脳は大人になっても変わるから学習できるし傷ついても回復する…_tDCS入門(2)

更新の間隔がこれまでで最長になってしまった…色々と考えることがあったので少数の待ってくださっている方にはすみません。


www.neuroelectrics.com


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研究室ではスペイン(珍しい!)のベンチャー企業Neuroelectrics社が開発したSTARSTIM tCSという刺激装置を手に入れた。これはなかなかスグレモノで、PCと刺激装置を図のように装着し、Bluetoothによるワイヤレス接続で繋げてtDCSが可能になっている。すこぶる使いやすいので研究も進むかなと期待。ちなみに代理店購入でおよそ120万程度。*1





脳は変わる。可塑性を持つ。

かつて人の脳は成長してしまうともう変わらない、と考えられていた時期があった。


基本的に脳の成長は一定の年齢に達すると止まり、逆に年齢とともに成長どころか下り坂…。脳細胞は20歳を超えると死滅する一方というのはよく聞く話。ある学説によれば大脳皮質の神経細胞は140億個ほど、20歳からは1日10万個ずつ死ぬという。すごい数ではあるが、脳細胞の数が膨大なので、1年かけても死滅数は全体の0.3%にとどまり、同じペースで死んだとしても70歳までに減る細胞数は18億個、つまり9割近くは保たれる。*2


そんな脳が一定以上成長すると変化しないという説は完全に撤回された。


人の脳は体験によって変わる。形も変わるし機能も変わる。
しそれが無かったら人は大人になってから何も学習できないことになるが、そんなことは無いわけです。

脳が刺激によって、神経ネットワークを新たに構築して変わりゆく性質のことを可塑性(かそせい)という。tDCSが脳機能を改善(改悪もありうるけど)させるのは、大脳皮質の可塑性を向上させるから。その前提になるメカニズムがなければ、外部からの刺激で脳機能の向上なんて考えられない。例えば弦楽器奏者の指の脳における感覚領域は、そうでない人たちに比べてずっと空間的に広がっているという。練習によって感覚が鋭くなっていくのは、それを知覚する脳領域が広がるからなのだ。(dneuroは24歳からバイオリンを始めたが上達はさっぱりだ。きっと脳の可塑性が弱く、感覚領域が広がりづらいからだろう。悲しいことだ。)


いずれにしても、変わりうる脳、があるからtDCSも効果を期待できる。


そんな脳が脳卒中や交通事故などでダメージを受けた時、我々は脳の可塑的な変化を再び感じることができる。


壊れた脳 生存する知 (角川ソフィア文庫)

壊れた脳 生存する知 (角川ソフィア文庫)


著者は、もやもや病という脳血管の病気によって脳障害を負った整形外科医の女性である。もやもや病は難病指定もされている疾患で(⇛http://www.nanbyou.or.jp/entry/47)脆い血管の固まりが脳内に出来てしまい、脳内出血に至る可能性がある。そう、そして著者の山田先生はその血管が破れてしまった。1度目は大学6年生(医学部は6年制)、2度目は34歳、そして3度目のとりわけ大きかった脳出血は37歳。右の頭頂葉にできていた血管の固まりが破れて大出血を起こしたようだ。右の頭頂葉の出血が引き起こすのは基本的には身体の左側の感覚障害や運動障害(麻痺)だが、それだけではない。いわゆる高次脳機能障害と呼ばれる様々な症状に苦しむ。


実は大脳半球の障害としては、左半球損傷の場合には、左脳が言語中枢であることもあって、その障害が非常にわかりやすいのに対して、右半球損傷はわかりづらいことが知られている。*3


山田先生も左半身の麻痺に加え、例えば「二次元の世界」の住人になったという。タイル張りの道では見えているのが模様なのか、穴なのか、硬いのか、歩けるのかわからない。遠近感が消え、階段は横に走る直線の繰り返しに見えてしまうから登るのか下るのか、実際に足を踏み出さないとわからない。それは怖い。


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また、半側空間無視という症状がある。左側に注意がいかなくなる症状で、視覚的な左側の無視は、図では点線赤丸にその症状がよく出ている。時計の左側、線分抹消の左下、筆算の左側、そして囲碁で左が無視されているのがわかる。左手があることも忘れてしまうし、食事を食べればお膳の左側は食べ残す、服を着ることにも苦労する。考えてみると、視界に「左側」は必ず存在するので、それが常に相対的に意識下で「見えなくなる」のは実に不思議。でも実際に無視が起きてしまうからしょうがない。ただし、意図することで、つまり「左側は見なきゃ」と意識することである程度はなんとかなる。


そんな山田医師の症状だって歩みは遅いものの回復していく。実感としては2年かかるようだ。時間の経過とともに霧が自然と晴れていくように回復を感じるという。本人も周りも忍耐が必要なのだ。


山田先生にとってリハビリの大いなる助けになったまず第1は息子くん。3歳時に倒れた母の日常を精一杯助けてくれる。後半息子への愛が溢れる記述には思わず泣いてしまう。そして、姉の夫たる脳外科医は経営する老人保健施設の施設長として山田先生を早期に復帰させてしまう。勇気がある。


しかしなかなか高次脳機能障害というのは厄介で、やはり見かけではわからず、それでいて変な行動に至ってしまう当事者にはどうしても偏見がつきまとう。なんでそんな失敗してしまうの?と。


切ないのは、「自分が何かに失敗したということは、実は本人もわかっていることが多いのです。」ということ。つまりわかっていてもできない。


当事者本の第2は文体がもっとくだけている鈴木大介氏のこちらを。


脳が壊れた (新潮新書)

脳が壊れた (新潮新書)

「再貧困女子」などの著作で知られる鈴木大介氏。2015年、41歳で右脳に脳梗塞を発症した氏は、麻痺は少ないものの、高次脳機能障害を負う。


やはり左半側空間無視に苦しむのだが、その当事者としての記述が失礼ながら面白い。入院治療後間もなくトイレに入った氏は個室に入って左側の便器を見てようやく気づく。白髪の老紳士が座って用を足している最中であることを。鍵をかけていなかった老紳士もどうかと思うが、要は左側を意識しないと見えないから、ドアを開けただけでは気づけなかったらしい。


また、この左側を見られないというのは、「左方向を見てはならない」という強い心理的忌避感、障壁があるのだという。この感覚を言語化するならば、視界の左前方に「親しい友人の女性や義母が全裸で座っている感覚」なのだそうだ。そりゃ見るのをためらうわ。


鈴木氏が本書を執筆したのは入院7ヶ月。回復途上真っ只中でこれほどまでの本が賭けるのだからその努力たるや頭が下がる。山田先生と同様に、病後の回復は、リハビリに保険医療が使える6ヶ月を超えても進んでいくのを実感するという。


tDCSがそんな脳の回復スピードを早められるデバイスになるのを望みたい。


最後にもう1つ。


脳はすごい -ある人工知能研究者の脳損傷体験記-

脳はすごい -ある人工知能研究者の脳損傷体験記-


こちらクラーク・エリオット氏はアメリカ人のAI研究をしている教授先生だ。脳震盪後の高次脳機能障害の自分が感じる世界を、研究者らしく極めて詳細に、時に回りくどく、そして難しく解説する。


エピソードを1つ。
エリオット氏にはジェイクという頼れる友人がいる。
ある日エリオット氏はりんごかサラミを食べようと迷った挙句に決められない。48時間もの間虚しく経過した後、氏はジェイクに電話をかける。どちらを食べるか指令してくれと。ジェイク氏の「サラミを先に食べてからりんごを食べろ」という的確な言葉でエリオット氏は2日間の苦悩と空腹から解放される。


さて、努力家であることは勿論ながら、3著者に共通するのは素晴らしい支援者の存在だ。鈴木氏には以前にはメンタルも病み、そしてADHD的性質を持つ妻が極めて氏に対して献身的だ。その夫婦愛が胸を打つ。私に果たしてこの3著者のように何かが起きたときに助けてくれる人が周りにいてくれるだろうか…。

*1:一般的な感覚からすれば120万はえらく高いだろうが、研究機械としては高くはない。上位機種は脳波測定が可能で、720万まであったりする。tDCSは原理的には簡単で、それこそ単に脳刺激するだけなら数千円で自作できないことはないが、研究目的に性能が保証された装置はそれなりにするのだ。

*2:これが数字的に実際にどうなのかは余りちゃんと調べたこと無いので、今度書いてみたい。脳細胞というか脳の神経細胞(ニューロン)は大人でも一定程度再生をしていることが知られている。ただそれは海馬などの脳の一部に留まるし、脳に含まれる神経細胞全体から見たら僅かな話。

*3:人の言語中枢は多くの人が左半球。特に右利きの人は9割。左利きでも6割以上が左半球に言語中枢を持つ。なので、左半球損傷では、言語表出が難しくなるタイプの失語症状を呈しやすい。言葉はわかるけど、上手く出せない、というのは本人には苦痛で、抑うつ的になりやすいのも特徴。

経頭蓋直流電気刺激法(tDCS)入門 (1)

2011年、イギリスの総合科学誌Natureで紹介されたのは、経頭蓋直流電気刺激(transcranial direct current stimulation: tDCS)という脳を直流電流で刺激する怪しげな機械とその方法だ。


www.natureasia.com


以下、論説の内容を1つ引用(太字、下線はdneuro)。


2007 年に Boggio と Fregni は、背外側 前頭前皮質に tDCSを行うと、被験者がリスクを冒さなくなる場合があることを 報告した。研究チームは、健康な大学生たちに、コンピューターのキーを押して画面上の風船に空気を入れるゲームをプレイしてもらった。このゲームで は、空気をたくさん入れるほど仮想の金がたくさん手に入るが、もし風船が破裂すれば、獲得した金をすべて失ってしまう。すると、tDCS を受けた被験者は、受けなかった被験者に比べてあまり欲張ろうとしなかった。この実験結果から、依存症にも適用できる可能性が考えられる。Boggioは、依存症では「抑制制御」が効かなくなっているのだと話す。Boggio は、Fregniらととも に、2008年に3つの研究を発表し、背外側前 頭前皮質を刺激した後では、酒やタバコ、甘い菓子を飲み食いしているビデオを被験者に見せても、それらを欲しがる気持ちがあまり起きないことを示した。研究チームは、最終的には禁煙の臨床試験で 同じ方法を試してみたいと考えている。


これはtDCSによる電気刺激が、危険回避に関係した選択を変えた可能性を示し、要するにtDCSは人の行動を変えうることを示唆している。使いようによっては、彼らが言うように依存症への治療になるほか、自分の能力を高めたり、また人の行動を変えてしまうような悪用にも繋がりうると予想される技術だ。


tDCSの基本


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tDCSでは、図(a)のように、人の頭に電極パッド(赤と青の四角いやつ)を当て、弱電流を頭皮から流す。電流到達先の目標は大脳皮質だ。電流の強さは0.5mAから2mA、これは9Vの乾電池 (あの四角いやつ)で十分に作れる程度の弱さで、流されてもせいぜい「チクチク」する程度に過ぎない。それを頭皮という脳が入っている頭蓋の外側から当てるので、「経頭蓋」という。御存知の通り電流はプラスからマイナスに流れるので、電極パッドにはプラス側とマイナス側があり、プラスサイドを陽極(anode)、マイナスサイドを陰極(cathode)と呼ぶ。基本的には陽極を当てた直下の大脳皮質の機能を上げ、逆に陰極を当てると直下の大脳皮質の機能が下がる、とみなされている。


tDCSの基本をまとめてみる。


・目的は大脳皮質の活動を変化させること。
・刺激は0.5~2mA程度の弱い直流電流を5~30分。
・刺激したい脳部位直上の頭皮から与える。
・基本的には非侵襲的な刺激であり被験者は電極位置に僅かな痒みを感じる程度。


どんな効果があるのか?


このtDCSを使った研究は近年その報告数が飛躍的に増大しており、図(b)は医学系論文検索サイトであるPubMedで検索した2001~2017年の17年間の論文数である。見て分かる通り2000年代には世界的に見ても報告数が年間数件しか無かったのに、この数年の伸びは著しく、2017年には714件。今年に入ってわずか1週間の間に既に33報報告があるから、単純計算で今年は1700報以上の論文が発表される可能性もある。


事程左様に急激に研究が進んでいるのは、もちろん効果が高いと期待されているから。


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その効果は、初期には認知機能、運動機能、感覚機能の強化や抑制を中心に報告されてきた。例えば認知機能を担う大脳の前方部分(前頭前野)にtDCSの陽極刺激を与えれば作業記憶が改善したり、逆に小脳に陰極刺激を与えれば作業記憶が低下したなどの報告。運動神経に司令を出す第一次運動野に陽極刺激を与えれば巧緻運動障害が改善し、感覚を知覚する第一次感覚野に陰極刺激を与えれば触覚が鈍くなるなど。


こういった比較的単純な課題での報告に加え、疾患への応用も期待され、片頭痛や慢性疼痛、脳卒中後のリハビリなどへの研究報告が蓄積されつつある。また、精神疾患においても、似たような脳刺激法だがこちらは磁気を使った、経頭蓋磁気刺激法(TMS)と並んで期待されつつあるというところ。


何故脳機能が上がったり下がったりするのか?


tDCSは先に書いたように陽極刺激で大脳皮質の機能を上げ、陰極刺激で大脳皮質の機能を下げる(そうは言っても電流は一方向に必ず流れるから、あくまでも目的の側に当てた電極の側で論を進める)。


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図にあるように、神経細胞はその細胞膜が一定の電位を持っている(膜を挟んで電圧がかかっている)のだが、信号が入ると、細胞膜内外からイオン(主にナトリウムイオンとカリウムイオン)の流れが生じ、膜の持つ電位がプラス方向に傾いたりマイナス方向に傾いたりする。


ものすごく大雑把に言って、膜がプラス方向に傾くと神経細胞が興奮しやすくなり、マイナス方向に傾くと活動が抑制的に向かいやすくなる。


tDCSをかけると、直下の脳皮質に分布する神経細胞で同じ現象が起きると考えられている。基本的に細胞膜の電位が上がると神経細胞は興奮側に傾いて、受けとる信号を強化する方向に働くし、細胞膜の電位が下がると受けた信号を弱める方向に働くので、陽極刺激によって神経活動は強化され、反対に陰極刺激によって神経活動は阻害される。


実際にtDCSの前後で、それは細胞の興奮がしやすくなる(しにくくなる)ことで確認されている。図のように、例えば運動野にtDCS陽極刺激を一定時間行った後に、手の筋活動を誘発させると、筋肉が発する筋活動が筋電図上で増大したり、筋収縮の持続時間が増すことが多くの研究で確認されている。つまり陽極刺激によって、筋肉に動けと司令する神経細胞の活動が高まるのだ。陰極刺激ならその逆。


tDCSは基本的には危険が少なくて取扱いやすい


そんなわけで、臨床応用に大いに期待したいtDCS。危険性は?というとこれが極めて少ないと言っていいが、考えなきゃいけないのは大きく2つ。電流の強さと、効果の持続性。


気になる電流の強さは微弱で、刺激している間は頭皮が「チクチク」する程度。しかも数分もすると何も感じなくなる人も多い。もっとも、dneuroもそうなのだが、一部に敏感な人はいて、そういう人は刺激中ずっとそのチクチク感ないしはピリピリした感じが続くため、快適とは言えず、終了後に何となく頭痛がしないでもない。これは電流の強さに依存し、1mAでは感じても0.75mAでは感じなかったりする。頭皮上の感覚と刺激による効果の関係については特に関係ないはず。


また、電極の大きさは、図のように通常大きめのパッドを用いる。図はドイツneuroConn社のものだが、通常サイズは5cmx7cm=35cm2の長方形。一方で小さいサイズは3cmx3cm=9cm2。この5cmx7cmという通常サイズは、小さな手のひらサイズ。結構大きい。


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同じ電流の強さなら、小さい電極のほうがピンポイントに強く脳に刺激を与えられるのでは?と考えた方、それは正しい。面積あたりの電流密度が大きくなる小さい電極のほうが脳を効率的に刺激する意味では利点がある。


大きい電極は電流が分散され、直下の脳刺激において必ずしも十分とは言えない。


それでも小さい電極を使わないのは、小さいとそれだけピンポイントに電流が流れるため、刺激も強くなり、不快感が増大し、場合によっては火傷もしかねないから。そのため、脳の刺激という面からは余り大きいサイズにはしたくないのだが、一定の妥協をしてのサイズということになる。


さて、効果の持続性という面はどうか?


もしtDCSが劇的に脳機能を変えてしまうとして、それがずーっと続くのは、良い影響ならいいかもしれないが、悪い影響がずっと続いてしまったら困るのでは??

それも今のところは余り考えなくていい。


というのも、効果は、tDCSで刺激している間か、終わってしばらくせいぜい数時間以内に限られているからだ。むしろ、どうやって効果を持続させるか、を実現させたいと考えている状況。


このことは、実験という限定された場では非常に有り難い。神経活動を抑制させるのは、説明を受ける立場として何となく脳機能を悪化させているのではと思いがちだが、その影響が一時的なら実験に参加しやすいだろう。


強い懸念は今のところ無いのは安心していい。


DC-STIMULATOR Plus


tDCS研究に使われている最もポピュラーな機械の1つ。ドイツneuroConn社のもの。およそ150万円。実を言うとtDCSは弱い直流電気刺激を与えるだけだから、乾電池を使って極めて安価に作成可能で、アメリカではDIYする学生が後を絶たないという。が、研究用に用いているのは刺激時間中の電流供給が極めて安定しており、信頼性が高く、様々な条件設定が可能。150万というと高い!と思われがちだが、医療機器としては安い方。でももっと安く良い機械が欲しいけどね…。



今月号の日経サイエンス。医療の話題は「胎盤の不思議」。胎盤というのは不思議な臓器で、母親から出来るのではなくて、胚(受精卵から発達したごく初期の個体)由来だから、母親にとっては異質な細胞の固まり(半分は父親の遺伝子)。なので、母親の免疫系がこれを取り除かないのは不思議。2015年にブラジルで流行し、妊婦が感染すると小頭症の子どもが多く生まれたジカウイルス感染。母親から胎児にどのようにウイルス感染が進むか現在研究中とのこと。本稿ではないが、母マウスは、妊娠し胎盤ができて胎児と共存するようになると一部の胎児細胞が脳に到達するという。人間も同じなら、出産後の女性は脳的にも出産前とは違う人間になっている。

目の前の誘惑に耐えるのは難しい

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結構有名な心理実験にマシュマロ・テストというのがある。
実験では子どもの目の前にマシュマロを1個置いて、こう告げる。


「20分後に私が戻ってくるまでにこのマシュマロを食べずにいたらもう1個あげる。でもそれまでに食べちゃっていたらあげないよ」


日本人にマシュマロの魅力は今一歩足りないという気がするが、アメリカの子どもには至上のお菓子であることもわかる動画を是非見て欲しい。


www.youtube.com


英語だけど、子どもたちの苦悩する表情は笑える。


このマシュマロ・テストは、子どもたちの自制心、楽しみを後に取っておいて今頑張って苦労しようという好ましい性質(?)を持っているかどうかを簡単に測れるが、神経学的な解釈を考えてみる。


目の前の快楽に抗うのは難しい…

人間誰しも将来の報酬と今すぐの報酬を比較したらすぐに欲しいもの。来年貰える可能性のある1万円と、今すぐ貰える1万円なら誰しも今欲しいだろうが、今すぐ貰えるのが5000円ならどうだろう?


それでも5000円を選ぶ人は多いだろうと思う。5000円と1万円の価値がどれほどの意味を持つかにも依るが、不確実な来年を待つより今得るのが合理的とも言えるし。


ともあれ、将来の報酬というのは今から考えてもピンと来ない。これを報酬の時間割引という。好きなこと、より良い結果というのは、「今」貰えればそれに越したことはなく、1年後とか2年後に良い結果が待ち構えているとしても、「今貰える大きな報酬」の魅力の方が喜びとしては大きい。*1

bit.ly

大阪大学の田中先生の研究がその神経基盤を明らかにしてくれている。*2


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図に描いたように、将来の報酬というのは待ち時間が長いほど低くなる傾向にある。この神経学的に言う「報酬」は金銭の意味ではなく、嬉しい、楽しいといったポジティブな気分や快楽と考えていい。


楽しみも、それを得るための待ち時間を考えたとき、待ち時間がどんなに長くても魅力的なものもあれば(例:好きなアーティストのコンサートとか)、長い待ち時間には耐えられない(例:飲食店の行列とか)ものもあったりする。待ち時間が長くても魅力的な報酬の時間割引は小さく、待ち時間が長いと魅力が薄れる報酬の時間割引は大きい。


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さて、損失もこういった時間割引効果を持つ。そして、一般に、損失の時間割引は報酬のそれより小さい。図のように、将来の報酬の重みと損失の重みでは、損失の方が重く、今考えても大きなことに感じられるということだ。例えばリンク先記事にあるように、1年後に100万円貰える、よりも、1年後に100万円支払えと言われる方が精神的に重み(ショック)が大きい。


日常的な物事を判断するときにも、将来の報酬(良いこと)や損失を考えて行動出来る人、は様々なことを計画的に実行できる冷静な人と言えるだろうが、損失の重みが強く感じられない人は将来の為に努力をすることが難しいようで、例えば肥満率が高いという結果がある。普段の生活で考えてみるとこんなのが例になるかな。


・再来年の受験で成功する`ために今目の前の新刊マンガ本を読まない。
・半年後に10kgのダイエットに成功するために今目の前のケーキを我慢する。
・20年後の貯金を少しでも多くするために、この前出たiPhoneXは買わない。


どうだろう、将来の報酬(より良い結果)を得るためとはいえ、その結果が出るのが大分先のために、「今これをしたからってまあ大丈夫だろう」と思える人は多いはず。でも多くの人はその「今だけ」が積み重なって目標を達し得ない。「明日結果が出る」ならいずれも我慢しやすいはず。


報酬と損失の時間割引の脳内基盤とADHD

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こういった報酬や損失の重みの感じ方とそれを踏まえた意思決定には、線条体という脳部位とセロトニン神経系が強く関わっているようだ。


そしてADHDはこういった報酬と損失の時間割引の感じ方に問題を抱えていることは多くの研究から明らかで、多分それが「やらなければいけないのはわかっているけど、今手をつけられず、後回し」がADHDに多い理由なのだろう。


以前話題にしたような報酬系の弱さ(⇛学習できないのは報酬系の不全が問題)、と相まって、なかなか学習できないことにも本人にはどうしようもない神経基盤を抱えているのだ。だからといって、それを改善できない、ということではないはずだけど…。


マシュマロ・テスト:成功する子・しない子

マシュマロ・テスト:成功する子・しない子


冒頭のマシュマロ・テストを1960年代に考えた、スタンフォード大学のウオルター・ミシェルの著書。このテストの意義は、子どもたちの欲求の先延ばしの性質が彼らの将来に影響があったかどうかを判定できた、という点にある(著者によれば)。長く待てた子どもたちは、待てなかった子どもたちよりも、大学進学適性試験の成績が良く、肥満指数が低く、自尊心が高く、目標を効果的に追求し、欲求不満やストレスにうまく対処でき、中年になっても成功していた割合が高かったという。うーん、息子は駄目だな…。



人のあらゆる行動は快感をベースに出来ている、と言っていいとdneuroは考えている。その背景にあるのが本書に詳しい報酬系のメカニズム。ある経験が、脳内の腹側被蓋野と呼ばれる部位を活性化させ、そこに繋がる側坐核前頭皮質、背側線条体扁桃体といった脳部位にドパミンが放出されると快感に繋がるという。この快感回路が酒や麻薬の依存を作り出す背景にあり、普通は娯楽や良いことであるギャンブル・セックス・ランニングなども依存にさせ得るのだと。
ギャンブル依存になる背景として、人の脳は、報酬そのものが大きいよりも、自分で行為をして(例えばスロットを引く)報酬に達せられるニアミス経験をするほど快感回路が活性化されるのだという。依存というと意志の弱さが責められがちだが、もともと我々の脳にはそうならざるを得ない神経ネットワークが埋め込まれているのだ。*3



1440分の使い方 ──成功者たちの時間管理15の秘訣 (フェニックスシリーズ)

1440分の使い方 ──成功者たちの時間管理15の秘訣 (フェニックスシリーズ)

  • 作者:ケビン・クルーズ
  • 出版社/メーカー: パンローリング
  • 発売日: 2017/08/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


マシュマロ・テストが示すように弱い自制心の背景には抗えない脳の構造がある。でも、人間なのだから持って生まれた性質にもなんとか対処法を考えていきたいというもの。1日は1440分しか無い!と戒めるこの著者の先延ばし癖克服法は確かに取り組めば役立つかも、と思わせる。モチベーションを高める方法は人それぞれに色んなやり方があるけど、「なりきる」は新鮮なやり方かも。「私は健康的な食生活をしている」「私は社内トップの営業マンだ」…と自分に語りかけるとその価値観が刷り込まれ、自分の誘惑に負ける行動に自制がかかるという。確かにちょっとやってみてもいいな。私は名医だと語りかければ名医の行動ができるだろうか…。

*1:窃盗とか、レイプのような犯罪もこういった時間割引に耐えられないというのが影響しそうだ。目の前の女性の気を引くのに色々やって頑張った結果として関係を持つよりも今叶えたい…と思えば行動が違ってきてしまう。

*2:どうでもいいがdneuroは田中先生が前職である企業にいた時に講演を聞いたことがある。失礼ながら「物凄い才女」という印象だった。

*3:依存症は意志の問題というより、元々その人の持っている快感回路に刺激が悪い意味で上手くフィットしてしまって成立した病気だから、なってしまったことを責めるのは酷。でも回復にはその人の意志が絶対必要なのも自明。依存症は、発症に本人の責任は無いが、回復には責任を持たなければいけない病気。

ヒトはなぜワクチンを疑うのか (2) 

インフルエンザの流行を都が認めたらしい。自分もそろそろ打ちたいが今年は不足しているインフルワクチン。今回は以前書いた続編を。


ヒトはなぜワクチンを疑うのか(1)


初めにdneuroの立場を表明するとすれば、ワクチンは一定の感染症を予防し、不幸な感染者を減らすこと、それによって社会が公衆衛生的に計り知れないメリットを享受しているというスタンス。


要するにワクチンは役に立つ。


一方、ワクチンへの懐疑心、不信は消えない様子。


・病原体を身体に入れる、という余計な作業という気がする
・そういう余計な作業が一大産業になっていて、製薬会社や医者が大儲けする軍産複合体ならぬ医産複合体ができている気がする
・そういった構造を守るために国がワクチンを推奨している


こういったところかなあ…


以前も書いたけれども、少なくてもクリニックレベルではワクチンを打ったからと言って正直そんなに儲からないと思う(⇛ワクチンと自閉症、あれこれ)。また、基本的に、ワクチン不要論の意見には都市伝説や誤った研究解釈、短絡的な暴論を一般化しているのが目立つので、正直与しにくい。


今話題の本は困る点が多いなあ

ワクチン副作用の恐怖

ワクチン副作用の恐怖


さて、今話題になっているこの本書。

近藤誠氏は言わずと知れたベストセラー(人によって名著でもあり迷著とも)、「患者よ、がんと闘うな」の著者で、慶応医学部放射線学科にいた人。


さて、今度の近藤氏の本で、dneuroとしては以下4点指摘してみたい。


1.自己体験をもとにしたインフルエンザワクチン不要論の展開はやめれ


体育会系議論というと体育会系の人に怒られてしまいそうだが、自分はこうだったから~はやめようよ、と言いたい。


曰く、
「病原体に感染する機会をできるだけふやせば、それだけ免疫システムが成熟し、充実するはずです。」

だが、1回の感染が命取りになることもあるのを忘れるなよと言いたい。あなたが健康なのは喜ばしいが、誰もがあなたのようには強くない。


そもそもインフルエンザで重症化する人は少数派。大多数はワクチンを打とうが打たなかろうが、また発症しようがしまいが、流行によって超重症になったり、死ぬようなことは滅多にないわけだが、その滅多にない悲劇を無くしたいと思わんのか。



2015年の感染症発生動向調査によれば、2009-2015年の年齢別インフルエンザ脳症数は0-4歳群で202例、5-19歳で408例、そして死亡数は0-4歳で14例、5-19歳で20例(⇛インフルエンザ脳症について)。



そう6年で未成年の34人もがインフルエンザ脳症によって命を落としているわけで、これを無視して、インフルエンザは放置してむしろ罹った方が免疫がついて良い、とは言えないだろう。


尚、脳症発症者においてワクチン接種率がどうだったか、は気になるところ。ある医師の記載ではインフルエンザ脳症発症者にワクチン接種者はいなかった、という記載はあったが文献的根拠まで見つけられなかったのであるなら見つけたい。


また、インフルエンザ脳症自体はワクチン接種で予防できない。言い換えればワクチン接種しても、罹ってしまったらワクチン接種歴は残念ながら関係ないようだ。
ただ、罹患率を減らせることは確かなので、そういう意味で例数は減らせるだろう。


インフルエンザ脳症について興味ある方はこちらを。
インフルエンザ脳症ガイドライン 厚労省インフルエンザ脳症研究班(H21年9月)


2.自閉症ワクチン説を肯定するな


精神科医として本当に困るのは、ワクチンが自閉症を誘発するという虚言を率先して広める医者がいるという事実。ため息出すしかないというか。


そもそもがウェイクフィールドというイギリス人医師の嘘論文に端を発するこの説が未だに広まっているのは、ワクチンに含まれていたチメロサールという水銀化合物への誤解であったり、どこかに原因を見つけたいという主として親の欲求からなのかと思う。以前それらのことを書いたので、参考になれば。


自閉症の原因はワクチンや水銀じゃないよ



ワクチン接種率の上昇と自閉症の発症数が相関しているじゃないか、という人に対しては以下、考えてもらえるといいかな。


・必ずしも相関しているとは言えない(上記リンク参照)。


自閉症(ないしは自閉症スペクトラム発達障害)は、診断基準の変遷と共に診断数が増加したが、かつては多かった誤診が減っているはずで、さらに以前気づけていなかった人を気づけるようになった。昔もいたのだ。


・相関は原因と結果を示すものではなく、例えば自閉症診断数と携帯電話の普及、自閉症診断数とインターネット利用人口、自閉症診断と高齢者数の増加、とか見つけようと思えば相関が見つかるんじゃないかな。


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図は試みに作ってみたグラフで、青は嵐のファンクラブ会員数の増加を示しているが、オレンジの曲線もそれと全く一致するかのように増えている。
実はこのオレンジは65歳以上人口に占める生活保護受給率の推移。
つまり、嵐ファンの増加と、お年寄りの生活保護受給増は極めて密接な相関が認められている。*1


が、嵐のファンが生活保護を増やすわけでもないし、65歳以上の生活保護者が嵐のファンを増やしているわけでもないのは明らかであって、要は2データ間のちょっとした相関なんていくらでも見つかるから、あまり短絡的に2つの現象を繋げてはいけないということ。


3.川崎病がBCG接種で起こると殆ど明言している


川崎病とBCG接種については初耳だったので調べてみたが、これはまた…という内容。


川崎病は乳幼児がかかることの多い自己免疫性の疾患で何かしらの感染症への背景にして、苺状に舌が腫れたり、皮膚が剥がれ落ちるような幾つかの病変の発症を特徴とする疾患。


この川崎病が残念ながら年々増加傾向にあり、最近では年間10000人を大きく超えている。1つには小児科医の専門的な診断が正確にされてきたということは要因で、必ずしも以前にはいなかった、というわけではないが、増えているのも確か。


近藤氏はそこをワクチンと結びつけたかったのだろうか。
BCG接種で、というのは明らかな誤解ないしは曲解。確かに、川崎病になるとBCG接種部位の発赤が目立つようになり、診断の一助となりうる。でもそれは原因ではなくて、BCG未接種でも川崎病にはなるわけで…


もしBCG接種が川崎病を起こすのであれば一大医原病として大騒ぎになっているだろう。官民あげてそれを隠すような利権はどこにも存在しない。



shufu-blog.com


4.ワクチン接種後すぐに死亡した原因をワクチンとするには無理があるのではないか


ワクチンの副反応については、厚生労働省の厚生科学審議会がワクチン定期接種や安全性の評価をし、報告されたケースについてもワクチンによる副反応ゆえと言えるかを検討している。近藤氏によるとこの審議会での議論は「ワクチンは安全ありき」だから、報告例がワクチン由来の死なのは(近藤氏的には)明らかなものなのに、十分な議論もなく、結論としては安全と評価され、副反応報告のよる懸念が握りつぶされてしまうというのだが…


その1つに、2012年に起きた日本脳炎ワクチン接種後10分後から容態がおかしくなり、心肺停止、蘇生処置虚しく亡くなった10歳の子の事例が挙げられている。


詳しくは⇛ 日本脳炎の予防接種死亡例について(pdf,2例目)


この10歳の子には特殊な背景があり、広汎性発達障害の診断のもと、アリピプラゾール(商品名:エビリファイ)とピモジド(商品名:オーラップ)という抗精神病薬セルトラリン(商品名:ジェイゾロフト)という抗うつ薬が処方されていた。


近藤氏は、これはワクチン直後の死だから、ワクチンとの因果関係は明らかで、それなのに審議会ではワクチンとの因果関係を否定する強引な議論がなされた、報告論文の結論も強引であり、著者たちは案の定ワクチンの専門家だった…と書く。



うーん、どうかな。これに関しては審議会議論を読むと決して各委員たちが結論ありきで議論を述べていないことがわかる。ある委員は、「接種直後の心停止症例で、ワクチン接種との因果関係は強く考えられる」ときちんと述べている。ただ、問題は、「ワクチン接種」という行為そのものがかなり乱暴にされたため、痛みや恐怖が内服薬によってありえる心電図異常(QT延長という)から心停止を誘発したのではないか、と考察していること。dneuroもその可能性のほうが高い、と感じる。要するに、ワクチンの中身(成分)をこの10歳の子の死と結びつけるほうが短絡的であり、これをワクチンによる副反応死亡例とする近藤氏の主張のほうが強引過ぎる気がする。*2


の4点。それ以外も沢山あるが、それは他の方の反論にお任せ。


流行のない感染症のワクチンを打つことで重篤な副反応に苦しめられたらそりゃ理不尽だ


例えば…
感染症Aにかかった時の脳炎発症が1/1000人だとする。
Aワクチンによる脳炎発症は接種100万人あたり1人とする。


感染症Aにかかるのはワクチンが無ければ年間1万人とすると、10人が脳炎を発症する。
Aワクチン接種対象が200万人とすると、脳炎発症は2人だ。


理論的には確かにワクチン接種のほうが脳炎発症が少なく済むわけだが…

そもそも感染症Aが殆ど流行らず、今年の感染は1000人しかいなかったら、脳炎発症は1人だから、ワクチンによる脳炎発症を下回ってしまう。


おまけに脳炎発症は高齢者に多く、対してワクチンは若年者を中心に打たれたら…とか、そもそもワクチンで脳炎発症した人は、たとえ感染症Aが流行っても罹患したとは限らず、罹患したとしても脳炎を発症したとも限らない。そう、自分個人に関してはワクチン打とうと打たなくてもそもそもその感染症にかかるかすら未確定(というか確率的には高くない)というところで、ほんとに必要なの?という疑問が生じるわけで、そこは幾ら理論的にワクチンの便益を説かれても肌感覚として納得いかない部分だと思う。


さらに、当然ワクチン接種対象を増やせば増やすほど理論上の脳炎発症者は実数として増えるし、ワクチンによって発症が大きく抑制されてしまえば、終いには感染者数0、つまり感染による脳炎はいないのに、ワクチンによって何人かは病気になってしまう、というパラドックスが生じる。


ポリオワクチンはこのパラドックスに陥っているのではと思えてしまう。
そういう意味で、近藤氏のポリオに関する記述については賛同できる部分があったりはするのだが…。


横浜市衛生研究所のポリオのページを参照したい。

横浜市衛生研究所:ポリオ(小児麻痺・急性灰白髄炎)について


ポリオは口から入って感染して、腸内で増殖し、一部が中枢神経に入り込んで脊髄や脳幹部で運動神経細胞を侵し、麻痺症状を起こす病気。日本では2012年8月31日まで口から飲む生ワクチンが用いられていた。

生ワクチンは生きている弱毒化ウイルスを使うのだが、これが腸の中で増殖する。その中で、稀に遺伝子変異を起こし、それが毒性を強くしてワクチン接種者に麻痺を起こさせてしまうことがある。


1980-1994年にアメリカ合衆国で生ワクチンが3億300万回投与された。このワクチンが原因となる麻痺が起こったのだが、0.00000042%、実に240万回に1人という稀な患者発生だ。免疫が正常な人に限ると、620万回に1人。とはいえ、実数125人という人数を見て少ない、という感覚にはなるのは難しい。有り難いことに、2000年からの不活化ワクチンへの切り替えによってアメリカでの患者発生は無い。日本でも既に切り替え済み。


一方で世界的には一部地域での野生型ポリオの流行は確認されており、2014年にはパキスタンアフガニスタンでの流行が国際的に問題視されていた。


ということで、やはり現在の国際的に移動が激しく、どこにどういう病気が伝播されてもおかしくないことを考えると…野生型の流行があるポリオのワクチン接種そのものは必要と考える。通常の生活範囲内で感染機会に遭遇する可能性はあまりにも低いのは否定できないが…。



まとめると、ポリオワクチン接種は現在でも必要。ただ、それは麻痺の可能性のない不活化ワクチンであるべきだろう。生ワクチンによる麻痺の可能性がどんなに小さくても、それは受け入れ難いリスクだ。


飛騨のさるぼぼ NO.9 (赤:さるぼぼ柄)

飛騨のさるぼぼ NO.9 (赤:さるぼぼ柄)


飛騨のかわいいお土産、さるぼぼ、は疱瘡(天然痘)の魔除けでもあるという(⇛Wiki)。


かつて世界中で猛威を奮った天然痘は現在では撲滅された代表的な感染症。致死率も高く、助かってもあばたが顔に残って苦しめられた。歴史上の人物でも、例えばエリザベス女王天然痘罹患者で、顔にはあばたが残った。顔を濃い化粧で覆ったエリザベス女王だが、それは天然痘の後遺症を隠すためだったのだ。他にも、ネイティブ・アメリカンやアステカ族は、ヨーロッパ人の持ち込んだ天然痘によって激甚な被害を負った。何せ毒性・感染性共に高いので、いざ流行すると万人単位の死者を出す。1770年のインド流行では300万人が命を落としたという。


そんな天然痘は現在撲滅されたからこそワクチンを打たずに我々は安心して暮らせる事実は忘れないほうがいい。


破船 (新潮文庫)

破船 (新潮文庫)


陰鬱さが漂う著作も多い吉村昭のこの本は、かなり昔の僻地の貧しい漁村が舞台。時折難破船が漂着するとその中の物資が村民を潤すことになる。もし船員が生きていたとしたら残念なことに。ある日漂着した難破船の中には赤い服を着せられた船員たちが皆死んで横たわっており…という話。まあここで紹介するのだから何故そうだったのかは想像の通り。


アフリカの蹄 (講談社文庫)

アフリカの蹄 (講談社文庫)



著者は精神科医作家。純然たるミステリで、時代は仮想国(といっても明らかに南アフリカ)のアパルトヘイトが無くなった直後頃。1994年に人種隔離政策として悪名高いアパルトヘイトが廃止された同国も、白人支配層の黒人への差別意識は消えず、一部白人層が天然痘を黒人社会に流行させようと試みているのを発見したのは留学中の日本人医師だった…。その証拠を掴もうと彼は奮闘する。


検証 陰謀論はどこまで真実か パーセントで判定

検証 陰謀論はどこまで真実か パーセントで判定


ワクチン不要論が説かれる時に、ワクチンの必要は製薬会社と国、医療界が結託しているのだと、容易に陰謀論と結びついた論調が取られることが残念でならない。本書はワクチンを扱ってはいないが、「アポロ11号は月に行っていない」「9・11テロはアメリカの自作自演だった」や「地球温暖化説はデッチ上げだ」などなどの陰謀論が俎上に挙げられて、しっかりした証拠を基にいやそんなこと無いよ、と解説する。陰謀論は非常に細かくて厄介だったりする。アポロが月に行ったなんて、疑うべくもない歴史的事実なのに、事実の根拠っていざ探ると難しいのだ。著者の1人が述べているように「陰謀論に本気で反論するには、その詳細を徹底的に調べてやるという覚悟が必要」で、陰謀論の説く矛盾に1つ1つ反論するための準備は大変。そんな陰謀論への免疫をつけるのにこの本を。



最後に、ワクチンは確かに個人レベルで見るとその利益に疑問を持ったとしても仕方のない面もある。今本当に必要なものと、近いうちに必要なくなる筈だがまだ続けたほうが良いもの、どちらかと言えば個人の選択になるけど打っておくと万が一罹った時に比べて医療費がずっと少なく済む、といったような場合分けも可能。いずれにしても、批判するなら、結論ありきの陰謀論ではなく、医学的・医療経済学的な視点で議論を喚起して欲しい。近藤氏の本を読んでワクチンが怖くなった方は、氏ががん治療を論じる時もそうだったが「全て」を否定しようと極論に走ること、そして氏の文献やデータ引用を注意深く見ると一部に決定的な無知ないしは故意に近い曲解が含まれていることを考えてみて欲しい。

*1:生活保護受給率は内閣府のデータから(http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2013/zenbun/s1_2_2_05.html)。嵐の人数はこちらのblogを参照(http://yumi55.com/archives/2353)。嵐ファンはやはり多いのね…。

*2:この子はワクチンをかなり怖がっていたようで、診察室を出たり入ったりしていたという。かなり強引にワクチン接種をされた様子。かわいそうに。中止ないしは延期の選択肢を考えてよかったのではと思う。ちなみに心電図測定はされておらず、心電図異常も推測にすぎない。

認知症の治療 捉え方を変えてみよう

先ごろ「認知症の治療」というお題で講演依頼を受けた。

・いわゆる4大認知症(アルツハイマー認知症レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症、そして血管性認知症)
・現在市場に出ているアリセプト(塩酸ドネペジル)を主体とした認知症治療薬
・治る認知症を見逃さない


という話をした上で、治る認知症を例外にすれば根本的には止められないんですよ、だから早くから介護を考えましょうという構成にしていた。


が、何というかそれは医学モデルで考えすぎであって、一般の方や介護的立場にとって聞く意義があるのかなと思い始めた。


ところで、何故治らないのかといえばそれはアルツハイマー認知症を代表とする治らない認知症は、進行性の変性疾患というやつであり、脳機能を担う神経細胞群が不可逆的に機能不全(細胞死)を起こしていくから。


要は脳細胞がどんどん死んでいくのであって、根本的には死んだ細胞を再生し、かつ再生するだけでなく、元々あった神経細胞同士をつなぐネットワークまで再生しない限り、機能回復は望めないのだ。


この10年くらい、アルツハイマー認知症治療薬の有力な候補に、脳に貯まってくる老人斑を無くしていくアミロイドワクチンというのがあった。欧米を中心に精力的に臨床治験がされたものの、効果は極めて限定的だったことに世界が失望した。それは幾ら老人斑を取り除いても、死んだ神経とそれが構築していたネットワークの再生はできないのだからある意味当然なわけ。


脳は血管のかたまりであり、血管病変を防ぐことが大事


さて、脳は人間の臓器で最も酸素消費が多い。脳の重さは体重の2%でしかないのに酸素消費量は全身の20%、ブドウ糖消費量は全身の25%も占めしまう。脳はとっても贅沢なのだ。


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そんな脳の莫大な酸素消費とブドウ糖消費を賄うために、脳には心臓拍出量の15%もの血液が循環する血管のネットワークがある。要は神経に栄養を供給するための血管網の塊でもあるのだ。


なので、図に示したように、認知機能低下に関わる因子に血管を衰えさせる条件が多い。それは、高血圧、糖尿、高脂血症などであって、要は血管を大事にすることが認知機能維持に役立つし、その大事さはアルツハイマー認知症などの治らない認知症にかかったとしても変わらない。


実はアルツハイマー認知症と言ったって、余程若年期に発症しない限りは脳血管病変を一定程度は持ち合わせていて、それが認知症症状に影響していることは当然考えられる。


だから、根本的には治らない認知症にかかったとしても、血管性の脳病変を招いて認知機能を低下させないため(その最たるものが麻痺を起こすような脳梗塞)に、血管を大切にする、つまり生活習慣病(糖尿病、高血圧、高脂血症)をコントロールすることが大事ということになる。もちろん予防に努めた方が良くて、そういう意味では運動や食事内容を考えていくことが、ある意味認知症治療の一環になるといえるだろうなと。



認知機能トレーニングだけしたって多分意味がない


東北大の川島教授と任天堂が組んで開発した脳トレは一時期ブームだったし、今でもそういったアプリは盛んだ。*1


認知機能を高めようというトレーニングが、認知症に効果的だ、いや効果が無いなんていう論争は前々からあって、正直どちらのエビデンスも探せば見つかるので、なんとも言えないかなあなんてところ。

ただ、1つだけ確かなのは、どんなに効果的な認知機能トレーニングをしたって、それ単独では劇的には効果を出したりしない。

仮にこれだけやっていれば認知症を防げるなんてことを言っていればそれは過大広告というもので、実際に認知機能トレーニングサイト、Lumosity(⇛https://www.lumosity.com/)はアメリカ連邦取引委員会から200万ドルの罰金処分を受けた。*2


gigazine.net


トレーニングするなら複合的に



以前も紹介した日経サイエンス今年の8月号(⇛認知症にならないってできるのか、とかキツネのはなしとか)。


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そこから取ってきた図だけれども、これはフィンランドで進行中のFINGER研究。認知トレーニングだけでなく、もっと包括的な生活改善介入を行う。対照群は定期的な健康指導にとどまるが、介入群には積極的な介入として、認知トレーニング、運動(筋力トレーニング)、栄養(地中海食)それに健康管理(医師受診、看護師訪問)を組み合わせて合計2年間行ったのだ。そうすると、介入群参加者は、3つの認知機能尺度(複雑な記憶、実行機能、情報処理速度)の項目において1年目から対照群を上回るようになり、2年目でははっきり有意差がついた。


素晴らしい。


ちなみにここで言う複雑な記憶、というのは9つの認知機能テストを組み合わせたかなり難しい項目も含むもの(Neuropsychological Test Battery;NTB)。


また、参加者は対照群599名、介入群591名、平均年齢は69歳。こういうテストでは、そもそも認知能力が十分に高い人や、認知症が進みすぎている人には意味がない。そこで、最初の候補者2654名から、十分に認知能力が高い人1108名、非常に低い人7名、それに他の病気を持っている人などが除かれている。参加したのは平均的フィンランド人より若干認知能力スコアが低かった人たちのようだ。だからこそ研究の意義は大きい。


ダイナミックポリゴン仮説と、サルコペニアにフレイル

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さて、これまで見てきたように、認知症を良くしようと思った時には、必ずしも中核病変(アルツハイマー認知症なら老人斑の蓄積や神経原線維変化といった病理的変化)だけが寄与しているのではない。


むしろその他にも生活習慣病の改善であるとか、残存機能に働きかけることなどが認知症治療につながるので、そういう意味で様々な因子が認知症の重症度に寄与するよ、というダイナミックポリゴンという捉え方が提唱されている(Fotuhiら,2009,Nature Genetics)。


確かにこの捉え方だと、認知症悪化に寄与する因子が多いので、病名にとらわれずに、低減できる寄与因子がないかなという観点から考えていけるため、対策の選択肢が増える。


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でも更に言えば、Fotuiらのオリジナルの寄与因子の中で、もうどうしようも無い病変や遺伝的条件はまとめてしまい、サルコペニアとフレイルという概念を寄与因子に加えて、個人的には後述するフレイルこそ中核に据えたい。


サルコペニアは加齢に伴って起きる骨格筋量の低下(いわゆる筋力低下)のことをいう。我々の筋力は30代から徐々に低下を見せ、次第にそれが身体能力の低下を招く。補うには運動と高タンパク食が必要だ。


また筋力低下の他に、体重減少、疲労感、歩行速度低下、活動量低下などが加齢とともに見られる現象は一般的に老化による衰弱そのものだが、それをフレイルと呼ぶ。


これらサルコペニアとフレイルという概念は重なり合う部分もあるが、どちらもその悪化は認知機能低下(認知症)に強く関与する。


…というか認知症はフレイル状態を作り上げる一要因だよね、と思う。であればフレイルを中核としたダイナミックポリゴンが出来るだろうということで、Fotuhiらのを改変したのが図のポリゴン。


認知症の治療というとき、また介護を考えた時には、認知症を治さないと何もできないでは悲しいので、その人の問題点を多面的に捉えたいというところ。


ちなみに今日の記事には下記論文を大変参考にしました。


アルツハイマー病の発症にかかわる因子とその治療の可能性(齋藤聡,老年精神医学雑誌 28(7), 703-707, 2017-07)


著者の齋藤氏は国立循環器病研究センターで、アルツハイマー認知症モデルマウスを用いて有望な薬の開発もしているようで、期待したい。


www.ncvc.go.jp




認知症介護における困った時の様々な対策のヒント集。入浴を嫌がる、オムツを外してしまう、何も言わずに外出してしまう…困った行動は必ずしも全てを無くすことはできないが、困ったことをされてもすぐに原状復帰できる対策もあったりする。また場合によっては無理に止めずにそのまま様子をみてもいいだろうが、このまま様子を見て良いのか、それとも止めるための方策を考えたほうがいいのかは判断に迷う所と想像する。
しかし、認知症の人がする行動に対し、こういうことだろうと非認知症側は気持ちを推測する。本当にそうなのか、は回復可能になると知ることができるのかなあ…。



未病革命2030

未病革命2030


政治家の本というとやや警戒する人もいるかもしれないが、政権中枢に近い議員が日本の今後の超高齢化社会において、インターネット技術を利用した健康行政の在り方、展望をキーとなる分野の第一人者と対談している本書は面白い。今後の医療の財政負担を考えた時に、できるだけ病気は予防し、未病の段階に留める必要があり(そりゃそうだ)、元気な高齢者を増やさなきゃいけない。そのためにはIoHH(Internet of Human Health)の基盤づくりをしていく、その技術開発が成長率も押し上げるというのが片山氏の発想。ちなみに対談相手には楽天三木谷社長や、神奈川の黒岩知事も。


フレイルについても語られているのだが、その中で気になる話を1つ。日本と韓国の20代の女性の筋肉量はものすごく少ないのだという。寝たきりになるフレイル予備軍なのだ。確かに日本の女性って細いからなあと思うが…。筋肉は90代だって運動すれば増強できる。サルコペニアを防ぐ取り組みが必要なのだ。


最新号の日経サイエンスの医学系話題は3つ。「男女の脳はどれほど違う?」「トランスジェンダーの子どもたち」「カロリー神話の落とし穴」。
脳の性差、というのは確実にあるのだが、一方で脳の性質は男脳・女脳と完全に二分されるわけではなく、実際にはそれぞれの性質を一定程度持つモザイクなのだという。
性同一性障害は広く知られてきたが、実は性自認が肉体と逆じゃないかって気持ちは3歳にして持ちうるのだという。精神科医としては彼らが気持ちよく生きていける方策が整うべきとは思う。
減量において大事なのは運動ではなく(思ったより効果薄)、食事内容なのだという。低GI値(グリセミック指数)の食事(高タンパク・食物繊維)をすると摂取カロリーの割に満腹感が高いという。一方高GI値の食事(炭水化物多い)は食べてもすぐにまた欲しくなる。

*1:10年ほど前になるけど、川島教授の脳トレ認知症に対する効果、という講演を聞いた。川島先生は話が上手いから聞いていて楽しいのだけど、脳トレの直接的効果に関しては正直うーん…という感想持ったのを覚えている。

*2:Lumosityそのものはかなり面白くて、夢中になってしまう。しかし、罰金を受けても、エビデンスがないと指摘を受けても、それでもそのまま運営していけているのだから、人々の期待感が大きいってことなんだろう。ただ思うに、普通のゲーム機で難しいゲームをやれば十分色んな要素が入っている。

ハンドスピナーとADHD,それに行動経済学

巷で話題の、というともう遅れているが、子どもに買ったハンドスピナーを自分が気に入って回していたりする。


ハンドスピナーには色んな種類があり、それぞれにちょっとした違いがあるためにコレクション心が揺さぶられてしまうのだが、気になるのは広告に書いてある効用だ。


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あるハンドスピナーの広告では

「不安、ADHD自閉症、悪い習慣をやめる、
長い車の運転で目を覚ますなど、楽しく興味深く、焦点と深い考えに効果的です。」

とある(図で示したのと別なハンドスピナー)。


ADHD自閉症?と思うわけだけど、自分で弄くりつつ、少なくてもある種の集中力を高めるのには役立つ気がしてきた。


結論から言うと、ハンドスピナーは課題施行中に残存する注意容量を埋めることで施行中の課題への集中力を維持させることができる。
今日はそれに関して。


‘ながら’が難しいにはわけがある
ながら勉強は駄目よ!と言われつつながら勉強する経験はあると思う。が、こと暗記する科目に関して、テレビを見ながらなおかつ完璧にこなす人は普通いない(特殊な人は除く)。他のことをしながら人の話を聞く、というのも大体は上の空になりがちで、肝腎なことは抜けているために、その後の人間関係がまずくなったりもする。


要は何か他のことをしながら、というのは注意散漫なわけで、人が向けられる注意の量というのはその人に応じて(状況によって多少は違えど)一定量で、ある1つのことに必要な注意を向けつつ、なおかつ別なことを為すのは難しい。なかなか聖徳太子にはなれず、マルチタスクは完璧どころか中途半端にさえこなせない。



神経学的には、注意(attention)とは脳に入力される情報を取捨選択する心的過程のことを言う。注意を向けられる脳の容量(PCで言うメモリ)には限りがあり、それを注意容量(attentional capacity)といい、2つ以上の課題をこなすときにはそれを分割し、分配する。


 ここらへんは、医学的立場からするとどう考えても仮説的で、実証されているかdneuroは
知らないがどうなんでしょうね。ノーベル経済学賞受賞の心理学者ダニエル・カーネマンが1973年に提唱した説を主に参考にしてます。興味ある方はこちらが詳しい⇛
北大文学部田山先生のpdf


話を簡単にするために注意容量を100として、例えば英語読解で精読するのに70くらいの注意力を必要とする。周囲に集中を阻害するものが無ければ余裕があるし、残りの30を周囲環境に気を配ったり、ちょっと他のことを考えたりすることもできるはず。しかしそこで、テレビのバラエティを見始めたりすると、場面にもよるだろうが、20~50くらいの注意力を要するとしたらキャパオーバーだ。読んでいたはずの内容が抜けたり、テレビを見るのに手を止めてしまったりする。*1


注意が発散しやすいといえばADHD


ちょっとやろうと思って目的に向かい始めるとすぐに他のことが目に留まったり、考えついたりしてちっとも目的を達成する方向の行動が進まない。かと思えば、特定のものには猛烈な集中力を示し、声をかけても反応せず、気づけばいつの間にか数時間。


課題遂行と注意容量の関係で言えば、ただでさえ注意を1つに向けるには困難なことで、遂行中の課題への注意へ向ける力は揺らぎやすい。ADHDはそれにも増して、目についたり耳から聞こえたりする感覚からの入力にも反応しやすくて、それが注意容量の中に侵入しやすい。反面、過集中状態では非ADHD者が残している注意容量が殆ど無くなっており、ある程度は必要な外部入力に振り分ける余力が無い(選択的注意力に欠けている)。両極端なのだ。


 参考⇛ADHDに関する10の誤解(神話)_前編


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ハンドスピナーは余剰な注意容量を埋め、集中力を増させるのかも

さて、ハンドスピナー
これが集中力を発揮する、というのは要は図に描いたような感じかなと。


場面としては、読書、ないしは音声で情報を得ているときを想像して欲しい。


(a)では集中しようと思っても、色んな思考が邪魔したり、目や耳から入ってくる感覚情報が別な思考を誘発し、読み物、聞いていることに集中することを邪魔しようとする。集中力が低い人では今集中が必要なことへ向けている注意はとても浮動的で、安定もしていないだろう。


(b)では、ハンドスピナーを使ってみる。ハンドスピナーの特徴は、やり方簡単、ただ回すだけだが、何となく気持ちよく、やり続けるのに苦痛が無い点。


この、簡単、心地良い、疲れにくい、というのがたぶん利点で、(a)で余剰部分として色々感覚情報が入っていた部分をちょうどよく占めてくれる。その結果として今集中すべき読書なり、音声情報へ気持ちを持続的に向けることが楽になるのでは、と。


ただ、多分これはBGMとして音楽を流すのと基本的には変わらない。でも、音楽だと好みだったり、不快だったりで情動面が動きやすいのと、歌詞があると集中が難しい部分はある。


また、以前スマホの読書アプリ読み上げ機能は運転やランニング、買い物中に使うといいと書いたけど(⇛本は読むより聴いてみたら?)、そういった作業は注意容量を占めるのにちょうどいい。それでも例えば運転は難しい場面でなければ認知的に暇になる(作業が自動的で簡単)ので、その時は更にハンドスピナーやりながらのほうが聴読に集中できるだろう。


ハンドスピナーで集中力を上げる、は実験されて無さそう


軽く調べた限りでは、ネットで論文業績を調べてもハンドスピナーで注意容量の過剰部分を埋めて課題成績を上げようという論文は見当たらない。日本語でも英語でも。広告のADHDへの効果って誰が実証したのやら…。


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というわけで、例えば、文章読み上げを聞きながら特定の位置の言葉を記憶したり、幾つかの選択的注意課題や短期記憶課題をやったりしながら、ハンドスピナー使用時と非使用時で効果を見るというのは簡単に実験できそうだから誰かやってみたらどうか。

選択的注意課題というのは例えば図のような。


正直細かい条件を気にしなければ、子どもの夏休みの自由研究課題になりそうだ。
研究者的にはもう少しひねりが欲しいけど。


さらに、ADHD者に対して実験してみれば効果をしっかり判定できるのでは?と思う。


しかし、ハンドスピナーってペン回しだよなと思う。あれは集中力を上げるための自己治療であり、正しい行為なのだ。



注意容量の仮説を提唱したのは、ノーベル経済学賞を受賞した心理学者、ダニエル・カーネマン。心理学者なのに経済学?と思うかもしれないが、今でいう行動経済学の先駆者。今年のノーベル経済学受賞のリチャード・セイラーとも共同研究したりしている。この著書が一般向け代表作。人の認識にはシステム1と2という2通りのものがあるというのが有名。システム1は自動的な反応で、ある種の刺激に対して極めて素早く対応する。一方システム2は複雑・論理的な思考をする回路であり、努力を要する知的思考過程。システム1は言ってみれば直感で、パッと物事を判断する。毒蛇がいると聞いている藪の中で細長いものを見かけたら正体が判明する前にぱっと避ける行動をすると思う。そこでいやこれは待てよと考えていたら万が一毒蛇だった時のリスクが大きいから、システム1は生存に必要なのだ。が、人間社会の物事は直感に反したことも多いわけで、システム2をいかに働かせるかが社会成功の鍵になる。


行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)


カーネマンは元々心理学者なのにその業績が経済学で使われた、という方。そもそも経済学ってのは、人間は合理的な判断を常に行いうるという「経済人」を想定してできていた、らしい。経済畑を元々知らず、人間は合理的に動かないのが当たり前な感覚でいたdneuro(精神科医なので…)からすれば何を当たり前な、と思うのだが、経済学ではそうだったらしい。カーネマンもその点不思議だった様子。では人間の非合理性が経済学に取り入れられたらどうなるのか、ということで本書。


実践 行動経済学

実践 行動経済学


で、今年のノーベル経済学賞のセイラーさん。
実はkindleサンプル分しか読んでいないけど、キーワードは「ナッジ」らしい。ナッジとは人に良い行動を取らせようとする戦略のこと。オランダのスキポール空港の男性用小便器にハエの絵が描かれたことがあり、その結果男性がそのハエを狙って用を足すようになった結果小便器の周りの汚れが劇的に減ったという(それまでどれだけひどかったかということ)。そんなふうに気づいたら多くの人が行動を誘導されてしまっている、そんな戦略がナッジであり、上手く設定すれば善にも悪にもなる、というか、多くの詐欺の被害者はナッジされてしまっているのではないかなと。

*1:とはいえ、注意容量が十分にあって、その容量内に収められる範囲では多方向に注意を払いながら作業ができるのも事実。特に例えば運転のように行動が自動化していれば振り分けられる残存注意量は多い。

将来必要なのはきっと整形外科医だけ

以前、AIの発展に伴って精神科医は20年後には生き残れないと書いたが、最近はますますそうじゃないかな~と思う。


www.huffingtonpost.jp


いや、人間に打ち勝ったアルファ碁をさらに100戦全敗に追い込んだアルファ碁ゼロなどの記事を見るとその感は強くなる一方だ。アルファ碁は人間の棋譜を学習したが、アルファ碁ゼロはそれすらしなかったのにごく短期間で強くなったので、人間の結果が、アルファ碁が強くなるのにはむしろ足かせだったのだろう。


画像診断はAI医学の得意技


そんな今のAIブーム発展につながった機械学習においてとても親和性が高いのは画像認識。普段は例えば顔認識技術などに応用されてその素晴らしさが実感できるのだが、人の顔というのは要は一定の特徴を持ったパーツの組み合わせであり、そのパーツは更にある範囲内での特徴がある構造の集まりにすぎないから、同じ技術で認識させるのは何も顔に限定する必要はないわけで…。


itpro.nikkeibp.co.jp


記事にあるように、国立がん研究センターNECと共同で、内視鏡検査の画像を認識するシステムを開発している。

内視鏡、受けた方もいると思うが、上部消化管内視鏡ならば口や鼻から、下部消化管内視鏡ならば肛門から長い蛇のような管を挿入し、管の先に付いているカメラが食道・胃・十二指腸(上部)、大腸(下部)の内部・壁面を撮影する。直接見るこの技術による恩恵は絶大なものがあるのは当然で、もうずっと以前から粘膜内にとどまるような初期癌であれば操作者の手元から挿入した別な器具によって切除まで可能になっている。*1


さて、この内視鏡で、例えば胃ならば胃壁の微妙な形状・凸凹や、その色合いなどから、正常か、異状か、異状ならばどのような病変か、経過観察で良いのかそれともすぐに処置が必要か、それとも開腹手術を要するか、など様々なことを判断する。


病変が誰でもわかる典型的なものならば良いが、残念ながら実際には微妙なものも多い。


そこに術者による判定の差が出てきてしまう。ある医師では何でも無いと素通りされるものが別な医師では病変と認定され、それが前癌病変や癌の場合にはその差が生死を分けかねない。記事中「国立がん研究センターの山田真善中央病院内視鏡科医員によると「内視鏡医による検査では、24%の病変が見逃されているという研究結果もある」とあるがそんなものだろうなあと。


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図は日本内視鏡学会雑誌(清水ら、2014)からの写真を載せてみた。論文は炎症性腸疾患(潰瘍性大腸炎クローン病)の病変を他の疾患、特にアメーバ性大腸炎カンピロバクター腸炎、腸結核などの感染性腸炎と誤診しないよう、病変判断のコツを書いているのだが、見分けるのに熟達した技と経験が必要なことがわかる。頻度的には少ないかもしれないが、見逃しや間違いがあるからこそこういう論文が出るのだ。


また、カプセル内視鏡(⇛カプセル内視鏡について)はカメラの内蔵されたカプセルを飲み込むことで、消化管の生理的な蠕動運動に乗って、通常の内視鏡では到達できない小腸も含めて壁面を撮影できるスグレモノ。


ただし、その欠点の1つは画像数が多すぎる(5万枚以上!)ことで、現状医師の目視でぱぱっと見ている。ちょい古いが2008年の論文(Solemら、Gastrointestinal Endoscopy誌)にある内視鏡の診断感度(病変をキャッチできるか)と診断特異度(間違えずに判断できるか)を比較している結果を見ると、カプセル内視鏡は83%と53%。案外病変の拾い上げはできているが、目視に頼る限り疲労度の問題もあるだろうし、精度良く何人も出来るためには自動画像解析に頼るしか無いだろう。


こんなふうに画像にAIの親和性が高い以上、今後画像解析が人の手を離れていくのは避けがたい。放射線科や消化器内科の業務のうちで、専門的判断が必要とされる部分は相当程度自動化されていく。


要は手技の操作的部分以外の内科的判断は全てAIがこなすようになるだろうから、いずれそういう分野の医師は殆ど要らなくなる。


ただ、少なくてもあと数年は、普通の医師にとって便利で有用なツールになるだろうし、その後も精度においてしばらくは名人域の判断>AIの判断という熟練した人間の優位性は保たれるだろうが、少なくても平均的な医師の力はAIに遠く及ばなくなるだろう。時間が経てば、そもそも何を根拠に診断が出来たのか、人の頭ではうかがい知れなくなるかもしれない。


そうなってくると、カプセルで収集した画像さえあればあとは手持ちの画像をAIが判断してくれば事足りるので、内視鏡を扱う医師が、ひいては消化器内科医がいつまで必要か、という話だろう。


もちろん、消化管内視鏡だけでなく、画像判断は例えば脳のMRI,CT、眼科の眼底所見など、画像さえあればその後の診断をするのが医師である必要が無いのは言うまでもない。


問診系もAIだ


問診と検査データから専門知識を駆使し、名人芸的診断を下すのは、内分泌科や膠原病・アレルギー科、神経内科、そして救急医だが、その分野にもAIは親和性が高いだろう。NHKの「総合診療医ドクターG」で断片的情報から診断を組み立てていく思考が披瀝されるが、進化したAIさんはきっと楽に診断ないしは限られた鑑別診断にたどり着くだろう。


dneuroの分野たる精神科医
もちろん、以前書いたとおり少なくても今のようには要らなくなる。時々精神科医は大丈夫でしょ〜と言われるが、そんなのはちょっとした幻想が皆んなの頭のなかにあるからだろう。どういう幻想かは秘密。


外科医は必要か?


さて、今のところ外科技術は人間のもの、という認識が一般的だと思うが、それもそうではなくなる。


現在は手術支援ロボットに過ぎず(⇛手術支援ロボットダ・ヴィンチ徹底解剖)、あくまで操作の主体は人間だが、細かい血管結紮などから順に自動化されていくはず、と思う。そういう方向に行くでしょう?しばらくは小さな血管を次々に結んだり、神経を避けながらの微小病変削除から自動化だろうが、細かい眼科や脳外科手術、肝臓手術時のきめ細かい止血など、人より絶対機械がいい(という風にならないと)。


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消化管内視鏡時の細かい手技は勿論自動化されるし、されるべきで、例えば普段消化器内科医はどれだけ薄い膜に処置をしているのかと(⇛胃がんの内視鏡治療)。今の医師たちが努力の末に大変な成果を出しているのだが、避けがたい出血や穿孔(穴が開いてしまう)リスクは今の数%からさらに下げることができるだろう。まだまだとりあえずは図のように術者がロボットアームを操作する支援ロボットにとどまるのだろうけど、微細な構造へのアプローチはどんどん進むのかなと思える。*2


恐らくもっとマクロの、外傷時のちょっとした処置であるとか、怪我して痛かったり、意識朦朧下で何するかわからないような非常事態下で外傷処置を手早くやってのける、というような肉体労働系がロボットに変わるのは相当先だろう。


そして離島など遠隔地で、設備の整った病院まで行くほどではない、もしくは行く過程の中で応急処置をする、といった中では医者の価値があるだろうと思う。遠隔医療も幾ら整ったとしても器具の整備やネットワークへアクセスする物理的制約からは逃れられないはず。


医者が今後も必要とされるキーワードは、救急、外傷、離島(遠隔地)。


それを満たす整形外科医の皆さんが最後まで必要とされるんじゃないかなあ…当然その人は、ある程度までは内科を含めかなりな万能選手である必要があるが、今だって優秀な整形外科医さんは相当何でも出来るので、そういう人がちょっと居れば医者は十分なはず。


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そんなわけで、例えばこの著者さんは医師が要らなくなる理由がないことを説明してくださっているが、少なくてもdneuroは医師自身の実感として、いずれはこんなに要らなくなるし、社会にとってそうあるべき、と考えてます。


AI以外で医者は今ほど要らなくなる理由

さて、これまではAIとロボットの発展に伴って医者が不要になる論を書いたが、実際にはAIが発展しなくたって、今ほど医者は要らなくなる。少なくても日本からは。


少子高齢化社会による人口低下
 dneuroは第2次ベビーブーマーの最終世代だが、様々な要因があるとはいえ、結果的には我々が十分な子どもを残さなかったために、次世代は先細っている。我々が老年を迎えるまでは医療需要が増す可能性はあるが、その後の人口減社会では当然医療需要が減るはず。


予防医学の発展
 医療の理想は病気にならない、発症を抑えられることだろう。
 医学生の頃、臓器移植の講義があり、講師は京都大学田中紘一先生だった。


 「医学の発展に伴い、臓器移植というのは将来は無くなる医療では?」という質問に対し、「正にそれこそが我々の望みであり、我々の仕事が無くなることが理想だ」と答えられたことに皆が感銘を受けた。

 
 そう、今後正常に医療が発展すれば、医師の数なんてそんなに要らなくなるはず。実際に現代社会はかなりな程度予防医学の恩恵を受けており、そのために平均寿命も伸びている。


・ウエアラブル端末による自己健康管理と遠隔医療
前項の一部の機能を担うのだが、Apple Watchを代表格として、ウエアラブル端末で活動量だけでなく、心拍数が計測できたりする。こういった技術の進展は近い将来健康管理に非常に役立つようになるはずで、慢性疾患である高血圧、高脂血症、糖尿病などの管理に近所の内科医が必要、なんてことは無くなるんじゃないかなあ。コレに関してはまたいずれ。


他にも、遠隔医療の発展、医療の自由診療化、移民人口の増大(外国人の優秀な医師が入ってくる)なども少医師化への理由になりそうだ。


というわけで、そもそもAIが予想通りに発展しなくても現在のままの医師供給は明らかに過剰にならざるを得ないと思うわけです。


今から整形外科医になろうかな…とりあえず仮想現実(VR)の発展で外科的処置の練習がきっと容易になるだろうし(おっとそうしたら整形外科的処置も誰でも学べるから、整形外科医すら必要ないかも)。



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天才外科医と言えば、大門未知子よりブラックジャック。どんなにAIとそれに基づく医療が発達したとしても、そのネットワークが届かないところに行ったらその場で手に入る技術を駆使して助かるしか無い。5巻の「ディンゴ」ではオーストラリアの人里離れた僻地が舞台。自分を治す必要が生じたBJは自ら腹をかっさばいて手術をする。こういうとき頼みになるのは自分自身に習得された技術のみ。今だってそうだが、技術とそれを載せるネットワークがある社会と無い社会の格差、システムが壊れたときのサバイバル、そういう場面では人間が役立つはず。


切るか切るまいか、一般的な判断では確実に安全策が取られる中、BJだけは挑戦できる、そんな話が多い。将来のAIはそういった限界の判断をどうするんだろうとは思う。一般的には倫理的枠組みを議論するフレーム問題というやつに相当するかな。




既に囲碁・将棋の世界では人知を超えたAI。AIがあらゆる分野で人知を超えた到達点がシンギュラリティ。もちろん、その後も進んでいくのだがもうその世界ではAIが辿った思考の道筋を人は追えなくなってしまう。そんな未来を従来から予測しているのはレイ・カーツワイル博士。なにせ思考はネットワークにアップロードされて、拡大した人間の知性はいずれは宇宙を満たす、みたいなことを言うので面白いにも程がある。でもカーツワイル博士の言うことはこれまでも実現してきたらしいし、夢がある。ただし博士の言う未来世界の中で、個のもつ意味はとか、人の生きる意味はなんて考えていくと、映画「マトリクス」の世界でVR世界に生きる人たちとか、SF作家アーサー・C・クラークが描いた「地球幼年期の終わり」の進化した人類の姿を思い浮かべたりする。きっとシンギュラリティに達した未来に今の私たちが意識している人という存在は無いんだろう。




未来の話は置いといてとりあえず現実想像可能な範囲で日本が直面するのは人口減少社会。今後の人口減少に大きく寄与したのがdneuro世代なので子どもたちには責任を感じざるを得ない。著者はAIが労働力減少を補う想定そのものを夢物語と説く。うーん、どうかな。個人的には今回のAIブームは本物で、実際に仕事は奪われていくだろうなあと思ったりする。本稿のように医師はとりわけ要らなくなる(特に先進国では)職業の1つと思っているのだが。それより本書を読んで怖いのは人口減少がもたらす治安悪化の恐れかな。人がまばらにしか存在しない、というのは怖い社会なのだ。

*1:dneuroも上部は3回、下部は1回体験した。上部は鼻からが2回、口からが1回である。鼻から入れるのは正直とても楽だった反面、口からでも案外入るのだなと感じた。受ける側のコツとしては、ビデオ画像を見せてもらいながら、管が喉に来た時にタイミングを合わせてゴクン、と飲み込むイメージかな。最近の喉の麻酔は優れものなので、余り怖がらずに。下部は術者の腕によって苦痛が大分違う。上手い人、事前にわかればなあと思う次第。

*2:今後のロボット手術、さらなる自動化進むのか?と思って検索しても今のところ操作は人間がする支援ロボットしか見つけられなかった(例えば⇛11 surgical robotics companies you need to know)。操作が人間である以上ミスは避けられず、支援ロボット使った医療事故が起きていることにも注意。