ためしてガッテンに見る医療情報伝達の難しさ

NHKためしてガッテンは普通の医療関係者にとって、時に評判が悪い。個人的には認知症をもたらす正常圧水頭症について取り上げられた途端に「うちのおじいちゃんもそうじゃないんですか?」というご家族の質問が続いてやや閉口したことがある。*1


info.ninchisho.net


そんなわけで、放映された途端に番組内容に沿った形での検査や医療を要求される方が増えることが通常診療を妨げてしまうことが医療関係者内でよく批判されるのだが、今回の特集も早くもネット上で批判がかなり目につく。


www9.nhk.or.jp


番組内容に興味を持った方、オンデマンドで見られますよ、と思っていたら今は見られず、サイトでもついに謝罪が加わった。

批判はこんな感じで展開されていたので読みたい方はこちらを。


2017年2月22日放送のNHKガッテン「糖尿病に睡眠薬」に疑義を申す


見てみたが内容は面白い
で、まだ見られる時にオンデマンドで見てみた。批判を読んだだけだと、主張したい内容を煽って、専門家の立場からは得られる示唆も少ないかと思って警戒しつつ視聴したのだが…dneuro的には結構興味深く、面白く見ることができた。演出が上手くて、さすがテレビ。見せ方に感心してしまう(嫌味っぽいか…)。

内容的には要するに下記3つのことについて。


睡眠障害と糖尿病の関係
・交感神経系とインスリン分泌や血糖の関係
・デルタ波が多く出る深い睡眠(番組ではデルタパワーと紹介)が現代人は少なくなっている


実際のところこの3点はそれぞれきちんとした内容であり、この番組が本来伝えるべきことを医学的に正しく表現するならば、こうなると思う。


 ・糖尿病患者の中には深い睡眠が得られていないなど睡眠障害を抱えている
  患者が一定割合で存在する。
 ・浅い睡眠下では本来働くべきでない自律神経(交感神経)活動が高まりやすい
 →血糖値上昇→早朝高血圧→血管障害の進展という悪循環形成
 ・睡眠障害を改善するための介入によって悪循環を断ち、糖尿病を改善させる
  ことが可能な場合がある。


この内容を、一研究者の仮説的内容や、試みている治療を強調しすぎることなく伝えることが出来たなら良かったと思うのだが…


ベルソムラが直接糖尿病を改善させるわけではない
番組で最も大きな問題点と感じたのは、登場された大阪市立大学医学部、代謝内分泌病態内科学(長いな…)の稲葉雅章教授が、糖尿病の睡眠障害の治療薬として、殆ど1つの薬、つまりベルソムラ(一般名はスボレキサント)があたかも夢の薬であり、特効薬かのように紹介していることだろう。普通にこの番組を見ると、ベルソムラさえ服薬すれば糖尿病の改善が達成できるように思えてしまうが、そんなエビデンスは今のところ無いので、殆どの批判がここに集中している。糖尿病治療の先生のもとには、「ベルソムラ処方してください!」という患者さんが殺到してもおかしくないくらいだ。


NHKはこれまでに稲葉教授の研究を紹介していたようで、今回の特集もその延長上なんだろうなと。実のところベルソムラを使って睡眠障害を改善させることが糖尿病治療に効果的ではないかという論文自体は内容的にはマトモ。


www.osaka-cu.ac.jp


でも、注意が必要。ベルソムラはあくまでも、睡眠障害を改善させるための介入法、とりわけ睡眠薬治療の中の1選択に過ぎないのだ。実際のところ、ベルソムラが糖尿病の改善に役立ったとしてもそれは間接作用であり、睡眠障害を改善させるための手段は、生活習慣の改善(運動、仕事量の調整、環境調整など)や他の治療法の選択(例えば認知行動療法)など他にもあるので、番組があんな誘導的であってはいけなかった。稲葉先生の研究自体はおかしな内容ではない(真偽は今後の研究による)だけに専門家の信頼を失わせるような紹介に関与したのは非常に勿体無いと感じる。


小さな問題点を2つ
1つは、ベルソムラ服薬によって、普段の血糖140が、112に低下した=糖尿病が改善したぞ!的な実際の患者さんを出したこと。実際には糖尿病における血糖の変動はかなり大きいものがあり、正直その程度の低下は治療に関係なく見られるもの。大事なのは持続的に丁度よい血糖調節がされていることで、1回の測定で血糖が低いことは糖尿病改善の指標にはならない。通常そのための指標はヘモグロビンA1c(HbA1c;1ヶ月程度の血糖推移を反映)だし、糖尿病で最も注意が必要なのは実は低血糖発作なのに、と感じますよ。もっとも出演された方にとって112という’正常値’が嬉しかった気持ちは伝わってきた。


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もう1つはデルタパワーという言葉。番組を見た殆どの人は、あたかもそういう力、能力という意味合いのパワーを人が持っていると勘違いしそう。この番組で言うデルタパワー。脳波というのは図を見るように色んな波から成り立っているのだが、覚醒して目を開けている時にβ波、閉じている時にはα波という波が主に観察される(図は大熊輝夫著、「脳波判読Step by step 入門編」から)。それぞれ観察される一定の周波数内に収まる波をそう名付けている。*2一秒間に幾つの波が出ているか、が周波数なので、例えばα波は8-13Hzの波だが、それは波が1秒間に8回から13回観察されるということ。人は睡眠の深さに応じて脳波を変化させるが、深い睡眠段階(ノンレム睡眠の3もしくは4段階という)では非常にゆったりした脳波である、デルタ波が観察される。こういった周波数の異なる波が一定の時間内にどのくらいの割合で出てくるのかを、フーリエ変換という手法を用いて示した量をパワーと呼ぶ。つまり、デルタパワーとは、ある一定時間内に出現してくるデルタ波の量(割合)を示す言葉であって、デルタ波を出す力があるとかそういう意味ではない。


願わくば、ベルソムラが脳波を改善させるよ、というもっと説得力のある証拠が欲しかったのだが、番組で紹介されたように、簡易的な測定器(多分この開発に稲葉先生関わっているんじゃないのかとも思うけど…)での測定で改善しましたよ、という単なるデモは、証拠として圧倒的に足りない。


ベルソムラは新しい機序の睡眠薬だが、必ず効くわけではない
一臨床医として、ベルソムラが良い薬というのは確かだと思う。
この薬は、睡眠薬とは言っても、多くの睡眠薬(ベンゾジアゼピン)のような依存性が無く(少ないと言うべき?)、筋弛緩作用を心配することがなく(筋弛緩作用が強いと起きた時力が抜けて転んじゃう)、そういった安全性が高い上に効果もちゃんとある。もっとも、2014年に世界に先駆けて日本で発売されたため、世界的なエビデンスにはまだ乏しい。


ベルソムラの作用機序はとても変わっている。ベンゾジアゼピン系やバルビツール系といったこれまでの睡眠薬は、鎮静効果のある受容体に働きかけることで、いわば無理やり催眠効果を誘導していた。一方、ベルソムラは、オレキシンという覚醒タンパク質(我々は起きるために必要なタンパク質を持っているのだ!)の働きを阻害する。起きているのを邪魔すると眠くなるのだ。


開発過程も従来薬とは違っていて、とても興味深いが、今日はとりあえず↓参照で。柳沢教授は現在テキサス大学所属だが、もしかしたらオレキシン関連の研究でノーベル賞も、と期待されていたりもする。


睡眠障害の謎を解く(基礎研究最前線)


で、このベルソムラ、確かに使い勝手はいいです。睡眠障害でこれまで精神科にかかっていなかった人に対する薬としては、使いやすい。ただまあ、どの薬にも言えることだけど、効果があるとは限らないし(効かないという人もいれば、効きすぎという人も当然いる)、副作用(傾眠と悪夢)はちゃんとある。


医療情報の伝達って難しい
長くなってしまったけど、dneuro的には今回の内容は、問題点と今後の治療方向性をもっと穏やかに言えれば、こんなに専門家の反発を受けないのに、と思う。


ただ、どの番組にも言えるのだけど、医療情報をテレビで伝達するのって難しい。テレビ的にはできるだけ断言的に、センセーショナルな作りをしないと視聴者の気が引けないというのがあるよねぇ、と。本当は、科学者が物を言うときは、大体が仮説的なことしか言えないので、迫力が無いのだ。


今回の件なら、上述したように、睡眠障害を抱えている糖尿病の人は、それを良くすることで、糖尿病も改善される可能性がありますよ、その時には、もしかしたらベルソムラのような新しい睡眠薬が役に立つかもしれませんよ、まだ研究中で断言はできませんけど…、なら科学的には許せる。でも、テレビ的には、そんな「〜かもしれない」「もしかしたら〜」「断言は難しい」という言葉じゃ曖昧で、視聴者受けが足りないと考えるはず。


以前書いたようなダークサイドに落ちた科学者さんたちもおしなべて断定ばかりする(だから断定口調の科学者というのは余り信用出来ないことが多い)。


そんなわけで、このblogも主張を断定的には書いていないつもりで、その分迫力に欠けるかもしれません…でも1つだけ断言できるのは、「病気の治療でこれが決定的でそれしかない、と言える治療法は今のところ何1つ無い」、ということかな。だから、権威の言うことも、サプリの煽りも、ある程度距離を置いて聞こうね、という、医療ユーザーとして正しい姿勢を我々は持たなければいけないのですよ…。


とりあえずわかりやすい一般書。ベルソムラまでは話が出てるかな…
昼間眠くなるのはお昼ごはんを食べたせい、とか良い睡眠時間は決まっているとか、誤解が解けるかも。


眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎

今日の内容に実は関係ないけど、睡眠絡みで…イタリアのある貴族家系は、ある年齢に達すると眠れなくなる致死性不眠症という疾患を発症する。その理由には人間が持つ食人習慣が関係したという意外な話に展開していくノンフィクション。この10年位で一番面白い本だったのでいつかは改めて紹介したい。


新版 脳波の旅への誘い 第2版 ‐楽しく学べるわかりやすい脳波入門‐

新版 脳波の旅への誘い 第2版 ‐楽しく学べるわかりやすい脳波入門‐

脳波を勉強したい、医学生、今日の図に使った大熊先生の本は買わなきゃいけない本ではあるが、とりあえずフレンドリーな本で勉強したいならこちらをどうぞ。脳波は古い検査だが、今でも進歩しているし、なにせ測定コストが安く、またリアルタイムに脳機能を探れるスグレモノなのだ。


ところで糖尿病と言えば糖尿病食。いかにも不味そうだが、ここ兵庫県尼崎市池田病院の病院食は美味しそう。何ごとも知恵と工夫次第と思える。できるかどうかは別問題として。

*1:「治る」認知症としての正常圧水頭症認知症診断において必ず鑑別すべき疾患の1つ。なので、「最初にその可能性を否定しているんですよ〜」と繰り返すことになった。が、まあ確かに頭のなかで色んな疾患を否定しつつ診断をしてはいるものの、その過程の全てを説明したりしないからな…と反省点もあるし、しっかり鑑別しているよなあと確認する機会になったのも事実。

*2:覚醒閉眼状態でα波と書いたが、α波ってすごい一般的な脳波なんだよねえ。昔α波発生機とかいうのが流行った時期があるし、今でもリラックスしたら出てくるとか言うんだけれども、実際には普通の脳波。α波を増やす機械の開発にどうですか?と誘われたこともあるけど、理論的に何も納得できず参加しなかったことがあるなあ…。