怖い本から診断の難しさを知る

脳に棲む魔物

脳に棲む魔物



感動的で貴著な本。

以前治る精神科の病気としてヘルペス脳炎を書いた。
実際、できるだけ早く診断を違えず治療を行えば治る。
ところが、しばしば幻覚や妄想で発症する脳炎は別な精神科疾患に誤診される。最初の医者が間違えるくらいならともかく、何人にもの医者にひたすら誤診され続け正しい治療にいつまでたっても辿り着かなかったら悪夢だ。


著者、スザンナ・キャラハンは本にある病気になった時24歳。
訳者のあとがきにあるように、本書の構成は、前半が著者の次第に悪化していく詳細な精神症状と、医師による相次ぐ誤診、診断が確定されない中どんどんと精神状態が悪くなっていくさまと困惑する周囲の記述は、ホラー小説を読むかのよう。


実は読む前から診断名を知っていた。著者は夜な夜なトコジラミ*1に噛まれているのではないかという考えに取り憑かれてしまう。だが実際にはそれは妄想というもので…。


次第に我を失い、誰から見ても病気だということが明らかになってくる著者に対して、入れ替わり立ち替わり出てくる医師がうつ病躁うつ病(双極性障害)、統合失調症…と誤診につぐ誤診を重ねる。


精神科医でもあるので、この前半は読み進めることが非常に辛かった。我が身を振り返っても、24歳という若さで幻覚・妄想が出て来た場合、統合失調症ないしは双極性障害と診断する可能性は高い。あえて言えば、突然の発症、それまでの社会適応からして、『突然症状を呈する背景に何かがあるには違いない』という確信が持てた時に、見かけの症状からの診断を疑うことができ、徹底的な検査を繰り返すだろう。


スザンナ・キャラハンは何度も、精神疾患の確定診断から長期に不毛な治療へと導入される危機にさらされた。高名な神経科医から「きっとこれは器質的な(身体に原因のある)疾患だ」と疑われて血液検査を受けても正常だったこともあり、一時は匙を投げられる。本人が書くように、本当にたまたま同じ病気を疑える病理に詳しい医師に出会えたこと、その医師でさえ3年前に経験していなければ果たして診断が出来たことさえわからない。


診断に至るまでの間、離婚してバラバラだった両親との絆、そしてボーイフレンド(恐らく彼も若いだろうに!)の示す彼女への献身的な愛情が本人を支え続けた。信じがたいほどの彼女への愛と信頼。諦めなかった彼らに感動と尊敬の念を禁じ得ない。


診断が確定すれば治療は一応進む。ただ、絶対的な治療が確定されているわけでもなく(現在もそう)、果たして上手くいくのかはハラハラする。勿論、本書を本人が書いている以上、回復したはずだとはわかっているのだが...。


本書は、まれな病気から回復した本人が書いただけでも貴重だが、診断過程、そこに至る本人と周囲の人間の葛藤、そして回復した患者の心理が決して晴れやかなものじゃあ無いことに心が痛む。


本筋とは離れるが、著者が若干24歳でニューヨーク・ポスト紙の記事をしっかりと任されている点や、周囲からの信頼を得ていることにも驚く。学生時代からインターンとして同社に所属し、活動していたこともあるのだろうが、アメリカ社会と日本との差を感じる部分でもあった。


(ところで似た書評がアマゾンにありますが、私です)

*1:トコジラミは別名南京虫 吸血昆虫サシガメの仲間(https://ja.wikipedia.org/wiki/トコジラミ)