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2016年も早く過ぎた人へ

あけましておめでとうございます。

今年も精神科系や心理系を含めた医療系の話題について神経科学者と臨床精神科医的視点から書ければと考えています。


さて、まあ毎年のことながら、2016年も早く過ぎ去って、やりたいことのどれだけができたんだろうと些かの後悔や罪悪感をもって今年を迎えたわけだが、なぜ大人になるほど時間は早く過ぎ去ってしまう(ように感じるのか)のか。きっと他にも2016年が早く過ぎてしまった…と嘆く人は多いハズ。


主観的時間感覚の子供と成人の差

 なぜ今は1年があっという間に過ぎてしまうのに、子供の頃は1年がとても長かったのか?勿論、物理的な時間の長さは基本的には誰にとっても平等に同じはずであり、子どもの1年が大人より長いわけではないことを考えると、実際には「感じ方」の問題となる。つまり時間の長さの感覚は主観的なわけで、その感覚を「主観的時間」と呼ぶ。これは年を重ねるにつれて長くなるか?短くなるのか?
 
 実は、この子どもと大人の主観的時間感覚の差、というのは前々から実験されており、また理論的にも考えられている。


 1つは、子どもは心拍数が早い
これは動物一般に言えるが、小さい動物ほど心拍数が早い。だからネズミは象に比べて遥かに1分間の心拍数が早い。その数なんと1分間に600回。人間も赤ちゃんの脈拍数は1分間に140回くらい。小学生が110回程度。一方成人すれば60回まで減る。つまり大雑把に小さい子供は大人に比べて2倍の心拍を1分間に打つのだが、言ってみれば、大人の1秒は子供にとって2秒の重みを持つということになる(はず)。だから時間の長さは客観的には同じでも子供には長く感じられる。


 一方、ジャネーの法則(⇛ジャネーの法則 - Wikipedia)なんてものがあって、こちらは5歳にとっての1年と50歳にとっての1年では、それまで生きてきた長さに対しての重みが違うだろうと。つまり、5歳にとって1年365日は生きてきた日数(1825日!)の20%も占めるが、50歳にとってみれば18250日のわずか2%。その重みは年とともに益々小さくなるから、1年が経つのが早い。


 刺激が多いほど、魅力的に感じる時間が多いほど、主観的時間が長く感じられる、という研究結果もある(経験的にも明らかですね)。退屈な時間は記憶の中でぽっかり抜け落ちる。未経験なことばかりの5歳にとって1年は沢山の新しい記憶で埋められるが、80歳にとっての1年は経験したことばかりで、振り返った時に思い出せる刺激的な出来事はごくわずか。


 dneruo的には退屈な時間が抜け落ちることはしっくりくる。初めての土地に行くとき、往路はたどり着けるかという不安も強く、長く感じる一方で帰り道はあれ?と思うほど短く感じることが多いでしょう?記憶を辿れれば早いし、そうでないと長く感じる、というのであれば、これからのことを覚えていられない認知症の方は子供のように主観的時間感覚が長いのだろうか…。

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

ネズミとゾウの心拍数の差といえばこれ。著者の本川達雄先生、随分個性的で、以前話題にもなった。
曰く、心拍数の生涯回数というのは基本的には一定であるため、心拍数の異常に早いネズミはゾウに比べて寿命が短いことになる。
ちなみにゾウの心拍数は3秒に1回!1分間に20回程度しか無いことになる。これは体重の4分の1乗らしい。生涯心拍回数は15億回ということだから、人に当てはめると約26年。人間は例外なのだ。
 
www.athome-academy.jp

実際ネズミの1秒がゾウの1秒と主観的感覚が一緒だったら多分あっという間に生涯が終わってしまうだろう。だから、確かに心拍数が主観的時間感覚を決めるというのも頷けるところはある。
しかし、私dneuroは基本頻拍気味で、大体80-100/分なので、生涯心拍回数が決まっているとすると短命ってことかよ、とは思った。