高齢者の運転について

先日、大学で授業をしたんです。

医学部で新設された科目なんですが、行動科学の授業で、タイトルは「脳の働き方を知って人に優しくなろう」。


コンセプトとしては、人がついパッと考えてしまう中には、実は事実と違っていたり、固定観念や偏ったものの見方(バイアス)を知らず知らず持っていて、それが人に対して厳しい意見や対応につながっている場合があり、そこに自覚的になろうということです。


さて、その中で、今話題の高齢者の運転問題についてとりあげました。

この問題、皆さんにとってはどうでしょうかね。


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どうでしょうか。75歳以上ドライバーの死亡事故と来たら、人を巻き添えにしていそう、とか、死亡事故は急増しているイメージありませんか?


とりあえず客観的データを確かめてみましょう。ソースは警察庁交通局が平成30年に発表した、「平成29年における交通死亡事故 の特徴等について」(pdf)がいいでしょう。


これ、答えは3だけなんですよ。まあ当たり前そうなこれだけです。


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ニュースを見ていると、高齢者の運転をどうにかせねば、という議論が多いですよね。
でも、なんとなくのイメージで皆さん語っている気がして...確かに高齢者の皆さんはどんどん増えている日本ですが、死亡事故件数はどのくらいあるのかというと...


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見てください。75歳以上ドライバーの免許人口10万人あたりの死亡事故件数は年々減っているんです。一貫して。
こんな感じで減っているというのは結構びっくりじゃないですかね。


とはいえ、75歳未満のドライバーに比べて死亡事故件数が多いのは確かです。
では、その死亡事故がどんな事故なのか見てみると...



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まず平成29年の死亡事故件数(2829件)で、75歳以上運転者の割合は全体の12.8%、418件。
そのうち、168件(40%)が車両単独事故で、対人事故件数は78(19%)。
これは75歳未満ドライバーの死亡事故件数が対人で38%を占めていることとは対照的でしょう。
そう、対人事故が多いのは、今話題の超高齢者ではないんですね。
なので、ドライバー死亡事故の占める割合に高齢者は多いですが、多くは単独か、対車両なのです。


一方で、歩行中死者、つまり歩いている最中に自動車事故で亡くなってしまう割合は高齢者が突出しています。
特に人口10万人あたりの割合では、全年齢層に比べて、80歳以上では4倍です。



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つまり高齢者はどちらかといえば被害者の側面が強いし、ドライバーとしては単独で事故を起こしやすく、亡くなりやすい。
これは、若年者より重大事故を起こしやすい可能性もありますが、同じ衝撃でも体への負担がより強いからかもしれない。


ただし、免許人口10万人あたりの高齢者死亡事故数は一貫して減っているので、対策そのものは上手く行っているのかもしれませんね。
高齢ドライバーの免許返納も増えてきたからでしょう。



さて、75歳以上運転者の認知症の割合はどうなんでしょうか。


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図のグラフで、第1,第2分類が認知機能の低下を示唆しています。
報告書では、死亡事故で49%が第1・2分類を占め、認知機能受験者の32%に比べて高いため、認知機能の低下が死亡事故の発生に影響を及ぼしている、としていますが...

どうでしょうか、この部分には違和感を感じます。死亡事故運転者の過半数(51%)が、認知機能低下を示唆されていなかったのに、死亡事故に至っていることのほうが問題でしょう。

認知症ドライバーが多くを占めているのなら、認知症ドライバーには運転をさせない、という言ってみれば当然の対策で良いのですから。
もちろん、認知機能検査がそもそも認知症を判別できるのかといった観点から考え直すことも必要かもしれません。

www.npa.go.jp

今行われている認知機能検査は3つ。


・時間の見当識(検査時の年月日、曜日、時間を尋ねる)
・手がかり再生(一定のイラストを短時間記憶できるか)
・時計描写(時計の文字盤と指定された時刻を描く)


ですが、運転に必要な技能のすべてがこれでカバーできるかというと、十分とは言えないでしょう。
平成29年より、第1分類になったドライバーは医師の診察を受けることが公安委員会によって指示されていますが、せめて第2分類まで拡大して欲しい。

また、第3分類の方の死亡事故が多いことを考えると、すべての75歳以上のドライバーは医師の診察を受けるべきなのかもしれません。



ちなみに、今月仙台で予定されている老年精神医学会のプログラムを参考にすると、発表の中に聖マリアンナ医科大学の先生方による「運転免許試験で「認知症の恐れがある」とされ当院を受診した高齢者について」という演題があります。免許更新時に認知症の恐れがあると判断された(つまり上記の第1分類ですね)方23人の診断結果が出ています。結果はすべての方が認知症もしくはMCI(軽度認知障害)だったそうです。11名は自主返納、7名は診断書作成とのこと。でも3名は診断結果に納得せず激怒したそうですから、そういう場合は困るな...。とはいえ今の検査が一定の効果を発揮しているのはわかります。



そんなわけで高齢者運転について今日の内容をまとめると、


ドライバーとしては、
高齢(75歳以上)ドライバー死亡者数は他の年齢層より高い
高齢ドライバー死亡事故の原因の多くは対物・対車両事故


高齢ドライバーの免許更新時の認知機能検査は一定の成果をあげているが、十分とまではいかない


歩行者としては、
高齢者死亡事故がとても多く、それは横断中であることが多い


対策として、私が考えるのは、


1.高齢ドライバーの免許更新時の認知機能検査は見直し、医師診察対象を拡大し、認知症ドライバーを可能な限り少なくする
2.自動車の安全対策機能(自動ブレーキなど)の強化と自動運転の開発

でしょうか。


対策1のためには認知症検査可能な医師数を増やす必要があるでしょう。
対策2は今積極的に技術開発がされているので、一層速く進んでいくことを望みます。


超高齢者だからそれだけで運転が危ないわけじゃない


警察庁統計によれば正直普通の人にとっては、超高齢者ドライバーではなく、75歳未満の運転者のほうがより危ないようです。


「高齢ドライバー」の危険が強調される議論では、あたかも一定年齢以上になると自動的に認知機能低下をもたらして運転に望ましくない状態になる印象を与えられてしまいます。でも実際は、認知機能低下は明確にこの年齢で低下するとラインが引けるわけではなく、当然ながら個人差があり、人によっては若くても認知機能低下は有りえ、80歳でも若い方よりよほど安全に運転できる人もいるわけです。



必要なのは、適切な評価とそれに基づく措置がしっかりされることでしょう。




ズバリ合格! 運転免許認知機能検査 (TJMOOK)

ズバリ合格! 運転免許認知機能検査 (TJMOOK)


ただ単に認知機能検査を突破することだけが目的にこういう本を利用するとなると問題かなとは思います。運転免許センターでの認知機能検査は運転に必要十分な脳機能のほんの一部を判定しているに過ぎず、その場しのぎに突破できたことが果たして趣旨にあうかどうか...と思いつつこの手の本を手にとってやってくれる人はそうでない人たちよりも自覚的で良いのかも。



臨床医のための!高齢者と認知症の自動車運転

臨床医のための!高齢者と認知症の自動車運転


高齢者がどんどん増えていく日本では、認知機能評価が少なくてもある程度まではどの臨床医でもできるべきではないでしょうかね。


高齢ドライバーの安全心理学

高齢ドライバーの安全心理学


高齢ドライバーの抱える諸問題を抱えるにはとても良さそうです。購入してみたい。




世界的企業がしのぎを削って開発中の自動運転技術。運転中に人間の能力を超えてしまう状況に直面しうる以上、解決策はこれしかない、と思うのです。でも一方で、人が運転技術を学ばなくなった時代というのが到来するのも怖いですよね。運転が一部の人の限定能力になっても困る(気がする)ので、良いバランスが取れるといいのだけれど。

アルツハイマーが治る??そんな話には頭に警戒警報が鳴り響いてしまう

ひょんな拍子にアメリカのDr. Bredesenによるアルツハイマー認知症に対する非常に画期的な予防及び治療法が書かれているという本を見つけました。


原題は"The End of Alzheimer's"ですから、非常に衝撃的です。


ということで、今読んでいるのですが...個人的には頭の中に警戒警報が鳴り響くので、一応そのことを書いておきたくなりました。

とはいえ、内容を全否定するものではなく、dneuroだって認知症治療に関わっている身として、アルツハイマー認知症が治るとか,予防できるとか勿論大いに期待しているし、そんな方法が発見されれば嬉しいことこの上ないのですが、それは信頼できる情報なればこそ、です。


まずは内容を見てみよう


本を読むべきでしょうが、とりあえず内容を簡単に知るにはこの記事を。

toyokeizai.net

gentosha-go.com


理論をすっ飛ばしてブレデセン医師の主張をざっとまとめると、


1)アルツハイマー病の進展には36の要因があり、「アルツハイマー病の脳は36個の穴が開いた屋根」である。薬剤がそのうちの1-2個の要因による穴を塞げるが、人によって穴の数も大きさも違うため治療は包括的にオーダーメイドになされなければいけない


2)認知機能低下を進行させるのは5項目に集約される。すなわち、インスリン抵抗性②炎症/感染症③ホルモン・栄養素・栄養因子の最適化④(化学的、生物的、生理的)毒素⑤喪失した(または機能障害が起きている)シナプスの再生と保護


3)1,2で挙げたアルツハイマー病進展の要因をなくすために行うのがリコード(ReCODE:Reversal from COgnitive DEcline; 認知機能低下からの回復)法である。例えば、体内にケトン体を増やす食事療法(ケトフレックス12/3)、適度な運動、適度な睡眠、ストレスの軽減、脳トレMCTオイル、クルクミン、アシュワガンダ、ハーブ、マグネシウムレスベラトロール、オメガ3脂肪酸、グルタチオン、ビタミンD、プロバイオティクス、ビタミンB12亜鉛、特定の抗生物質デトックスプロトコルなどなど。
このリコード法は早く始める程良いし、アルツハイマー病が発症してからも効く(!)。


どこに怪しさを感じてしまうのか?

実は、字面を追うだけだと、結構納得できるんですよ。


特に、アルツハイマー病進展の要因は人それぞれだから治療は包括的にオーダーメイドに、とか本来はそうだよなーと感じますし、2)で挙げた5つの要因はそれぞれエビデンスが結構あります。
例えば、インスリン抵抗性ですが、以前dneuroが書いたとおり(→
糖尿病とアルツハイマー型認知症 - 神経科学者もやっている精神科医のblog)、糖尿病はアルツハイマー病の大変大きな危険因子といっていいものです。

炎症もですね、脳内の免疫的細胞であるミクログリアが活性化されすぎてしまうことが脳にダメージを与えることであるとか、ある種の感染症アルツハイマー病と関連している報告が確かにあるよなと。


こんな感じで、アルツハイマーを進展させる要因についての記述は、概ね納得できるものが多いんですよ。それはブレデセン医師がきちんとした学術論文を多数発表している基礎医学研究者であるからでしょう。


ところが、その対策であるリコード法の記載になると色々と疑念が湧いてきてしまうのです。


それはもう色んな怪しいキーワードが多く含まれているからにほかならないというか。


例えば、ケトフレックス食事療法、デトックスプロトコルグルテンフリー食、オメガ3脂肪酸、グルタチオン、プロバイオティクス、レスベラトロール脳トレMCTオイル、オーガニック野菜、グラスフェッド飼育の牛肉、とかね。



更にその上で、症例紹介がやたらと多い。いやそれは実例を挙げないとしょうがないんだから当たり前でしょ?と思うかもしれませんが、それにしたって、誰々がこうしたから治った、早く始めたから完全回復したのだ、まだ良くなっていないのはプログラムを完全にやっていないのだ、みたいな文章多すぎなんですよ。


つい最近出た彼の論文もそうで、100症例紹介という思い切ったものだけど、どうにもただナラティブに改善したよ〜というのを述べられても素直に信用しづらいのです。懐疑的な読み手からすると。


www.omicsonline.org


どの症例も劇的な改善を示していることを強調している反面、例えばその症例が本当にアルツハイマー病だったのかという根拠はほとんど触れていないんですよ。もしかしたら老年期のうつ病だったり、甲状腺機能低下だったり、ビタミンB12欠乏だったりするかもしれないじゃないですか。


意地悪かもしれませんが、この人にはリコード法通じなかったぜ、というのを出してほしいのです。
リコード法を十分やっていないから認知機能低下が軽快していないのです,というのは無しで。


海外のサイトには懐疑派の論議もやはりあって、例えばここなど。


www.quora.com


さて、こんなふうに取り敢えず頭の中に警戒警報が鳴っているdneuroですが、もう少しエビデンスを漁ってはみようと思います。ゆっくり調べたいと思わせる記述もあったりするので...


でも、色んな認知症の方を見てきた身としては、そんな簡単にこの方の認知症が治る、なんてやはり思えないのですよ...回復ってのはもう無くなってしまった神経細胞やネットワークが再生することだと思うけどそれは無理というものでしょう。


以上、決して御本人、ご家族の藁をもすがる思いを否定したい気持ちはありません。


ただ、性急にブレデセン氏の方法が正しい、日本でそれができないかしら、と思って検索すると出てくる治療院にはやたら高額な検査と治療を設定していたりするところがあります。



今のdneuroならどうするか?



まずは、診断が本当に認知症なのかの確定と、認知症ならどんな認知症かの診断が必要です。


アルツハイマー病ないしは認知機能低下があるのが確かならば、標準的治療を受けた上で(ここ大事)、


一般的な栄養学で推奨される食事とか、普通に考えて健康的な生活習慣(適度な運動、十分な睡眠、ストレスを減らすこと)、そして頭を使うこと、が肝要かと。


それができていればブレデセン氏の主張するリコード法の大半がカバーできちゃうんじゃない?


と思っています。


まして、まだ認知症症状が出ていないのに認知症を心配する余りに高額な検査をするくらいなら、生活習慣の見直し、こそが大事だということです。


そして将来への覚悟をするためなら、アルツハイマー病のリスク遺伝子であるApoE4の変異が自分にあるかどうかを民間の遺伝子検査会社の検査を通じて知っておきます。病院では今は検査していません。


リスク遺伝子があれば絶対発症というわけではないですが、あったら生活習慣の見直しをしっかりしなきゃと思います。


ちなみに、日本人は実はリスク遺伝子保有が少ないし、dneuroはまだ自分の遺伝子検査をしていませんけどね。



以前書いたアルツハイマー関連の記事はこちら。

neurophys11.hatenablog.com



ココナッツオイル! この界隈(どの界隈だ)では盛んに勧められていますよね。

でも、もしココナッツオイルがそんなに良いならココナッツオイルを消費している国では認知症発症率が低いのか、という話になるはずです。


ココナッツオイルの消費量はどうやらフィリピンやインドネシア、インドがアジア圏で多いようですが、今後のそれらの国における認知症発症の増加は決して日本に比べて少ないわけじゃないんですよね、どうやら。増加率で見るとですよ。


↓興味あるかたはこちらの報告をどうぞ(英語)。


Dementia in the Asia Pacific Region


https://www.alz.co.uk/adi/pdf/Dementia-Asia-Pacific-2014.pdfhttps://www.alz.co.uk/adi/pdf/Dementia-Asia-Pacific-2014.pdf





なので、個人的にはやはり疑っちゃうなあ...



ご高名な白澤卓二教授です。


うーん、先生の仰る通りなら嬉しいのですが...



大事なのはこういう本だと思います。

必要なのは少額のお金です_ポスドク・新米教員編

お金についての話を何回かできると嬉しいなと。


昨年dneuroは千葉大学医学部の常勤職を退きました。2007年に奉職しましたので、11年ほどやったことになります。


仕事を始めてからのことを思い返すと…実は教員になってからは頭の中がお金のことでいっぱいになっていました。


とにかく医学系の研究はお金がかかるんです。例えば、生体組織から遺伝子を抽出する試薬類、抽出した遺伝子濃度の計測機械、遺伝子DNAを増やすPCR装置、試料中のタンパク質濃度を測る吸光度計などなど必要な機械や試薬は数知れず。試薬であれば、2、3万はザラだし、高いのであれば10万ほど。機械は軒並み高いのばかりで、例えば組織中でタンパク質を作るためにDNAから転写されるRNAの量を測る機械は安くて500万円ほど。日常の買い物とはちょっと桁が違う。


だから、お金はいくらあっても足りない。
機械類は研究室にすでにあるものを他の教室に借りに行くということもできないではないし、学部共用の機械もあるにはあるのですが、使いづらいんですよね。



11年の中で、研究費を取れず全くお金の無い時期を1年経験しました。
あの頃は辛かった…。自分の裁量で使えるお金が1円も無いんだもん。あぁ研究に必要な本が欲しい、解析に便利なあのソフトが欲しいなあ、ちょっと確認のためにする実験の試薬を買わないと…と思っても全てに我慢が必要で、諦めなくてはいけないことが多かった。


ここで、皆さんの中には、こんな疑問を持つ方がいるかもしれません。


Q.研究費って大学はくれないの?
古き良き時代はあったらしい。でも今は通常もらえません。少なくても私は1円も使えるお金はもらえなかったです。つまり、研究費を獲ってこないといけない。


ちなみにそういった問題への記事はそれなりにありますよね。今は。このままだと日本の科学研究が危ない、とか。

www.msn.com



Q.研究費獲れないと自由に使えるお金は0なの?
先に書いたように、大学はくれないので、0です。
例えば研究者にとっては必須の科学研究費です。申請の際には、例えば基盤(C)というクラスでは3年間で総額500万円以内ということで研究計画を練ります。
で、通ればいいんですけど、通らないと1円ももらえないわけですよ。0か、500万円。きつい。



Q.教授は必要なものを買ってくれないの?
うちの教授は寛大でしたので、言えば少なくても検討してくださいましたよ。でも問題は心理的障壁なのですよ。いちいち欲しいものを人に頼る、というのは非常に辛い。またそれが重なることによる不全感や劣等感の蓄積など…教員のくせに研究費を獲得できないなんてねえ、と何度も頭に浮かんでくるわけです。


Q.自分のお金(私費)を使ったら?
いや、それは言い出したらキリがないと言うか…やっちゃいけないことはないけど、プロとしてよろしくないと言うか。先に書いたように、かかりすぎるほどお金はかかるので、間に合いません。特許取るわけではないから金銭的見返り無いし(dneuroの場合ですよ)。とはいえ、本とか、学会旅費、PC購入などはその間私費で済ませました。


こちらとしては、大幅に減額されてもいいから(例えば、500万/3年が50万/3年でも)欲しいのだけど、そんなわけにはいかない。たとえ、月額1万とか2万でも使えたら、必要な本の購入や安い試薬購入みたいなことができるのに…。学会参加にも旅費が随分かかるし。


だから研究費落ちたときに、必要なのは少額の自由に使えるお金です。まとまったお金はしょうがない、実力不足だったんだから、次の申請でまた狙う。でも、未熟な研究者だってほんの少しお金があればどれだけ心強いか、という話ですよ。


あと、dneuroは生物系の研究者だったのでお金がかかりましたが、心理系の若手でアンケート調査などが主たる場合にはあんまり研究自体にはお金かからないんじゃないかなと。クソ高い研究費は要らないけど、継続して少額が入ってくれば十分というか。


そんなわけで、継続して手に入り、自由に使える少額の研究資金調達法があればなあと。大学院生、ポスドクさん、そして研究申請に落ちた新米教員などには特に。


そういう仕組みできませんかね。望むらくは研究者向けベーシックインカムか。


今自分が若手教員だったらチャレンジするのはクラウドファンディングかな。自分の研究が持つ意義・夢をアピールして、皆にファンになってもらう。
ハードルは高いものの、こういう選択肢があるというのはとっても有り難いことですね。


academist-cf.com




こういう本は自分では使ったことがありませんが、若い研究者さんの机によく見るし、評価も高そうです。


科研費はコツを掴めば案外取りやすいと言うか、取りやすいのはこれしか無いので、是が非でも取りに行かなくてはいけない研究費。
私自身は最近は3回連続通っていますが、以下を心がけています。これで良いかどうかは正直わかりません...獲れてるから良しと。


・適切な研究分野を選ぶ
・適切な研究規模で申請区分を選ぶ
・申請書は、読み手が素人と思って簡単に、わかりやすく書く
・研究が行き詰まったときの対策を、助けてもらう人の名前も出して具体的に書く
・お金の使いみちはとにかく具体的に
・これまでの自分の業績は強調する


博士号とる?とらない?徹底大検証!―あなたが選ぶバイオ研究人生

博士号とる?とらない?徹底大検証!―あなたが選ぶバイオ研究人生

この本も2000年発行で、dneuroが大学院進学考えたときには大いに参考に、というか面白く読んだものです。博士号を取る人生とそうでない人生。博士課程に行くことを迷っている理系修士学生には一読の価値が...当時はありました。でも絶版か...今役立つかは正直わかりません。古本が33円で買えるなら価値はあると思います。


科学立国の危機: 失速する日本の研究力

科学立国の危機: 失速する日本の研究力


未読なので、内容紹介はできないのですが読んでみたい本です。


昨今特に日本の研究が衰退に向かっていると言われますが、まあ実際大学が非常に教員に対して金銭的に渋いことを考えると、そうなるだろうとは実感します。前に、先輩研究者がつい最近まで科研費に応募した経験が無かったと聞いて驚愕したのですが、要はそれだけのお金が組織からもらえていたということ。


世間の風潮も、「有用な研究に資金の配分を」という状況では研究というのは衰退するんですよ。役立つかどうかに軸足を置くと、短期的には成果が出ても、将来役に立つかわからない研究はできなくなってしまう。でも実際にどれだけ役立つかわからない研究をしていた研究者たちが結果的にノーベル賞を獲ったりしているわけです。
要するに研究なんて、1000に1つも役立つものに育てば良いんじゃない、くらいでないと。裾野が広くないと際立った研究も出てこないわけです。


とはいえ、一定程度競争が無いと人間怠けますから、科研費のように競争的獲得資金がプラスαであればいいと思うし、流石に大学教員なら数年に最低1本は論文書け、と。

ASDの血液診断、発達障害モデルマウス、妊娠とバルプロ酸とADHD、飛ばしているNewsweek

また更新が遅くなってしまった...最近夜が弱くなって字を書き連ねていくのがやや辛いというか。
その分睡眠時間は前よりも確保していて良いと思うんですが、原稿書くのが仕事の方はどうやって時間を捻出しているんですかね...


さて、私が代表やってます発達特性研究所(株式会社ライデック)の研究紹介ページからまず3つ。



tridc.co.jp



ASDのバイオマーカーについての研究紹介です。バイオマーカーというのは検査をしてこの疾患があるという指標になる物質や特徴のことをいいます。

この研究によると葉酸代謝経路に関わる検査からASDのバイオマーカーがわかるっていうんですけど、本当でしょうか。
アメリカの研究です。


ちなみに遺伝子を探る、という方向性はかなり悲観的に述べられていて、

ASDバイオマーカーを調査している多くのゲノムワイドな研究はほとんど結果を出せずに失敗し、そのほとんどが個々の研究に特異的で終わってしまう。ASDを正確、そして差別的に診断することができる『予測可能なバイオマーカー』を発見するために、より良いフレームワークが明らかに必要」


うん、その通りと思います。*1


tridc.co.jp


こちらはモデルマウスの話です。


ご存知の通り医学研究は、疾患モデル動物を用いた実験が不可欠であり、良いモデルを通じて疾患の原因、治療の開発、治療薬効果・副作用の確認がされるのです。


精神疾患研究にもそういう意味でモデル動物が非常に大事なんですが、いかんせん、自分がどういう症状か話してくれない動物相手では、ある精神疾患のモデルと言われても、完全にモデルには成りえないわけです。マウスに、幻覚とか妄想持ってる?って聞いても仕方ないですからねえ...。
でも工夫して、幾つかの疾患では結構良いモデルマウスというか、実験系はあったりします。


ASDADHDの特徴を持ったマウス、というのはあり得るのか是非お読みください。


今回紹介した論文ではCDLK5という遺伝子が欠損したマウスが、そんなモデルになりうるという幾つかの特徴を示していることが紹介されています。
コミュニケーション上の問題やら、繰り返し行動を持っていたり、はたまた多動でちょっと不器用を抱えているとのこと。


私としては、感覚過敏に対して、こういったモデルマウスの良いのができるといいのになぁと思いますね。



tridc.co.jp


少しばかり気になる疫学研究としてはまたデンマークから。


デパケン(一般名はバルプロ酸ナトリウム)は、てんかんや、双極性障害の気分安定に使われる大変ポピュラーな薬で副作用も少ないのですが、ただ一点、妊婦さんに使いづらいのが特徴です。


葉酸代謝に影響し、二分脊椎という奇形のリスクを増やしてしまうことから、妊婦には基本的には投与しない、投与するとしても少量に留めるというのが原則です。


で、何かしら神経発達に影響を与えてしまわないかは心配されるところであり、今回の研究結果からすると、子どものADHD率をわずかながら上げそうだということでした。


リンク先にも書きましたが、もともと遺伝的にADHDの因子を持っていない子供をデパケンADHDにさせてしまう…のではなく、遺伝的にADHD因子を持っている場合に、若干(若干ですよ)そのADHD因子を発現させやすくしてしまうのかなと。そんなエビデンスは出せない個人的な感想ですが...。



飛ばし過ぎだぞNewsweek



さて、どうしても言いたいと思うのが、この前のNewsweek誌。

tDCS(経頭蓋直流電気刺激)が脳の力をアップさせることで運動選手の能力向上や、はたまたトラウマ治療、サイコパスの共感力を上げたりすると。
そしてADHD治療には磁気治療(TMS:経頭蓋磁気刺激)ということをかなりテンション高めに肯定的に紹介しているのですが、いやちょっと言いすぎだって、と。


アメリカのベンチャーが出しているヘッドホンみたいな「Halo sport 2」というtDCSの機械もかなり肯定的に紹介していて、ものすごい効果を謳っているのですが、どう考えても大げさでしょう、というかこんな提灯記事出していいのかと。


Halo Sport 2www.haloneuro.com


といいつつ、実はdneuroも面白いので買ってみようかと思っていたところではあるんですが...。


とまれちょい期待盛り上げ過ぎなこの特集、一度詳しく紹介できればとも思います。
dneuroもtDCSには期待しているんですが、今の所もっと控えめに効果を考えてるかな...。


発達障害の謎を解く NBS (日評ベーシック・シリーズ)

発達障害の謎を解く NBS (日評ベーシック・シリーズ)


発達障害についてその生物学的な部分を知りたい、としたらこの本はとっても良かったとも思います。
原因についても現在考えられていることを抑制的に書いていて、科学的にはこうでなくては、と。
読みやすいですしお勧めです。

*1:ちなみに最近思うんですけど、ASDとかADHDの遺伝子ってわかり過ぎないほうが幸せかなあと。理由は色々ありますが...。

気になる発達障害の話題(2)_発達障害グレーゾーン

発達障害グレーゾーン (扶桑社新書)

発達障害グレーゾーン (扶桑社新書)

この前のエントリでも書きましたが、この本、かなり話題のようですね。
読み始めは、グレーゾーンという言葉に対して、どういうスタンスを医師としては取るべきかなとも葛藤があったのですが、読み進めるうちに、言葉として必要性を感じてきました。また、診断がおりている人よりも潜在的に多く、可視化されていないというのはその通りと思います。発達特性は、診断されようがされまいが、あるわけだし、後述のように、状況によってシロクロつけ難い状態というのがあるので...。


さて、「発達障害グレーゾーン」、疾患名ではないので、定義として定まったものはないですが、


発達障害的特性を持っていることが生きづらさにつながっているけれども、自閉症スペクトラムADHDといった確固とした診断名がつくには至らないという状態


ということかなと。


「グレーゾーン」が生まれる理由


例えば自閉症スペクトラム(ASD)であれば、以前
自閉症〜名前の変遷〜 - 神経科学者もやっている精神科医のblogに書いたように、そもそもASDは定義からしスペクトラムなのだから、いわゆる定型発達との境目というのは曖昧です。


そうですね、お湯って何度から?という疑問に答えるのが難しいのと同じかな。一般的には40度前後なのでしょうけど、人が感覚的に把握できる境目というのはかなり微妙ですよね。明らかにこれはお湯、水、という触れればわかる温度がある一方で、境界域の温度は周囲の温度との相対的な比較でしか言えず、お湯とも水ともいい難い。だから、性質を非常に強く持つ場合はわかりやすいのですが、微妙に強い(弱い)性質に対する二者択一判断は、人によっても、さらには同じ人でもブレやすい。

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右の図のように青から緑へのグラデーションというのも考えてみました。周囲環境によって青とも緑とも言いづらいって思いませんか?
人も、その人のおかれている状況によって、発達特性が強い弱いは随分相対的なはずです。


結局、精神疾患の診断基準というのは検査値のような数値をもとにするものではなく、本人の言葉、周囲の人の言葉、そして行動観察から成り立つので、曖昧かつ医者によってその適用に差があるのはある意味致し方無いというか...。


そうなると、この診断の曖昧さを持って精神科は信用ならん、という声は当然あるわけです。ただ、まともな精神科医ならば、ということで持っている共通概念みたいなものはある。とはいえ、発達障害診断が典型的なように、時代によってそれも揺らいでしまう...。


ともあれそんなわけで、A医師は正常(定型)範囲のバラツキと判断する一方で、B医師は診断基準内と判断して診断という状況が生じているわけです。



正直、dneuroも医師として18年経ちましたが、研修医時代にはほぼ知識がなく、教育もされていませんでした。自閉症は極めてまれ、ADHDは子どもの疾患であり、大人相手だとまず会うことはないというか。要するに小児科の先生が扱うというイメージだったことを考えると今とは隔世の感がありますよ。



今考えればASDの人は統合失調症に診断されていたことが多かったし、ADHDはほぼ様子見でした。そう、それに特に今ならストレスへの適応が未熟なASDと診断する人たちを、境界性人格障害と診断していたように思います。それで、治らない、としたり、ひどく強力な薬物療法をしたり、はたまた何だか役に立っているのかわからない精神療法をしている話も聞いていました。


そんな診断上の曖昧状態は、この10年ほどの発達障害/発達特性への理解が進むにつれて徐々に埋まりつつありますが、それでもやはり医師による違いは大きい。



ともあれ皆さんの中には、発達障害のことを相談に行ったのに、目の前の人を発達障害を診断しない場合ってどんなとき?ってやはり疑問かと思います。


自らを振り返ってどんなときにそういうことがあるのか、次回考えてみたいと思います。
発達障害と診断しない医師の思考プロセス」ですね。



ちなみにグレーゾーンの話題は週刊SPA!でも取り上げられていました。webでもかなり読めます。

nikkan-spa.jp

SPA!(スパ!) 2019年 2/19 号 [雑誌]

SPA!(スパ!) 2019年 2/19 号 [雑誌]


グレーゾーンとはどういう人?から当事者の悩み、生活の工夫まで結構なボリュームで載せてくれてます。当事者紹介の欄を見れば、うっ、それは診断されたほうが楽なら診断されるべきでは、と思える内容が多いですね。dneuro的感覚からすれば診断にメリットがあるなら、された(する)方が良いと思うし。


その中で...男性ADHD患者さんに時にいますが、ストラテラ服薬中に勃起障害というのも出ていますね。感覚過敏のために人の肌に触れるのが苦しい、などもやはりパートナーとの営みでは障害となりうるだろうなあという声も紹介されています。そこら辺は、外来で話題に出来ればいいなあと思います。副作用がある人は早めに言ったほうがいいですよ。


もう有名な本ですね。著者の方が当事者として自分のやり方の工夫を様々な面から解説してくれています。診断受けたあとの心構えなども。
SPA!にも紹介してくれている中で、私がコレはと思うのは、不注意で忘れてしまう、なくしてしまうのは前提で、大量にストックを用意しておけ!というライフハックです。

本では、ワイシャツも靴下も大量に予備を持て、と主張。要するに最低限の身だしなみをするのに、いざという時に足りないというのをなくしてしまおう、ということですね。何も高いものではなく安いものでいいと。


上記のSPA!にもこの方の囲み記事があって、例えばタブレットはベッドやデスク周りに合計6台持っていると。中にはカレンダー専用で持っているものもあり、一度予定に入れてしまえばどの端末でも確認できる。


うーん、大抵は、忘れ物をなくそう、どうなくせばよいか、という発想を大きく逆転させいているんですよ。でも結果的には忘れてしまうことが多いのなら、これは物凄く立派な解決法ですよね。自分も忘れ物が多いけど、結構目から鱗だなと。もっとも、今子供でいる子にこれを推奨していいかは微妙ですが...。



まあ思うのですが、診断がついていようがいなかろうが、こういう特性があればこういう対応が良い、というは変わらないんですよ。だから、発達障害診断された子に優しい、良い対応というのは、グレーゾーンの子にも、定型の子にだって良いはずで...とはいえ、定型的な子に対してはいささか過保護気味になることはあるか。

気になる発達障害の話題(1)_感覚過敏

今年1回目が遅くなってしまいました。このblogをご覧になっている方には申し訳ないです。風邪を引いていましたが、インフルではありません。


ちなみに風邪を引いて大切なのはやはり休息でしょう。風邪薬は残念ながら本質的ではないので...とはいえ症状緩和にしょうがなく使うわけですが。


dneuroは外来で滅多に出しませんが、医者がよく出す、そして患者さんの求めるPL顆粒は眠気が強いので危険なこともあります。


医師3年目の若いときの話です。外来に出るためPL飲んで家を出て、高速で車を走らせていたところ、気づいたら降りるべきインターをとっくに過ぎていたということがあります。距離を考えて10分位の記憶が無いのです。逆行性健忘を高速道路で経験したという。幸い死んでいませんでした(笑)。動作は上手くやっていたのでしょうが、物凄く怖かったのでそれ以来PL飲んでいないのです。気をつけましょう。


さて、気になる発達障害の話題について。まずは感覚過敏。


感覚過敏


発達障害を生きる

発達障害を生きる


感覚過敏、は発達障害、特にASDを語る上では重要です。特に最近は注目されており、NHKのこの本でも真っ先に取り上げられていますね。


ASDの社会不適応を考えると、コミュニケーションの問題やこだわり、新奇性への不安などが問題に挙げられますが、感覚過敏については多くの当事者が抱えているものの、これまで重要視されてきたとは言い難い状況でした。


光や音、肌への接触、嗅覚そして味覚、などの中から特定の外部刺激に対して過度に敏感ないしはときに鈍感であることは多いですし、DSM-5では診断基準でも言及されるようになっています。


例えばある患者さんは、光に対して過敏があり、普段1人で部屋にいる際には常にカーテンを締め切り、照明も落としてほぼ真っ暗にすると。ですから外に出る時はサングラスをかけているわけですが、「診察室の照明も辛い?」と聞くと「辛いです」。そうですよね。その次の診察からは照明を落として話を聞くことにしました。その方は就職して遠方に引っ越されましたが、就職先で職場の照明は大丈夫でしょうか...。室内照明も難しい彼女にとって昼間の社会はその存在自体が暴力的と言ってもいいのでは...。


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給食は辛いよ


また、子供と接していて思うのは、食べ物への過敏さ。正確には食感への過敏さというべきか。同じ食べ物、例えば玉ねぎは、サラダにしたとき、焼いたとき、シチューの中に入れたとき、などなど調理によってあるときは固かったり、しんなりしていたり、と食感が多様です。ASDの子で味覚に対する過敏があると、固い時は食べられても、柔らかいと気持ち悪くて食べられない...そんな感じになります。


ですから、給食はかなり地獄に近いと言えるでしょう。もちろん全員ではなく、逆に無頓着な子もいますが、過敏な子にとって、給食は大変辛い時間です。何がどのように調理して出てくるかの情報に乏しく、未経験な調理方法、それで不安な条件は十分なのに、更に担任教師からのプレッシャー。



「全部食べろ」は、味覚過敏のある子にとってとても辛いことを指導立場にある人はわかってほしい。「慣れる」ことは少なくても学校生活中には無理だと思うべきですよ。率直に言えば、全てきれいに食べるという美徳のために食べられないものを無理やり食べろというのは暴力に等しい、のです。将来が心配、という大人の皆様、大丈夫、圧倒的に多くの人は大人になるまでに食べられるものも増えます。大体あなたにも1つや2つ苦手なものあるでしょう?*1



びっくり反射とASD


音、に対する過敏もよく訴えられるところで、教室内の通常レベルのざわめきがとんでもない騒音に聞こえたりするのですよ。そういった音に対する過敏さへの研究論文もあり、例えば国立精神神経センターのf:id:neurophys11:20190130105243p:plain:w300:right高橋先生らの研究ではASDの方は、そうでない(定型発達者:TD)人が余りびっくりしないような音の大きさ(65デシベル)でもびっくり反射(驚愕反射:目がかっと開く)が出てきてしまうと。普通の会話レベルや静かな自動車の中が60デシベル、ちょっと騒々しい事務所や、やかんの沸騰音を1m離れて聞くと70デシベル、というから、確かに65デシベル程度の音でそんなに驚いてしまうと外で活動するのが難しい。



感覚過敏があればASDか?


さて、疑問の1つはこれかなと。

答えから言うと、それは明らかにイコールではないですね。

つまりASDの多くの方が感覚過敏を持っていますが、感覚過敏があればASDという逆は言えないということ。もしそうであれば、誰しも持っているような過敏さが1つでもあればASDになってしまう。例えば、黒板に爪を立てて発せられるあの音や、スプーンやフォークで鉄の皿を引きずったときの音、特定の嫌いな匂いなどそんなものは誰にでも探せば見つかるもので、明らかに感覚過敏とASDはイコールじゃない。


それに、まだ確立した病態概念とは言えませんが、世間的にはHSP(Hyper Sensitive Person:過度に敏感な人)という言い回しが出てきているようです。


ひとまずWIkipediaから。
ハイリー・センシティブ・パーソン - Wikipedia



ただし、何やら共感性の高さ、みたいな気持ちの繊細さなどにも踏み込んでいるようで、若干私には違和感があります。だって、他者への共感性を示さない(示せない)サイコパス的な人だって、感覚過敏は持ち得て良いでしょ?なんだか感覚過敏がある人は人への優しさも持ち合わせている、みたいな理解は本質を外れるかと。


専門用語としてもやはり医学的な観点からはまだしっかりした用語が無くて、Sensory Processing disorderだったり、Sensory Processing Sensitivity みたいな語が使われています。前者は感覚処理症、後者は感覚処理感受性なんて訳になりますかね。



感覚過敏の基準


そんなわけで、どれくらいの感覚過敏があると、「過敏」と言えるのか、やはり基準が必要なわけです。


dneuroも実はやったことがないのですが、一応そういった基準を設定している検査はあります。


SP感覚プロファイル | サクセス・ベル株式会社 -心理検査・学力検査・適性検査・箱庭療法・コミュニケーションツール等の販売-



感覚プロファイル(Sensory Profile)検査というやつで、125項目の多岐にわたる質問に答えていく検査なので多少時間はかかりますが、以下の項目を判断していきます。


それは、低登録・感覚探求・感覚過敏・感覚回避、という4項目。低登録と感覚探求は感覚刺激に対する低い反応と特定の感覚刺激への希求性、感覚過敏と感覚回避は刺激に対する過敏さと、それに伴い行動を回避する性向をみます。


こんなふうに書いてますが、実際に使ったことはないので、いずれまた詳しく取り上げたいかな。


自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

有名な自閉症(自閉スペクトラム症)当事者のドナさんの本ですね。
これをきっかけに自閉なるものを知った人も多いはず。dneuroは研修医3年目の時に読みました。ただ、例えば口絵の自分の写真に「典型的な自閉症の目つき」とかあるんですが、正直よくわかりませんでした。また自分の内面をとても豊かに描いていて、当時の自分はそこに、あれ?こんなに感情的に豊かだったら自閉じゃないんじゃないかという無知による偏見があったなあと。

さて、ドナさんはハグのように身体を接触されることがとても嫌だったようです。日本だって、親はこどもを抱きしめるし、まして挨拶でハグが普通の欧米社会でクラスには、触れられることへの過敏さがあると生きづらいだろうと想像します。



発達障害グレーゾーン (扶桑社新書)

発達障害グレーゾーン (扶桑社新書)


自閉症スペクトラムADHDといった確固とした診断名はつかないけど、発達障害的特性を持っていることが生きづらさにつながっている、という状態にあるのが「発達障害グレーゾーン」の人たち。


グレーゾーン、というのが、まあ医者の診断基準(個々の医師の、という意味で)が曖昧にしかならない現状がそのような存在を作り出している気がしないでもないのですが、ASDという概念もまたスペクトラムであるし、当然境界に存在する人が出てきますよね。


そういう方々に、HSPというのがもし1個の病気として存在すると医学的に承認されるのであれば、治療対象となり、配慮を求められたりすることで生きやすい条件が増えることにつながるでしょうかね。


グレーゾーンについては思うところもあるので、またそのうちに。

*1:ちなみにdneuroも給食はとても苦手でした。今から思えば食わず嫌いですが、食べられないものが多く、給食の予定を見て、ハヤシライスの日はとても気が重かったのを覚えています。今では好きですけど、そして食べられないものが今は殆ど無いのです。あの当時無理やり食べさせられていたらトラウマになったでしょう。残させてくれた担任に感謝。それにしても今から考えたら美味しい給食だったんですよ。作ってくれたおばさまたちには申し訳ないです。

tDCSでワーキングメモリ向上&ディスレクシアの改善

発達特性研究所の研究紹介です。


tridc.co.jp


この研究は私が学生さんと一緒にやったものです。


tDCS(経頭蓋磁気刺激)法は何度か紹介していますが、それを使って、ワーキングメモリ(作業記憶)を向上させたという。


以前から注目されているワーキングメモリ。
基本的には課題をやっている間保っている短い記憶能力を指すことが多く、日常的には例えば電話番号をかける間だけ覚えておく、とか。何か文章を読んでいる間も、最初に出てきた単語なり、内容なりを頭に置きながら続きを読んでいきますので、能力が弱いと本を読んで知識を得る、というのも難しいかもしれません。


このワーキングメモリの能力を、3-backテストというもので計測し、視覚的にこの課題をやったときの成績がtDCSによって向上した、というのが結果です。

f:id:neurophys11:20181220062858p:plain
3-back課題


このテスト、n-back課題(nは数字)というやつで、ワーキングメモリを計測する課題として使われますが、案外難しい。今見えている文字がnに入る数字より前と同じかどうか、を答えていきます。


だから、1-backなら1つ前と同じ文字かどうかを判定する。これは簡単ですね。次に、2-backなら2つ前。これもなんとかやれますが、それなりに難しくなります。そして、3-backは3つ前と同じかどうかを判定。これは難しい。やってみると正直合っているかさっぱりわからなくなります。でも、そんな3-back課題を、視覚的提示(図のように文字を見せて判定)と聴覚的提示(文字の読み上げで判定)の2通りで試験して、tDCSが成績向上させるか、という研究でした。


一応ね、文字を見て(視覚的提示)の条件では成績が上がったんですけど、問題は成績向上が本人にさっぱり実感できないこと。それに被検者さんが実はそれなりに優秀な学生さんが多かったので、能力向上があったとしても頭打ちが早い。


tDCSが実用になるには、今後はそもそもこういった課題で成績が思わしくない、疾患状態の方にやって能力向上が図れるかという臨床試験が必要なのは明らかですね。



tridc.co.jp


で、こちらは実用版です。


ブラジルの研究ですが、ディスレクシア(発達性読み書き障害)の成人および児童に対してtDCSを行ったところ、読字に関連する項目のパフォーマンスが向上した、という。

30分のtDCSで、ディスレクシアの人に読み課題をしてもらうと、無意味語(「たあせの」「せんむせ」など単語になっていない文字列)や単文の読み上げ時間に短縮が見られた(=読みやすくなった)ようです。実際に効果が本人にも実感できたら素晴らしいですね(そこは論文からはわからない)。


ディスレクシアに関しては、治療、というよりは読みやすくするための対応を必要とし、それによって能力を上げていったり、代替手段(耳を通して内容を聞く)によって必要な内容理解を図っていく方針がとられますよね。


でも一方で、本当の意味での能力、というか脳力向上を図ることはなかなか難しい。ハンデを少しでも軽くすることは目指せても、ハンデを無くして非ディスレクシア者と同じだけの能力には追いつけないのは残念ながら確かだと思います。


tDCSが大脳皮質の力を上げていくのであれば、少しでも能力向上の目的にかなった、「治療」としての使い方ができると思うのですが...。



www.crn.or.jp



関連、というわけではないですが、面白い研究結果の内容紹介がありました。


3〜5歳の子たちで、無意味語の反復能力と語彙数の向上が必ずしも年齢とともに上がるわけじゃないという。
最後の方で、外国語の習得に関しての考察をしています。


考えてみると、外国語というのは最初無意味語として入ってくるわけで、そのリピートが正確にできる反復能力は母国語語彙数の向上とともに阻害されてしまうと理解しましたが、確かに母国語は足かせになるなあと。


なるほど、3歳位に外国語のシャワーを浴びておくと、バイリンガルになりやすそう、というのに加えて、5歳くらいまではまだ正確な反復能力の維持ができているのかなと。つまり、英語とのバイリンガルになりたければ5歳(もしかしたらもう少し後くらいまで?)には始めておくといいのじゃないか、と思ったりします。


小学生から英語を始めるのが真のバイリンガルになれるぎりぎりなんでしょうねえ。*1


特異的発達障害診断・治療のための実践ガイドライン―わかりやすい診断手順と支援の実際

特異的発達障害診断・治療のための実践ガイドライン―わかりやすい診断手順と支援の実際

現状、医学的視点から学習障害を勉強したい、診断したいと思うとこの本しか無いかと。
例えば、ディスレクシアや算数障害を診断するにはどうするか。
やはりテストをして判定しなくてはいけないわけです。本書にはそのテストが載っていて、結果を小学校1〜6年生までの平均±標準偏差の値と比較できるので、眼の前の人がどの程度のハンデを抱えているかわかりやすい。


その上で、学習障害の支援にどのような発想の上に何をしているのか、支援に積極的な3施設(大阪市立大、鳥取大、東京学芸大)の方法論が概観できるので有り難い。


願わくば英語のディスレクシアに関して同様の本が出ることを。*2


学習障害を支援する (こころの科学)

学習障害を支援する (こころの科学)

最近の現状と、取られている対策について知りたければ「こころの科学」の本特集号が良いと思う。

合理的配慮についてのICTの利用についても言及。

他に実際の対策、トレーニングの参考としては


ディスレクシア 発達性読み書き障害 トレーニング・ブック

ディスレクシア 発達性読み書き障害 トレーニング・ブック

などかな。これから私も勉強します。

読めなくても、書けなくても、勉強したい―ディスレクシアのオレなりの読み書き

読めなくても、書けなくても、勉強したい―ディスレクシアのオレなりの読み書き


こちらは当事者本。
著者は、読み書き障害の困難があるので、学校時代大変な苦労とそれでも得意な大工業を活かして起業したり、でも失敗したりと波乱の様子が描かれる。緊迫感があって読み物としても面白いです。現在は小学校教師の奥様と暮らして幸せな様子。


褒められること、理解してもらえることがどれだけ大事か、というのがよく分かります。最後、基本的に教師に対する信頼も無い中で信頼できた2人の先生と話せたくだりはほんとに良かったねと思うのです。


それにしても、ディスレクシアがあると、それ以外の能力があっても如何に「できない」「しょうがない」「なまけもの」と思われやすいかということがよくわかります。実際、どんな学習も、「読める」ことが前提になっているわけで、読めて初めて学習できることが殆どな上に、「書けなければ」評価してもらえるさえ出来ない。いざ自分なり、子どもなりが同じ状況になったと思うとき、救済手段の少なさに驚くのです。


医者としては、能力向上の手段がやはり欲しいなと。

*1:ま、そうは言ってもごく一部の人は結構後からでもバイリンガルになっていそうですが。dneuroの尊敬する老神経科学者は、小学3年位から戦後の進駐軍の兵士たちと接することで英語の脳が出来、バイリンガル脳であることがfMRIで示されてますしね。

*2:英語が小学生から授業に入ったのは、圧倒的多数の子にとっては望ましいことである反面、英語のディスレクシアの子にとっては悪夢と言っていいことではないかと。選択制でも良いんじゃない?とは思うんですが。