優しい薬物療法を目指したい (2)

良い薬物療法はあなたに優しいはず
さて、良い薬物療法はある意味悪い薬物療法の裏返し。


正しい診断のもと、症状を緩和したり治すのに十分に効果を望める必要最低限の量、可能なら出来るだけ少ない種類を。定期的で、十分な副作用対策(副作用対策は薬だけとは限らない)。そして効果が発揮され、目的が達成された時に可能ならば減量もしくは中止する。


但し、言うは易しというやつで、現実にはスムーズに行かないこともある。良い薬物療法は実際には、医療者と患者双方の協力が不可欠で、出した薬の作用はそれが生活をしやすくしているのか、医療者の注意深いモニタリングと共に、患者側も医療側に伝えることをして欲しい。受療側は、介入手法の1つである薬物療法が、目的を達しているのか、改善させたのか、悪化させたのか、もしくは不変なのかを判定する必要がある。


「飲んでます?」と聞くと実は飲まずにいることも多かったりする。うん、結果が良ければそれでOK、怒ったりしませんよ。でも基本的には医者は出した薬は飲んでくれている、と思っているから、忘れたにしても、故意にしても、何を飲まなかったのか、は伝えて欲しい。そうでないと効果・副作用把握に誤解が生じるし、医療費の無駄遣いだ。もちろん、副作用が辛くて飲めませんでした、は殆どの場合しょうがない。*1合う、合わないはあるし、辛い副作用があるのに飲み続ける方も時にいらっしゃるが、頑張りすぎる前には主治医や処方医と相談して欲しい。


薬に抵抗はあるかもしれないけど…
前回冒頭に「時間制約のある現代精神医療の中では中心にならざるを得ない」と書いたけれども、薬物療法に後ろ向き、ということではない。
薬に抵抗を感じる、というその感覚は健康的だ。余分な異物は体内に取り入れたくない、そんな気持ちはとても良くわかる。


でも、正直症状に苦しみ抜いて自然の回復を待つ、のは余りに辛い時がある。服薬することで、眠れぬ夜が少なくなって疲労が回復し、死にたい気持ちから生きたいという気持ちに変わる、不安で外出もできない状態から安心して外出できる、そうなれるかどうか、まずは飲んでみてもいいだろうと思う。


副作用には、副作用が出ない量を使う、使う薬の種類を変える、副作用どめを使う、といった対策が取れる。


抵抗感だけで薬を飲まなかったり、とにかく少なくしたいと効かないような極小量を飲んだり、あれやこれやと感覚だけを頼りにした自己調節、は避けて欲しい。ただし、きちんと飲んでもらうための説明であったり、対応が医療側に必要であることも言うまでもない。やはり良い薬物療法は、両者の協力の上に成り立つものですよ。


dneuroは、困りごとはできるだけ良い方向に改善されていくべきと思うが、一方で「治療者」に依存して生きていく期間はできるだけ短い方がいいはずとも。医者にお世話になんて本来はならないほうがいいのだ。薬物療法は、丁寧に、正しい方向でやれば、受ける側の自己治癒力を邪魔せず、かつ他の治療法以上に自立を促し、医療者無しに過ごす自分なりのやり方を身につける生き方につながるものだと考えている。


カウンセリングは理想?
薬物療法に抵抗感がある方には、精神科に来たらカウンセリングとイメージを持っているのかなと思う。そう、カウンセリングなり、精神療法が理想なのか?という問いには、疾患や症状(要するに困りごと)、年齢、状況によっては、と答えたい。
まずは、提供されるカウンセリングが相談者にとって良くなる方向において正しいとしても、それを受け入れる脳の条件が整っていることが必要。つまり、幻覚・妄想、興奮や不安・焦燥感が強すぎたりする中では言葉が入っていかず、まずは薬で脳を落ち着ける必要があるだろう。
さらに、困りごとに、破綻した人間関係や明らかにおかしい職場環境、ないしは全く能力とマッチしない仕事をしている、といったことが関連しているなら、それをどうにかせずに薬物療法もカウンセリング(精神療法)も効力を持たないだろうと思う。環境改変させるのはカウンセリングだけでなく、薬物療法だって話しながらそれをしてもらっていきますよ。


また、ここでは詳述を避けるが、例えば精神分析はdneuro的には治療行為とは到底思えないし、間違った、というか方向性の誤った精神療法は時に薬物療法以上に副作用をもたらしかねない。*2


ところで、今流行りの認知行動療法も、訓練を受けていない治療者では効果を発揮し得ない。効きやすく、薬物よりも効果を発揮する疾患(例えば、単一の恐怖症、強迫性障害パニック障害)がある一方で、認知行動療法だけでは治療が困難な疾患(例えば、統合失調症双極性障害)がある。昨今の流行で、「認知行動療法が最後の砦」的意識を持っている医療者・患者がいるが、万能でないのは他の治療法と同じです。


うつと不安の認知療法練習帳

うつと不安の認知療法練習帳

本を読むのが苦手でない人で、認知行動療法に興味のある方にはこの本を一押ししている。アメリカはやはり自分で何とかする、というためにワークブックが良く出来ている。本書は認知行動療法入門にもなるし、不適応な思考がどんなプロセスで出来上がっているのか、わかりやすい。


ではいずれは内科疾患になるのか?
精神科医としてしばらくが過ぎた頃、小児科の同期と話していたら、「あ、結局そうなんだ。でもいずれは内科の仕事になるってことかい?」と言われたのを思い出す。確かに、病因が解明され、根本治療がされたら、検査と治療法が一体となり、精神科医の武器である詳細な問診による診断、という技術が不要になる可能性は高い。そうなれば理想的とも思えるが、研究者視点でそれがあと数十年単位で可能とは到底思えない。以前も書いたが(⇛精神疾患って原因あるの?)、精神疾患の原因、すなわち原因遺伝子保持からその発現が疾患に至るまでの身体内での発展メカニズムは絶望的なまでにわかっていない。*3内科の仕事になるのはまだ当分先だ。

*1:辛い副作用があったとき、とりあえず服薬を止めてほしいと思う。精神科においては特別な場合(急性の興奮時や感染症膠原病など身体疾患による精神症状治療時)を除けば、まず大体は一旦止めても大丈夫。副作用の中には危ないものもあるのだからひどい副作用があると感じたなら、とりあえず止めてからまた相談して欲しい。

*2:実を言うと精神科医になって精神医療に不信感を覚えたのは、精神分析治療のカンファに出たときだ。正直それはあなたの感想じゃないの?という医師側の言葉や、分析上級者たちが具体的な言葉もなく相互理解しているのがまずは気持ち悪かった。さらに、言葉による治療に頼る(はずの)分析上級者たちの薬物療法が多剤併用大量であることが多く、副作用に無頓着なことにショックを受けた。単に私の接した方々が悪かったのだという可能性はあるけれど、今に至るまで不信感を払拭しきれてはいない。また、精神療法というわけではないが、しかし類似のものとして危険性が高いのが「洗脳」だろう。

*3:よく「統合失調症の原因遺伝子が判明」みたいな記事が踊ることもあるが、全てウソ、まあそれは言い過ぎにしても、その研究者が解析した範囲内で原因の1つになり得る結果が得られた、程度の解釈が正しいものばかり。真の原因究明はまだまだ先の話。