今年のノーベル賞と概日リズム

海外に旅行すると時差ボケが強くて困る人と大して問題ない人がいると思う。


dneuroはもともと時差ボケが強いとは思っていなかったが、大学院生時代に参加したアメリカ西海岸のサンディエゴでの学会。5日間のうち2日は時差ボケのせいか眠気がものすごく、ほとんどホテルで寝て過ごしてしまった。我が身の体内時計の頑固さと予防策を取らなかった自分の至らなさに恨みを抱いたのを覚えている。*1


で、今年のノーベル生理学・医学賞は日本人が受賞しなかったが、研究としては我々が時差ボケを持つことにも関わってくる内容。


scienceportal.jst.go.jp


受賞したのはアメリカの70代のおじ様たちで、いずれも概日リズムを制御する遺伝子、いわゆる時計遺伝子の発見とその機能研究に功績のあった方々。


概日リズムとメラトニン


概日リズムというと一般的な言葉ではないと思うが、要は人も含めて地球上の殆どの生物が24時間周期の生理的なリズムを持って生きている性質のことをいう。


www.nobelprize.org


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ノーベル賞のページで紹介されているのを和訳したのが図1Aで、通常、人の生理現象にはリズムがあり、例えば一番体温が低くなるのは早朝だし、血圧が一番高くなっていくのは午前中(一番高血圧になるのは夕方)、反応速度が一番早くなるのは午後で、夕方には体温が一番高くなる。


こういったリズムは、外部からの刺激(光や社会的な刺激)に影響されるものの、基本的には1日のリズムを生み出す内的なメカニズムを持っている。つまり外からではなくて、自分自身が時計のように周期的なリズムを刻んでいて、それが生物の持つ体内時計となっている。


図1Bで示すように、その中枢が動物では脳の視交叉上核(⇛Wiki)という部分にあり、光によってそのリズムを調整する。*2


さらに脳の松果体からは、メラトニンというホルモンが分泌され、言ってみればこのメラトニンがその量の変化で身体の各部位に伝令として今が何時ですよ、と伝えている。図1Cはヒヨコの松果体細胞を取り出して分泌されるメラトニン濃度を測定しているが、松果体自体も光情報によって調整を受けながらリズムを持ってメラトニンを分泌していることがわかる。*3


概日リズムを作り出す時計遺伝子

さて、今回ノーベル賞を受賞した皆さんの研究の中心は時計遺伝子。


人では視交叉上核の神経細胞が時計遺伝子活躍の場となる。


一方、その時計遺伝子の発見と機能究明に鍵となった生物はショウジョウバエ生ゴミや発酵した果物に寄ってくる、あの小さいハエ。


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時計遺伝子はショウジョウバエでその周期性が研究されたが、働く遺伝子やメカニズム的には人を含めた多くの生物で共通している。


時計情報を担うのは幾つかのタンパク質群であり、その合成が24時間の周期で調整を受けていることを発見したことになる。


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特に初期に発見されたのがPER遺伝子で、これはピリオドタンパク質を作る遺伝子。図2の下に描いたように、細胞内でこのタンパク質は夜に量が多くなり、日中は少ない。

PER遺伝子は細胞核内で転写が活性化して、細胞質内でピリオドタンパク質に合成されだんだん細胞内に貯まってくる。


  注)遺伝子DNAは細胞核内に存在。DNAはタンパク質の構造が書かれている設計図だが、タンパク質は細胞核の外、細胞質で合成される。


十分に貯まると、ピリオドタンパク質はタイムレスタンパク質(TIM遺伝子が設計図)とともに細胞核内に入り込んで、今度はPER遺伝子の活性化を抑制する。つまりもう十分増えたから合成ヤメレと伝えることをしている。

このようなタンパク質合成とその抑制のサイクルが極めて正確に24時間周期で動いているので、時計遺伝子と呼ばれるのだ。


研究に大きな役割を果たした実験動物、それはショウジョウバエ


時計遺伝子研究で活躍してくれたショウジョウバエ

ショウジョウバエは実験動物として非常に優れている。理由は以下のようなものかな。*4


・世代交代が早く、1週間から10日で子孫を残してくれる。
・だから遺伝子変異の結果を子孫ですぐに確認できる。
ショウジョウバエの全ゲノム配列(遺伝子配列)が短く、コンパクトで解析しやすい。
・飼育が容易で、飼育費用もお得。


こうして分かった時計遺伝子の機能とその結果として生物が持ち得た概日リズム(サーカディアンリズムとも)。その成果が例えば不眠臨床にどう役立つかなんてのはまたいつか。時間医学なるものもあるようだし。



今日のトピックに興味を持った人は良かったら粂和彦先生の本を。やや古いが記載は色あせない。

睡眠研究に役立ったショウジョウバエ。寝なそうな昆虫も実は寝る。一瞬でも動きを止めないように見えるが、そんな彼らもじっとし、少し大きい音や刺激を加えないと動かない時間があり、それは夜に多いという。研究者によって、その時間が10分続いたら、とか30分続いたら睡眠とみなすようにしているらしい。時計遺伝子の1つを無くしてしまうと、そのハエは断眠に弱く、12時間眠らせないだけで死んでしまうという。睡眠は生存に必要なのだ。人では当たり前だがハエでさえ。


ちなみに粂先生は今は名古屋市立大学薬学部の教授だが、本書執筆時は熊本大学で奥様(当時教授)の研究室にいらした。dneuroは本書に感動し、一時弟子入りを考えていたが、事情により断念した。行ってたら人生違っていただろうなあ…。



生物時計はなぜリズムを刻むのか

生物時計はなぜリズムを刻むのか


さらに興味を持った人はこの本を。絶版は勿体無い。生物時計研究の歴史や研究成果の細かい部分まで丁寧に解説しているので、専門家にも役立つ。といっても2000年代前半までの研究成果が基本だが、正直基礎は今も変わっていない。


エピソード満載だが、その中から1つ。
電気自動車の全自動運転で有名なTeslaの創業者イーロン・マスク氏は火星移住計画を考えている。そこで火星の1日は24.65時間なことが実は人の概日リズムを狂わせる。地球の1日24時間と大した違いではないと思う。ところが、実験では1日が24時間よりちょっと時間が短かったり長かったりするだけでもメラトニン分泌リズムが狂い、睡眠-覚醒リズムの維持が困難となる。
火星移住には人の概日リズムも妨害要因になりうるのだ。


体内時計の謎に迫る ?体を守る生体のリズム? (知りたい!サイエンス)

体内時計の謎に迫る ?体を守る生体のリズム? (知りたい!サイエンス)


新し目の本ではこれかな。
未読だが、目次を見る限り読みやすそう。


ところで、どの本でも時間医学はトピックになっている。NHKでも抗がん剤投与を夜にしたら効果が増し、副作用が少なくなったという紹介があったし、多くの病気で1日の中での症状変動があるのも確か。


時間医学は時間科学者が必ず言及するとは言え、dneuroを含めた一般医家には知識が殆ど無い。実際どうなんだろうか…というのを今後確かめたいところ。


最後に、ショウジョウバエ研究といえば東北大学の山元研究室。
www.biology.tohoku.ac.jp

ショウジョウバエの研究から人の行動の起源となりえそうな様々な遺伝子を発見。記憶や求愛行動、性自認などの分子メカニズムに関して。最近一般書を書いてくれなくて寂しい。

*1:今なら正直飛行機でがっと寝るために睡眠薬を使ってしまうが、薬を使わない方法ならJALのサイトなどどうぞ⇛https://www.jal.co.jp/health/arrive/ 他のサイトは正直科学的に??な記述多し。鍵は旅行前から少しずつ時間をずらす

*2:体内時計を調整するのは実際には光情報だけではない。人であれば朝食や夕食といった食事や、時間によって異なる挨拶など社会的な事象も調整のための情報として使われる。

*3:もっともメラトニンは睡眠ホルモンや体内時計を知らせる役割があるだけではなく、実は様々な良い作用をもたらしている可能性もある。⇛この方のblogに詳しい⇛http://blog.livedoor.jp/beziehungswahn/archives/30497276.html

*4:医学実験は沢山の動物の犠牲の上に成り立つ。マウスやラットも実に可愛く、見ていると実験に供することの罪深さを考えてしまう。ショウジョウバエはそういった罪悪感を大きく減らせるのが実験者としての利点の1つでもあると思う。でも、進化系統樹の別の到達点に達している彼らはヒトからは種として余りにかけ離れているので、医学実験に使うには制約が大きい。早くスパコンとAIが進化して動物実験など必要なくなる世界を望む。