2015年_購入した医学系一般書(3)

悲素

悲素


医学系、というと違うかもしれないが、九州で開業されている精神科医小説家の昨年の新刊は、和歌山の毒カレー事件を題材にした小説だった。


和歌山毒物カレー事件(https://ja.wikipedia.org/wiki/和歌山毒物カレー事件)


夏祭り会場で供されたカレーを食べた人たちが間もなくから激しい嘔吐をし始め、4人が死亡、他に63人が病院に搬送されるという阿鼻叫喚地獄を呈した大事件だ。

小説は、九州大学医学部名誉教授で毒物の専門家である井上尚英先生をモデルとした主人公に、この事件をめぐって警察・検察側証人として決定的な役割を演じたその鑑定を主軸としてかなりノンフィクション性高く当時の状況を描く。

著者いわく、「犯人はもちろん、カレー事件だけを恣意的に裁いた裁判官もバカタレですよ。せっかく井上(尚英)先生たちが毒物を砒素と特定し、その他1件の殺人及び3件の殺人未遂を究明したのに、その地道な努力が報われんかったとですから」と。


【著者に訊け】帚木蓬生 和歌山カレー事件が題材の『悲素』
(http://www.news-postseven.com/archives/20150905_346902.html)


箒木先生、井上先生から鑑定試料一式を渡されて、知られていない事実が多すぎると驚愕したそうだ。林真須美被告の関わったとされるこの毒物カレー事件では彼女と夫のしたであろう保険金詐取事件が殆ど知られていない。死刑判決が状況証拠のみでくだされたと批判されることが多いが、裁判所はカレーを状況証拠で断じるならば、保険金詐取を狙った殺人・殺人未遂に関しても同じく状況証拠から被告以外に犯人は考えられないのだから認定すべきだったのだ。小説に描かれる主人公の心情の通り、井上先生自身、判決に垣間見える事実認定のための発想が歪であり、残念であったのだろう。


しかし、この著作、延々と医学的記述が続く場面もあり、そういったところは飛ばし読みしないとキツイ人多いのでは。ヒ素中毒なんて医者だってほぼ絶対診ないので、勉強にもなった。
身についた知識はこれ。


ヒ素は感覚障害、鉛は運動障害、タリウムは髪の毛がごそっと抜ける。


井上先生と毒物に興味を持った方はこちらをどうぞ。


脳科学は人格を変えられるか?

脳科学は人格を変えられるか?


著者はオックスフォード大学教授。著者紹介によれば認知心理学と神経科学、遺伝子を組み合わせた先端的な研究を行ってきたという。そう、セロトニンという脳内神経伝達物質がある。セロトニンは神経同士の信号として働くが、いわばその信号強度を調整するような働きをするセロトニントランスポーターというタンパク質がある(注:凄い大雑把な説明です)*1。このタンパク質をコードする遺伝子には、長いタイプ(L型)と短いタイプ(S型)があり、S型を持つと不安が強く、悲観的であるという。逆にL型を持てば楽観的でストレスに強い。そんな遺伝子と性格の関係を、あの若年性パーキンソン病の俳優マイケル・J・フォックスが遺伝子L型を持っていることと絡めて論じたりしている。マイケルはとてもポジティブで強いのだ。実験をしてみると彼のようなタイプはネガティブな面に目を向けず、常に物事のポジティブな側面に目を向けるような注意バイアスを備えているという。


ともあれ、脳にはポジティブな心の動きを生む「サニーブレイン(楽観脳)」と「レイニーブレイン(悲観脳)」が同居しており、そのバランスが我々の心の動きを形作り、ひいては私という存在になっている。当然サニーブレインが強く働くことが望ましく、レイニーブレインが強い状態が病的。著者はまさにサニーブレイン的思考が強いのだろう、どうすればそうなれるのか、を様々な研究事例を引き合いに出しながら語っていく。ちなみに両者のバランスは3対1がいいのだという。調査によれば1ヶ月間のポジティブな感情/ネガティブな感情は幸福と感じる人が3.3であり、幸福でない人は2.2だったという。


自信たっぷりな口調を読んでいると、そうかやはり楽観は大事だなとまあ単純なことに気付かされるものの、タイトルの「人格を変える」は大げさな印象。どっちかといえば、人格を決める脳のメカニズムがこれくらいわかってきたのだ、という内容だ。語り口が軽い一方で、研究内容もわかりやすくかつそこそこ詳しいから、この手の心理系書籍としてはお得だと思う。



思えば我々は、人格というのは固定されたもので、変えられない、という言葉に納得しがち。境界性パーソナリティ障害は、ちょい前まで「人格障害」と直訳されたのでなかなか刺激的な病名だが、「あなたは人格障害だから治らないよ」なんて平気で言う精神科医もいた。今から考えるとひどい話。


もちろん、人格は容易に変わるものではない。確かにベースとして遺伝因子を背景に一定の固定された「性質」はあるだろう。でもあなたの「性格」は、あなたを取り巻く環境や経験に裏打ちされており、環境を変え、身についた習慣から逃れられれば変えられる部分は実は少なくない。
性格と信じているもの、それは単に経験から身についた技術、である可能性があるのだ。



2年連続一歩手前で負けてプロ囲碁棋士になりきれない伊角青年は自らを内気で人の言動に惑わされやすく、感情コントロールが下手くそと考えている。そんな彼に中国のプロ棋士が言う「つきまとう感情に振り回されないようにする、それには…元々の性格なんて関係ない。修得できる技術だ」


特別脳科学なんて考えずとも、性格が訓練で変わり得るって考えるほうが人生にとって有意義なはず。診察室ではそう話すことにしている。

*1:著書の中ではセロトニン運搬遺伝子と訳されているが、ちょっと誤解を招く。別にセロトニンを運搬するタクシーのような分子の遺伝子じゃない。一時S型はどう、L型はどう、みたいな研究が流行って、私の出身医局でも研究していた時期があるが、これ1つじゃ決まらんよ、というのが正直な感想。話としてはわかりやすいけど。