気になる発達障害の話題(2)_発達障害グレーゾーン

発達障害グレーゾーン (扶桑社新書)

発達障害グレーゾーン (扶桑社新書)

この前のエントリでも書きましたが、この本、かなり話題のようですね。
読み始めは、グレーゾーンという言葉に対して、どういうスタンスを医師としては取るべきかなとも葛藤があったのですが、読み進めるうちに、言葉として必要性を感じてきました。また、診断がおりている人よりも潜在的に多く、可視化されていないというのはその通りと思います。発達特性は、診断されようがされまいが、あるわけだし、後述のように、状況によってシロクロつけ難い状態というのがあるので...。


さて、「発達障害グレーゾーン」、疾患名ではないので、定義として定まったものはないですが、


発達障害的特性を持っていることが生きづらさにつながっているけれども、自閉症スペクトラムADHDといった確固とした診断名がつくには至らないという状態


ということかなと。


「グレーゾーン」が生まれる理由


例えば自閉症スペクトラム(ASD)であれば、以前
自閉症〜名前の変遷〜 - 神経科学者もやっている精神科医のblogに書いたように、そもそもASDは定義からしスペクトラムなのだから、いわゆる定型発達との境目というのは曖昧です。


そうですね、お湯って何度から?という疑問に答えるのが難しいのと同じかな。一般的には40度前後なのでしょうけど、人が感覚的に把握できる境目というのはかなり微妙ですよね。明らかにこれはお湯、水、という触れればわかる温度がある一方で、境界域の温度は周囲の温度との相対的な比較でしか言えず、お湯とも水ともいい難い。だから、性質を非常に強く持つ場合はわかりやすいのですが、微妙に強い(弱い)性質に対する二者択一判断は、人によっても、さらには同じ人でもブレやすい。

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右の図のように青から緑へのグラデーションというのも考えてみました。周囲環境によって青とも緑とも言いづらいって思いませんか?
人も、その人のおかれている状況によって、発達特性が強い弱いは随分相対的なはずです。


結局、精神疾患の診断基準というのは検査値のような数値をもとにするものではなく、本人の言葉、周囲の人の言葉、そして行動観察から成り立つので、曖昧かつ医者によってその適用に差があるのはある意味致し方無いというか...。


そうなると、この診断の曖昧さを持って精神科は信用ならん、という声は当然あるわけです。ただ、まともな精神科医ならば、ということで持っている共通概念みたいなものはある。とはいえ、発達障害診断が典型的なように、時代によってそれも揺らいでしまう...。


ともあれそんなわけで、A医師は正常(定型)範囲のバラツキと判断する一方で、B医師は診断基準内と判断して診断という状況が生じているわけです。



正直、dneuroも医師として18年経ちましたが、研修医時代にはほぼ知識がなく、教育もされていませんでした。自閉症は極めてまれ、ADHDは子どもの疾患であり、大人相手だとまず会うことはないというか。要するに小児科の先生が扱うというイメージだったことを考えると今とは隔世の感がありますよ。



今考えればASDの人は統合失調症に診断されていたことが多かったし、ADHDはほぼ様子見でした。そう、それに特に今ならストレスへの適応が未熟なASDと診断する人たちを、境界性人格障害と診断していたように思います。それで、治らない、としたり、ひどく強力な薬物療法をしたり、はたまた何だか役に立っているのかわからない精神療法をしている話も聞いていました。


そんな診断上の曖昧状態は、この10年ほどの発達障害/発達特性への理解が進むにつれて徐々に埋まりつつありますが、それでもやはり医師による違いは大きい。



ともあれ皆さんの中には、発達障害のことを相談に行ったのに、目の前の人を発達障害を診断しない場合ってどんなとき?ってやはり疑問かと思います。


自らを振り返ってどんなときにそういうことがあるのか、次回考えてみたいと思います。
発達障害と診断しない医師の思考プロセス」ですね。



ちなみにグレーゾーンの話題は週刊SPA!でも取り上げられていました。webでもかなり読めます。

nikkan-spa.jp

SPA!(スパ!) 2019年 2/19 号 [雑誌]

SPA!(スパ!) 2019年 2/19 号 [雑誌]


グレーゾーンとはどういう人?から当事者の悩み、生活の工夫まで結構なボリュームで載せてくれてます。当事者紹介の欄を見れば、うっ、それは診断されたほうが楽なら診断されるべきでは、と思える内容が多いですね。dneuro的感覚からすれば診断にメリットがあるなら、された(する)方が良いと思うし。


その中で...男性ADHD患者さんに時にいますが、ストラテラ服薬中に勃起障害というのも出ていますね。感覚過敏のために人の肌に触れるのが苦しい、などもやはりパートナーとの営みでは障害となりうるだろうなあという声も紹介されています。そこら辺は、外来で話題に出来ればいいなあと思います。副作用がある人は早めに言ったほうがいいですよ。


もう有名な本ですね。著者の方が当事者として自分のやり方の工夫を様々な面から解説してくれています。診断受けたあとの心構えなども。
SPA!にも紹介してくれている中で、私がコレはと思うのは、不注意で忘れてしまう、なくしてしまうのは前提で、大量にストックを用意しておけ!というライフハックです。

本では、ワイシャツも靴下も大量に予備を持て、と主張。要するに最低限の身だしなみをするのに、いざという時に足りないというのをなくしてしまおう、ということですね。何も高いものではなく安いものでいいと。


上記のSPA!にもこの方の囲み記事があって、例えばタブレットはベッドやデスク周りに合計6台持っていると。中にはカレンダー専用で持っているものもあり、一度予定に入れてしまえばどの端末でも確認できる。


うーん、大抵は、忘れ物をなくそう、どうなくせばよいか、という発想を大きく逆転させいているんですよ。でも結果的には忘れてしまうことが多いのなら、これは物凄く立派な解決法ですよね。自分も忘れ物が多いけど、結構目から鱗だなと。もっとも、今子供でいる子にこれを推奨していいかは微妙ですが...。



まあ思うのですが、診断がついていようがいなかろうが、こういう特性があればこういう対応が良い、というは変わらないんですよ。だから、発達障害診断された子に優しい、良い対応というのは、グレーゾーンの子にも、定型の子にだって良いはずで...とはいえ、定型的な子に対してはいささか過保護気味になることはあるか。