医学生は将来ダークサイドに落ちないでね(2)
部活も大事だが、思考法もちょっと磨いてみて欲しい。*1
ダークサイド、というと悪いことを自覚的にしているようにも思えるが、実際には効かない医療を信じ込んでしまっている場合があったりする。
自分の経験や、「独自の研究」から導いた結論を信じ込んでしまっている先生方もいて、そういった先生方は、元は善意なものだから、訂正しようが無い。このblogでこれとか、それとか、おかしいよと言うのも、本人が良いと信じてやっているなら名誉毀損で訴えられそうでし辛いものがある。
ヒトの脳の癖を知ろう
ヒトの脳というのはとにかく騙されやすいってことに自覚的になると少しはおかしな理論に対して免疫ができるんじゃないかな〜とこの数年思うのです。
人がどうしようもなく「信じたがる脳」を持っているその理由のキーワードが、バイアス。
ヒューリスティクス
数多くあるバイアス、つまり思考上の偏り、思い込みの中でも誰もが日常的に行っている行動がこれ。
何かって言えば、「必ず正しい答えが導けるわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることが出来る方法」のこと。ヒトだけじゃなくて動物だってそうなんだが、生きていくための情報判断の基本戦略だ。例えば、トラの生息域で、ヤブの向こうに隠れ見える縦縞を見た時に、
1. トラ 2. トラに似た模様の倒木
どっちと考える?と聞けば普通は1でしょう。
2だと思ってモタモタしていたら命が幾つあっても足りないわけで、確実性には劣るが、確実であることを待つわけには行かない状況では極めて有効に働くことが多い。
答えの精度は保証されないが、回答に至る時間が短くて済むのだ。
人も動物もヒューリスティックに物事を捉えるので簡単に無関係なものを関係があると思い込む。「雨乞い」なんて典型的だろう。日照りが続いて続いてもう限界というところで雨乞いをすれば、そろそろ雨が降る確率が高いわけだが、「雨乞いが雨を招いた」と結論付けるから、次の日照りからは雨乞いをするのだ。
我々はバイアスの中に生きている
日常自分がどれだけ偏見に基づいて物事を判断しているか考えてみて欲しい。
例えば「少年犯罪は激増している」なんて言葉を聞くともっともらしく思えたりする。だって、ワイドショーではしょっちゅう凶悪な少年犯罪を特集してるし、多いからこそ厳罰化なんて話が出てるんでしょう?と。
ところが、実際には現代は戦後最低の少年犯罪数で推移しており、率も低い(⇛
犯罪件数・少年犯罪が史上最少更新 「犯罪激増」と言うマスコミの謎)。
ついでに興味のある人は警察庁の統計を⇛少年非行情勢(pdf)
なのに、多い、と感じてしまうのは、メディアの発達と少ないからこその報道の多さとその詳しさで勘違いしてしまうのだ。
こういう、情報によって思い出しやすい考えが出来てしまってそれに基づく判断してしまうのを「利用可能性バイアス」という。
(ヒューリスティックな決めつけは利用可能性バイアスの1つだ)
その他にも以下のようなバイアスがある。
・後知恵バイアス: あの検査をしていれば助かったはず、という医療過誤への発展。
・代表性バイアス: 白衣を着ている女性は看護師。
・平均への回帰: 2年目のジンクス…本来の実力は1年目の神ってるようなもんじゃないのよと。確変でテスト100点取ることもあろう。
・ギャンブラーの誤謬: コイントスで続けて4回裏だったから次は表じゃないかな(確率はその都度1/2なのに…)
・アンカリング効果: 同じ犯罪でも、求刑が4年と7年では、判決結果が異なってしまう。
医学生として取るべき姿勢
何かしらもっともらしそうな言説を聞いた時に、君らの取るべきdneuro的姿勢は以下だ。*2
・提供もしくは引用されたデータや文章、言葉を鵜呑みにしない: オリジナル文献を読んで裏とりをしよう。メディアはしばしば論文内容を誤解、曲解し、時に論文で言及されていないことまで言ってしまう。
・権威を無批判に信じない: 医学も科学である(べき)以上、権威の言うことであっても盲信してはいけない。批判的吟味をしよう。
・数字にだまされない; 統計データだからと無批判に受け入れてはいけない。有意差があっても、臨床的に意味のない結果は数多く、また相関は得てして因果と勘違いされる。
・ある説を受け入れたら次にそれを疑う(信じるまでに一旦留保する): すげえと一瞬思っても、すぐに検証しよう。その説は得てして期待はずれだから最初に信じ込まないようにしよう。信じてしまうとアンカリング効果が働いて訂正しづらくなる。
・きれい過ぎるデータはまず嘘だと思え: 医学の結果は複雑な人間の生理を経た曖昧な結果であることが多い。あんまりキレイな曲線がグラフに描かれていたらむしろ疑おう。
・「絶対…」「必ず…」「…の可能性は無い」も仮説: 強い口調は疑ったほうがいい。何ごとも例外があるものだ。
- 作者: E.B.ゼックミスタ,J.E.ジョンソン,宮元博章,道田泰司,谷口高士,菊池聡
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飲んで治ったら効いた、は疑え
「私も最初は疑っていたんですが、何ごとも自分で体験しなければいけないと思って具合の悪い時に飲んでみたんです。そしたら、ほんとに効くじゃありませんか!もうこれは興奮してしまって、外来の患者さんにも機会があれば飲んでもらったんですが、本当に劇的に効くんです。」
熱烈な漢方支持者や、ホメオパスとなった医師からこんな言葉や文章を聞いたり見たりすることがある。*3
実際こういう、「最初は疑念を持っていたのに、その効果を自ら納得できた専門家」の言葉はもっともらしく聞こえ、いかにも信頼が置けそうだ。
でもね、それで効果を判定してはいけないんですよ。二重盲検試験を経なければ、それはその人の個人的体験にすぎない。素人じゃないのだから…。
飲むときには、効いたらいいなという期待値が働く。そして尚素晴らしいことに、飲んだ後何であれ症状は緩和されることが多いが、それは自然経過と区別がつかない。
患者に投与しても効いたんですよ、という反論には、そもそもあなたが「効きそうに思う」患者に対して「効くんですよ〜」といって薬を出したら、それはもうプラセボ効果出しまくりというもんだ。砂糖玉だって効くだろう(ホメオパシーはまさにそうですね)。
ほんとーに効果を論じるのならば、「飲んだ、治った、効いた!」の3た法(高橋晄正)になっていないか強く戒めるべきだ。*4
医学史を知ろう
医学の歴史は間違いの歴史。
先人の医家はもーのすごい間違いを繰り返してきて、科学性を基盤とした権威への挑戦者が正してきた。
ギリシャ医学の医の倫理「ヒポクラテスの誓い」で有名なヒポクラテスは立派な医師だったけど、当時の医学は解剖を基礎としていないから、人体構造も生理学も発展しておらず、人間の身体は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つの体液の調和で健康が保たれているという思想だったし、その「想像」は何世紀にも渡り欧州では真実だった。
欧米には、「瀉血」が流行った時代がある。発祥はギリシャだが、瀉血は一時はどんな病気にも効く中心的医療となって、瀉血のためのヒルが使われたりした。もちろん血を抜くことは、限定的な条件下を除けば、身体に負担を強いてしまう行為で、治療どころか病気を悪化させてしまう。アメリカ建国の父、ジョージ・ワシントンは、倒れた時に大量の瀉血療法を受け(2リットル近い血液が抜かれたらしい)、まあそれで殺されたようなものだ。
正統医学(多くの医師が正しいと認識している一般的な医学)は、かつては権威の説(想像)に盲従していることが多く、数多くの間違いを繰り返した。しかし、治療法の検証に、二重盲検試験のようなバイアスを排除した厳密な臨床試験を用いることが一般的になってようやく現代医学は殆どの場合において信頼に足りるものに発展している。
間違いを科学的手法で正してきた医学史の歴史を学ぶと、同じ間違いを自分がしていないか、自分自身を検証可能になる、と思う。
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外科の夜明け―防腐法 絶対死からの解放 (地球人ライブラリー)
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ちなみにこの本は、消毒法と麻酔法の歴史を軸に、外科学の歴史が書かれているが、読む人は選ぶ。昔の手術描写はグロいのだ。医学生なら必読。
*1:ご存知の方もいると思うが、医学部生はほんとに部活ばかりしている。それまで部活動を出来ていなかった反動からか、朝から晩までとにかく運動部活動に勤しむ学生は多い。dneuroだって医学部生時代の中心は部活だったし、そこで彼女も出来たし、今も有り難い先輩後輩関係がある。でも教員の立場で学生を見てると、現代医学の実践に必要な知識量を考えたとき、もう少しばかり勉強してほしいなあとは愚痴りたい。
*2:書いてて思うがジャーナリズムの基本と重なるのでは。メディアの科学記事が全然裏取っていないのを見る機会が多く残念なのだが。
*3:感覚、は勿論大事。でもそれは「自分の」感覚であって、普遍ではない謙虚さを持つ必要はあるでしょう、と思う。尊敬していた先輩医師がホメオパスになった時、非常に悲しかったのを思い出す。
*4:高橋晄正氏は東大物療内科の医師だった。一時もてはやされたアリナミンの薬効に疑念を抱いたことで有名。市民運動家でもある。dneuroは氏の活動全てに賛成するわけではないけど、飲んで、治って、効いたと判断する危険性については氏の著作で頭に焼き付いた。