊張感がなさ過ぎてだらける(図中a)。覚えられる単語数は僅かだ。試験が近づいて来るに従って、程よく緊張して、記憶に定着する単語数も増してくる(b)。ところが本当に直前の試験5分前。単語帳を閉じる前にもう1つくらい覚えようと思っても緊張感マックスになるともはや頭に入ってこない(c)。*3

オキシトシンの人間に対する効果としても自伝史的記憶を思い出すという作業で、こういった逆U字形的な効果があったという報告があったりするが、いずれにしてもどのくらいの量が適当か、について知見は少ない。


他にも問題はあるよ
その他にも、オキシトシンがどのように中枢神経内に行くのかとか、効果の個人差について、などやはりわかっていないことが多い。denuro的にはオキシトシンを鼻腔内投与することが本当に脳内に作用させることになっているのか、そのメカニズムが正直分からないので要勉強。確かに嗅覚を担う嗅神経が分布する嗅粘膜(鼻の奥)は脳内につながっているけど、そこに噴霧したオキシトシンは脳の奥にまで浸透するのか、それとも何かしらのシグナルを増強するということなのか...。


恨みを溜められるのは困る
さて、オキシトシンASD特性を「治療する」というのなら、効いて欲しい症状(特性)がある。それは、ネガティブな記憶が積み重なりやすく、そればかりが頭に思い浮かんでくることが多いという部分だ。被害的になりやすいと言ってもいい。本人としては苦しんでいるわけで、それが現在の人生に影を落としてしまっているのはとても残念なことだと思う。


もちろん、ネガティブなことが実際に身に起きていたのであれば、その記憶に悩ませられるのは、おかしいとはいえない(その出来事に遭ったのが理不尽なのは当然として)。


問題は、客観的に見るとひどくはない、言ってみれば普通の環境下で、いや良好な環境で養育されたと思える場合においてさえ、どうしても嫌な記憶ばかりが先行して思い返されるASD者が多いことだ。沢山の良いこと、嬉しいことも経験してきたはずなのに...。


養育者の体験談としてはこういうのが当たるだろうか。

アスペルガー?の息子から恨まれてます。 : 生活・身近な話題 : 発言小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


こういった情緒交流の困難さがもたらす恨みが溜められないためには、何かをされた時には相手に感謝の気持ちや嬉しい、という気持ちがきちんと湧いてくれていないといけないはず。それを幾らかでも緩和させるために...ということでオキシトシンが働くなら期待したい。


ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由

ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由


記憶つながりで。著者がジャーナリストで、記憶術に興味を持って全米記憶力選手権(アメリカってなんでもあるな...)参加者にインタビューするうちに自ら参戦してチャンピオンになってしまったという。もともとは超記憶術なんてのを持っていたわけではないから、どうやってなったかを詳らかに書く。dneuroは学生へのセミナーで本書で紹介される記憶術を紹介し、実際に有効なことを示すが、じゃあ自分もやるかというと、正直めんどくさいからやらない。



特異能力を発揮するサヴァンアスペルガー(ASD)として有名なタメット氏。彼の自伝だが、円周率をとんでもない桁数(22,514桁!)まで暗唱する姿をNHKでみた人も多いハズ。すごい……のだが、実はそのタメット氏がASDサヴァンというのは嘘だと看破しているのが上に紹介した本。まあもちろん円周率をトレーニングで覚えようが、努力なしにサヴァンの能力で言えようが、どっちにしてもダメな凡人にとって変わりはしないのだが、それでも嘘が混じっているのを知ると、本書のことも色眼鏡で見ざるを得ない。サヴァンが嘘でもとてつもなく高い能力をタメット氏が持っているのは本当だし、ASDが嘘かまではわからないんですけどね。

*1:2015年のプレスリリースを見る限りはオキシトシンへの期待が高まるようにしか書かれていないが(それがプレスリリースというものだけど)、今回紹介した論文には極めて率直にオキシトシンの薬としての問題点が記述されており、いたずらに期待を高めたりしていない。山末氏は、奢らない、誠実な方だと思うが、オキシトシンの限界はもっと一般に知られてもいい。

*2:二重盲検(ダブルブラインド)…Wikiこちら臨床試験の技法で、薬を投与する側もされる側も実薬と偽薬(もしくは比較する対照薬)のどちらが投与されたかわからないようにする。Aという薬の服薬に効果があったとしてもそれだけでは自然回復と区別がつかない。Bと比較しても、Aのほうが効くのでは?という期待が医者側、患者側のどちらにあっても、その期待値が自覚症状に影響してしまう。現代の薬は二重盲検を経て初めて効果があると言って良い。逆にそれを経ていない薬の効果は基本的には疑うし(多くのサプリがそうだ)、慎重に判断する。

*3:記憶に関するこの法則はヤーキーズ・ドットソンの法則と呼ばれ、色んな現象に当てはまる。例えば、スポーツにおけるトレーニングとパフォーマンスの関係とか。やらないのは論外として、やり過ぎもダメなことって多いよね、と。あと仕事量とやる気の関係とか。また以前も書いたが、レイプされた女性が相手の特徴を余りよく覚えてないとかにも当てはまる。子供に何かを覚えさせようとして怒鳴ったら全く逆効果というのも頷けますね。